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随想 空即空(連載61) #ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

 ドストエフスキーは『罪と罰』の中で様々な人物に〈キリスト〉のイメージを賦与している。ここで詳しく語ることはしないが、少なくともソーニャ、ロジオン、スヴィドリガイロフ、マルメラードフ、ラズーミヒン、レベジャートニコフにキリストのイメージが賦与されている。前三者は姦淫の罪(ソーニャ、スヴィドリガイロフ)、人殺しの罪(ロジオン)、自殺の罪(スヴィドリガイロフ)を負っている。ドストエフスキーはこれら罪人に〈キリスト〉のイメージを賦与することできわめて大胆な、新たなキリスト像を読者に提示したわけだが、ドストエフスキー文学愛好者、批評家、研究家たちにその提示が的確に伝わったとはとうてい思えない。特にキリスト教圏内の読者はそのことに気づきさえしなかっただろう。わたしのようにキリスト教圏の外側にあって、しかもキリスト教の教義に捕らわれない者でないと無理である。

    なぜイエス・キリストは人間でありながら人間としての罪を予め免除されているのか、なぜ父なる神とその独り子イエスは男性であるのか、どういうわけで母マリアは処女のままイエスを生んだのか、こういった基本的な疑問に納得のいく解答をわたしは未だ誰からも得ていない。吉村善夫のドストエフスキー文学に真摯に立ち向かったその成果としての研究著作にわたしは素直に敬意を表するが、しかし彼の著作においてもわたしの素朴な疑問に答える箇所はない。内村鑑三の著作においても然りである。鑑三のキリスト教信仰に関してはこれからも執拗に検証していこうと思っているが、論の流れに従って今ここでは〈人間の罪を背負ったイエス〉について感想を連ねていきたい。

 私は半世紀以上にわたって『罪と罰』を読み続けているが、ある時(〈ラザロの復活〉朗読場面を批評した頃)から、淫売婦ソーニャと犯罪者ロジオンに〈キリスト〉のイメージを強く感じるようになった。淫売稼業に身をやつすキリスト、人殺しを実行したばかりかその犯罪行為についに〈罪〉意識を覚えることのなかった犯罪者キリスト――おそらくキリスト教信者にとってはこういった見方自体を涜神行為として厳しく排除、攻撃するだろう。おそらくそんなことは十分に自覚した上でドストエフスキーはソーニャとロジオンにキリストのイメージを賦与している。ロジオンの眼から見て、ソーニャは単なる独りの娼婦ではなく〈全人類の苦悩〉そのものを体現している聖女キリストである。だからこそロジオンは自らの理性が否定するその聖女キリストの前に、一瞬とは言え跪拝したのである。このソーニャの前に跪拝したロジオンは、ソーニャの眼差しを通して見ると、やはり一人の犯罪者ではなく(より正確な言い方をすれば〈犯罪者であると同時に〉)、〈全人類の苦悩〉の前に跪拝する犯罪者キリストなのである。ソーニャとロジオンは同じ〈踏み越え〉(ソーニャは淫売、ロジオンは殺人)をなした者として、同じ十字架を背負っているのである。

 ドストエフスキーが『罪と罰』で提示したキリストのイメージはスヴィドリガイロフにおいてはさらに興味深い。キリストは『罪と罰』の世界にその姿を直接的に現すことはなかった。キリストはソーニャの〈幻視〉のうちに顕れるだけで、カチェリーナが望んだような〈公平・正義・真理〉を体現したような救世主として現れることはなかった。現にソーニャが待ち望む〈キリスト〉は現れず、従って救いの言葉はもとより、ソーニャを泥沼稼業から助け出すこともしなかった。〈ラザロの復活〉において、死んで四日もたち、死臭さえ放っているラザオを蘇生させたイエスは、一家の犠牲になって苦悶のうちに淫売稼業を続けている少女ソーニャに対しては何一つ奇跡を起こさないのである。〈奇跡〉を起こしたのは〈ラザロの復活〉朗読場面の立会人であったスヴィドリガイロフである。スヴィドリガイロフこそはキリストに代わって、ソーニャを泥沼から救い出した〈奇跡を実際に起こす人間〉として登場しているのである。この男もまた妻マルファを毒殺したという噂のある淫蕩漢であり、最後にはユダヤ人の門番の前でピストル自殺して果てた反キリストのような男であるが、ドストエフスキーはこういったマルメラードフとは異質の〈ろくでなし〉(подлец)にもキリストのイメージを与えているのである。

