文学の交差点(連載19)■王命婦と『オイディプス王』  ――光源氏、藤壷、王命婦の〈裏切り〉劇の内実――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載19)

清水正

■王命婦と『オイディプス王

 ――光源氏、藤壷、王命婦の〈裏切り〉劇の内実――

 光源氏、藤壷、王命婦の〈裏切り〉劇の内実は探れば探るほど闇の領域を拡大していくことになる。わたしは光源氏と桐壷帝の関係も解きがたい謎を潜めていると思っているが、このことに言及する前に、も少し王命婦に執着してみたい。

 かつてソポクレスの『オイディプス王』について批評した時、わたしが二十歳の頃に観てたいへん衝撃を受けた映画『アポロンの地獄』(原題『Edipo Re』一九六七年製作。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督・脚本)について触れた。パゾリーニの『アポロンの地獄』を観て、わたしはアポロンの神のオイディプスに対する神託(運命・必然)の絶対性を強く感じたが、四十年後に観直した時には監督の独自の解釈を面白いと思った。

 パゾリーニオイディプスとイオカステの愛撫シーンをライオスとイオカステのそれに重ねている。よほど感性の鈍い観客を別とすれば、息子オイディプスと夫ライオスの愛撫の仕方はそっくりだということが分かる。これはどういうことか。つまりイオカステは現在の夫オイディプスが息子オイディプスであることを全身で感じ取っていたということである。なにもかも知っていたイオカステが、ことの真実が判明するまで完璧に知らんぷりを決め込んでいたということ、このことが理解できないと『オイディプス王』の深淵に触れることはできない。さらに〈ことの秘密〉(オイディプスが父ライオス殺しの張本人であり、母であるイオカステと結婚していること)を知っていたのは一人イオカステだけでなく、彼女の弟クレオン、神官たち、そしてテーバイの国民の多くもそうであったということである。

 ライオスはアポロンの神に「生まれてくる息子はおまえを殺し、妻と情を結ぶであろう」と宣告される。ライオスから神託を聞いたイオカステはオイディプス殺害を召使いに命じる。召使いは殺すことができず隣国の羊飼いに赤ん坊を託す。そのことでオイディプスは一命をとりとめる。わたしがここで問題にしたいことは、イオカステの妊娠、出産を知っていた侍女たちのことである。無事に生まれた赤ん坊が突然姿を消せばそのことに疑問を持たないものはいまい。それにライオスに下されたアポロンの神の神託がライオス以外の誰にも知られなかったなどということもあり得ない。神託が下された時点で多くの神官たちがその呪われた神託の内容を知っていたはずである。これ以上詳しく語ることもないだろう。オイディプス王の秘密は城の内外においてすでに知られており、その秘密を知ったものたちが共通してだんまりを決め込んでいたということである。

文学の交差点(連載18)■王命婦を口説き落とした光源氏の〈力〉(美と光)

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文学の交差点(連載18)

清水正

■王命婦口説き落とした光源氏の〈力〉(美と光)

 王命婦をどのように見るか。巧妙でしたたかな一筋縄ではいかない女房と見るか。それとも藤壷を一番に考え仕える誠実な侍女と見るか。今までの見方によれば王命婦は後者のイメージが強かったように思える。桐壷帝に対する〈裏切り〉も、藤壷の光源氏に寄せる深い思いを忖度すれば許されるのではないかという見方である。しかしこの見方は余りにきれいごと過ぎるというのも否めない。

 帝の絶対的権威を考えれば、藤壷に光源氏を手引きすることの罪は計り知れない。一女房でしかない王命婦にとって光源氏を藤壷に手引きすることは、想像を絶するほどの大冒険であったはずである。にもかかわらず、なぜ王命婦はこのような危険なことを敢えて引き受けたのか。いろいろ考えられるが、まず言えることは光源氏の何か言いようのない力である。光源氏という男は何か彼自身にさえ明確でない妖しい力が生まれながらにして備わっている。この力が発揮されるとき、相手はその力に抗することがひできなくなってしまう。

 ふつうに考えれば、一女房でしかない王命婦が、帝の后藤壷に帝の息子光源氏を内密に手引きするなどということは百パーセント考えられないことである。このあり得ないことをあり得ることにしてしまう力が光源氏にはあったということである。光源氏の力とは何か。まず考えられることは〈美〉である。光源氏の〈美〉は〈光〉であり、ある種、人知を越えた〈力〉を発揮するのである。王命婦が保持していた女房としての健全な常識、分別を破壊する力を光源氏は備えていたと見るほかはない。 王命婦の手引きに隠された意味を考えていると、そこに女の力を感じざるを得ない。女にもさまざまな女がいるから一概には言えないにしても、女には男には到底理解しがたい、権威・権力に支配されない無垢と言えるような力が発揮されることがある。『源氏物語』の時代も千年後の今の時代も、大半の男は権威・権力の前に従順である。特に組織の中に生きる男は極力自分自身の意見を抑え込んで何事に関しても無難にやり過ごそうとしている。ところが女の場合は、こういった男たちとは違って腹を括って事に当たる者がいる。その一人が王命婦である。

 ふつうに考えれば、光源氏を藤壷に手引きするなどという大それたことをするはずはない。が、王命婦は同性の女としての藤壷の内心に深く感応してしまった。五つ年下の弟のような光源氏に男を感じてしまった藤壷の内心に感応した王命婦であるからこそ、後先を考えずに、男の論理に照らせば余りにも軽はずみな行動(手引き)に走ってしまったという事になる。謂わば藤壷も王命婦も〈今〉を生きる女であったということである。

 わたしが今まで批評してきた、阿部定アンナ・カレーニナ、オーレンカ(チェーホフ作『かわいい女』の主人公)は激しくせつなく〈今〉を生きた女たちであった。人間である限り、だれでも〈過去〉にこだわり、〈未来〉に様々な思いをたくすが、しかし何よりも〈今〉を優先する女たちがいる。もし王命婦が未来の発覚を恐れれば、光源氏を藤壷に手引きすることはあり得ない。否、も少し正確な言い方をすれば、王命婦光源氏の力によって未来の発覚の恐怖を抑え込まれてしまったのである。

