日野日出志の「女の箱」論 (連載13)

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日野日出志の「女の箱」論 (連載13)

清水 正


 次の18頁1コマ目、画面右上に「お〜〜い! 俺だ……用意は出来てるか」の声、画面右下にはドアを強く叩く音「どん どん」が手書きで大きく描かれている。女は怪訝そうな顔で声のする方へ振り向く。2コマ目、画面右に青年のやばい顔がアップ、画面左上に「し……しまった………」の内心のつぶやき。青年の点眼の大きさを違えることで、作者は追いつめられた人間の内心の動揺と怯えを的確に描いている。

 3コマ目、スペースを大きくとって画面右に女の後ろ姿を、画面中央に青年の立ち姿を女よりつ小さく描いて遠近をはっきりさせている。青年の背後の窓硝子は斜めに幅広の白と黒のストライブ模様で描かれている。追いつめられた人間の内部の烈しい葛藤、その動揺と狂気に近づいた怯えが端的に表現されると同時に、今二人の存在する部屋自体の閉塞状況が厭なほど強調されている。このストライブ模様によって外の世界、青年が女から逃れて自由を得ようとしていた大空は完璧に閉ざされたことになる。

この青年を後ろ向きにさせて、その広げた両手をバタバタさせれば、まさにチチを追って飛び去ることを阻まれた文鳥の姿とぴったり重なることになる。「きょ………今日友達と飲みに行く約束をしたんだ。でも今日は止めることにするよ」青年はことここに及んでも見え透いた嘘をついて、窮場をしのごうとする。

 4コマ目、画面右、二階の窓越しに、青年と男が立ち話をしている様子を横目に見下ろす女の立ち姿が描かれている。画面左には、閉められた窓の透明ガラスを透かして二人の〈共犯者〉とトラックが描かれている。5コマ目、画面右に女の顔がアップ。かすかに開かれた赤い唇にマニキュアを塗った右手指が軽く添えられている。二つの瞳は赤く燃えている。画面左上に「小型トラック………やっぱり………」と女の疑惑が確信に変わった瞬間の内心の言葉が記される。

6コマ目、女の顔がさらにアップ、画面右いっぱいに女の顔の右半分が描かれる。頭部と鼻から下が描かれず、女の右目が妖しく強調される。赤く塗られた瞳と眼のまわりにほどこされたぼかしの赤色は、画面左に描かれた燃え上がる赤い炎と相まって女の沸騰した怒りを恐ろしいほどに伝える。

 わたしはこのコマ絵を凝っと見ながら、「女の箱」はこのコマで幕を下ろしてもいいな、と思った。それほどに女の異様な燃える眼は、青年の行く末をはっきりと告知している。女に首を絞められながらも、一度は逃げおおせた文鳥が、青年の留守中に殺され、箱の中に収納されていたことが、青年の今後の運命を明確に語っている。結末に至るまでの筋書きは、読者に想像させれば十分である。日野日出志は「赤い花」ではそのような幕の閉じ方を採用して、読者に衝撃を与えた。ストーリイを突然断ち切ることによって、結末までに至る展開を読者の想像力に全面的に委ねてしまうこと、そのことで作品の完成度を逆に高めることもできる。

次の19頁1コマ目は女と青年が激しく抱き合いセックスする場面が描かれる。ここで女は前のような頭巾は被らず、髪を振り乱してのけぞっている。眼を瞑り、口を開けた女の表情は陶酔感に満たされている。青年は両腕に力をこめて女の胸をがっしりと抱え込んでいる。正常位で青年は女の上に覆い被さっているが、しかし眼は大きく見開かれている。青年は女と同じようには肉の快楽に没頭できない。画面下部に「その夜、女はいつもより激しく燃えた。そんな女の様子に男は不吉な予感を覚えた…………」とある。渦巻き状に描かれた背景は青年の内に巻き起こる疑惑と不安を端的に表している。

 青年は女の〈狂い〉に気づきながらも、女との快楽をきっぱりと断ち切って逃げ出すことができない。〈不吉な予感〉を覚えながらも、未だ女との生活の日常に重きを置いてしまう。六畳一間の日常のリアリズムが青年から逃亡のきっかけを奪ってしまう。2コマ目、画面いっぱいに白い皿に盛られた五本ものホットドックが描かれている。3コマ目、女はうなじに右手を添え、性交後のけだるさを漂わせながら「今夜の夜食はあなたの好きなホットドックよ。たくさん作ったから食べてね……」と言う。ホットドックは女性器のシンボルであり、青年が女に求めたのはまさに〈ホットドック〉でしかなかった。青年は今、この女が作った〈ホットドック〉に復讐復習されようとしている。

