日野日出志の「女の箱」論 (連載7)

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日野日出志の「女の箱」論 (連載7)

清水 正

つげ義春の「チーコ」に関連して


 2頁1コマ絵、画面左に描かれた女は両手に箱を乗せて青年の方へ差し出しながら「さあ出来たわ! あなたと一緒に暮らし始めてから今日がちょうど一年目………」と言う。女の髪は黒く、正面から左右に分けてアップにしている。額に二本の縦皺を寄せており、顔の表情には険しさが出ている。手の指は細く白い。爪には赤いマニキュアが塗られている。

女のセリフで強調されているのは〈一年目〉ということであるが、この〈一年〉は二人のこれからの二年、三年につながっていかないことを含んでいる。女の表情に〈希望〉や〈期待〉はない。女は青年と暮らした過去の〈一年〉にこだわっているが、これからの〈一年〉には微塵の期待も寄せていない。つまり、この女は希望の〈未来〉から切断された〈現在〉を生きている。この〈現在〉は〈過去〉を支えにしてようやく成り立っているが、希望の未来が見えないので、尾を付けた凧のように未来の大空に舞い上がることができない。女が、こういった〈現在〉に本来的な満足感を抱いていないことは、その縦皺を寄せた険しい表情からもうかがえる。

 2コマ絵は、画面右端に相変わらずギターを抱えた青年、中央からやや左に大事そうに箱を抱えている女、中央上部に鳥の描かれていない鳥かご、画面左に窓、画面中央下部に家々の屋根が描かれている。このコマ絵で鳥かごの中の鳥が描かれていないことは、女と青年が〈鳥かご〉の中の〈鳥〉であるという象徴的な意味が込められている。青年の背後には大空が広がり、女の背後には窓硝子があるというのも象徴的である。青年は〈部屋〉という〈箱〉の中にいるが、彼の心はいつも大空に向かって飛翔している。六畳一間というアパートの一室は男にとってつかの間の止まり木に過ぎない。

 青年は女の言葉に対して「それがどうかしたのかい?」と言う。青年の髪型はザンバラで60年から70年代のシンガーソングライターのような自由気儘なライフスタイルを反映している。男の目は点眼で、両目の位置は離れ、鼻は低い獅子鼻、口は横線一本で描かれており、妖艶な女とは対照的に、見た目で判断すれば何一つ魅力的なものを持っていない。

作者日野日出志は知る人ぞ知る美男子で、なんで自分とは正反対のブス男を美しい女の同棲相手として描いたのか興味を持たせる。この女は相手の青年に容姿の良さなど少しも求めていなかったということであろうか。しかし、この青年の顔つきから聡明さとか、内面の深さとか情熱とかを感じ取ることもできない。

 女は「ふふ、この箱は一年間の思い出をしまっておくために作ったのよ」と言う。最初の「ふふ」笑いが意味深である。「ふふ」は、この箱の秘密をあなたに打ち明けることはできないのよ、という意味が暗に込められている。アホ面に描かれた青年に、女の発する言葉に秘められた謎を解く力はない。この青年の顔が読者に明確に伝えているのは、想像力の欠如、相手に対する情愛のなさ、頑迷な自分勝手な思い入れなどである。

この青年はいつも大空に飛翔したいという願望を持っているが、本当の意味で大空を飛べるだけの大きな翼を持っていないし、第一、どこをどのように飛ぶのかという基本的なビジョンを持っていない。こんな男の、いったいどこに女は惚れたのかというのが最大の謎である。べつにこの女は偏執狂的な〈思い出マニア〉であったわけではないだろう。だとすれば、同棲相手の青年は、この妖艶な美人に値する〈いい男〉であらねばならないと思うのだが、作者が敢えてブス男に仕立てた何らかの理由があるはずである。

 3コマ絵は頁全体の二分の一のスペースをとって、画面に大きく鳥かごと中の文鳥二匹を黒くベタ塗りで描いている。今まで鳥かごと鳴き声しか描かれていなかったが、ここで一挙に大きく描いている。まるで、鳥かごの中の二匹の文鳥が主役であるかのような描きかたである。画面右には次のようなコメントがつけられている。

  女は何か新しい思い出が出来る度に
  美しい色紙で箱を作ったり
  店で気に入った箱を買って来たりして
  その中に思い出をしまい込むのだった
  女の色とりどりの箱の中には
  女の色とりどりの過去が
  封じ込められていた………

 女に限らず、人間には〈過去〉にこだわるひと、〈未来〉にこだわるひと、〈現在〉にこだわるひとがいる。この女は箱の中に〈過去〉を封じ込めるというのであるから、明らかに〈過去〉にこだわるタイプと言える。もちろん人間は現在・過去・未来の時性のうちに生きており、そのどれが欠けても生きていくことはできない。

この女にしても〈思い出〉をしまい込むのは、彼女なりに過去を精算して、新たな人生を歩むためであったと考えられる。しかし〈過去〉を封じ込めるという行為そのものが、〈過去〉に呪縛されていることを意味している。人間は未来に希望を託したり、過去の出来事を懐かしく思い出すことによって現在をより豊かに過ごすことができる。過去を封じ込めるということは、過去を現在から無理矢理に切断することを意味する。過去から切断された現在は、大地から根を切断された植物と同じで、太陽という未来に向かって枝葉を延ばしていくことができない。

 かごの中の文鳥二匹は向き合ってさえずり合っている。一見、仲の良いつがいに見える。が、この黒くベタ塗りされた文鳥が、飼い主の女と男を反映している二匹であるとするなら、ことはそう簡単に断定できないことになる。