 阿部定における石田吉三、アンナ・カレーニナにおけるヴロンスキー、オーレンカにおける結婚相手(彼女の場合、複数存在したがいずれもその都度唯一絶対的な存在と見なされる)のように、王命婦にとって光源氏は絶対的な男であり、ひとたび光源氏を受け入れればもはやその魅力の圏外へ逃げ出すことはできない。これは藤壷にとっても同じことである。

 桐壷帝の后である藤壷は、もちろん王命婦よりはるかに〈裏切り〉を重く受け止めている。にもかかわらず、藤壷は光源氏を受け入れてしまう。少なくとも描かれた限りでみれば二回は契りを結んでいる。要するに、光源氏という存在がなければ藤壷、王命婦女二人の帝に対する〈裏切り〉は成立しようがなかった。とすれば、藤壷、王命婦以上に光源氏の罪は重いということになる。

文学の交差点(連載17)■最初の不義密通をめぐって

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

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文学の交差点(連載17)

清水正

■最初の不義密通をめぐって

 桐壷帝の后藤壷と桐壷帝を父に持つ光源氏が契りを結ぶということはあってはならない一大事である。しかしこの一大事である最初の不義密通がいつどこでどのようにして行われたのかを作者はあいまいにしか報告していない。一回目も二回目もおそらく王命婦が手引きしたのであろうが、王命婦はこんな危険なことをどうして二度にわたって引き受けたのか。藤壷の秘められた内心を深く汲み取った上でのこととしても、大胆な手引き、本来絶対にあってはならない手引きであったことに間違いはあるまい。

 最高の権威者権力者である帝を后の藤壷が、息子の光源氏が、そして一女房でしかない王命婦が裏切っている。この〈裏切り〉はギリシャ悲劇『オイディプス王』における〈父殺し〉と〈母との合一〉に匹敵する大問題である。が、『源氏物語』において后と息子による帝に対する〈裏切り〉は『オイディプス王』に比べるとはるかに軽く扱われているように感じられる。これは作者が藤壷、王命婦および光源氏の内心に深くこだわらなかったことに起因する。さらにこの〈裏切り〉に対する桐壷帝の態度をきわめてあいまいに処理していることにも起因していよう。はたして桐壷帝はこの〈裏切り〉をまったく知らなかったのか、それとも知っていて完璧に知らない振りを貫いたのか。いずれにせよ、作者は藤壷、王命婦光源氏のそれと同様、桐壷帝の内心に深く立ち入ることをしていない。

 人物たちの内心に迫ろうとすれば、読者が想像力を働かせるほかはない。〈裏切り〉の当事者である藤壷と光源氏はもとより、そこに手引きした王命婦を加えてみると、この〈裏切り〉は果てしなく複雑な様相を呈してくる。もし王命婦光源氏が肉体関係を結んでいたとすれば、藤壷の王命婦に対する感情は微妙である。藤壷と王命婦の関係は深い信頼によって結ばれていたであろうが、王命婦が手引きした後では光源氏を間に挟んで微妙な感情に支配されたであろう。三人で仲良く性愛関係を持とうというのなら別だが、そうでなければ嫉妬が起こり、そこから憎悪や殺意に発展するのが人間心理というものである。それに藤壷にとって王命婦は帝に対する〈裏切り〉という一大秘密を握った存在でもある。こういった存在が最も胡散臭い忌避すべき存在と化すのは目に見えている。が、秘密を握っている王命婦との関係を完璧に絶つことはできない。藤壷の葛藤、ジレンマが心の病を引き寄せることは避けられない。

文学の交差点(連載16)■王命婦と光源氏

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載16)

清水正

■王命婦光源氏

 藤壷に仕える一女房でしかない王命婦が、光源氏を藤壷のもとに手引きするなどという大胆不敵なことがどうしてできたのか、作者の言葉だけではとうてい納得が行かない。

 納得するためには、まずは藤壷と光源氏の内的関係を緻密に描かなければならない。次に藤壷と王命婦の関係にじっくりと照明を当てる必要がある。さらに王命婦光源氏の関係に迫っていかなければならないだろう。どれをとっても、詳細に見ていけばそれだけで一編の小説ができあがるだろう。ここでは王命婦光源氏に照明を当ててみたい。

 光源氏はどんなに藤壷に思いを寄せても直接彼女に会うことはできない。藤壷に何人の女房たちが付いていたのか分からないが、描かれた限りで想像すれば、王命婦ひとりが取り次ぎ役を果たしていたことになる。名前に〈王〉がついているくらいだから身分の高い家柄であったろうし、藤壷の厚い信頼を得ていたことも確かである。だからこそ光源氏はほかの女房には目もくれず、ひたすら王命婦に藤壷との逢瀬を執拗に頼み込んだのである。言葉だけでなく様々な贈り物など、あらゆる手段を講じたに違いない。が、ことの大事を知り尽くしている王命婦光源氏の必死の頼みも拒んだであろう。最後の手段として、光源氏は王命婦と契りを結んだことが考えられる。

 目的を達するためには手段を選ばず、光源氏は自分の男としての魅力を知り尽くしていたから王命婦を誘惑することで願いを叶えようとしたとしても不思議ではない。王命婦が何歳なのかは不明だが、おそらく光源氏よりは年上であったろう。光源氏に執拗に追い廻され、藤壷との逢瀬取り次ぎをせがまれているうちに王命婦自身が光源氏の魅力に心動かされていた可能性も大きい。否、そうでなくては王命婦の最終的な決断を理解することははなはだ困難である。

 藤壷ですら桐壷帝を裏切って光源氏と契りを結んだその事実を冷徹に直視すれば、女房である前に一人の紛れもない女である王命婦光源氏口説きに屈しなかったなどとは思えない。女と男の関係を結んだ王命婦の内面に想像をたくましくすれば、余りにも屈折した心理心情が浮上してくることになる。

 契りを結んでみれば、王命婦もまた光源氏に深く魅惑されたであろう。一人の女として光源氏を藤壷に取り次ぎたくないと思うのは当然である。しかし、光源氏を受け入れてしまったことで、光源氏の本来の願いを叶えてやらなければならない。王命婦光源氏の魅力に呑み込まれた女として見れば、この葛藤は凄まじかったずである。

