文学の交差点(連載25)■丸谷才一の小説『輝く日の宮』をめぐって ■「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載25)

清水正

丸谷才一の小説『輝く日の宮』をめぐって

 王命婦は唐突に光源氏六条御息所のところに通っているという〈口さがない女房たち〉の噂を口にする。これは瀬戸内寂聴が「藤壷」を創作するにあたって『源氏物語』に不在の「かかやく日の宮」の内容を意識しての設定と言える。ここで『源氏物語』成立論に肉薄した丸谷才一の小説『輝く日の宮』(講談社文庫、二〇〇六年六月)にしばし立ち止まってみることにする。

(略)

 

 光源氏と藤壷との最初の契りを書いた「輝く日の宮」は実在したのか。この件に関しては『源氏物語』研究者はもとより、『源氏物語』に関心を持つ文学者や小説家が大いに想像力を掻き立てられた。『源氏物語』成立史自体がミステリアスで興味深い。研究者のすべての論文を検証することはできないが、武田宗俊、風巻景次郎、及び彼らの説を踏まえた大野晋丸谷才一の対談、丸谷の小説『輝く日の宮』、『源氏物語』を現代日本語に再現した瀬戸内寂聴の小説『藤壷』、ミステリー小説に仕立てた森谷明子の『千年の黙 異本源氏物語』位は視野に入れて論を進めていきたいと思っている。

 

「輝く日の宮」があったのかなかったのか。藤原定家の書いた『奥入』の注釈書からさまざまな説が展開されてきた。真実は紫式部に聞くほかはないが、そんなことは不可能である。「輝く日の宮」が発見でもされない限り、結局研究者は〈解釈〉を披露するしかない。丸谷才一は小説の形式で書いた『輝く日の宮』で複数の人物の口を通して様々な〈解釈〉を披露した。特に杉安佐子の実在説と、それに反対の立場に立つ大河原篤子の反論を通して『源氏物語』成立をめぐる諸問題に照明を当てている。

 丸谷才一は批評意識の勝った小説家である。バフチンが指摘したドストエフスキー文学のポリフォニック性を充分に意識して「日本の幽霊 シンポジウム」の場面を描いているので、「輝く日の宮」をめぐっての各人物間の議論は明確である。読者はこの小説一編を一読するだけで日本における代表的な研究者の『源氏物語』成立に関する諸〈解釈〉を一瞥することができる。

 

■「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」

 今再びわたしの脳裏をよぎるのは例のニーチェの言葉である。

 

  現象に立ちどまって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろう。(引用は河出書房「世界の大思想」Ⅱ-9 「ニーチェ 権力への意志」原佑訳。昭和42年11月。216頁)

 

 〈事実〉(Thatsachent)なるものはなく、あるのはただ〈解釈(Interpretationen)のみ。十代後半に出会ったニーチェの言葉のうち、私にもっとも影響を与えた言葉がこれであった。以降、わたしの批評は〈解釈〉の戯れのうちにある。絶対不動の真理、ものそれ自体はなく解釈あるのみ……わたしの批評はテキストを解体して想像・創造力を限りなく駆使して再構築することであるが、べつにそれでもって〈絶対真理〉を探求しているわけではない。否、〈絶対真理〉さえ無限に相対化せざるを得ないという絶望を引き受け、絶望を即悦楽として体感する批評の境地を生きるということである。

 一言で『源氏物語』を読むといっても、『源氏物語』というテキストは一つではない。極端なことを言えば無数にある。物質的なもの、写本だけでも相当あり、どんなに情熱的な若い研究者でもそのすべてに眼を通すことは不可能であろう。言い伝えによれば紫式部が直接書いた『源氏物語』は一冊も残っておらず、すべては紫式部以外の人によって書き写されたということである。しかしこの一点に限ってもそのことをいちいち実証することは不可能であろう。ニーチェに言わせれば、各研究者による各実証自体が〈事実〉ではなく〈解釈〉ということになるから、研究者はどうもがいても絶対的事実、ものそれ自体に到達ことはできず、ただひたすら膨大な解釈の渦の中に巻き込まれ弄ばれる、その独特な悦楽にひたるほかはない。そうでない研究者、あくまでも紛れもない〈事実〉を発掘しようと懸命に努力する地道な実証主義的研究者にはニーチェ風ディオュソス的〈絶望即悦楽〉の境地に狂い遊ぶことはできないだろう。

 わたしは今回、『源氏物語』をドストエフスキー文学に関連づけて徹底的に批評しようと思っている。七十歳近くになって『源氏物語』に出会った必然性をわたしはたいへんおもしろく感じている。十七歳からドストエフスキー、三十歳過ぎてから宮沢賢治、十年前から林芙美子の代表作『浮雲』について批評している、このわたしが『源氏物語』へと突き進んできたのである。

