文学の交差点(連載32)○マルメラードフの告白から見えてくる秘密の数々   ――カチェリーナの〈踏み越え〉――

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載32)

清水正

 ○マルメラードフの告白から見えてくる秘密の数々

  ――カチェリーナの〈踏み越え〉――

〈最初の男=イワン閣下〉と解釈することによってそれまで明確に見えていなかった人物間の関係や役割が鮮明になる。マルメラードフ一家のアパートの家主アマリヤは単に家主であったばかりか、女衒ダーリヤ・フランツォヴナの手先となってペテルブルク中の淫蕩な高位高官たちの欲望を満たすために貢献していたことが分かる。

 ロシア最新思想の崇拝者レベジャートニコフは、〈同情〉(сострадание)などというものは本国イギリスにおいては学問上ですら禁じられていると公言してはばからなかった。ソーニャの継母カチェリーナは貴族女学校を優秀な成績で卒業した誇り高き潔癖な〈貴婦人〉(дама)である。いくら貧困に喘いでいるとはいえ、ソーニャに身売りさせるなどという屈辱を受け入れることはできない。が、この誇り高き〈貴婦人〉もアマリアの三回目の申し出を拒みきることはできなかった。

 ドストエフスキーの文学にあって〈三〉は神・神の子・聖霊の聖なる三位一体を意味するのではなく、イスカリオテのユダがイエスを裏切って手にした金貨〈三〉枚を意味する。つまり〈三〉という数字は〈悪魔〉〈裏切り・駆け引き・取引き〉を意味している。潔癖で誇り高きカチェリーナもまた遂に〈三=悪魔〉の声に屈してしまったのである。 〈貴婦人〉カチェリーナがソーニャに浴びせた「この穀つぶし、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる」(上・41)〔《Живешь, дескать, ты, дармоедка, у нас, ешь и пьешь, и теплом пользуешься》〕(ア・17)は余りにも下卑た言葉である。この屈辱的な言葉にソーニャは次のように答える「じゃ、カチェリーナ・イワーノヴナ、ほんとにわたし、あんなことをしなくちゃいけないの?」(上・42)〔Что ж, Катерина Ивановна, неужели же мне на такое дело пойти?〕(ア・17)と。 

 マルメラードフの口から語られるカチェリーナとソーニャのやりとりは凄まじくも悲しくもせつない。〈貴婦人〉(дама)と強調されたカチェリーナの口から吐き出される薄汚い言葉――この言葉だけでも貧困と病気に追いつめられたカチェリーナの疲労困憊、衰弱しきった実存が厭なほど浮き彫りになる。この言葉には誇りのかけらもない。  カチェリーナは悪魔の誘惑に乗らざるを得なかった。しかしここには一筋縄ではいかないカチェリーナの〈踏み越え〉のドラマも潜んでいる。彼女の〈踏み越え〉はソーニャの実の父親マルメラードフのプロポーズを受けたことである。彼女はマルメラードフを愛してもいなかったし尊敬もしていなかった。夫に先立たれ、幼い子供三人を抱えたカチェリーナはマルメラードフと結婚しなければ文字通り一家心中しなければならなかった。カチェリーナにとってマルメラードフとの再婚は自分では微塵も望まなかった〈踏み越え〉であったのである。カチェリーナの内心の声を拡大すれば『私だってあんたの父親のプロポーズを仕方なく受けたんだ。あんたが〈踏み越え〉たってバチなんか当たらないよ』ということになる。

文学の交差点(連載31)○ソーニャの最初の男(キリスト)

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

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文学の交差点(連載31)

清水正

○ソーニャの最初の男(キリスト)

 作品は読者の数だけの感想があり、一人の読者の内にも様々な感想がある。どれが正しい読みであるとは言えない。様々な〈感想〉〈解釈〉が 存在するだけである。これから少し厄介な問題に踏み込んでいこう。わたしは今までソーニャが最初に身売りした男は〈イワン閣下〉であると して批評を進めてきた。が、これも一つの〈解釈〉であって絶対的な事実ではない。 わたしはソーニャの最初の男に関してはもう一つ別の〈解釈〉も提示している。それは〈キリスト〉である。イワン閣下はマルメラードフの口から〈生神様〉(божий человек)と言われていたが、この言葉は字義から言えば淫蕩漢のイワン閣下より遙かに神の子イエス・キリストの方が近いということになる。