 いずれにせよ、王命婦光源氏を藤壷に取り次ぐことになる。取り次ぐにあたって王命婦は、そのことの正当性を自らに納得させなければならない。表沙汰になればどんな弁解も通用しない不義密通を手引きした罪は重い。この重圧に耐えられる自己正当化として王命婦が考えたことは、藤壷の秘められた光源氏に対する熱い思いを忖度したということである。結果として藤壷は光源氏の求愛を受け入れたのであるから、手引きした王命婦のみに罪をきせることはできまい。藤壷が毅然として光源氏を拒み続ければ、いくら強引な光源氏といえども契りを結ぶことはできなかったのではないかと思う。

 藤壷に何人の女房がついていたのかは不明だが、闇の中で不審な声や物音がすれば、だれかには気づかれ怪しまれるであろう。王命婦ひとりがどんなに配慮し、手引きしても、ほかの女房たちの目を覆い耳を塞ぐことはできない、まして彼女たちの口を閉ざすことはできないのである。

 作者は藤壷と光源氏の不義密通の場面を具体的に描いていないので、読者が勝手に想像するしかないのだが、この密通がばれない程度の拒みしか藤壷はしなかったということであろう。そうであれば、王命婦は藤壷が抑圧していた光源氏に対する思いを十分に酌んだ上での手引きということになり、言わば〈不義密通〉に関する共犯者ということになる。

 テキストの表層だけを読めば、〈不義密通〉は当時者の藤壷と光源氏、それに手引きした王命婦の三人だけが知っていることになる。が、こんな読みの次元にとどまっていたのでは『源氏物語』の面白さを満喫することはできないだろう。ドストエフスキーの文学を半世紀に渡って読み続けてきた者にとって『源氏物語』は異様なほど面白い。藤壷にしろ王命婦にしろ、彼女たちの肖像はほんのわずか、その輪郭ぐらいしか描かれていない。彼女たちの抱えている闇は深く、作者の闇はさらに深い。照明の光を瞬時に吸収してしまう無限の奥行きを感じさせる。

 参考【女房】(ウィキペディアより)

 平安時代から江戸時代頃までの貴族社会において、朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人。女房の名称は、仕える宮廷や貴族の邸宅で彼女らにあてがわれた専用の部屋に由来する。

 もっぱら主人の身辺に直接関わる雑務を果たす身分の高い使用人であり、場合によっては乳母、幼児や女子の主人に対する家庭教師、男子の主人に対する内々の秘書などの役割を果たした。主人が男性の場合には主人の妾(召人)となったり、女性の場合には主人の元に通う男と関係を持つことが多く、結婚などによって退職するのが一般的であった。

 尚、内裏で働く女房のうち、天皇に仕えるのは「上の女房」(内裏女房)と呼ばれる女官で、後宮の后(ひいてはその実家)に仕える私的な女房とは区別される。 後宮の后に仕える女房である「宮の女房」のほとんどが、后の実家から后に付けられて後宮に入った人々で、清少納言紫式部なども女叙位は受けていたものの、この身分であったと考えられている。

文学の交差点(連載15)■光源氏と藤壷の関係をめぐって

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文学の交差点(連載15)

清水正

光源氏と藤壷の関係をめぐって

        藤壷の宮のお加減がお悪くなられて、宮中からお里へお下がりになられました。

        帝がお気をもまれ、御心配遊ばしてお嘆きになる御様子を、源氏の君は心からおいたわしいと拝しながらも心の一方では、

 「こんな機会を逃していつお逢い出来よう」

  と、心も上の空にあこがれ迷い、ほかの通いどころへは、どこへもいっさいお行きにならず、宮中でもお邸でも、昼はぼんやりと物思いに沈み、日暮れになれば、藤壷の宮の女房の王命婦に、逢瀬の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人の目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした。

  源氏の君は夢の中にまで恋いこがれていたお方を目の前に、近々と身を寄せながらも、これが現実のこととも思われず、無理な短い逢瀬が逢瀬がひたすら切なく、悲しいばかりです。

  藤壷の宮も、あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬をお思い出しになるだけでも、一時も忘れられない御悩みにさいなまれていらっしゃいますので、せめて、ふたたびはあやまちを繰り返すまいと、深くお心に決めていらっしゃいました。   それなのに、またこのようなはめに陥ったことがたまらなく情けなくて、耐えがたいほどやるせなさそうにしていらっしゃるのでした。

  それでいて源氏の君に対しての御風情は言いようもなくやさしく情のこもった愛らしさをお示しになりす。そうかといって、あまり馴れ馴れしく打ち解けた様子もお見せにならず、どこまでも奥ゆかしく、こちらが気恥ずかしくなるような優雅な御物腰などが、やはり他の女君とは比べようもなく優れていらっしゃいます。

 「どうしてこのお方は少しの欠点さえ交じっていらっしゃらないのだろう」

  と、源氏の君は、かえって恨めしくさえお思いになられるのでした。

  心につもるせつない思いの数々の、どれほどがお話出来ましょうか。

  源氏の君はこの夜こそは、永久によるの明けないという〈暗部の山〉にでもお泊まりになりたそうなお気持ですけれど、あいにくの夏の短夜は、早くも白みはじめ、あきれるほど物思いがつのり、これではかえってお逢にならないほうがましなくらいの、悲しい逢瀬なのでした。

  見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに

       やがてまぎるるわが身ともがな   ようやくお逢いできたものの              再びお目にかかれる夜は        ありそうもないのだから                      いっそ嬉しいこの夢の中で        わたしはこのまま消えてしまいたい

  と、涙にむせかえっていらっしゃる源氏の君の御様子も、藤壷の宮はさすがにお可哀そうでいたましく、

  世語りに人や伝へむたぐひなく

       憂き身をさめぬ夢になしても        後々の世まで        語り草にされないかしら        またとはないわたしの辛い身を        たとい永久に覚めない        夢の中に消してしまっても

  とお返しになり、お悩みのあまり取り乱していらっしゃる藤壷の宮の御様子も、ごもっともなことなので、恋は理性を失った源氏の君のお心にももったいなく感じられるのでした。

  王命婦が、源氏の君の脱ぎ捨てておかれていた御直衣などを、かき集めて御帳台の内に持ってまいりました。(巻一 282~285)

 

  光源氏と藤壷の関係はどこまで明らかになるのだろうか。光源氏と藤壷が最初に肉体関係を持ったのが、いつ、どのようにしてであったのか。作者は明確に記していない。読者は「あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬」というような表現から想像を逞しくするほかはない。厳密に言えば、藤壷と光源氏が何度契りを交わしたのかさえ分からない。