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発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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清水正

    ドストエフスキーは十九世紀の小説家であり、その作品はリアリズムを原則としている。『罪と罰』でソーニャとリザヴェータは鞭身派観照派)に属するキリスト者で、神を視ることのできる人物として設定されている。〈ラザロの復活〉を朗読したソーニャの眼には、彼女の部屋に顕れている〈キリスト〉が視えている。リアリズムの観点からすれば、〈ラザロの復活〉朗読の舞台となったソーニャの部屋には、ソーニャとロジオンの二人しかいない。ドストエフスキーはソーニャの部屋に顕れた〈キリスト〉を〈彼〉(он)の性格で表した。朗読の途中でソーニャは「彼の方へ」(на него)ちらと目線を向けるが、作者はこの〈на него〉をイタリック体で記すことで読者に秘密の暗号を送っている。ソーニャはこの時、〈ラザロの復活〉の朗読を黙って聴いているロジオンに眼差しを向けたのではない。ソーニャはまさにこの時、〈キリスト〉に向かって自らの信仰を告白しているのである。しかしこういったテキストに仕掛けられた謎は江川卓の指摘があるまでその謎自体が発見されることがなかった。これは読者だけを責めるわけにはいかない。リアリズム小説の読者は、作品をリアリズムの観点から読み進める。観照派のソーニャが視る〈キリスト〉などは、リアリズムの観点に立つ読者からすれば〈幻想〉でしかない。ドストエフスキーは『罪と罰』をキリスト教的な〈幻想小説〉として構築していないし、又そのように読まれることを巧みに回避している。ドストエフスキーは『罪と罰』を飽くまでもリアルな〈現実小説〉として読者に提示している。換言すれば、ソーニャが視る〈キリスト〉は幻想ではなく現実そのものであるが、読者の側がその〈現実そのもの〉を見ることができなかったと言うわけである。もし、作者がソーニャにだけ視える〈キリスト〉をすべての読者に分かるように可視化してしまえば、『罪と罰』はたちまちアニメ漫画的な幻想小説となって、その深遠なリアリズムを瓦解させてしまうことになろう。

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清水正

  わたしは現在、キリスト教徒と称する人間と実際に話したことはないし、キリスト教の教義に関して議論したこともない。わたしはドストエフスキー文学を通して神に対して考え続けてきているが、キリスト教の神を信じたことはないし、今後もないと思う。わたしは新約聖書を読んで、そこに〈人間イエス〉を見るが、〈神の独り子キリスト〉をみることはない。わたしは生きて〈ある〉こと自体に奇跡を感じる者であるが、聖書に書かれたイエスの〈ラザロの復活〉などを信じることはない。ハンス・ホルバインの〈死せるキリスト〉を見て、〈死〉を厳粛に受け止めることはあっても、それはイエスに限らない。わたしはドストエフスキーのようにイエス・キリストを特別視することがないから、彼を聖化することはない。率直に言えば〈人間救済のために十字架に上りしキリスト〉というイメージもほとんどない。まず〈人間救済〉という言葉に引っかかる。こういう言葉はどうも大袈裟過ぎるのである。

    わたしは『罪と罰』のソーニャに、ロジオンが口にしたように〈人類の全苦悩〉を背負った者を感じる。ソーニャは神の戒め「汝姦淫するなかれ」に背いて生きる娼婦である。キリスト教の教義に照らせば間違いなくソーニャは〈罪人〉である。ソーニャはなにも好きこのんで淫売稼業をしているのではない。アルコール中毒の父、肺病の継母、そして幼い三人の弟妹たちは、ソーニャの働き(罪業)なしでは生きていけない。ソーニャが神の戒めを守って正業に就いたとしても、とうてい一家の者を養うとことはできない。ソーニャは家族のことを思えば、自らを犠牲にしなければならなかった。この少女の苦しみは計り知れない。

