山崎行太郎・清水正と私と『ドストエフスキー論全集』(連載3)

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

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新刊本の紹介
清水正ドストエフスキー論全集』第10巻(2018年3月25日発行 D文学研究会)の栞原稿を紹介します。今回は文芸評論家の山崎行太郎氏の文章を三回にわたって紹介します。
清水正と私と『ドストエフスキー論全集』

山崎行太郎

(5)
 
私は、もともと「読書好き」な子供ではなかった。どちら
かと言えば、「読書嫌い」の子供だった。要するに、「物思う内
向的な少年」ではあったが、本を読む習慣はなかった。しか
し、高校生になって、私は、突然、ある教師の話から、読書に
目覚めた。その教師は、小野重朗という名前で、普段は「生物
学」を担当してる教師だったが、余技に、土、日になると、南
九州の「民俗学」の現地調査をしているという人だった。つま
り、全国にいる柳田国男の「民俗学」の弟子の一人だった。小
野先生のテーマは、「南九州の農耕儀礼の研究」だった。だか
ら、小野重朗先生の話は、話題豊富で、いつも面白かった。あ
る日の話に、「竹の花が咲くと、ネズミが異常繁殖する。そし
て、大量に増えたネズミは、海に向かって次々と飛び込んでい
き、集団自殺する」という話があった。私、何故だか分からな
いが、この話に感動した。小野重朗先生は、開高健という作家
の「パニック」という小説に書いてあると教えてくれた。私は、
開高健」を知らなかった。
  私は、初めて図書館というところに行った。開高健の本を探し
だし、その本を借り出した。その本は、角川書店発行の「現代日
本文学全集」の中の一冊で、開高健大江健三郎が収録されて
いた。私にとっては、それが運命的な本との出会いになった。
 
私は、早速、「パニック」を読んだ。「パニック」はそこそこ
に面白かったが、それよりも、私には、大江健三郎の小説の
方が、はるかに面白かった。『奇妙な仕事』『死者の奢り』など。
私は、その後、大江健三郎の文庫本を探しだし、生まれてはじ
めて、自分の小遣いで、書店で買った。
 
それから、私の「読書狂い」と「書店めぐり」がはじまった
のだった。
 
その頃、たまたま岩波新書の『現代の作家』(中野好夫編)
を読んだ。そこには、何人かの有名な作家たちの「作家になる
までの体験記」が収録されていた。そこに、志賀直哉や川端康
成の文章にまじって、椎名麟三の文章もあった。不思議なこと
に、私は、椎名麟三の文章に、一番、感動した。何故だか分か
らなかった。何か、その頃の自分と共通する問題意識を感じた
のであろう。   《そういう状況の中で、ついにドストエフスキ
ーにぶつかった のだ。》という文章に出会って、私はドストエ
フスキーを本格的に読むようになった。さらに、椎名麟三は書
いている。
 
《僕は文学に眼を開かれたというか、文学に希望を見出すよ
うになったのは、もう三十にも近くなっていた。しかもドス
トエフスキーからいきなり入って行ったのだから、ほかの人
の行き方とは変わっているかも知れない。》
 
私は、やや大袈裟な表現に疑問も感じたが、しかし、椎名麟
三の言葉に嘘があるとは思えなかった。私も、椎名麟三がそこ
に書き記したニーチェヤスパースハイデッガーやキルケ
ゴールを読みたいと思った。私は、椎名麟三からドストエフス
キーを学んだ。哲学を学んだ。椎名麟三の表現は、荒削りだが、
間違ってはいない。私は、椎名麟三の小説を読みたくなった。
 
椎名麟三のデビュー作『深夜の酒宴』で、私は、「イデオロ
ギーから存在論へ」、あるいは「存在論的思考」というものを
学んだ。椎名麟三は大作家ではない。知性的なインテリ作家で
もない。しかし、本質的な作家ではあるというのが、私の椎名
麟三論のすべてである。したがって、私は、椎名麟三からドス
トエフスキーを学んだが、椎名麟三ドストエフスキー論の詳
細には、あまり興味がない。
 
しかし、清水正は、椎名麟三ドストエフスキーの詳細に、関
心があるようだ。したがって、「椎名麟三ドストエフスキー
は、椎名麟三ドストエフスキー体験、つまりドストエフス
キー解釈の内容を深く追求している。椎名麟三は、「ドストエ
フスキー体験」を熱く語っているが、その体験や解釈は、必ず
しも厳密とはいい難い。清水正は、椎名麟三の体験と解釈の曖
昧さと不徹底、を厳しく追求している。清水正のドストエフス
キー論が、単に「存在論」的であるだけではなく、「原理論」
(研究)的でもあることがわかる。たとえば、清水正はこう書
いている。
 
椎名麟三の『私のドストエフスキー体験』は気になってい
た本ではあった。しかし、この本を真剣に読み通した記憶
がない。わたしがドストエフスキーに熱中していた十代後
半、ずっと気になっていたのは小林秀雄ドストエフスキー
評論であって、他の日本人のドストエフスキー論に注意を向
けたことはなかった。当時のわたしは、自分が最もドストエ
フスキーに心酔していると思って微塵も疑っていなかったの
で、戦うべきは小林秀雄一人と思いこんでいたのである。椎
名麟三の『私のドストエフスキー体験』など、ざっと目を通
して、別に真剣に検証するほどのものではないと判断したの
である。》(『椎名麟三ドストエフスキー』)

  「十代後半」の段階で、同じくドストエフスキーを読んで
いたとはいえ、清水正と私の差異は大きかったという事である。
(文芸評論家・日大芸術学部文芸学科講師)