 わたしが第一に興味があるのは、二人の心理である。藤壷は桐壷帝の后であり、光源氏より五歳年上である。年齢差を越えて二人が深く思いを寄せ合うことは理解できる。が、藤壷にしてみれば、光源氏を受け入れることは帝に対する弁解しようのない裏切りを意味する。これは光源氏においても同様である。光源氏は、后の藤壷と子供の自分に裏切られる帝のことをどのように思っていたのだろうか。もし不義が発覚すれば、二人はどのような罰を受けることになったのか。死罪、流罪そのほか具体的な法令による罰則が規定されていたのか。不義に対する具体的な罰則に関しては詳らかにしないが、発覚すれば桐壷帝の面目は丸潰れである。精神的なショックも言語を絶することになろう。ふつうに考えれば、光源氏が父親の后藤壷と契りを交わそうとすること自体が異様だし、藤壷も断固として光源氏を拒んであろう。

 もう一つ不思議なのは、光源氏を藤壷に取り次いだ王命婦である。なぜ王命婦光源氏の願いを拒みきれなかったのか。そこに何があったのか。作者は「(光源氏は)藤壷の宮の女房の王命婦に、逢瀬の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人の目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした」と書いている。作者は、光源氏が王命婦をどのように追い回し、どのような言葉をもってせがみつづけたのか明らかにしない。

文学の交差点(連載14)『罪と罰』におけるテキストの迷宮 ――ロジオンの母親プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記〈ワシーリイ〉と〈アファナーシイ〉をめぐって――

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今回は日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻紀要「藝文攷」24号(2018年12月31日 日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻)に掲載した「『罪と罰』におけるテキストの迷宮――ロジオンの母親プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記〈ワシーリイ〉と〈アファナーシイ〉をめぐって――」を載せる。

 

文学の交差点(連載14)

清水正

 罪と罰』におけるテキストの迷宮

――ロジオンの母親プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記〈ワシーリイ〉と〈アファナーシイ〉をめぐって――

 

  『罪と罰』を飽かずに読める大きな理由の一つに、そこに描かれざる場面の数々があり、その場面を読者の側が想像できるということがある。この次元に〈読み〉の行為を進めると、もはやテキストは眼前に存在するテキストだけではなく、無限の〈想像〉〈解釈〉によって想像・創造された〈場面〉を内包したテキストとなる。謂わば眼前のテキストは読者によって無限のヴァリエーションを生み出す〈元テキスト〉ということになる。
 仮に、ここで〈元テキスト〉と名付けておいたが、この〈元テキスト〉自体が複数存在することになる。『罪と罰』に絞っても、まず「ロシア報知」に八回にわたって連載されたテキストがある。さらにドストエフスキーが存命中の一八六七年、一八七〇年、一八七七年に単行本として『罪と罰』は刊行されている。この四テキストにドストエフスキーはどのように手を入れたのか。それを実際に確認した研究家は存在するのであろうか。今、ありがたいことにこれらのテキストはインターネット上で見ることができる。
 各テキストの詳細な検証はほかの研究家にまかせるとして、わたしが唯一気になる箇所は、ロジオンの母親プリヘーリヤの手紙に出てくる商人の名前である。この男は亡き夫ロマンの友人でプリヘーリヤは〈いい人〉(добрый человек)と記している。ところで問題はこの男の名前である。わたしが最初に読んだ米川正夫訳では、最初の箇所で〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉となっている。ところが江川卓訳では〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉となっている。まったくテキストは油断も隙もない。いったいどういうことなのか。
 まずは初出の「ロシア報知」の一月号を見ることにした。ここでは男のフルネームは〈Василiя Ивановича Вахрушина〉と記されている。名前に現在は使用されなくなったiがあるだけで、初出時、男の名前は〈ヴァシーリイ〉であったことが確認できた。続いて一八六七年、一八七〇年、一八七七年に刊行された『罪と罰』を見たが、すべて名前は〈Василiя〉であった。要するにドストエフスキーは生前、男の名前〈ヴァシーリイ〉を変更してはいなかったことになる。わたしが使用しているアカデミア版全集第六巻『罪と罰』(一九七三年 ナウカ)では〈Афанасия Ивановича Вахрушина〉となっており、父称・性は同じで、名前だけが〈アファナーシイ〉に変わっている。さて、いったいどこで、どのような理由で男の名前は変更になったのか。
 なぜわたしは、たかが一人物の名前にこだわるのか。それはこの〈いい人〉と言われた商人と〈生神様〉と言われたイワン閣下との共通項をわたしなりに証明したいと思ったからにほかならない。ペテルブルク中で知らない者がいないほどの淫蕩漢がイワン・アファナーシィエヴィチである。この閣下の名前イワンを父称に、父称アファナーシィエヴィチを名前にしたのが〈アファナーシイ・イヴァーノヴィチ〉で、まさにこの〈いい人〉がイワン閣下と同様の淫蕩漢の相貌を一挙に浮上させることになる。
 が、ドストエフスキーがこの男の名前を〈ヴァシーリイ〉とのみ考えていたとすれば、このあまりにも面白い解釈は宙に浮いてしまうことになりかねない。わたしはこの男の名前がいずれであるにせよ、年金証書を担保にしなければ金を貸さないような男を〈いい人〉、亡き夫の友人であるなどとは思わない。この男は、ロシア最新式の思想にかぶれたレベジャートニコフの言うように、本国イギリスでは学問上ですら禁じられている〈同情〉などはかなぐり捨てて、取引き・駆け引きに生きる〈商人〉なのである。
 プリヘーリヤの亡き夫の友人ワフルーシンの名前表記に秘められた謎を、さらに実証的に探っていくことにしよう。初出「ロシア報知」において〈Василiй〉(邦訳においてはワシーリイ、ヴァシーリイなど)と記された名前がどうして、どのような理由で、いつ、誰によって〈Афанасий〉(アファナーシイ)に変わってしまったのか、これは決して些細な問題ではない。ちなみに〈Афанасий〉は「ロシア報知」およびこのテキストに則った単行本においては〈Аѳанасiй〉と表記されている。〈i〉と〈ѳ〉は一九一七年~一九一八年にかけて廃止され、現在は〈и〉と〈ф〉が使われている。
 この商人の名前は『罪と罰』の中で何回か出てくる。プリヘーリヤのロジオン宛の手紙の中に二カ所、その手紙を読み終えたロジオンの独白の中で二カ所、それにロジオンが意識不明から覚醒した時に四カ所ほど出てくる。ここではまず、最初の四カ所を江川卓訳の『罪と罰』(岩波文庫版 一九九九年十一月)と米川正夫訳の『罪と罰』(河出書房新社版 一九五九年十一月)でその箇所を引用しよう。

