清水正の『浮雲』放浪記(連載202)

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清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。




新著紹介


小林秀雄の三角関係』2015年11月30日 Д文学研究会発行・私家版限定50部

清水正の『浮雲』放浪記(連載202)
平成A年9月21日

種子島へ着いたのは、二時ごろであった。
  白く光った海の上に、黄ろい、平べったい島が、窓の向うに見えた。富岡は煙草をくゆらしながら、その、ながながと寝そべったような、淋しげな島を眺めていた。ゆき子は昏々とよく眠っている。富岡はなぜともなく、遠くへ来たものだと思った。
  遙かに見える小さい港に、ごちゃごちゃと、小さい船がもやっている。海添いの家の屋根が、白と黒との切紙細工のようなのも、富岡には珍しい眺めだった。
  船はゆっくり時間をかけて、種子島の西の表港に這入って行った。夜の九時まで、この船は種子島に碇泊しているのだそうだ。夜の九時まで、この港から動かないのだと船員から聞いて、富岡は、少々退屈だなと思った。こんなところにまごまごしないで、終点に早く着きたかった。(393〈六十〉)

 照国丸は鹿児島から屋久島まで直行するのではなく、途中、〈平べったい島〉種子島へ寄港する。この〈平べったい島〉を眺めているのは富岡兼吾である。富岡は一等船室の窓から〈白く光った海の上〉に〈黄いろい、平べったい島〉、〈ながながと寝そべったような、淋しげな島〉を、煙草をくゆらしながら眺めている。この種子島を眺める富岡の眼差しは、ベッドで昏々とよく眠っているゆき子の寝姿をもとらえている。先刻、海上の甲板で〈足もとや肩にまつわりついていた、運命の鎖を、吹飛ばしてくれるような、爽快な気持ち〉を味わった富岡は、今、船室の窓越しに海上に浮かぶ〈平べったい島〉を眺めている。〈足もと〉にまつわりついている〈鎖〉は、ベッドで昏々と寝入っているゆき子である。富岡はこの、どこまでも追ってくるゆき子の〈鎖〉から解き放たれることはない。富岡があらゆる鎖の呪縛から解き放たれようとすれば、死ぬより他の途はないのである。そう、思って、船窓から見える〈平べったい島〉を改めて眺めれば、まさにそれは白く光った海上に浮かぶ富岡兼吾の死体そのものに見えてくる。富岡は〈足もとの鎖〉(ゆき子)の傍らにあって、自らの穏やかな死の姿を幻視していたとも言えよう。煙草をくゆらしながら、自らの安逸な死の姿を眺めている富岡を眺めているのは作者林芙美子であって、同伴者ゆき子ではない。わたしはこの場面に泣けてもくるし、同時に作者林芙美子の凄まじさも感じる。富岡を追っている、追い続けているのはゆき子ではなく、作者林芙美子なのだ。林芙美子は、富岡における〈新生〉に繋がる重要な場面(一等甲板で富岡が比嘉医師から投げられた緑色のテープをいつまでも握っていた場面。陽射しを受けた白い海上の甲板で爽快な気持ちに浸っていた場面)にゆき子の眼差しを介入させなかった。林芙美子は富岡の孤独な姿を独り占めしてはばからない。林芙美子、恐るべしである。
 「夜の九時まで、この船は種子島に碇泊しているのだそうだ。」ーーなんの変哲もない文章である。が、数字に賦与された象徴性に敏感な読者にとっては、一挙に神秘的な文章へと変容する。〈九時〉(午後三時)はイエスが六時間の十字架上の苦悶の末に息を引き取った時間を示している。富岡兼吾は和製スタヴローギンとも言うべき存在であることは再三再四、繰り返し指摘してきた。スタヴローギンという名前は十字架に密接に関わっている。『罪と罰』のロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフにも言えるが、彼らは殺人者でありながらもキリストのイメージが賦与されている。二人の女の頭上に斧を振り下ろしたロジオンは、にもかかわらずソーニャにひざまずきながら「僕は君の前にひざまずいているのではない。ぼくは人類のすべての苦悩の前にひざまずいているのだ」と言っている。ニコライ・スタヴローギンもまた、十二歳のマトリョーシャを陵辱し、自殺に追い込むような破廉恥なことをしでかしながら、彼女の幻影に苦しめられる。ドストエフスキーの場合は罪の意識そのものよりも、苦しんでいるというそのこと自体に絶対価値を置いている。そうとでも考えない限り、ロジオンの復活などまったく理解できない。