 わたしの批評はテキストに即しながらも、想像・創造力を限りなく発揮する創作行為でもあるから、固定的で、狂気とカオスのディオニュソスを内包しないアポロン的な研究者のそれとは一線を画する。が、わたしはアポロン的な論考をも貴重な一〈解釈〉として自らの批評に取り入れることにやぶさかではない。様々な〈解釈〉の織りなす目眩く交響楽がわたしの批評であり、『源氏物語』批評もその例外ではない。

安濃豊氏の動画を毎日観る

わたしは日大病院から退院後(2016年2月末)、三年半にわたって安濃豊氏の動画を毎日観続けてきた。神経痛のため一日の大半を横になって過ごしている。執筆時以外は読書と動画を観ているが、必ず見るのが安濃豊氏の動画である。配信されていないと体の具合が悪くなったのかと心配になる。もはや家族の一員なのである。

先日、夏休み前最後の火曜会(日藝文士會)を終えての帰途、山崎行太郎さんから安濃豊氏の東京講演に一緒に行かないかと声をかけられたのだが、神経痛のため断念した。

先刻、安濃氏のブログを覗いたら下記のような記事があった。

 

睡眠霊通:
8畳くらいの個室に7、8名が集まっていた。私は奥に座り、皆さんの静かな会話を聞いていた。誰かがロシア文学の話を始めた。そこで私は「チェーホフドストエフスキープーシキンだったかもしれない)を知らずんばロシアを知らず」(自分も知らないのに)というと話が盛り上がり、参加者の1人が私の近くに来て、ロシア文学について熱く語り始めた。そこで目が覚めた。来週末の上京のヒトコマなのだろうか?

 

会場に行くことはできないが、盛況を祈っている。安濃豊氏の戦勝・アジア解放史観は日本人に元気と勇気を与えてくれる。

文学の交差点(連載24)■瀬戸内寂聴の小説『藤壷』をめぐって

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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文学の交差点(連載24)

清水正

瀬戸内寂聴の小説『藤壷』をめぐって

    現在わたしたちが読むことのできる『源氏物語』に光源氏と藤壷の最初の不義密通は何も書かれていない。この場面に関しては武田宗俊『源氏物語の研究』、大野晋丸谷才一の対談『光る源氏の物語』、丸谷才一の小説『輝く日の宮』などでも検討されているが、ここではとりあえず瀬戸内寂聴の小説『藤壷』(講談社文庫、二〇〇八年六月)を題材にして想像力を存分に発揮していきたいと思う。

 光源氏が藤壷との〈契り〉にはたしてどこまで〈極悪道〉の意識を持っていたのか。この問いは何度問うてもいいような気がする。瀬戸内寂聴は王命婦に「この企ては、人倫の道にも仏の道にも叛いた極悪道でございます」と言わせているのだが、光源氏が人倫、仏道をどのようにとらえ意識していたのかが曖昧に処理されているので、そもそも彼の〈叛逆〉が体感的に伝わってこないのである。一夫多妻の時代における男女関係を今日の恋愛観に即して判断することはできないので、光源氏が複数の女たちと契りを結ぶことを人倫に反する行為と見なすことは出来ない。

 藤壷は父桐壷帝の妻であるにしても、それが光源氏にとってどれほどの重みを持っていたかは実はよく伝わってこない。王命婦は言う「生きて露見すれば只事ではおさまりますまい」と。さて〈露見〉が問題である。王命婦が手引きする以上、〈不義密通〉は当事者の光源氏と藤壷だけの秘密ではないということである。ここで『光る源氏の物語』(中公文庫上巻、一九九四年八月)から大野晋の言葉を引いておこう。

 大野 『源氏物語』の本質をとらえるときに大事なことが一つあると思うんですよ。それはヨーロッパでは、フランスの作品の具体的な名前をぼく知りませんけれども、「お女中文学」というのがあるということです。『源氏物語』を語っているのは「女房」といわれる人たちですが、いわば今日の「お女中」でしょう。この人たちはお姫様が男の人と一緒になるときには隣の部屋にひかえていて、万事知っているといったぐあいに、お姫様についている女房はお姫様のあらゆることを知っている。そういう位置にいて、しかも一人前には扱ってもらえない「女房」が『源氏物語』を語っているということです。(56~57)

 藤壷には王命婦だけが女房として付き添っていたわけではない。乳母子の弁や王命婦以外の命婦も何人かはいた可能性が高い。王命婦の〈手引き〉が他の女房たちの眼や耳や第六感の網の目にかからなかったはずはない。ただ光源氏と藤壷の〈不義密通〉に感づいていた女房たちが、それを心の奥底に封じ込んで、公にしなかっただけのことである。秘密を知っている女房たちの声にならない噂話は心の闇の中で止むことはない。もちろんそんなことは女房でもあった紫式部はよく知っている。こと光源氏と藤壷の〈不義密通〉に関しては王命婦も乳母子の弁も、そして作者の紫式部も共犯関係を結んで、あたかもその秘密は保持されたかのように振る舞い続けるのである。恐るべし〈女房〉、ということである。