 

 江川卓訳(岩波文庫)一回目
  でも、年に百二十ルーブリの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助ができましょう? 四カ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存じのとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているアファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、お父さまのお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。(上・68~69)

 

   江川卓集英社版『罪と罰』(愛蔵版 世界文学全集18 一九七三年一月)の訳者後記で「この翻訳のテキストとしては、一九五六年発行のソ連国立文芸出版所ドストエフスキー十巻作品集に収録されているものを用い、一九七〇年発行ソ連ナウカ」出版所「文学記念碑」版を参照した」と書いている。ちなみに国立文芸出版所ドストエフスキー十巻作品全集の『罪と罰』は第五巻に収録、一九五七年に刊行されている。次に引用するのはこのテキストに拠る。内容はアカデミア版全集第六巻と同一である(厳密に言えば、前テキストでвсеがアカデミア版では発音を重視してвсёとなっている)。

 Чем могла я с моими ста двадцатью рублями в год пенсиона помочь тебе? Пятнадцать рублей, которые я послала тебе четыре месяца назад, я занимала, как ты и сам знаешь, в счет этого же пенсиона, у здешнего нашего купца Афанасия Ивановича Вахрушина. Он добрый человек и был еще приятелем твоего отца. Но, дав ему право на получение за меня пенсиона, я должна была ждать, пока выплатится долг, а это только что теперь исполнилось, так что я ничего не могла во все это время послать тебе. (34~35。ア・27~28)

 

 江川卓はここでは〈Афанасия Ивановича Вахрушина〉を〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉と原典通りに訳している。
 さて二回目はどのように訳しているか。

 

  おまえとはもうすぐ会えるわけですが、それでも、二、三日うちに、できるだけのお金を送ります。ドゥーネチカがルージンさんといっしょになることが知れてからは、私の信用も急に高まったようなわけで、ワフルーシンさんも、いまなら年金を抵当に七十五ルーブリでも貸してくださいます。ですからおまえにも、二十五ルーブリ、ことによると三十ルーブリは送れます。(上・85)

 

 ここで江川卓は〈ワフルーシンさん〉と訳している。原典で見てみよう。

Но, несмотря на то, что мы, может быть, очень скоро сами сойдемся лично, я все-таки тебе на днях вышлю денег, сколько могу больше. Теперь, как узнали все, что Дунечка выходит за Петра Петровича, и мой кредит вдруг увеличился, и я наверно знаю, что Афанасий Иванович поверит мне теперь, в счет пенсиона, даже до семидесяти пяти рублей, так что я тебе, может быть, рублей двадцать пять или даже тридцать пришлю.(43。ア・34)

 

    江川卓は原典で名と父称で表記されている〈Афанасий Иванович〉を省略し、姓のみを取って〈ワフルーシンさん〉と表記している。江川卓は日本の読者の便宜をはかって人物名の表記を簡略化する傾向がある。読みやすさと裏腹に、原典の意味から逸脱するマイナスもある。江川卓集英社から縮刷版『罪と罰』(一九六八年十月 世界文学全集27)を刊行しているが、わたしはこういった本の刊行目的に納得しがたいものを感じている。米川正夫、中村白葉と並んでロシア文学の御三家の一人と言われた原久一郎も集英社からコンパクト版の『罪と罰』(一九六四年三月 世界の名作・9)を出している。この本には編集部から「読者のみなさんへ」として「古今の名作には、大長編が多い。それを読破するには、数か月を必要とする。多忙な生活に追われている現代人には、その余裕がほとんどない。いつかは必ず読みたいと思いながらも、題名や主人公の名前だけを記憶して、気にかけながら、結局は無縁の人になってしまう。/長編のダイジェスト版やアブリッジド版は、昔から行われてきている、だが、完全な翻訳を読まなければ、むしろ一行も読まぬほうがよいという、完全主義や潔癖主義によって不当に軽視されてきた。しかしながら、現在のスピード化された生活環境にはダイジェスト版やアブリッジド版がもっとも好ましい形式であろう」と書かれている。
 もっともらしい説明がされているが、原久一郎や江川卓などのロシア文学者が名作をわざわざダイジェスト版にすること自体に作家・作品に対する冒涜を感じる。わたしは江川卓の縮刷版『罪と罰』をそれとは知らずに読み始め、途中でそれを知って正直がっくりきた。神は細部に宿る。ドストエフスキーの作品をコンパクトに訳すという行為に作家に対する尊敬の念を感じることはできない。翻訳は学問研究とは別に商売上の要請によって注文されてきた歴史がある。わたしは商売上の大義名分を一概に否定するものではないが、それやこれやを踏まえても縮刷版を肯定する気にはならない。英語版『カラマーゾフの兄弟』を三日で読んだ芥川竜之介に向かって、同じ夏目漱石門下の森田草平は「『カラマーゾフの兄弟』を三日で読むなどというのはけしからん、こういった名作は一ヶ月かけて読むものだ」といったことが伝えられている。漱石門下の中で最もドストエフスキーの文学に熱中し、『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』を翻訳した草平らしい言葉である。ちなみにわたしは学生たちに『カラマーゾフの兄弟』は一生をかけて読む作品だと言っている。古典として残った名作を一時間でも早く読もうなどという精神がすでにせちがらく卑小である。ダイジェスト版を読んで作品を理解した気になるコンパクト精神など、そもそも文学精神とは相容れないものである。本は、それを読むに値する精神年齢に達したときに読めばいいのであって、研究者は読者のコンパクト精神に迎合するようなものを提供する必要はない。それでは本題に戻ろう。

 