 ソーニャはロジオンが斧で殺したリザヴェータと〈秘密の会合〉を持っていたが、この会合と彼女たちが所属していたと思われる分離派の一つ〈観照派〉とを結びつけると、ソーニャの最初の男は観照派の男性信者の可能性も出てくる。観照派の秘密の会合においてキリストの霊に憑かれた男性信者をキリストと見れば、まさにソーニャの最初の男は〈キリスト〉ということになる。

 ソーニャの最初の男はイワン閣下なのか、それともキリストなのか。わたしはどちらが正しくてどちらかが間違っているかなどとは問わない。わたしは作品批評において様々な〈解釈〉を受け入れる。最初の男をイワン閣下と見なすことで一義化し固定化しがちなテキスト解釈を限りなく解放し、そのことで新たに開かれた領野に大胆に踏み込んでいく、それがわたしの批評の方法である。  

文学の交差点(連載30)○ソーニャの描かれざる〈踏み越え〉

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

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文学の交差点(連載30)

清水正

 ○ソーニャの描かれざる〈踏み越え〉

 罪と罰』でロジオンの〈踏み越え〉は現在進行形のかたちで描かれているのに、ヒロインであるソーニャの〈踏み越え〉は完璧に描かれていない。読者はロジオンの〈踏み越え〉は具象的な映像を観るようにみることができる。が、ソーニャの〈踏み越え〉に関しては〈踏み越え〉自体を失念してしまいがちである。ふつう読者は描かれている場面でその内容を把握するしかない。従って大半の読者はソーニャの〈踏み越え〉に特別な思いを寄せることもしない。しかし何十年にもわたって『罪と罰』を読み続け、テキストに向けて様々な疑問をぶつけていると、思いもかけないところに〈謎〉が仕掛けられていることに気づいたりする。ソーニャの〈踏み越え〉は実はマルメラードフの告白の中に潜んでいた。

 ソーニャの〈踏み越え〉に関しては今まで何度も言及しているので、ここでは簡単に復習しておく。ソーニャは午後五時過ぎにアパートを出て三時間後の八時過ぎに戻ってくると、黙ってテーブルの上に銀貨三十ルーブリの金を置く。ソーニャは処女を捧げる代償として銀貨三十ルーブリを得てきた。このことはマルメラードフの告白を読めば誰にでも分かる〈事実〉である。

 問題は、ソーニャの相手は誰であったのかということである。この問題に関しては小沼文彦、江川卓と三人でドストエフスキーをめぐって鼎談した時にも話題にのぼった。時は一九八六年十一月十四日、場所は江古田の居酒屋「和田屋」の二階の一室であった。この鼎談は「江古田文学」12号(一九八七年五月 江古田文学会)に掲載、後に『鼎談ドストエフスキー』(「ドストエフスキー曼荼羅」別冊 二〇〇八年一月 日本大学芸術学部文芸学科「雑誌研究」編集室)に採録した。この鼎談時、ソーニャの処女を奪った相手に関して三人ともに明確な説得力のある説を口にすることはできなかった。ソーニャの相手を特定したのは拙著『宮沢賢治ドストエフスキー』(一九八九年五月 創樹社)所収の「思いこみとソーニャの踏み越え」が最初である。

 ソーニャの最初の相手に関して、わたしは担当する講座「文芸批評論」の受講生やゼミ学生と何年にもわたって飽かずに議論してきた。ソーニャに密かに思いを寄せていたレベジャートニコフ、海千山千の淫蕩家スヴィドリガイロフなどの名前があがったが、結局、マルメラードフの告白の中では〈生神様〉(божий человек)と呼ばれていたイワン閣下ということになった。これは実に重要な発見で、ソーニャの相手がイワン閣下と特定できたことで、それまで見えなかったソーニャの〈踏み越え〉の場面が生々しく浮上してくることになった。 『罪と罰』が「ロシア報知」一月、二月、四月、六月、七月、八月、十一月、十二月の八回に渡っ連載されたのは一八六六年である。ソーニャの最初の男が〈発見〉されたのが一九八八年であるから、実に百二十二年の歳月を必要としたことになる。つまりイワン閣下は〈発見〉されるまでマルメラードフの言う〈生神様〉を演じ続けてきたことになる。ドストエフスキーのような天才級の作家の場合、テキストに仕掛けた謎自体を発見するのに一世紀以上の歳月を必要とするのである。宮沢賢治の場合もそうだが、彼らの作品は驚きあきれるほど表層的な次元で読まれてきた。