 先に引用した瀬戸内寂聴「藤壷」の続きを見てみよう。

 

  それにしても王命婦はいつまで待たせるのかと源氏の君は焦ってきました。狐のような顔付のこの女がいかにも狡猾なように見えてきて、この女の思うよう自分があやつられているような不快な気持さえしてきました。

「これ以上、待たされるなら、もうよい。頼まぬ。文も届けてくれぬ。返歌もいただけぬ。まるで霞と恋をしているようにはかなすぎる。そなたとこうして逢うのも……」 「飽いたとおっしゃりたいのですね」

  王命婦がずばりと抑揚のない声で他人事のように言いました。図星をつかれて源氏の君は思わず顔を染めてしまわれました。

「ちか頃、六条あたりに御熱心にお通い遊ばしていらっしゃるとか、口さがない女房たちがお噂申しております」

六条御息所のところへは、都じゅうの気の利いた公達なら、みな伺っている。御息所の催される詩文や音楽の集りは、実に高尚で気が利いているのだ」

「何より御息所はお美しいお方ですから」

「たしかに、高貴なお方で教養があるという点では、藤壷の宮と双璧といえるお方だ。わたしなど集る公達の中では一番年が若く出る幕もない」

「さあ、いかがなものでしょう。あの気位の高い御息所のお心をどなたが射とめるかと、京雀の噂の種とやら……源氏の君さまは、もはや御息所とは」

「残念ながらいまだ高嶺の花だ。あそこに集る公達たちは、一人残らず万に一つの僥倖を期待しているにちがいない。ところが御息所は前の東宮の未亡人という御身分の上、途方もない御遺産に囲まれていらっしゃる。対等にお相手出来る公達など居るものではない」

「ただお一人、源氏の君さまを除いては」

「いやに御息所にこだわるんだね。美しいお方だけれど、もうお若くはないよ」

「わたくしより三歳の下、源氏の君さまより七つの年上でいらっしゃいます」

  そうすると藤壷の宮は御息所より二歳の御年少か、それにしては藤壷の宮は何という初々しい愛嬌にあふれたお可愛らしさなのだろうか。源氏の君は改めて藤壷の宮のお若さに感嘆しながら立ち上り、王命婦に背を向けて歩き出されました。

「恋ひわびて恨む涙にこの春も

     命むなしく過ぎ逝きにけり」

「源氏の君さま、来る二十日の深更に藤壷にお渡り下さい。その日は内裏は物忌みに当っております」

  王命婦の低いしゃがれた声が、源氏の君の耳近く聞えました。

  源氏の君は思わず振り返りさま、王命婦の手を掴んでいました。

「まことか、空耳ではなかったか。二十日、深更とな、内裏は物忌みだと……」

「その通り申しあげました」

「三日の後だ。王命婦、もう一度お礼をしようか」

  源氏の君が手に力をこめ、王命婦の体を胸に引き寄せると、王命婦は両腕で源氏の君の胸を突き、身を引き離しました。

「もう結構でございます」

  源氏の君は声をあげて笑い、若々しい足取りで出口の方へ歩いて行きました。   築地の破れの外には、すでに網代車が着けられていて、惟光が榻を整えて蹲っていました。(42~47)

 

 瀬戸内寂聴の小説「藤壷」は可能な限り史実を押さえた上で創作されている。

 王命婦は狐のような顔付として設定されているが、これに関してはウィキペディア「稲荷神と狐」「伏見稲荷創建以降」などの記事が参考になる。

 狐は稲荷神の神使であって稲荷神そのものではないが、民間においては稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』に「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。また、稲荷神が貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・御食津)、野狐、狐、飯綱と呼ばれる場合もある。

 

  日本では弥生時代以来、蛇への深更が根強く、稲荷山も古くは蛇信仰の中心地であったが、平安時代になってから狐を神使とする信仰が広まった。稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名に御ケ津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む。時代が下ると、稲荷狐には調停に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。(以上「稲荷神と狐」より)

 都が平安京に遷されると、この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになった。さらに、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった。『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。神としての位階(神階)も、天長4年(827)に淳和天皇より「従五位下」を授かったのを皮切りに上昇していき、天慶5年(942)には最高の「正一位」となった。

   東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなった。荼枳尼天は人の心臓を食らう夜叉神で、平安時代後期頃からその本体が狐の霊であるとされるようになった。この荼枳尼天との習合や、中国における妖術を使う狐のイメージの影響により、稲荷神の使いの狐の祟り神としての側面が強くなったといわれる。(以上「伏見稲荷創建以降」より)