 次に米川正夫訳を見る(一回目)。

  年に百二十ルーブリやそこいらの扶助料で、どうしてお前を助けてあげることができましょう? 四か月前、お前に送った十五ルーブリも、ご承知のとおりこの年金を抵当にして、当地の商人ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシンから借りたものです。あのかたは親切な人で、父上にご存生時代のお友だちでしたが、あのかたに年金を受け取る権利をゆずったので、わたしはその借金がすんでしまうまで待たなければならなかったのです。それがやっといまもどったばかりなので、この間じゅうはどうしてもお前に送金ができなかったしだいです。(34)

 〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉は初出の「ロシア報知」一月号では〈Василiя Ивановича Вахрушина〉(63)となっている。米川正夫はここで名と姓は原典に忠実に表記している。が、父称の〈イヴァーノヴィチ〉は〈イヴァーヌイチ〉と変えられている。

 さて二回目の場合はどうなっているか。
 
 それにしても、わたしたちはまもなくじきじき会えることとは思いますけれじ、わたしはやはり近いうちにできるだけたくさん、お前にお金を送ってあげます。ドゥーネチカが、ピョートル・ペトローヴィッチと結婚することをみんなが知ってしまったので、こんどわたしの信用が急に増してきました。で、商人のヴァフルーシンも今なら年金の抵当で、七十五ルーブリくらいまでは融通してくれるにちがいないと思っています。だからお前にも二十五ルーブリか、三十ルーブリはお送りできるかもしれません。(43~44)
 
 「ロシア報知」では〈Аѳанасiй Ивановичъ〉と名と父称で表記されている。にもかかわらず米川正夫は〈ヴァフルーシン〉と姓で表記している。名前が一回目の〈ヴァシーリイ〉とは異なる〈アファナーシイ〉と記されているのに、なぜ敢えて姓の〈ヴァシーリイ〉のみにしてしまったのか。もし原典に忠実に訳していれば、この時点で読者はこの商人に名前の次元で疑問を抱き、特別の関心を抱いた筈である。訳者によるテキスト変更は作品を理解する上で様々な問題を浮上させることになる。
 議論は後にすることにして、三回目の箇所を見ることにしよう。母親からの手紙を読み終えたロジオンの独白に出てくる場面である。まずは江川卓訳から

 

 じゃ、いったいだれを当てにしているんだ。ワフルーシンの借金を差しひいた百二十ルーブリの年金かい? それと冬には、襟巻を編んだり、袖口を刺繍したりで、年寄の目を痛めつけるわけか。しかし襟巻なんぞじゃ、百二十ルーブリの年金をせいぜい二十ルーブリも増やせれば上等さ。おれにはわかってるんだ。じゃ、やはりルージン氏の義侠心がたよりなんじゃないか。(上・92)
 
 〈ワフルーシン〉と訳されたが、原典ではどうか。
Что ж она, на кого же надеется; на сто двадцать рублей пенсиона, с вычетом на долг Афанасию Ивановичу? Косыночки она там зимние вяжет, да нарукавнички вышивает, глаза свон старые портит. Да ведь косыночки всего только двадцать рублей в год прибавляют к ста двадцати-то рублям, это мне известно. Значит, все-таки на благородство чувств господина Лужина надеются:(47。ア・36~37)

 

    原典では〈Афанасию Ивановичу〉で名と父称で表記されている。江川は二回目と同じく三回目の時にも名と父称で表記されたものを姓だけにしてしまったことになる。米川正夫訳(三回目)を見てみよう。

 いったいお母さんはだれをあてにしているのだろう――アファナーシイ・イヴァーヌイチの借金を差し引いた百二十ルーブリの年金をか? それから、冬は老いの目を悪くしながらえり巻を編んだり、そで口の刺繍をしたりする。だが編み物や刺繍は、例の百二十ルーブリに、せいぜい年二十ルーブリも増すくらいなことだ。おれはよく承知している。すると、つまり、やはりルージン氏の男気をあてにしてしているわけだ――(48)

「ロシア報知」でこの場面は〈Аѳанасiю Ивановичу〉と表記されている。米川正夫は正確に名と父称で表記しているが、原典の〈イヴァーノヴィチ〉を前回同様どうして〈イヴァーヌイチ〉にしたのかは分からない。ロジオンの父称は〈Романович〉(ロマーノヴィチ)と〈Романыч〉(ロマーヌィチ)の二通りで表記されているが、前者は正式(公式の文書)の場合、後者は会話などで使用されるものと理解できるが、江川卓はロジオンの父称に関しては恣意的に訳して原典に忠実ではない。いずれにしても、米川正夫は一回目を〈ヴァシーリイ〉と訳し、三回目を〈アファナーシイ〉と訳したのだから、ブリヘーリヤの亡き夫の友人の名前が『罪と罰』で二通りあったことに気づいていたはずである。なぜ米川正夫は二種の表記名にこだわらなかったのであろうか。否、彼に限らず日本の『罪と罰』翻訳家でこの点に注意を向けた者は一人もいなかった。

 

 次に江川卓訳と米川正夫訳の四回目を引用する。

 だって、いますぐにも何かの手を打たなくちゃならないんだぜ。ところが、おまえは何をしてる? 逆にふたりをしぼりあげてるじゃないか。あのふたりの金は、百ルーブリの年金を抵当に、スヴィドリガイロフ家での勤めを抵当に、やっと手に入れたものなのに! 未来の百万長者君、ふたりの運命をつかさどるゼウスの神、スヴィドリガイロフ家やワフルーシン氏から、おまえはどうやって、あのふたりを守ろうというんだ?(上・98)

 今げんに何かしなければならんじゃないか、いったいそれがわかっているのか? それだのにお前は、いま何をしていると思う? お前はかえって彼らから略奪しているじゃないか。だって彼らの金は、百ルーブリの年金かスヴィドリガイロフ家の苦しみかを、抵当にして借りたものじゃないか? スヴィドリガイロフや、あのアファナーシイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシンなどのような連中から、お前はどうして彼らを守りとおせるつもりだい? おい、未来の百万長者、彼らの運命をつかさどるゼウスの神どの!(51)

 

 プリヘーリヤの年金は手紙では百二十ルーブリと記されていたのに、ここでは百ルーブリとなっている。百ルーブリはドゥーニャがスヴィドリガイロフ家から家庭教師の報酬として受け取る年俸である。ロジオンの記憶間違いなのか、それともここにも何か隠されているのか。商人ワフルーシンは百二十ルーブリの年金に対して百ルーブリの価値しか認めなかったとも取れる。まさに計算づくの商人であり、こういった男をプリヘーリヤは亡き夫の〈友人〉と書き、〈いい人〉と書いていたことを忘れてはならない。次に原典を見ておこう。