 本人以外でソーニャの最初の相手を知っていたのは実父マルメラードフ、継母カチェリーナ、家主アマリヤ、それに作中では名前でしか登場しなかった女衒のダーリヤ・フランツォヴナである。イワン閣下はペテルブルク中で知らない者がいないほどの淫蕩漢で、女衒のダーリヤはイワン閣下のような淫蕩な高位高官たちのリストを持っており、彼ら顧客たちの欲望をかなえられる娘を不断に探していたのである。

 貧しい家の若くて美しい処女ソーニャの値段が〈銀貨三十ルーブリ〉であった。そらくこの値段はダーリヤ、アマリヤの口からマルメラードフ、カチェリーナに予め伝えられていた可能性が高い。カチェリーナは最初のうちはアマリヤからの身売りの話を拒絶していた。が、三回目、ついにカチェリーナはこの〈取引き〉に応じてしまった。運命に従順なおとなしい女ソーニャは、黙ってアパートを出てイワン閣下との〈取引き・商売〉に応じ、以後、黄色い監察を受けて淫売稼業を続けなければならなかった。

 ソーニャとイワン閣下の性的場面はいっさい描かれていない。大半の読者はソーニャの〈踏み越え〉のことなどに特別の関心を抱かずに『罪と罰』を読み終えてしまう。主人公ロジオンの〈踏み越え〉があまりにも鮮烈な印象を与えるし、叙述の大半はロジオンの内面を通して描かれているのでソーニャの〈踏み越え〉自体を失念してしまうのである。

源氏物語』に関しては後で改めて詳細に検討したいと思っているが、紫式部はなぜ藤壷と光源氏の最初の〈契り〉の場面を描かなかったのか。この問題と『罪と罰』における描かれざるソーニャの最初の〈踏み越え〉を重ねて考えてみたい。『罪と罰』における〈踏み越え〉(престпление)を充全に検証するためにはロジオンの場合だけではなく、彼に大きな影響を与えたソーニャの〈踏み越え〉についてもきちんと見ておかなければならない。しかし、ドストエフスキーはロジオンの〈踏み越え〉のみを現在進行形で描き、ソーニャの〈踏み越え〉に関しては直接的な描写はしなかった。

 ソーニャの描かれざる〈踏み越え〉を具象的に浮上させるためには、ソーニャが身売りした相手を特定しなければならないが、先述したようにイワン閣下と特定するまでに百二十二年の途方もない歳月を必要とした。つまり『罪と罰』はソーニャの〈踏み越え〉に無関心のまま百年の長きにわたって読まれてきたということである。『罪と罰』の大半の読者はロジオンの〈踏み越え〉を中心に読みすすめ、ソーニャの〈踏み越え〉に関してはあまり注意を払ってこなかった。わたしは『罪と罰』に限らず、作品の描かれざる場面に多大の関心を寄せる読者であるが、このような読者は稀である。

文学の交差点(連載29)○描かれざる〈踏み越え〉

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

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文学の交差点(連載29)

清水正

 ○描かれざる〈踏み越え〉

 『罪と罰』の原題は『преступление и наказание』で直訳すれば『犯罪と刑罰』である。我が国では内田魯庵が英訳タイトル『CRIME AND PUNISHMENT』を『罪と罰』と訳して以来、今日まですべての翻訳者がこのタイトルに従っている。〈犯罪〉(преступление)とは従来の風習慣習を打ち破ったり法律を踏み越えたりする事である。〈преступление〉を〈罪〉と訳すと、どうしても宗教的なニュアンスが濃くなる。宗教的な意味での〈罪〉は英語では〈sin〉、ロシア語では〈грех〉である。したがってフレデリック・ウィショウは『преступление и наказание』を原語通りに英訳したことになる。内田魯庵が『罪と罰』と訳したことで、わたしたちはこの作品のタイトル自体にも注意を向けなければならなくなったわけだが、ここでは〈преступление〉を〈踏み越え〉と訳して話を進めていく。