  

    王命婦と狐の関係は探ると途方もない闇を抱えているように思える。単に狡猾な女という意味での隠喩を超えたものを感じさせる。王命婦命婦の一人であるにもかかわらず〈王〉が付いている。彼女が高貴な家柄(皇族、王族)の出身であることを伺わせるが、彼女を秦氏の一族であったと見ることもできよう。権勢を誇った秦一族と天皇家との関係に関しても新たな照明を当てる必要があろう。

 わたしたちは何度でも王命婦が桐壷帝の后藤壷と桐壷帝の息子光源氏の契りを手引きしたこと、瀬戸内寂聴に言わせれば人倫に叛し仏道に叛する〈極悪道〉を手引きしたことの秘密に迫らなければならない。今日の感覚からすれば、天皇の息子が天皇の后と契りを結ぶなどという大それたことは考えるだに不謹慎であり、絶対にあってはならないことである。はたして平安時代においてはどうだったのだろうか。

源氏物語』に描かれた限りにおいては、男女の肉体関係はかなりゆるいように思える。今日から見れば強姦まがいのことも寛容に受け入れられている。愛があればすべては許されるではないが、光源氏においては相手が少女であれ、年上の女房であれ、父帝の后であれ、求愛の行動を妨げるものではなかった。人倫、仏道陰陽道も、光源氏の行動を絶対的に拘束することはできない。

   ドストエフスキーの人神論者たちは「神がなければすべてが許されている」と公言してはばからなかった。光源氏にとって彼の行動を統御支配する絶対的なものは存在しなかったのであろうか。

 或る限定された時代に生きる限り、人はその時代の風習、慣習、制度、 倫理、信仰に支配される。が、中にはこういった制約から限りなく自由であろうとする人もいる。ロジオンが規定した非凡人の範疇に属する人がそれである。ロジオンは結果として凡人の範疇に属する人であったが、犯行以前は自分を絶対者として自己規定していた。〈ロジオン〉(Родион)という名前は〈薔薇〉を意味し、これは〈美・力・聖〉を意味する。〈イロジオン〉(Иродион)は〈英雄〉を意味する。フルネーム〈ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ〉(Родион Романович Раскольников)は〈РРР=666〉で〈悪魔〉を意味する。光源氏をロジオンに重ねて読み込んでいくと、物語の深層に潜んでいるものが浮き彫りになってくるように思える。

 ロジオンは二百年の歴史を持ったラスコーリニコフ家の出身者であるが、光源氏天皇家の血筋を引く紛うことなき選ばれた者である。この選ばれし光源氏はすべてが許されている存在として誕生してきたのかも知れない。

 王命婦を検証する上で荼枳尼天と習合した稲荷神の使いが狐であるという説も興味深い。狐は狡猾という次元を超えた夜叉神であり祟り神であると見ると、王命婦は一挙に畏怖すべき存在へと変容する。まさに藤壷と光源氏を契りの場に手引きする存在に相応しい異形なる貌を見せ始める。

 さて、話を現実的な次元に戻して「藤壷」を見ることにしよう。瀬戸内寂聴が描く王命婦はまず何よりも一人の女房であり女である。光源氏と肉体関係を結んでしまった後の王命婦は、十歳の年の差を越えて光源氏の魅力にとらえられてしまった女である。光源氏が誰よりも藤壷に愛情を向けていることを知っていながら、王命婦は何度も光源氏と契りを交わしている。王命婦の心の内に光源氏を独占したいという思いも生じてきたに違いない。が、光源氏が王命婦を抱くのは、藤壷に手引きをしてもらいたいが故なのである。女としての王命婦の葛藤、嫉妬はどれほどであったろうか。

 しかし、決断しなければならない時がやってきた。王命婦光源氏に対する思いを断ち切り、〈極悪道〉への途へと踏み込む決意をする。瀬戸内寂聴は決意した女の毅然とした姿を端的に描いている。深い迷いと激しい葛藤に決着をつけた女の姿は凛々しいのだ。決断した王命婦の姿に作者瀬戸内寂聴の思いが見事に重なった場面と言えよう。 

文学の交差点(連載23)■『源氏物語』における描かれざる重要場面  ――光源氏における〈アレ〉とロジオンの〈アレ〉――

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清水正

■『源氏物語』における描かれざる重要場面

――光源氏における〈アレ〉とロジオンの〈アレ〉――

 ロジオン・ラスコーリニコフは「わたしに本当にアレができるだろうか」と考えていた。〈アレ〉は表層的次元では〈高利貸しアリョーナ殺し〉であるが、その背後に〈皇帝殺し〉が潜んでいた。光源氏にロジオンと同様の思弁を与えれば、彼もまたロジオンのように危険な自己問答を繰り返したに違いない。光源氏の〈アレ〉とは〈藤壷〉との〈契り〉であり、それは同時に父桐壷帝に対する明白な〈裏切り〉である。まさに瀬戸内寂聴描くところの王命婦が口にした人の道、仏の教えに叛いた〈極悪道〉そのものである。