 不思議だ。読者の誰もがソーニャの汚れた稼業に対してロジオンの疑問を共にする。なぜ河に飛び込まなかったのか。まさか淫蕩の味に溺れてしまったのか。ソーニャは自分を〈罪人〉に堕としてまで家族の暮らしを優先した。ソーニャは罪の意識に襲われながら、裁きの神ではなく赦しの神(キリスト)に縋った。ソーニャにとっての信仰は一度〈罪〉を受け入れた上で赦しを願うという必死の行為である。『罪と罰』の世界でソーニャは娼婦でありながら聖性を獲得している。『罪と罰』の登場人物の内、ルージンを除いたすべての者がソーニャに好意的である。

 わたしは、このソーニャが福音書中のイエスよりも〈キリスト〉に思える。ロジオン・ラスコーリニコフという二人の女を殺害した犯罪者ですら、一時とはいえソーニャの前に跪いている。ドストエフスキーは『罪と罰』で、キリスト以上のキリストを創出した、そう言っても決して過言ではないように思う。ドストエフスキーは、ソーニャという〈罪人〉を通してキリストを現出させた。わたしはそこに言い方は変だが、ドストエフスキーの隠されたキリスト教的野心の実現を見る。ドストエフスキーの〈キリスト〉は福音書中のイエスではなく、『罪と罰』の罪人ソーニャなのである。

 見ようによっては、ロジオン・ラスコーリニコフもキリストのイメージが色濃く刻印されている。注目すべきはソーニャ、ロジオン共に〈罪人〉(ロジオンは最後の最後まで自ら犯した〈犯罪=преступление)に〈罪=грех〉を見いだすことはできなかったが)であるということだ。

 キリスト教教義においてイエス・キリストは神から遣わされた独り子(人間)で、にも拘わらず〈罪なき者〉とされている。もう、わたしはこの時点で福音書中の〈イエス・キリスト〉を〈人間〉として見ることはできない。人間はすべて例外なく〈原罪〉を背負っているというのならば、〈イエス・キリスト〉もまた生まれながらに罪を背負った存在でなければならない。彼だけを例外として〈無罪〉というなら、もうこの時点でイエスは人間としてのリアリティを喪失し、幻想的な存在と化してしまうであろう。

 

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 ここで正宗白鳥内村鑑三のキリスト再臨説をどのように受け止めていたのか改めて検証しておこう。白鳥は鑑三のキリスト再臨説が当時のキリスト教会でも反対者だらけであったこと、鑑三に好意を持っていた者ですらキリスト再臨説は〈狂的の考え〉と見なしていたことを記した後で次のように書いている。

 

 しかし、人間救済のために十字架に上りしキリストを信じる以上は、再臨を信じるのはあたり前の事で、奇矯でも何でもないのである。根本の一つを信ずれば聖書全体がそのまゝに信じ得られるのである。それを信じ了せないような薄弱な信仰なら、一そ一切を信じない方が、せいせいしていていいようなものだ。内村は基督再臨説と共に聖書無謬説を信じていた。彼が科学的知識の所有者であるにかゝわらず、それ等の説を信じたのが世間に不思議に思われ、また彼の所説に権威あらしめたのであろう。しかし、彼の科学的知識だって高の知れたものであろう。彼ばかりではない、世間の大科学者の知識だって高の知れたものであろう。聖書を全部信ずるのを無知の人と見下すほど、真の知能の傑れた人はないのではあるまいか。

  内村はキリスト再臨を、聖書のいろいろな方面から研究し、証拠立て、また肉体の復活を強調していたが、しかし私は、内村自身それを心魂に徹して信じていたかどうかと疑っている。信じているつもりであり、また口や筆で絶えず、世間に自説を発表するため、その信仰に熱を加えることになるのだが、本当に信じて安じていたのであろうか。安んじ切っていたのであるか。そういう信仰の夢は淡くなり希薄になり、ややもすれば消えかゝるのではあるまいか。それを消すまいとして、絶えず掻き立て掻き立てするのだが、信仰の夢が生気のないマンネリズムに陥るのは如何ともし難いのである。内村の社会罵倒、人間罵倒、やたらに堕落呼ばわりするのが、次第に鼻につく如く、再臨説も幾篇も読むと、次第に生気のない型の如きものになるのである。(374~375)

