文学の交差点(連載27)■描かれない場面をどのように読むか。

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載27)

清水正

■描かれない場面をどのように読むか。

    現在までのところ「輝く日の宮」は発見されていない。従って「輝く日の宮」実在、非在に関する諸説に関係なく、わたしたちは今ある『源氏物語』を読むしかない。とは言っても、『源氏物語』というテキスト自体が様々あり、どれか一つのみを絶対とすることはできない。しかも現代人にとって古典語で書かれた『源氏物語』は一種の外国文学に近い。そこで注釈書や翻訳本を参考にして読むことになる。現在入手可能な注釈書だけでも中央公論社朝日新聞社岩波書店、新潮社、小学館角川書店勉誠出版などから刊行されているし、翻訳も与謝野晶子谷崎潤一郎、窪田空穂、円地文子田辺聖子橋本治瀬戸内寂聴大塚ひかり今泉忠義、玉上琢弥、尾崎左永子、中井和子、林望角田光代などが試みている。

 様々な原典、注釈書、翻訳など現在入手できるすべてのテキストを読んで『源氏物語』を研究している研究者がはたしているのだろうか。厳密に検証しようとすればするほどテキストの迷宮に呑み込まれにっちもさっちもいかなくなる。限られた人生のなかで、どのような方法で研究を進めるべきか。

 わたしが初めてドストエフスキーの作品を読んだのは新潮社文庫、米川正夫訳『地下生活者の手記』であった。別に米川正夫訳で読もうと思ったわけではない。たまたま地元の小さな本屋の棚にそれが置いてあっただけのことである。以後、わたしはドストエフスキーの作品の多くを米川訳で読んだ。最初の批評本『ドストエフスキー体験』を刊行した頃は〈翻訳〉などということに全くこだわっていなかった。ドストエフスキー文学=米川正夫訳で何の疑問も感じなかった。〈翻訳〉ということを意識し始めたのは江川卓が雑誌「新潮」に謎解きシリーズのドストエフスキー論を連載した頃からである。それまでわたしはドストエフスキーの文学は米川訳で充分に理解できると思っていた。  学科の教授からロシア語で読まないドストエフスキー研究などあり得ないと言われても、心の底から納得することはできなかった。米川訳で『罪と罰』を読んでも、わたしは充分過ぎるほどラスコーリニコフを体感することができたし、ポルフィーリイ予審判事に共感することができた。外国文学作品は原語を学べばより深く理解することができるのだと一言で片づけられない問題を孕んでいる。作品を享受するにはもちろん対象となるテキストが存在しなければならないが、しかし〈読者〉の存在も大きい。作品を読む読者がどのような読者であるかが問題である。

 わたしの最初の著作は『ドストエフスキー体験』であって『ドストエフスキー研究』ではない。しかもわたしは十七歳から五十年以上に渡ってドストエフスキーを読み続け批評し続けている。生涯をかけてドストエフスキーを読み続ける読者がたまたま最初に読んだのが米川正夫の翻訳本であり、その翻訳本でドストエフスキーに取り憑かれてしまったのだから、こういった読者にありきたりの正論をはかれてもたいした効果をあげることはできない。

 わたしはドストエフスキーを翻訳で読んで何ら不自然を感じなかったので本格的にロシア語を学ぼうと思ったことはない。それでもアカデミヤ版ドストエフスキー全集を予約したり、東郷正延のロシヤ語講座や井桁貞敏のコンサイス露和・和露辞典を購入し、暇を見つけて独学したこともある。が、ドストエフスキーを読んでいる時の、謂わば憑依状態にある者にとっては語学学習に必要とされる〈何か〉を頑強に拒む力が作用する。

 要するにわたしにとってドストエフスキーを読むこととロシア語学習はうまく調和しなかった。ロシア語に堪能な教師がドストエフスキーをより深く理解できるとは思っていなかったし、現に我が国においては小林秀雄埴谷雄高森有正など著名なドストエフスキー論者がロシア語原典で読んでいない。