罪と罰』には主人公ロジオンの〈踏み越え〉、つまりロジオンの〈高利貸しアリョーナ殺し〉と〈リザヴェータ殺し〉が詳細に描かれている。しかしドストエフスキーはロジオンだけの〈踏み越え〉をこの作品で取り扱っていたのではない。実はマルメラードフの後妻カチェリーナ、スヴィドリガイロフ、プリヘーリヤ、ドゥーニャ、そしてソーニャの〈踏み越え〉などもきちんと視野において描いている。

 問題は彼らの〈踏み越え〉の場面が読者の誰にでも分かるようには描かれていないということである。はっきり言えば具体的には何一つ描かれていないのである。何一つ描かれていない場面が、にもかかわらずある種の想像力を働かせると実に鮮明にその場面が浮上してくるのである。真っ暗闇の中の出来事がある種の照明を当てると鮮明に立ち上がってくるのである。

文学の交差点(連載28)■描かれない場面をどのように構築し、どのように批評するか ――『罪と罰』の場合――

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文学の交差点(連載28)

清水正

■描かれない場面をどのように構築し、どのように批評するか

 ――『罪と罰』の場合――

 源氏物語』にはたして「輝く日の宮」はあったのかなかったのか。あったとしてそれは紫式部が書いたのか、それともほかの誰かが書いたのか。あったものを誰がどのような理由で抹殺したのか。「輝く日の宮」をめぐってさえ様々な議論を展開することができる。不在の「輝く日の宮」に小説家が創作魂を刺激されることはよく分かる。わたしは瀬戸内寂聴の作品『藤壷』を検証することで、わたしなりに藤壷と光源氏、及び王命婦の秘密に肉薄したいと考えているが、今回は『罪と罰』を題材に〈描かれざる場面〉の問題について書いてみたい。『罪と罰』についてはすでに数回にわたって様々な角度から検証し続けているので重複するところもあるが、了解されたし。

 わたしが『罪と罰』に執拗な関心を抱いているのは、『罪と罰』が広大な闇の領域を潜ませているからである。ふつう、批評は描かれた場面について言及するが、それはまあ当然の事として、『罪と罰』には描かれていない場面がことのほか多い。『罪と罰』に描かれた事など氷山の一角に過ぎない。では何が描かれていないのか。大げさではなく、描かれていない事は無限にあるが、次に思いつくままに列挙してみよう。

 〇主人公ロジオンの幼少年時代の事が描かれていない。

 ロジオンは二十歳になって故郷リャザン県ザライスクから単身ペテルブルクに上京して来る。時は一八六二年、ロジオンが目指すペテルブルク大学は閉鎖中で受験できず、翌年の一八六三年に法学部に入学する。が、授業料未払いによって除籍処分を受け、下宿の女将から借りた百十五ルーブリも返せず、悶々として屋根裏部屋生活に甘んじている。ロジオンがペテルブルクに上京してからの出来事すべてが明確に描かれているわけではないが、しかし大体のことは察しがつくように描かれている。ところが幼少年時代に関しては〈痩せ馬殺しの夢〉の場面で触れられるだけである。

 ロジオンは学校に通っていたのか、それとも家庭教師について勉強していたのか。家庭ではどのような生活をしていたのか。友達はいたのか。父親はロジオンが幼い時分に亡くなっているが、何が原因だったのか。病死なのか事故死なのか。夫亡き後、プリヘーリヤは年金百二十ルーブリで幼い二人の子供を育て上げるが、その実態はどうだったのか。美しい未亡人プリヘーリヤ、美しい少女ドゥーニャが村人たちからどのような眼で見られていたのか。要するにドストエフスキーはロジオンの幼少年時代に特別の照明を当てていない。この描かれざるロジオンの幼少年時代を浮上させるためには現にある『罪と罰』を執拗に読み返し、想像力を限りなく発揮して〈構築〉するよりほかはないのである。