 

 白鳥の文章を引用していると、単純でありながら複雑でもある。キリスト教の根本的教義に素朴な疑問を抱いている者にとって、イエスの十字架上の苦悶と死は納得できても、イエスの再臨など初めから信じることができない。白鳥もそのことに同意しているのは明らかだが、それでいて鑑三のキリスト再臨説を否定しながら異様なこだわりを抱き続けている。わたしが注目したのは「人間救済のために十字架に上りしキリストを信じる以上は、再臨を信じるのはあたり前の事で、奇矯でも何でもないのである」という白鳥の断定である。もし、白鳥が棄教した立場にとどまっているのであれば、彼は〈人間救済のために十字架に上りしキリスト〉を信じていなかったことになる。もしそうだとすれば、わたしとは違う。わたしはキリスト者ではないが〈人間救済のために十字架に上りしキリスト〉を一概に否定する者ではない。ただわたしはそういったキリストの〈再臨〉など敢えて望まないということである。

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清水正

 

 キリスト教の神は人格神であるからきわめて人間臭い要素を備えている。自然は人間の意志とは関係なく自然であるが、キリスト教の神は人間の願望や期待に密接に繋がっている。神は人間の願望や祈りに応えるものとして設定されているが、たとえ人間の願望や祈りに全く応えない場合でも、その絶対性が覆されることはない。旧約の神は、『ヨブ記』において明確なように、悪魔と結託して試みたり、裁いたり、罰したりするが、この神に絶対帰依する者にとってはあくまでも正義を体現するものとして崇められることになる。信仰は背理ということで、神に対する抗議はいっさい認められることはない。神に対して魂の慄えをもって抗議したヨブも、『ヨブ記』の最終章においてはこの全能の神の前に服従する者として描かれている。理性的な人間が、どうしてこういった理不尽な神の前に跪くことができるか不思議である。〈キリスト者〉は、一度は徹底して旧約の神に反逆し、その桎梏の綱から解放されなければならないと思うが、キリストさえもが旧約の神の呪縛から自由な存在であったとは思えない。もし、ヨブが旧約の神から解放されて〈キリスト〉になったのであれば、ヨブの自由な精神はイエスにも引き継がれたであろうが、どういうわけかヨブは旧約の神の桎梏から解放されず、逆に帰依する存在となり果ててしまった。

 『ヨブ記』を自らの魂の問題として熟読した内村鑑三は、ヨブとイエスの血縁関係を看破していたが、しかし彼もまた旧約の神の桎梏から解放された〈キリスト者〉となることはできなかった。鑑三は愛する者を失って、キリスト教の神に不信と懐疑を抱きながらも、しかしその不信と懐疑は神そのものの根拠自体を瓦解させるだけの力に欠けていた。神に人間的な愛と赦しを求めながら、理不尽極まりなき神の前に絶対服従するとはどういうことなのか。イヴァン・カラマーゾフキリスト教ロシア正教)の圏内から誕生した人物であるから、神に反逆の狼煙をあげたことで狂気を招き込んでしまったことを理解できないわけでもない。イヴァンは神の存在を認めた上で、神に反逆し続けた青年であり、吉村善夫が指摘するようにドストエフスキー文学に登場する〈人神論者〉の多くは、神の存在を信じている者なのである。彼らの反逆は、彼らが神に正義・公平・真理を求めていたことの証である。しかしそれにしても、仏教的な文化、多神教の風土に生まれ育った者が、キリスト教の神に帰依するとはいったいどういうことなのか。

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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目次

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随想 空即空(連載56) #ドストエフスキー&清水正ブログ# 清水正

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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

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清水正

 

 唯一絶対の《我》をポリフォニック的思考法を身につけることによって瓦解させた意識空間内分裂者は〈統括する我〉(演出者としての我、指揮者としての我)を保持することで明晰な意識を保持し、狂気を免れている。が、意識空間内分裂者は意識空間においては無数の〈我〉を存在させ、内的対話を構築する事はできるが、肉体存在でもあることによって現実社会においてはモノローグ的存在を脱することはできない。例えて言えば、演奏会場において〈指揮者〉として内なる〈無数の我〉(演奏者)を統括指揮する〈指揮者〉といえども、ひとたび演奏会場を退出すれば、一人のモノローグ的存在者として社会的な振る舞いを要請されることになる。「神は存在するか」と問われて、イヴァンであれば「ない」、アリョーシャであれば「ある」などという、曖昧な、多義的な回答をすることは許されないと言うことである。