 そんなこんなでわたしはロシア語でドストエフスキーを読むという情熱にかられたことはない。第一、わたしはドストエフスキーを〈研究〉しようなどと思っていたわけではない。わたしは世界各国の文学者や哲学者や宗教家を一人物に仕立てて壮大な戯曲を書きたいと思っていた。が、ドストエフスキーの五大作品の批評を終えて、どういうわけか処女作『貧しき人々』の批評を開始していた。以後、『分身』『プロハルチン氏』『おかみさん』などの初期作品、シベリア流刑時代の『おじさんの夢』『ステパンチコヴォとその住人』など我が国ではあまり批評の対象にはならなかった作品を批評し、いつの間にかドストエフスキーの全作品を批評することがライフワークのようになってきた。その間、『分身』の原典をノートに写したり、『罪と罰』のマルメラードフの告白をすべてロシア語で暗記しようと試みたが、これらは中途半端に終わった。暗記と言えば東郷正延の『東郷ロシヤ語講座』第Ⅲ巻所収の第35課「ヤースナヤ・ポリャーナ」(Ясная Поляна)の項だけは丸暗記した。

 いずれにしても、わたしのドストエフスキー批評は長いこと翻訳本をテキストにしてきた。原典に当たる必要を感じたのは江川卓の〈謎ときシリーズ〉を読んでからである。幸いにして手元に予約しておいたアカデミヤ版全集があったので、『罪と罰』は批評で引用する箇所に関しては必ず原典に当たることにした。ところで、原典に当たってみると、今度は翻訳をそのまま素直に受け入れることの危険性を感じるようになった。原語一語が含んでいる多義的意味を考えると、翻訳一語はやはり翻訳者の一つの解釈に依っているということになる。しかも、同じ翻訳者でも翻訳は一つではない。

 明治二十五年、日本で最初に『罪と罰』をフレデリック・ウイショウ(Frederick Whishaw)の英語訳『罪と罰』(『CRIME AND PUNISHMENT』ヴィゼッテリイ版 1886年)から日本語に写した内田魯庵(不知庵主人とも号した。本名は内田貢)は、大正二年に改訳『罪と罰』を丸善から刊行した。内田魯庵全集第12巻(ゆまに書房 昭和五十九年四月)に収録されているのは内田老鶴圃から刊行された『小説 罪と罰』(巻之一 明治二十五年十一月)と『小説 罪と罰』(巻の二 明治二十六年二月)だけであり、丸善版『罪と罰』(前編 大正二年七月)は収録されていない。翻訳の違いを検証しようとすれば丸善版『罪と罰』を読む必要がある。わたしは神田の古書店でたまたま入手したが、現在、この丸善版『罪と罰』を入手するのは大変であろう。

 ドストエフスキー作品の翻訳者として中村白葉、米川正夫、小沼文彦、江川卓などが知られているが、彼らは翻訳本を出すたびに微妙に訳語・訳文を変えているので、翻訳本を従前に検証すること自体が実に様々な厄介な問題を孕んでいることになる。わたしは『罪と罰』を長いこと米川正夫訳で読んできたが、ある時、注解が詳しく独創的に思われた江川卓訳・小学館版世界文学全集第37巻の『罪と罰』を読んだ。以来、江川訳『罪と罰』を旺文社版文庫本、岩波文庫で愛読することになった。江川卓もまた出版社が変わるたびに多少翻訳文を変更している。

 いずれにしても、ドストエフスキーのような外国の小説家の場合、原語次元でも様々なテキストがあり、そして日本語翻訳においても様々なテキストが存在し、これからも新たに生み出されることになる。そんなこんなを『源氏物語』に当てはめてみれば、テキストの多様性、古文解釈、現代語テキストの解釈など、目眩が起きそうな諸問題が浮上してくる。従って、まずはできることから始めるほかはない。