文学の交差点(連載26)■テキストの実在・非在の問題  ――米川正夫訳『青年』をめぐって――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

https://youtu.be/RXJl-fpeoUQ

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載26)

清水正

■テキストの実在・非在の問題

 ――米川正夫訳『青年』をめぐって――  

「輝く日の宮」は紫式部の手によって実際に書かれたのか。この問題をめぐっては研究者によって様々な説が発表された。代表的な論考として風巻景次郎の『源氏物語の成立』(『源氏物語』成立に関する著者の緒論をまとめ、『風巻景次郎全集』第四巻(昭和44年十一月 桜楓社)に収録)、武田宗俊の『源氏物語の研究』(一九五四年六月第一刷 岩波書店。)がある。

   大野晋丸谷才一瀬戸内寂聴は両氏の論文を視野に入れて対談や創作をしている。今、わたしは彼らの論文の領野には立ち入らず、まずは「輝く日の宮」というテキストが実際に存在していたのかどうかについて、ドストエフスキー作品やドストエフスキー研究と関連付けながらいろいろと考えをめぐらしてみたいと思う。 

   小沼文彦は筑摩書房ドストエフスキー全集の翻訳者として知られているが、彼に「初期ドストエフスキー全集」(「学鐙」一九七五年一月)という論考がある。日本はドストエフスキー文学の翻訳にかけては世界一と言ってもいい。二〇一八年現在、作品集や未完結のものを含めると十七種類が刊行されている。小沼はそのすべてを列挙し、簡単な解説を付けている。最初の全集は新潮社から刊行された。小沼はこの全集を「全十七巻」とし「これは本邦最初の全集として記念すべきもので、実質的には作品集とはいえ、「原露文直接訳」とうたった画期的出版である」「これによって作品の邦訳題名もほぼ定着することになるのであるが、『悪霊』は最初の広告では『生霊』、『未成年』もこのときはまだ『青年』であった」と記している。

 わたしは学生時代から古本屋街を歩いてドストエフスキー文献を買い求めた。文献はすべて早稲田と神田の古書店、それに大学のあった江古田の古本屋で入手した。ドストエフスキーに関する邦訳文献の大半は学生時代に揃えた。わたしは図書館を利用することはなかったので、文献は必ず購入して手元に置くことを原則とした。すでに購入済みのものでも余裕がある限り入手した。文献は一筋縄ではいかない。同じタイトル、同じ出版社でも内容が異なる場合がある。全集を出すたびに書き直しをする著者もいるので、最新の全集だけを持っていればいいということにはならない。

 さて、ドストエフスキーの研究者でも十七種類の全集をすべて手元に揃えている者はいないのではないかと思われる。文献を十全に入手することは困難を極めるのである。ここでは本邦初の新潮社版ドストエフスキー全集に限って話を進める。わたしはこの全集を全冊揃えているが、揃えるのに二十年以上かかっているし、揃えてみて初めて分かったことがある。小沼はこの全集を「全十七巻」としているが、これは間違いで本当は「全十六巻」としなければならない。

 小沼は『青年』を上下二巻として数えているが、実は『青年』は上巻しか刊行されなかった。わたしは神田の古本屋で『青年』上巻をゾッキ本コーナーで入手、その後も長いあいだ下巻を探しまわったが、米川正夫自身の文章で下巻が刊行されなかった経緯を知った。小沼は文献蒐集家としても知られていたが、未刊行の『青年』下巻を刊行されたものとして数えている。小沼は『青年』下巻を未確認のまま「初期のドストエフスキー全集」を書き上げてしまった。研究は実物に当たることが原則であり、いくら定評のある研究者の論考でも鵜呑みにすることは危険である。研究者も人間である限り見栄もハッタリもある。客観、公正を求められる〈研究〉にも生々しい人間のドラマが潜んでいることを忘れてはならない。

 もともと刊行されていないもの、不在のものをいくら探しても発見できないのは当たり前である。『青年』下巻は実在していないことが証明されたが、「輝く日の宮」の場合はそうそう簡単には決着がつかない。「輝く日の宮」は実在したのか、それとも初めから存在しなかったのか、それを客観的に実証することは不可能であろう。学問的に実証するよりは、丸谷才一瀬戸内寂聴森谷明子が試みたように、実在・非在にかかわらず〈それ〉(「輝く日の宮」)を創作した方がよほど生産的ということになる。

 実証的研究も創作も、煎じ詰めれば作品をどのように読むかということにかかっている。わたしは『源氏物語』をドストエフスキー文学を読むのと同じように読んでいる。ドストエフスキーは十七歳の時から、人間の謎を解き明かすために文学を志した小説家である。紫式部もまた『源氏物語』において人間とは何かを徹底的に探求している。『源氏物語』の世界に生きている〈人間〉の諸相に照明を当て、彼らと生々しく関わることを通して〈人間の謎〉に迫ること、これがわたしの批評行為である。