    意識においてはすでに一義的絶対的な真理を崩壊させている〈意識空間内分裂者〉は、肉体存在として現実社会に存在する限り、相対的でしかない〈一義的判断〉を口にしなければならない時があり、さらに一義的行動を取らざるを得ない。永遠に解答の出ない内的対話を続ける他ない意識空間内分裂者が〈一義的判断〉を口にする時は、それがあたかも本当のことである「かのように」振る舞っているのである。一神教的宗教に帰依していない日本人の大半は無意識的に「かのように」で生きている。否、キリスト教信徒ですら、自分があたかも〈キリスト者〉である「かのように」生きていながら、そのことに無自覚な者が多いと言える。〈キリスト者〉として殉教の場に立たされた時に「なんちゃっておじさん」の如く棄教する者が少なくないことは歴史が示している通りである。

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清水正

 

 わたしはかつてポリフォニック的思考を身につけるためには、唯一絶対的な《我》を崩壊させなければならないと書いた。ひとたび、絶対的な《我》を崩壊させてしまった者は意識空間において分裂した様々な〈我〉と対話的な関係性を取り結ぶことになるが、再び絶対的な《我》を奪回することはできない。『カラマーゾフの兄弟』に例をとって言えば、ドストエフスキーの意識空間には〈イヴァン〉も〈アリョーシヤ〉も等価なものとして存在するということである。〈イヴァン〉は神の存在を否定し、〈アリョシャ〉は神の存在を認める。それではドストエフスキーは神の存在を否定するのか肯定するのか。もしドストエフスキーが唯一絶対の《我》を崩壊していないのであれば、当然どちらかの側につかなければならない。もし絶対的な《我》を崩壊しているのであれば、ドストエフスキーの意識空間には〈イヴァン〉も〈アリョーシャ〉も存在することになる。〈作者〉は指揮者として〈イヴァン〉の声も〈アリョーシャ〉の声も等価なものと見なしていることになる。ポリフォニック的思考を基にした指揮者は、各演奏者の独自の声を尊重し、決して一つの声を支持したりはしない。一人物であった〈イヴァン〉は自らの精神の分裂に耐えきれず、発狂してしまうが、ディオニュソス的小説家ドストエフスキーはポリフォニック的思考法を駆使して狂気から免れている。わたしはポリフォニック的思考法を身につけた精神の分裂者を〈意識空間内分裂者〉と名付け、精神病者の精神分裂と明確に区別した。

   さてドストエフスキーであるが、彼は『作家の日記』で戦争肯定を主張する時の〈我〉を、自らの意識空間内における一つの〈我〉と認識していたとは言い難い。ドストエフスキーは戦争をめぐってポリフォニック的思考法を駆使せず、その一つの〈我〉の主張を唯一絶対の《我》の主張のごとくに記している。ポリフォニック的思考法を駆使した小説においては、各人物の主張は対話的に展開され、そのどれもが絶対的一義性を賦与されることはない。ところが、この複雑な精神世界の所有者はどういうわけか『作家の日記』で時評家としてペンを握るとたちまちモノローグ的な物書きになりすましてしまう。時評家ドストエフスキーの一義的主張を別の視点から覆すような〈我〉の存在の登場が許されないのである。

 この観点からすれば、ドストエフスキーはポリフォニック的思考法の恐ろしさ、すなわち唯一絶対的な《我》の崩壊ということを真に理解していたとは言い難い。ドストエフスキーは決して決着のつかない対話的原理を作品に適用しながら、そのアポリアを解決しないままに時評文では熱狂的なモノローグ的存在ぶりを発揮する。ポリフォニック的思考法の原理を理解しない者は、この無意識的とも見える〈詐欺〉を看破することができない。興味深いのは、ドストエフスキー文学のポリフォニック性を指摘したミハイル・バフチンその人が、このポリフォニック的思考法が唯一絶対の《我》の瓦解を前提とすることに無自覚であったことである。

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