罪と罰』の読者は主人公ロジオンの悩ましい内心の動きにぴったりと付き添いながら読み進んで行く。当初、一人称小説の体裁で構想されていた『罪と罰』は、作中で示された主人公を意味する〈彼〉や〈ラスコーリニコフ〉をすべて〈私〉に置き換えて読むことができる。カメラが主人公の両眼に張り付いていて、このカメラは主人公がとらえる外的世界のみならず主人公の内的世界をも明確にとらえる。読者はあたかも主人公ロジオンに化身したかのようにして作品世界に参入し、ロジオンと共に世界を体験するのである。

 さて『源氏物語』の場合はどうだろうか。光源氏と藤壷の最初の〈契り〉の場面、その人として絶対に犯してはならない〈不義密通〉の場面、作品全体の流れから見て最も重要な場面が、なんと『源氏物語』の中で描かれていないのである。すでに見た通り、この描かれざる光源氏と藤壷の最初の〈契り〉は「若紫」で暗示的に触れられているだけなのである。

罪と罰』ではロジオンの〈アレ〉(最初の踏み越え=高利貸しアリョーナ殺し、と彼女の腹違いの妹リザヴェータ殺し)は具体的にリアルに描かれている。ドストエフスキーは〈アレ〉(殺し)の現場を客観的に描くと同時に、ロジオンの内部世界にも照明を当てている。従って『罪と罰』の読者は誰でも〈アレ〉の生々しい現場に立ち会うことが出来、この小説における〈アレ〉の重要性を見逃すことはない。読者はロジオンが〈アレ〉に至るまでの煩悶、葛藤、迷いを彼とともに体験し、ロジオンと共に二人の女の頭上に斧を振り下ろし、そして〈アレ〉以降のロジオンの内的闘争と苦悩をもまた彼と共に体験することになる。『罪と罰』を読むとは一種の体験、否、実存的な体験そのものなのである。  

文学の交差点(連載22)■〈不義密通〉を手引きした王命婦の弱さ、したたかさ

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

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清水正

■〈不義密通〉を手引きした王命婦の弱さ、したたかさ

 瀬戸内寂聴光源氏によって無理矢理関係を結ばれてしまった王命婦の、女としての、女房としての、人間としての悩み、葛藤を端的に表現している。王命婦は藤壷に仕える誠実な一女房としての役割を大きく逸脱する。そのきっかけを作ったのは光源氏その人である。光源氏の罪は途方もなく深い。が、はたして光源氏はその罪の深さを本当に自覚していたのだろうか。光源氏というこの選ばれし男は、罪の河を軽々と渡ってしまうようなところがある。ロジオン・ラスコーリニコフが二人の女を殺しながら遂に〈罪〉(грех)の意識に襲われなかったように、光源氏もまた罪の意識からあらかじめ解放されているようなところが感じられる。

  王命婦は藤壷に仕える女房である。この女房にどのような男遍歴があったのか。紫式部はいっさい触れず、瀬戸内寂聴もまたそこまで踏み込んではいない。『源氏物語』で描かれている王命婦は藤壷に光源氏を手引きしたというその事実だけが簡潔に報告されているだけである。帝の后藤壷と帝の息子光源氏の〈不義密通〉という余りにも恐るべきタブー侵犯に王命婦は手を貸してしまった。なぜこのような恐るべきことを成し得たのか。はたして王命婦光源氏の性的魅力に屈しただけなのであろうか。

 瀬戸内寂聴描く王命婦は一人の女として光源氏の性的魅力の虜になりながらも、〈手引き〉に関してはなお決断しきれないでいる。光源氏との性的関係を通して王命婦は確かに女としての反応を示している。藤壷に深い思いを寄せる光源氏に王命婦は女としての執着を感じ始めている。が、女の喜びを誰よりも感じさせてくれた光源氏の願いをむげに拒み続けることもできない。ここに女としての王命婦の新たな葛藤も生じる。光源氏を藤壷に手引きするというタブーを敢えて犯すことで、光源氏とさらに強く結びつこうとする心理も働く。光源氏の願いを拒めば、光源氏は愛想を尽かして彼女から去っていくかもしれない。理性と分別にとどまって冷静な判断をくだせば、光源氏が藤壷との逢瀬を諦めて去ってくれるのが最も好都合である。が、王命婦光源氏の願いを断固として拒み続ける意志を保持することができなかった。