文学の交差点(連載27)■描かれない場面をどのように読むか。

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清水正

■描かれない場面をどのように読むか。

    現在までのところ「輝く日の宮」は発見されていない。従って「輝く日の宮」実在、非在に関する諸説に関係なく、わたしたちは今ある『源氏物語』を読むしかない。とは言っても、『源氏物語』というテキスト自体が様々あり、どれか一つのみを絶対とすることはできない。しかも現代人にとって古典語で書かれた『源氏物語』は一種の外国文学に近い。そこで注釈書や翻訳本を参考にして読むことになる。現在入手可能な注釈書だけでも中央公論社朝日新聞社岩波書店、新潮社、小学館角川書店勉誠出版などから刊行されているし、翻訳も与謝野晶子谷崎潤一郎、窪田空穂、円地文子田辺聖子橋本治瀬戸内寂聴大塚ひかり今泉忠義、玉上琢弥、尾崎左永子、中井和子、林望角田光代などが試みている。

 様々な原典、注釈書、翻訳など現在入手できるすべてのテキストを読んで『源氏物語』を研究している研究者がはたしているのだろうか。厳密に検証しようとすればするほどテキストの迷宮に呑み込まれにっちもさっちもいかなくなる。限られた人生のなかで、どのような方法で研究を進めるべきか。

 わたしが初めてドストエフスキーの作品を読んだのは新潮社文庫、米川正夫訳『地下生活者の手記』であった。別に米川正夫訳で読もうと思ったわけではない。たまたま地元の小さな本屋の棚にそれが置いてあっただけのことである。以後、わたしはドストエフスキーの作品の多くを米川訳で読んだ。最初の批評本『ドストエフスキー体験』を刊行した頃は〈翻訳〉などということに全くこだわっていなかった。ドストエフスキー文学=米川正夫訳で何の疑問も感じなかった。〈翻訳〉ということを意識し始めたのは江川卓が雑誌「新潮」に謎解きシリーズのドストエフスキー論を連載した頃からである。それまでわたしはドストエフスキーの文学は米川訳で充分に理解できると思っていた。  学科の教授からロシア語で読まないドストエフスキー研究などあり得ないと言われても、心の底から納得することはできなかった。米川訳で『罪と罰』を読んでも、わたしは充分過ぎるほどラスコーリニコフを体感することができたし、ポルフィーリイ予審判事に共感することができた。外国文学作品は原語を学べばより深く理解することができるのだと一言で片づけられない問題を孕んでいる。作品を享受するにはもちろん対象となるテキストが存在しなければならないが、しかし〈読者〉の存在も大きい。作品を読む読者がどのような読者であるかが問題である。

 わたしの最初の著作は『ドストエフスキー体験』であって『ドストエフスキー研究』ではない。しかもわたしは十七歳から五十年以上に渡ってドストエフスキーを読み続け批評し続けている。生涯をかけてドストエフスキーを読み続ける読者がたまたま最初に読んだのが米川正夫の翻訳本であり、その翻訳本でドストエフスキーに取り憑かれてしまったのだから、こういった読者にありきたりの正論をはかれてもたいした効果をあげることはできない。

 わたしはドストエフスキーを翻訳で読んで何ら不自然を感じなかったので本格的にロシア語を学ぼうと思ったことはない。それでもアカデミヤ版ドストエフスキー全集を予約したり、東郷正延のロシヤ語講座や井桁貞敏のコンサイス露和・和露辞典を購入し、暇を見つけて独学したこともある。が、ドストエフスキーを読んでいる時の、謂わば憑依状態にある者にとっては語学学習に必要とされる〈何か〉を頑強に拒む力が作用する。

 要するにわたしにとってドストエフスキーを読むこととロシア語学習はうまく調和しなかった。ロシア語に堪能な教師がドストエフスキーをより深く理解できるとは思っていなかったし、現に我が国においては小林秀雄埴谷雄高森有正など著名なドストエフスキー論者がロシア語原典で読んでいない。