Ведь тут надо теперь же что-нибудь сделать, понимаешь ты это? А ты что теперь делаешь? Обираешь их же. Ведь деньги-то им под сторублевый пенсион да под господ Свидригайловых под заклад достаются! От Свидригайловвых-то, от Афанасия-то Ивановича Вахрушина чем ты их убережешь, миллионер будущий, Зевес, их судьбою располагающий?(ア・38) 

 

 次に代表的な『罪と罰』の翻訳者の訳を①②③④として列記する。

 中村白葉(新潮文庫第十二編 一九一四年(大正三年)十月)
①ワシーリイ・イワーノヰッチ・ヷフルーシン(72)
②アファナーシイ・イワアーノヸツチ(93)
 ③アファナーシイ・イワーノヸツチ(101)
 ④アファナーシイ・イワーノヸツチ・ワハルーシン(108)
 ※日本初のロシア語原典『罪と罰』からの翻訳。中村白葉訳では現在使用されていないヸ(ヴィ)とかヷ(ヴァ)が使われている。表記は微妙に違っていても原典に忠実に訳している。ちなみに新潮社版世界文学全集第二十二巻『罪と罰』(一九二八年(昭和三年)五月)は手塚治虫が読んだテキストである。
 中村白葉は改訂版が出るごとに改訳を試みている。ここでは岩波文庫版(一九二八年六月第1刷発行。一九五八年十一月第34刷発行。一九九三年五月第79刷発行)も確認しておく。
 ①ワシーリイ・イワーノヴィッチ・ヷフルーシン(55)
 ②アファナーシイ・イワーノヴィッチ(69)
 ③アファナーシイ・イワーノヴィッチ(75)
 ④アファナーシイ・イワーノヴィッチ・ヷフルーシン(80)
 
 小沼文彦(筑摩書房版世界文學体系35 一九五八年三月)
 小沼文彦はこの本の解説で「『罪と罰』は一八六六年(慶応二年)『ロシア報知』一月、二月、四月、六月、七月、八月、十一月、十二月の各号に連載の形式で発表されたが、単行本として発行されたのは翌六七年のことである。この版では雑誌掲載当時のものに比較し、スタイルの面でもかなり多くの訂正と省略(たとえばルージンのモノローグ)が行われているが、その後一八七〇年の刊行本を経て、一八七七年、今日に伝わる定本が完成された。/この翻訳のテキストとしては、一八七七年発行のペテルブルク版第一巻を使用し、一九五七年発行、全集第五巻を参照した」と書いている。
 ①ワシーリイ・イワーノヴィチ・ヴァフルーシン(25)
 ②アファナーシイ・イワーノヴィチ(31)
 ③アファナーシイ・イワーノヴィチ(34)
 ④アファナーシイ・イワーノヴィチ・ヴァフルーシン(36)

 北垣信行(講談社版世界文学全集41 一九七四年九月)
 ①ワシーリイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさん(37)
 ②ワフルーシンさん(47)
 ③ワフルーシン(51)
 ④ワフルーシン(54)

 亀山郁夫光文社古典新訳文庫罪と罰』1 二〇〇八年十月)
 ①アファナーシイ・ワフルーシンさん(76)
 ②アファナーシイさん(95)
 ③アファナーシイ・ワフルーシン(104)
 ④アファナーシイ・ワフルーシンのやから(110)

 

 ここで「ロシア報知」とドストエフスキーの生前中に刊行された三冊の『罪と罰』を確認しておこう。
■ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ「ロシア報知」一月号(一八六六年一月)大阪大学附属図書館総合図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(63)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(72) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(75)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(78)

■1867年(ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ Ѳ. М. ДОСТОЕВСКОГО ИЗДАНIЕ ИСПРАВЛЕННОЕ ТОМЪ 1 ПЕТЕРБУРГЪ Изданiе А.Базунова, Э.Праца и Я.Вейденштрауха 1867)
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(45)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(58) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(64)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(68)

■1870年(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ.М.ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ ЧЕТВЕРТЫЙ. ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ САНКПЕТЕРБУРГЪ. 1870)
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(16)
 ②Аѳонасiй Ивановичъ(20)※名前の〈о〉は〈а〉の誤植 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(21)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(22)

■1877年(ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ Ѳ. М. ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ・. С-ПЕТЕРБУРГЪ. 1877)
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(33)
 ②Аѳонасiй Ивановичъ(42)
 ③Аѳанасiю Ивановичу(46)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(49)

 ドストエフスキー生前中のロシア語版『罪と罰』では①はすべて〈ワシーリイ〉である。それではいつ、どのテキストで①の〈ワシーリイ〉が〈アフアナーシイ〉に変わったのか。ドストエフスキーの死後に発行されたロシア語版『罪と罰』を今の時点(二〇一八年四月)で可能な限り検証してみることにしよう。

■1882年(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ.М.ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ ШЕСТОЙ. ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ С.ПЕТЕРБУРГЪ.)東京外国語大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(32)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(40) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(43)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(45)

■1885年(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ.М.ДОСТОЕВСКОГО. ТОМЪ ТРЕТIЙ. ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ С.ПЕТЕРБУРГЪ.)北海道大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(16)
 ・Аѳанасiй Ивановичъ(21) 
 ・Аѳанасiю Ивановичу(23)
 ・Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(25)

■1894年版(ПОЛНОЕ СОБРАНIЕ СОЧНЕНIЙ Ѳ. М. Достоевскаго. ТОМЪ ПЯТЫЙ. ЧАСТЬ ПЕРВАЯ. Преступленiе и наказанiе. С. ПЕТЕРБУРГЪ. Изданiе А. Ф. МАРКСА)東京外国語大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(31)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(40) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(43)
 ④Аѳθанасiя-то Ивановича Вахрушина(46)

■1922年版(Ѳ. М. ДОСТОЕВСКIЙ ПРЕСТУПЛЕНIЕ И НАКАЗАНIЕ БЕРЛИНъ 1922 Издательство И. П. Ладыжникова)関西外国語大学図書館所蔵
 ①Василiя Ивановича Вахрушина(41)
 ②Аѳанасiй Ивановичъ(52) 
 ③Аѳанасiю Ивановичу(57)
 ④Аѳанасiя-то Ивановича Вахрушина(60)