4コマ目、画面上部にこんもりと盛り上がった掛け布団が描かれている。この布団の隙間から〈蔵六〉が顔を出してもおかしくないような描かれ方である。画面下部にホットドックを右手に持ち、テーブルに左肘をついた下着だけをつけた青年と、寝間着姿でテーブルに両手をのせた女が描かれている。画面上部右に青年の「あれ……君は今日は食べないのかい?」、画面上部左に女の「う……うん、今日はなんだか食べたくないの………」。青年の手に握られたドックは一口分欠けており、彼がすでにそれを口にしてしまったことを意味している。

この青年は文鳥の死骸を目撃しても、荷造りを女に見られても、女を抱きながら不吉な予感を覚えても、即座に逃亡を決行することができず、ぐずぐずと関係を続けていた。これは青年の想像力の欠如と女に対する見くびりを意味している。セックス時の女の陶酔に、青年は自分が女を支配しているかのような錯覚に陥り、女の疑惑や復讐の念の強さを的確に判断できずにいたのである。

 次の20頁1コマ目、青年はドックを口いっぱいに頬張りながら「どうしてだい、こんなにうま……」と言い、2コマ目に入ってすぐにドックを手放し、「う………うう……」と呻き始める。髪は波立ち、口は苦しげに開かれ、左眼の点眼は小さく描かれ、青年の苦悶を強調している。3コマ目、青年の苦悶はさらに増し、右手で喉もとを押さえ、左手指は硬直して広がっている。髪は激しく乱れ、眼は飛び出さんばかり、口は大きく開かれ歯茎はむき出しになっている。画面右上の「ぐぐぐ! く……苦しい!!」の言葉が不要なほど青年の顔は必死の形相で描かれている。画面右下には女の顔が妖しく浮かんでいる。

4コマ目、女の顔をアップ。能面のような白い顔が背景の赤い靄の中から浮かびあがる。悲しみと恨みを込めたその白い顔には妖艶な美すら感じさせる。5コマ目、青年は大きく開いた口から食べたものを「げえっ」と勢いよく吐き出す。6コマ目、吐き出した後の小康状態の歪んだ顔つきで、青年は「な…………なにか入れたな。ぐっ………ぐぐぐ……」と呻く。眼は充血し、下唇にはゲロの汁が粘りついている。7コマ目、画面右に女の恨みを込めた妖艶な悲しい顔がアップで描かれている。画面左上に「あなたは私を裏切ろうとした……だから毒を入れたの」とある。

 次の21頁1コマ目、青年の口から大量の血が噴射される。点眼が今までより幾分大きめに描かれ、青年の死が確実となる。2コマ目、画面右に「もう、悲しい思いは二度といや…………」とある。画面左に女の顔が斜め正面から捕らえられている。赤い眼からは一滴の涙も流れていないが、女の顔には泣くことも喚くこともやめた、深い断念と悲しみが表れている。3コマ目は頁の二分の一のスペース。画面右上に「でもこれで安心だわ………」とある。画面下中央に死んだ青年の顔。両眼は大きく見開かれたままである。この顔は彼の苦悶の凄まじさを語っている。

4コマ目、画面中央に女の顔、画面右に「あなたは永久に私のものよ…………」、画面左に「永久に………ほほほ………」とある。女の眼は白眼の部分を青、瞳を赤、瞳の芯を黒く、背景は渦を巻いて燃え上がる赤と黄で塗り込めてある。女の青年に対する思いは、彼を毒殺することでひとまず幕を下ろした。

 次の22頁1コマ目、二分の一のスペース、画面中央、畳の上に大きな箱が置いてある。箱は斜め横の角度から描かれ、蓋には張り紙が付けられている。画面右、黒くベタ塗りされた背景に白抜き文字で「やがて 女の箱の コレクションに 大きな木箱が 加わった」、同じく画面左に「その木箱の ふたの上には 血でしたためられた 女の遺書が置かれてあった ……………」とある。2コマ目は女の書き残した遺書が画面いっぱいに手書き文字で描かれる。「この手紙を最初に見つけ てくれた人にお願いします どうかこの箱のままで 埋めるか焼くかして下さい これは私の遺言として ぜひぜひお願いします そのためにこの字も 私の血で書きました 私はこの人と共に あの世で幸せになります さようなら」


 次の24頁は最終頁で一コマ。画面上部右に「女は 大きな木箱の中に 男の死体と さまざまな思い出を封じこめた 色とりどりの箱を収め 自からもその中に入り 命をたった」、画面左に「女の箱のコレクションは完結したのだった」とある。画面中央には木箱の中に収まった全裸の女と青年が眠っているような穏やかな顔で描かれている。二人共に、膝を立て、その上に両腕を置いている。二人の周りには色とりどりの大小の箱が百ほども積まれている。