 王命婦光源氏から嫌われること、愛想を尽かされることを恐れてしまった。だからこそ、王命婦光源氏の藤壷に対する変わらぬ思いを確認し、〈手引き〉はあくまでも光源氏の意志によって遂行したのだという弁明を予め得ようとする。ここに王命婦の狡さがありしたたかさもあるが、同時に光源氏に惚れてしまった女の弱さも露呈している。女一人の判断で大それた〈不義密通〉の手引きなど出来うるはずもない。王命婦光源氏の言質をとることで、まずは光源氏と〈不義密通〉の共犯者となったのである。 紫式部は〈不義密通〉を手引きした王命婦の内面に深く参入することはなかったが、瀬戸内寂聴は「藤壷」で小説家としての想像力を駆使して王命婦の内心に迫っている。王命婦は五回も光源氏と契りを交わしながら、なお光源氏の要請に応えようとはしていない。光源氏が五回も王命婦と契りを交わしたということの意味を王命婦はきちんと受け止めている。王命婦光源氏の〈妻〉となったも同然なのである。だからこそ王命婦は改めて光源氏の気持ちを確認せずにはおれない。 「ようございますか。この企ては、人倫の道にも仏の道にも叛いた極悪道でございます。生きて露見すれば只事ではおさまりますまい。万に一つもあの世まで秘密が保たれたなら、無間地獄へ投げこまれましょう。今ならまだ思い返すことが出来ます。いかがなさいますか」この言葉は限りなく重い。王命婦光源氏を藤壷に手引きすることが人倫と仏の道に叛いた〈極悪道〉であることを十分に自覚している。ここで瀬戸内寂聴は〈背いた〉ではなく〈叛いた〉と書くことで、〈極悪道〉を犯す者、すなわち光源氏の〈意志〉を強調している。

 王命婦にしてみれば、光源氏と〈妻〉のような関係になることは許容できても、〈手引き〉という〈極悪道〉に一歩を踏み出すことには依然として強い抵抗があった。出来れば〈手引き〉は回避したい、これが王命婦の正直な思いであったろう。が、ついにこのような言葉を発せざるを得なかったのは、光源氏が執拗に〈手引き〉を請い続けたからである。

 光源氏は応える「くどい。これほど恋いこがれたあのお方と想いを遂げられないこの世こそ、地獄でなくて何であろう。邪恋の炎に包まれているこの現世こそ焦熱地獄の責め苦でなくて何であろう。思い直したりするものか」。このセリフを王命婦と少なくとも五回は契りを結んだ男が発しているのである。余りにも残酷で無神経なセリフとも受け取れるが、光源氏とはそもそもそういう男であったのだと見ることもできる。

 わたしなどは『虐げられた人々』のアリョーシャ・ワルコフスキーを連想する。婚約者ナターシャの前で、貴族令嬢カーチャへの恋情を正直に無邪気に語る、軽佻浮薄で無垢な若者アリョーシャは自分の正直な嘘偽りのない告白によって眼前の婚約者がどれほどの悲しみに襲われるかを配慮できない。ドストエフスキーはこのアリョーシャ・ワルコフスキーの造形によって純粋無垢の残酷さを徹底的に描ききった。この人物は、ドストエフスキーが真実美しい人間の創造を目指したという『白痴』のムイシュキン公爵の前身的存在であり、光源氏という人物に照明を与える上で参考になる。  はたして光源氏は王命婦の言う〈極悪道〉を彼女と同様に自覚していたでのであろうか。『源氏物語』に描かれた光源氏の言動を全般的に見ると、彼は罪意識を予め免除された特別な人間のように感じられる。この点に関してはこれから様々な角度から照明を当てていきたいと思っている。

文学の交差点(連載21)■藤壷と光源氏のその後 ■王命婦と光源氏の契り

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載21)

清水正

■藤壷と光源氏のその後 

  源氏の君は二条の院にお帰りになって、泣きつづけながら、終日お寝みになってお過しになられました。

  お手紙をさし上げても、いつものように藤壷の宮は、お手にもとって下さらないと、王命婦から伝えられておりますので、お返事がないのはいつものことながら、今朝ばかりはあまりに辛くて、悲しさの余りしおれきって、宮中へもお上がりにならず、そのまま二、三日籠もりつづけていらっしゃるのでした。

  帝が、これはまたどうしたことかと、御心配遊ばされるにちがいないと思われるにつけても、犯した罪をひたすら空恐ろしいこととお思いになります。

  藤壷の宮も、やはり何という情けない宿世の身の上なのかと痛感され、嘆き悲しまれますので、御病気もまたひとしおお悪くなられたようでした。早く参内遊ばすようにと、帝からのお使いがしきりにございますけれど、とてもそういうお気持にもおなりになれないのでした。たしかに今度の御気分の悪さはいつもとは様子が違っているように思われるのは、どうしたことかとお考えになりますと、もしやと、人知れず思い当たられることもおありなので、いっそう情けなくお辛くて、この先どうなることかとばかり、心も千々に乱れ苦しんでいらっしゃいます。

