文学の交差点(連載25)■丸谷才一の小説『輝く日の宮』をめぐって ■「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載25)

清水正

丸谷才一の小説『輝く日の宮』をめぐって

 王命婦は唐突に光源氏六条御息所のところに通っているという〈口さがない女房たち〉の噂を口にする。これは瀬戸内寂聴が「藤壷」を創作するにあたって『源氏物語』に不在の「かかやく日の宮」の内容を意識しての設定と言える。ここで『源氏物語』成立論に肉薄した丸谷才一の小説『輝く日の宮』(講談社文庫、二〇〇六年六月)にしばし立ち止まってみることにする。

(略)

 

 光源氏と藤壷との最初の契りを書いた「輝く日の宮」は実在したのか。この件に関しては『源氏物語』研究者はもとより、『源氏物語』に関心を持つ文学者や小説家が大いに想像力を掻き立てられた。『源氏物語』成立史自体がミステリアスで興味深い。研究者のすべての論文を検証することはできないが、武田宗俊、風巻景次郎、及び彼らの説を踏まえた大野晋丸谷才一の対談、丸谷の小説『輝く日の宮』、『源氏物語』を現代日本語に再現した瀬戸内寂聴の小説『藤壷』、ミステリー小説に仕立てた森谷明子の『千年の黙 異本源氏物語』位は視野に入れて論を進めていきたいと思っている。

 

「輝く日の宮」があったのかなかったのか。藤原定家の書いた『奥入』の注釈書からさまざまな説が展開されてきた。真実は紫式部に聞くほかはないが、そんなことは不可能である。「輝く日の宮」が発見でもされない限り、結局研究者は〈解釈〉を披露するしかない。丸谷才一は小説の形式で書いた『輝く日の宮』で複数の人物の口を通して様々な〈解釈〉を披露した。特に杉安佐子の実在説と、それに反対の立場に立つ大河原篤子の反論を通して『源氏物語』成立をめぐる諸問題に照明を当てている。

 丸谷才一は批評意識の勝った小説家である。バフチンが指摘したドストエフスキー文学のポリフォニック性を充分に意識して「日本の幽霊 シンポジウム」の場面を描いているので、「輝く日の宮」をめぐっての各人物間の議論は明確である。読者はこの小説一編を一読するだけで日本における代表的な研究者の『源氏物語』成立に関する諸〈解釈〉を一瞥することができる。

 

■「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」

 今再びわたしの脳裏をよぎるのは例のニーチェの言葉である。

 

  現象に立ちどまって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろう。(引用は河出書房「世界の大思想」Ⅱ-9 「ニーチェ 権力への意志」原佑訳。昭和42年11月。216頁)

 

 〈事実〉(Thatsachent)なるものはなく、あるのはただ〈解釈(Interpretationen)のみ。十代後半に出会ったニーチェの言葉のうち、私にもっとも影響を与えた言葉がこれであった。以降、わたしの批評は〈解釈〉の戯れのうちにある。絶対不動の真理、ものそれ自体はなく解釈あるのみ……わたしの批評はテキストを解体して想像・創造力を限りなく駆使して再構築することであるが、べつにそれでもって〈絶対真理〉を探求しているわけではない。否、〈絶対真理〉さえ無限に相対化せざるを得ないという絶望を引き受け、絶望を即悦楽として体感する批評の境地を生きるということである。

 一言で『源氏物語』を読むといっても、『源氏物語』というテキストは一つではない。極端なことを言えば無数にある。物質的なもの、写本だけでも相当あり、どんなに情熱的な若い研究者でもそのすべてに眼を通すことは不可能であろう。言い伝えによれば紫式部が直接書いた『源氏物語』は一冊も残っておらず、すべては紫式部以外の人によって書き写されたということである。しかしこの一点に限ってもそのことをいちいち実証することは不可能であろう。ニーチェに言わせれば、各研究者による各実証自体が〈事実〉ではなく〈解釈〉ということになるから、研究者はどうもがいても絶対的事実、ものそれ自体に到達ことはできず、ただひたすら膨大な解釈の渦の中に巻き込まれ弄ばれる、その独特な悦楽にひたるほかはない。そうでない研究者、あくまでも紛れもない〈事実〉を発掘しようと懸命に努力する地道な実証主義的研究者にはニーチェ風ディオュソス的〈絶望即悦楽〉の境地に狂い遊ぶことはできないだろう。

 わたしは今回、『源氏物語』をドストエフスキー文学に関連づけて徹底的に批評しようと思っている。七十歳近くになって『源氏物語』に出会った必然性をわたしはたいへんおもしろく感じている。十七歳からドストエフスキー、三十歳過ぎてから宮沢賢治、十年前から林芙美子の代表作『浮雲』について批評している、このわたしが『源氏物語』へと突き進んできたのである。

 わたしの批評はテキストに即しながらも、想像・創造力を限りなく発揮する創作行為でもあるから、固定的で、狂気とカオスのディオニュソスを内包しないアポロン的な研究者のそれとは一線を画する。が、わたしはアポロン的な論考をも貴重な一〈解釈〉として自らの批評に取り入れることにやぶさかではない。様々な〈解釈〉の織りなす目眩く交響楽がわたしの批評であり、『源氏物語』批評もその例外ではない。