 そんなこんなでわたしはロシア語でドストエフスキーを読むという情熱にかられたことはない。第一、わたしはドストエフスキーを〈研究〉しようなどと思っていたわけではない。わたしは世界各国の文学者や哲学者や宗教家を一人物に仕立てて壮大な戯曲を書きたいと思っていた。が、ドストエフスキーの五大作品の批評を終えて、どういうわけか処女作『貧しき人々』の批評を開始していた。以後、『分身』『プロハルチン氏』『おかみさん』などの初期作品、シベリア流刑時代の『おじさんの夢』『ステパンチコヴォとその住人』など我が国ではあまり批評の対象にはならなかった作品を批評し、いつの間にかドストエフスキーの全作品を批評することがライフワークのようになってきた。その間、『分身』の原典をノートに写したり、『罪と罰』のマルメラードフの告白をすべてロシア語で暗記しようと試みたが、これらは中途半端に終わった。暗記と言えば東郷正延の『東郷ロシヤ語講座』第Ⅲ巻所収の第35課「ヤースナヤ・ポリャーナ」(Ясная Поляна)の項だけは丸暗記した。

 いずれにしても、わたしのドストエフスキー批評は長いこと翻訳本をテキストにしてきた。原典に当たる必要を感じたのは江川卓の〈謎ときシリーズ〉を読んでからである。幸いにして手元に予約しておいたアカデミヤ版全集があったので、『罪と罰』は批評で引用する箇所に関しては必ず原典に当たることにした。ところで、原典に当たってみると、今度は翻訳をそのまま素直に受け入れることの危険性を感じるようになった。原語一語が含んでいる多義的意味を考えると、翻訳一語はやはり翻訳者の一つの解釈に依っているということになる。しかも、同じ翻訳者でも翻訳は一つではない。

 明治二十五年、日本で最初に『罪と罰』をフレデリック・ウイショウ(Frederick Whishaw)の英語訳『罪と罰』(『CRIME AND PUNISHMENT』ヴィゼッテリイ版 1886年)から日本語に写した内田魯庵(不知庵主人とも号した。本名は内田貢)は、大正二年に改訳『罪と罰』を丸善から刊行した。内田魯庵全集第12巻(ゆまに書房 昭和五十九年四月)に収録されているのは内田老鶴圃から刊行された『小説 罪と罰』(巻之一 明治二十五年十一月)と『小説 罪と罰』(巻の二 明治二十六年二月)だけであり、丸善版『罪と罰』(前編 大正二年七月)は収録されていない。翻訳の違いを検証しようとすれば丸善版『罪と罰』を読む必要がある。わたしは神田の古書店でたまたま入手したが、現在、この丸善版『罪と罰』を入手するのは大変であろう。

 ドストエフスキー作品の翻訳者として中村白葉、米川正夫、小沼文彦、江川卓などが知られているが、彼らは翻訳本を出すたびに微妙に訳語・訳文を変えているので、翻訳本を従前に検証すること自体が実に様々な厄介な問題を孕んでいることになる。わたしは『罪と罰』を長いこと米川正夫訳で読んできたが、ある時、注解が詳しく独創的に思われた江川卓訳・小学館版世界文学全集第37巻の『罪と罰』を読んだ。以来、江川訳『罪と罰』を旺文社版文庫本、岩波文庫で愛読することになった。江川卓もまた出版社が変わるたびに多少翻訳文を変更している。

 いずれにしても、ドストエフスキーのような外国の小説家の場合、原語次元でも様々なテキストがあり、そして日本語翻訳においても様々なテキストが存在し、これからも新たに生み出されることになる。そんなこんなを『源氏物語』に当てはめてみれば、テキストの多様性、古文解釈、現代語テキストの解釈など、目眩が起きそうな諸問題が浮上してくる。従って、まずはできることから始めるほかはない。

文学の交差点(連載26)■テキストの実在・非在の問題  ――米川正夫訳『青年』をめぐって――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載26)

清水正

■テキストの実在・非在の問題

 ――米川正夫訳『青年』をめぐって――  

「輝く日の宮」は紫式部の手によって実際に書かれたのか。この問題をめぐっては研究者によって様々な説が発表された。代表的な論考として風巻景次郎の『源氏物語の成立』(『源氏物語』成立に関する著者の緒論をまとめ、『風巻景次郎全集』第四巻(昭和44年十一月 桜楓社)に収録)、武田宗俊の『源氏物語の研究』(一九五四年六月第一刷 岩波書店。)がある。