  暑い間はなおさら起き上がることもお出来になりませんでした。御懐妊も三月になられますと、もうはっきりと人目にも分るようになって、女房たちがそれをお見かけして怪しみますので、こんなことになった御身の御宿世をつくづく浅ましくお辛くお嘆きになられるのでした。

  まわりの女房たちは、源氏の君との密か事などは思いも寄らないことなので、  「この月まで、どうして帝に御懐妊のことを御奉上なさらなかったのでしょう」   と、不審に思っています。藤壷の宮お一人のお心の中では、はっきりと源氏の君のお子を宿したと思い当たられることもおありなのでした。

  お湯殿などにもお側近くお仕えしていて、藤壷の宮のどのようなお体の御様子もはっきり存じあげている乳母子の弁や、例の王命婦などは、さてはと思うものの、お互い口にすべきことでもありませんので、こうなったのはどうしてものがれることのお出来にならなかった御宿縁だったのだと思い、王命婦は呆れ恐れるばかりでした。

  帝には、物の怪のせいでまぎらわしくて、御懐妊のしるしも、すぐにははっきりしなかったように奉上なさったのでございましょう。周囲の女房たちもみんな、そうとばかり信じていました。(「若紫」巻一・285~287)

 

■王命婦光源氏の契り

源氏物語』の中には題名だけ存在する帖「輝く日の宮」(「かかやく日の宮」)がある。もともと紫式部によって書かれた本文があったのかなかったのか諸説あるが確定的なことは分からない。藤原定家はこの帖は初めからなかったという説、小説家の丸谷才一藤原道長一条天皇の思いを忖度して削除したとみて自らこの帖の創作を試みた。瀬戸内寂聴も藤壷と光源氏の契りの場面を紫式部が書かなかった筈はないという思いをこめて「藤壷」を書いている。瀬戸内寂聴は王命婦光源氏の間に肉体関係があったという前提のもとに「藤壷」を書いている。
源氏物語』研究は膨大な量に達しているが、おそらく王命婦光源氏の肉体関係について触れたものはこれが最初なのではないかと思う。『源氏物語』の闇は深く、千年過ぎた今日においても明るみに浮上してこない謎の数々が潜んだままである。まずは瀬戸内寂聴の「藤壷」における瀬戸内寂聴の想像・創造を確認しておくことにしよう。

  破れ築地の中へ分け入った源氏の君は、腰を掩うほどの八重葎を払いながら進んでいくと、すぐ草陰から紙燭の灯りがさしのべられました。この邸の留守役の老婆がその紙燭を握っているのでした。耳がほとんど聞えないので、言葉はなく、無言で足許を照らし、歩むうちに、ある場所でふと立ち止まると、す早く老婆は紙燭を持ったまま去って行き、源氏の君ひとり闇の中に取り残されました。低く咳をすると、目の前の戸が細く引き開けられ、ほの暗い灯の光が洩れてくる部屋の中へ、源氏の君は手を取られ、引きあげられていました。
  すぐ背後の戸が閉まりました。部屋の内にはほのかに香がたかれ、屏風や几帳も上品なもので、壁ぎわの厨子や楽器なども趣きのあるものが揃っています。
  灯に顔をそむけるようにして坐った女を、源氏の君は性急に言葉もかけずに押し倒しました。女は抵抗も見せず、源氏の君の若さの余りの猛々しさにも臆する様子もありません。
  年かさと見える女は、黒髪が豊かで、眦の上ったきつい顔つきをしています。輝く日の宮として帝の御寵愛の並びない藤壷の宮に、最も身近くお仕えしている王命婦という女房でした。
  命婦は宮の亡き母后の遠い縁の端につながった家系だというので、親に死なれた薄倖な身の上を憐れまれ、引き取って育てていただき、宮のお守り役としてお仕えしていたのでした。
  母后亡き後は、帝に望まれて入内した宮とともに内裏にお仕えしています。(「藤壷」講談社文庫。35~37)
 
命婦光源氏の最初の肉体関係の描写が余りに簡単なので驚くが、瀬戸内寂聴なりの理由と工夫があるのだろう。一つは紫式部の作風に限りなく合わせようとする意向があり、ひとつは王命婦光源氏の契りに至るまでの根回しが行き届いていたということである。光源氏のおしのびの夜歩きには必ず惟光がお供しているが、彼の母は光源氏の乳母であり、二人は主従を越えて深い親密な関係を結んでいた。光源氏が王命婦と契りを結ぶに当たっても惟光がぬかりなく手回しをしていたということである。
 それにしても近代文学の心理分析描写に親しんできた者には、ここで描かれた王命婦光源氏の契りの場面は余りにもあっけなく感じられるのは否めない。瀬戸内寂聴は三ページ後に次のように書いている。

