『清水正・ドストエフスキー論全集』第六巻刊行/『世界文学の中のドラえもん』を読んで・平田 栞

清水正ドストエフスキー論全集』第六巻刊行
A五判608頁 定価3675円(3500円+税金)



 『世界文学の中のドラえもん』 (D文学研究会)

全国の大型書店に並んでいます。
池袋のジュンク堂書店地下一階マンガコーナーには平積みされています ので是非ごらんになってください。この店だけですでに二十冊以上売れています。まさかベストセラーになることはないと思いますが、この売れ行きはひとえにマンガコーナーの担当者飯沢耕さんのおかげです。ドラえもんコーナーの目立つ所に平積みされているので、購買欲をそそるのでしょう。
我孫子は北口のエスパ内三階の書店「ブックエース」のサブカルチャーコーナーに置いてあります。


四六判並製160頁 定価1200円+税

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
   グッドプロフェッサー

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
『ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp
[f:id:shimizumasashi:20120816101244j:image]
http://www.youtube.com/user/kyotozoukei?feature=watch
雑誌研究夏期課題 「『ドラえもん』を読んで」
彼方
平田 栞

 ドラえもんの四次元ポケットには誰もが羨む夢が沢山詰まっている。すべての問題に的確に対応し、のび太の願いを次々と叶えていく。
 だがしかし、それらの道具にも圧倒的に勝るものがある。それは、ドラえもんを現在に送りこむことを可能にした「タイムマシーン」だ。

 先生がおっしゃったように、あの時のび太が死んでしまっているのならば、彼の第一の人生はそこで終了してしまっている。けれど、この「タイムマシーン」さえあれば、もしこれらの無限の道具がなかったとしても、人生のさまざまな危機を回避することが出来るだろう。
  例えば、テストで零点を取ってしまったとする。しかしタイムマシーンさえあれば、出る問題を特定することが出来るのだから、過去に戻って分かりきった答えを書けばいい。また、ジャイアンを怒らせてのび太がボコボコにされてしまったとする。しかしタイムマシーンさえあれば、過去に戻ってジャイアンを怒らせてしまった言動に注意していれば、ジャイアンにボコボコにされるという運命を回避出来るということだ。
 つまり「無限の道具 < タイムマシーン」という公式が成り立つのではないだろうか。そして上記で述べたように、のび太が「死と復活」を行い、形式的に第二の人生をスタートさせたのであれば、「タイムマシーン」という道具の力があれば「永遠(無限)の命」を手に入れることが可能になるのだ。

 つまりのび太は自分の人生をいくらでもやり直せる。しかしそれは同じ人生の延長線上ではなく、「パラレルワールド」という現象なのではないかと考えた。

 ではまず、ここ出てきたパラレルワールドとは何かを改めて考察してみよう。Wikipediaを見てみると、「 パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。四次元世界、異世界、異界、魔界などとは違い、我々の宇宙と同一の次元を持つ。並行世界・平行世界と訳される。並行宇宙や並行時空といった呼称もよく使われる。」と記されている。
 パラレルワールドは現在でも沢山の科学者が注目し、研究を行っているが、確信的な証明は未だされていない。けれどこの世界に、パラレルワールドを体験した人は意外にも少なくない。
 
 何が言いたいかと言うと、自分の意思では本来なら行き来することが出来ないパラレルワールドの時空を、タイムマシーンを持っているドラえもんは、それを自由に選択し、移動することが可能だったのではないだろうか。

 のび太はドラえもんの力によって、いくつのもパラレルワールドの中で生きている。今のび太がいる世界の他に、今までのび太が生きてきた世界が同時に進んでいる。さまざまなパラレルワールドを経て、のび太の一番理想な人生に近付けていくのだ。言い換えれば、今まで生きてきた他の世界には、自分ではないもう一人ののび太が居て、そののび太はドラえもんの居ない世界で不幸な人生を送っているのだろう。つまり捨てられたいくつのも人生、そして放棄された何人もののび太は、形式的に消されてしまった(死んでしまった)のだ。
 実際に体験した人の話をいくつか調べてみたが、共通していることがある。パラレルワールドの時空を越える際、皆、何か違和感を感じるらしい。混んでいるはずの電車の中には人がひとりも居ない、街は妙に静かで、感じたことのない空気が流れている。自分以外になにもない「無」の空間。いつもの風景がどこか違う、周りの人物も何かが違う。鮮明にその瞬間を記憶いるはずなのだが、体験した人は皆、何故か上手く言葉にできない。こんなにも皆が感じ取ることの出来る違和感だが、残念ながら、頭が悪くマイペースなのび太には、その違和感、つまり、時空を越える瞬間に気付くことはないのだろう。

 先生の著書には、「この地上の世界でもなく、死後の世界でもなく、その狭間(無)に〈死即生〉のユートピア時空を創世したのである。」と記されている。ドラえもんが創り上げたユートピア時空。それはまさに「無」の空間であり、その「無」の感覚こそが、パラレルワールドを越える感覚に非常に類似している。パラレルワールドの時空を越えているその瞬間こそが、まさにユートピア時空へ繋がる唯一の道筋のような気がしてならない。
 
 そしてもう一つ。
 この「世界文学のドラえもん」を読んで「分身」というキーワードを見つけた時、私はすぐに「引き寄せの法則(通称名)」を思い出した。
 引き寄せの法則とは、強く願ったり、イメージしたりすることで、それが現実になるという現象のことである。例えば、ある人は親戚が難病にかかり、余命を宣告された。彼女は毎日のように「助かる」と祈り続けた。すると、治るはずのない病が一気に完治してしまったのだ。ただの偶然だと思っていたが、自分でも怖いくらいにその後の人生でもこの能力が現れることがあり、そのおかげで沢山の思考が現実となり、今ではさまざまなことを操れるようになったという。この人だけではない。決して多くはないが、この世界にはそんな超能力のような才能を知らずに使っている者もいるのだ。
 この本でも述べられているように、のび太とドラえもんは外見が丸っきり違えど、先生の言葉通り、〈のび太の願望そのものを体現して現れた分身と言える〉のだ。のび太は願っていたのだ。こんな自分は嫌だと。もう誰にも馬鹿にされたくない。誰にも迷惑はかけたくない。自分の力で立派な人生を歩みたい、と。そうした願いは大きな力となり、自分の分身である「ドラえもん」を自分の元へと引き寄せたのだろう。
 勉強はできない。スポーツもできない。顔だって整ってないし、芸能の才能だって全くない。けれど神は、のび太に「引き寄せの法則」を与えた。
 神はなんだかんだ人類皆を平等に愛している。一見、神に見捨てられているような人間だって、もしかしたらその他の全てをはね除ける力をどこかに秘めているかもしれない。