   大野晋丸谷才一瀬戸内寂聴は両氏の論文を視野に入れて対談や創作をしている。今、わたしは彼らの論文の領野には立ち入らず、まずは「輝く日の宮」というテキストが実際に存在していたのかどうかについて、ドストエフスキー作品やドストエフスキー研究と関連付けながらいろいろと考えをめぐらしてみたいと思う。 

   小沼文彦は筑摩書房ドストエフスキー全集の翻訳者として知られているが、彼に「初期ドストエフスキー全集」(「学鐙」一九七五年一月)という論考がある。日本はドストエフスキー文学の翻訳にかけては世界一と言ってもいい。二〇一八年現在、作品集や未完結のものを含めると十七種類が刊行されている。小沼はそのすべてを列挙し、簡単な解説を付けている。最初の全集は新潮社から刊行された。小沼はこの全集を「全十七巻」とし「これは本邦最初の全集として記念すべきもので、実質的には作品集とはいえ、「原露文直接訳」とうたった画期的出版である」「これによって作品の邦訳題名もほぼ定着することになるのであるが、『悪霊』は最初の広告では『生霊』、『未成年』もこのときはまだ『青年』であった」と記している。

 わたしは学生時代から古本屋街を歩いてドストエフスキー文献を買い求めた。文献はすべて早稲田と神田の古書店、それに大学のあった江古田の古本屋で入手した。ドストエフスキーに関する邦訳文献の大半は学生時代に揃えた。わたしは図書館を利用することはなかったので、文献は必ず購入して手元に置くことを原則とした。すでに購入済みのものでも余裕がある限り入手した。文献は一筋縄ではいかない。同じタイトル、同じ出版社でも内容が異なる場合がある。全集を出すたびに書き直しをする著者もいるので、最新の全集だけを持っていればいいということにはならない。

 さて、ドストエフスキーの研究者でも十七種類の全集をすべて手元に揃えている者はいないのではないかと思われる。文献を十全に入手することは困難を極めるのである。ここでは本邦初の新潮社版ドストエフスキー全集に限って話を進める。わたしはこの全集を全冊揃えているが、揃えるのに二十年以上かかっているし、揃えてみて初めて分かったことがある。小沼はこの全集を「全十七巻」としているが、これは間違いで本当は「全十六巻」としなければならない。

 小沼は『青年』を上下二巻として数えているが、実は『青年』は上巻しか刊行されなかった。わたしは神田の古本屋で『青年』上巻をゾッキ本コーナーで入手、その後も長いあいだ下巻を探しまわったが、米川正夫自身の文章で下巻が刊行されなかった経緯を知った。小沼は文献蒐集家としても知られていたが、未刊行の『青年』下巻を刊行されたものとして数えている。小沼は『青年』下巻を未確認のまま「初期のドストエフスキー全集」を書き上げてしまった。研究は実物に当たることが原則であり、いくら定評のある研究者の論考でも鵜呑みにすることは危険である。研究者も人間である限り見栄もハッタリもある。客観、公正を求められる〈研究〉にも生々しい人間のドラマが潜んでいることを忘れてはならない。

 もともと刊行されていないもの、不在のものをいくら探しても発見できないのは当たり前である。『青年』下巻は実在していないことが証明されたが、「輝く日の宮」の場合はそうそう簡単には決着がつかない。「輝く日の宮」は実在したのか、それとも初めから存在しなかったのか、それを客観的に実証することは不可能であろう。学問的に実証するよりは、丸谷才一瀬戸内寂聴森谷明子が試みたように、実在・非在にかかわらず〈それ〉(「輝く日の宮」)を創作した方がよほど生産的ということになる。

 実証的研究も創作も、煎じ詰めれば作品をどのように読むかということにかかっている。わたしは『源氏物語』をドストエフスキー文学を読むのと同じように読んでいる。ドストエフスキーは十七歳の時から、人間の謎を解き明かすために文学を志した小説家である。紫式部もまた『源氏物語』において人間とは何かを徹底的に探求している。『源氏物語』の世界に生きている〈人間〉の諸相に照明を当て、彼らと生々しく関わることを通して〈人間の謎〉に迫ること、これがわたしの批評行為である。