  王命婦はようやく果ててしまったようでした。真珠も瑪瑙も、渡りの絹や錦も、手に入れがたい香木も、どれ一つ欲しがらぬ女を屈服させるのは、この方法しかなかったのでした。事実、体で結ばれてしまえば、どの女もみなどのような要求にも応じてくれるということを源氏の君は覚えました。
 「それでもきっとお見捨てにならないなら……」
  女たちはそれに対する源氏の君の答えを信じているわけでもないのに、必ずそうつけ加えて、一応誓いのことばを聞きたがります。
  王命婦はさすがにそんな他愛もない誓いを要求はしませんでした。その替り、はじめての交じわりの後で、源氏の君の手をしっかりと自分の胸に押し当て、眦をさけるほど見開いて、真正面から男君の双の目の中を見据えました。
 「ようございますか。この企ては、人倫の道にも仏の道にも叛いた極悪道でございます。生きて露見すれば只事ではおさまりますまい。万に一つもあの世まで秘密が保たれたなら、無間地獄へ投げこまれましょう。今ならまだ思い返すことが出来ます。いかがなさいますか」
 「くどい。これほど恋いこがれたあのお方と想いを遂げられないこの世こそ、地獄でなくて何であろう。邪恋の炎に包まれているこの現世こそ焦熱地獄の責め苦でなくて何であろう。思い直したりするものか」
 「わかりました。すべては前世からの因縁でございましょう」
  そういう会話を交してからも、はや三月が過ぎています。
  王命婦とこういう時を分ち合ったのも五度めになります。それでもまだ一度のよい首尾も与えられてはいないのです。(40~42)

    ここに引用した最初の一行目に王命婦光源氏の激しい契りの場面が浮かび上がる。王命婦には特定の男がいたわけではないから、光源氏との性的関係は実に久し振りであったと思われる。「王命婦はようやく果ててしまったようでした」とは、王命婦がエクスタシーに至るまでの光源氏の執拗な愛撫とテクニックを十分に伺わせる。もしかしたら王命婦は一度ならず何度も絶頂に達したのかもしれない。どのような高価な贈り物でも手引きを承諾しなかった王命婦に対して、光源氏が最後にとった手段が強姦まがいで契りを結ぶことであった。光源氏は自分の生来の魅力、女性に与える性的魅力を十分に自覚している。光源氏のいきなりの押し倒しが強姦罪として摘発されないのは、結果として相手の女性が体感的に納得させられてしまうからである。
 王命婦光源氏より十歳年上、今でいう熟女にあたる。たとえ意識が光源氏を拒んでも体が光源氏の若く猛々しい愛撫に反応してしまう。一度「果ててしまった」王命婦光源氏の魔力から抜け出すことはできない。ここに王命婦の描かれざる煩悶、葛藤が渦巻くことになる。当時、女の元に三日続けて通えば夫婦として認められた。が、王命婦光源氏と五回契りを結んでさえ、手引きを承知していない。王命婦の迷い、葛藤の深さが伺いしれる。
 瀬戸内寂聴光源氏によって無理矢理関係を結ばれてしまった王命婦の、女としての、女房としての、人間としての悩み、葛藤を端的に表現している。王命婦は藤壷に仕える誠実な一女房としての役割を大きく逸脱してしまったのである。

文学の交差点(連載20)■王命婦と女房たち

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載20)

清水正

■王命婦と女房たち

    藤壷が実家に戻った時に何人の女房たちが付いてきたのか、王命婦とその他の女房たちの関係も描かれていないので、実際のところは闇に包まれている。しかし常識的に考えれば帝の后藤壷が里帰りするにあたって王命婦一人が付き添っていたなどということはまずあり得ない。藤壷の世話をする何人かの女房たちがおり、その中で藤壷の最も信頼の篤かったのが王命婦であったということであろう。従って、光源氏が王命婦に藤壷への手引きをしつこく頼んでいたことは、ほかの女房に知れていた可能性が高い。おそらく女房たちは王命婦が最初のうちは手引きを断固として断っていたこと、しかしついに光源氏の執拗な願いに屈服せざるを得なかった、その秘密(王命婦光源氏と肉体関係を結んだこと)をも知っていた可能性が強い。

 女房たちの耳や眼は現代の電子機器よりもはるかに精度が高いと思って間違いはない。ただし彼女たちは知らんぷりの達人でもある。王命婦の〈秘密〉を彼女たちはわが秘密のごときものとして内心深くに埋め込むのである。こういった不文律の掟を守ることによって女房たちは後宮務めを全うすることができる。それにしても藤壷と光源氏はもとより、王命婦と女房たちも恐るべき秘密を抱え込んでしまったということになる。