松原寛とドストエフスキー

近況報告

本日は朝から西村俊彦の朗読ノート『罪と罰』1を聴いていた。『罪と罰』は米川正夫訳、江川卓訳の日本語訳とアカデミア版全集で読み続けているが、この朗読は米川訳。

神経痛でほぼ一日横になっている身にとっては朗読はありがたい。読んでも聴いても面白い。五十年読み続けてもいまだに新たな発見があることがすごい。アメリカ大統領選挙で正義も民主主義もたわいもない幻想であったことが世界中に晒されたが、それでも未だに地上メディアの偏向愚劣に気づいていない者も多いようだ。今やアメリカには正義の味方スーパーマンは存在しない。アメリカのヒーロー、スーパーマンは一度もロダンの「考える人」になることなく世界から消えた。ドストエフスキー文学の深さに踏み込むことなく一生を終えてしまう人々のなんと多いことか。

https://www.youtube.com/watch?v=u-4aWdqfUmI&t=21354s

松原寛とドストエフスキー

松原寛の苦悶と求道の宗教哲学は、ドストエフスキーの文学世界と重なる。にもかかわらず松原寛はドストエフスキーの文学の世界に関してはいっさい踏み込んでいくことはなかった。『現代人の藝術』(大正十年三月 民文社)で「何れでも良いからドストエフスキーの作一部を讀め」と書いた松原寛は、二十冊に及ぶ著作の中でも、また遺稿(未発表原稿・ノート)においてもドストエフスキーの作品については一言も触れることはなかった。わたしが発見したのは『哲學への思慕』(昭和二十六年十一月 新紀元社)の中に記された「ドストエフスキーやシエストフは『罪を犯さない罪人』といつた言葉をよく用いる。その何を意味するかは知らないが、私などは正しくこの『罪を犯さない罪人』なのではなかろうか」(103)と「ドストエフスキーは『才能は嫌うべき特権』だといつている。彼の口吻をかりて、私は『愛は怖ろしい特権』であるといいたい」(105)だけである。ちなみに松原寛と共著で『文化人の藝術と宗教』(大正十一年十一月 太陽堂)を出した小原國芳はこの本の中で「西洋物ではゼヒ一生の中よまねばなりぬものは、否、味ふべきはものは」(170)として「ゲーテの「フアスト」」「バンヤン天路歴程」「ドストエフスキーの罪に罰」「カラマーゾの兄弟」を挙げている(『罪と罰』を意図的に『罪に罰』にしているのか、それとも校正ミスなのか。同じく「カラマーゾの兄弟」もフが抜けている。校正ミスだとすれば著者小原のドストエフスキーに対する思いはその程度だったということになろうか)。  松原寛の苦悶・求道の哲学は不可避的にドストエフスキーの文学と結びつくディオニュソス的性質を備えている。にもかかわらず、なぜ松原寛はドストエフスキーの世界へと踏み込んでいかなかったのか。ここには大いなる謎が秘められている。

 二〇一五年十二月、わたしは全身の痒みと痛みに襲われながら『現代人の藝術』を読み終え、松原寛との出会いに神秘的な運命を感じた。日大芸術学部文芸学科受験のために初めて江古田駅北口の階段を降りた時、すぐに、背後からふいに何ものかに触れられたように感じた。後ろを振り向いても誰もいなかった。以来四十五年にわたって、江古田駅に降りるたびに不思議な思いを密かに反芻していた。その不思議が松原寛の『現代人の藝術』を読み終えて一挙に氷解した。わたしのドストエフスキー論は江古田に降り立った昭和四十三年から半世紀以上にわたって書き継がれることになった。ドストエフスキー文学に関して完璧に一言も語らなかった松原寛から、わたしは何かを託されていたのだと勝手に受け止めることにした。