■1951年版(Ф. М. ДОСТОЕВСКИЙ ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ CAMBRIDGE AT THE UNIVERSITY PRESS 1951)上智大学図書館所蔵
 ①Василия Ивановича Вахрушина(37)
 ②Афанасий Иванович(46)
 ③Афанасию Ивановичу(50)
 ④Афанасия-то Ивановича Вахрушина(53)

■1955年版(Ф. М. ДОСТОЕВСКИЙ ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ ГОСУДАРСТВЕННОЕ ИЗДАТЕЛЬСТВО ХУДОЖЕСТВЕННОЙ ЛИТЕРАТУРЫ МОСКВА-1955)上智大学図書館所蔵

 ①Василия Ивановича Вахрушина(30)
 ②Афанасий Иванович(38)
 ③Афанасию Ивановичу(41)
 ④Афанасия-то Ивановича Вахрушина(44)

■1956年版(Ф. М. ДОСТОЕВСКИЙ ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ ИЛЛЮСТРАЦИИ Д. О. ШМАРИНОВА Гослитиздат 1956)上智大学図書館所蔵
 ※タイトルページ裏に【Издание четветое. С.-Петербург. 1877.】とある。上智大学図書館へ小沼文彦が寄贈した本。
 ①Василия Ивановича Вахрушина(33)
 ②Афанасий Иванович(40)
 ③Афанасию Ивановичу(43)
 ④Афанасия-то Ивановича Вахрушина(45)
 
 一九五六年版まで、①はすべて〈ワシーリイ〉である。ということは一九五七年版の『罪と罰』において初めて①の〈ワシーリイ〉が〈アファナーシイ〉に変えられたということになる。改めて確認しておこう。

■1957年版(Ф.М.ДОСТЕВСКИЙ СОБРАНИЕ СОЧНЕНИЙ В десяти томах ТОМ пятый ПРЕСТУПЛЕНИЕ И НАКАЗАНИЕ ГОСУДАРСТВЕННОЕ ИЗДАТЕЛЕЛЬСТВО ХУДОЖЕСТВЕННОЙ ЛИТЕРАТУРЫ Москва 1957)
 ①Афанасия Ивановича Вахрушина(34)
 ②Афанасий Иванович(43)
 ③Афанасию Ивановичу(47)
 ④Афанасия-то Ивановича(50)

 この十巻作品集の共同編集者に関しては次のように記されている。
 「Под общей редакцей Л. П. ГРОССМАНА, А. С. ДОЛИНИНА, В. В. ЕРМИЛОВА, В.Я.КИРПОТИНА, В.С.НЕЧАЕВОЙ, Б.С.РЮРИКОВА」

 今まで検証して判明したのは、①の〈ワシーリイ〉を最初に〈アファナーシイ〉に変えたのはこの十巻作品全集の第五巻であったということである。編集者は当時ドストエフスキー研究の第一人者として知られていたグロスマンを筆頭に、ドリーニン、エルミーロフ、キルポーチン、ネチャーエワ、リュリコフの六人である。この六人が①の〈ワシーリイ〉を〈アファナーシイ〉に変えることに同意したということである。

 以後、この変更はそのまま引き継がれアカデミア版全集の『罪と罰』(1973年 三十巻全集の第五巻)でも①は〈アファナーシイ〉に変えられている。変更の理由は②③④が〈アファナーシイ〉なので、①の〈ワシーリイ〉を作者の思い違いと見なしたのであろうか。
 ちなみにこの商人はロジオンが意識不明から蘇った日、屋根裏部屋を訪れた伝書人の口から明確に〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉と言われている。この伝書人はさらに〈ワフルーシン、アファナーシイ・イワーノヴィチ〉〔Вахрушин, Афанасий Иванович〕(ア・94)とも言ってワフルーシンの名前がアファナーシイであることを確定している。
さて、初出において〈ワシーリイ〉と記されていた名を〈アファナーシイ〉に変えてしまった編纂者達は、作中人物の名前は一つでなければならないという考えに支配されていたのであろうか。しかしこれは余りに安易な考え方である。ドストエフスキーともあろう作家が、ブリヘーリヤの手紙という重要な箇所において人物の名前を間違えていたなどということは考えられない。むしろ意図的に〈商人ワフルーシン〉の名を二種表記することで読者の注意を促していると思った方がいい。
 ロジオンの独白「本当に私にアレができるだろうか」の〈アレ〉(этоの斜字体)のように、ドストエフスキーはテキストの至る所に謎を仕掛けている。ロジオンの父称は二種あり、マルメラードフ一家の家主アマリアにいたっては父称が三つもある。〈商人ワフルーシン〉の名が意図的に二種用意されていても何ら不思議ではない。ましてやわたしのようにこの〈商人〉をペテルブルク中で知らない者がなかったほどの淫蕩漢であるイワン・アファナーシィエヴィチ閣下と関連付けて読み解く者にとってはごく当たり前の仕掛けということになる。
 日本では宮沢賢治が童話の言語表記の次元で様々な仕掛けをしていた。宮沢賢治の童話においてひらがな表記は要注意で、読み方次第でテキストは豊穣、深遠な世界を開示する。こういった仕掛けに気づかない編纂者や編集者が言葉を同一漢字や同一ひらがなに統一したり、作者がわざわざ意図的にルビを付けているのをはずしたりしてしまうと、作者の仕掛けを台無しにしてしまうことになる。天才宮沢賢治の作品を凡才編纂者がへたにいじくるとろくなことがない。『罪と罰』の場合、ドストエフスキーが生きている時に刊行されたテキストで〈ワシーリイ〉と表記されていたのを〈アファナーシイ〉と変えたのだからその責任は重い。
 改めて④のАфанасия-то Ивановичаに注目したらいい。ドストエフスキーはここでわざわざワフルーシンの名アファナーシイに〈-то〉をつけて強調している。つまり「この名に注目しなさい」と読者にサインを送っているのである。最初にプリヘーリヤの手紙で名を〈ワシーリイ〉と記された商人ワフルーシンは、同じ手紙の中で〈アファナーシイ〉と違った名を記されるが、これはプリヘーリヤの勘違いと解するよりは作者からの特別のメッセージと受け止めた方がいい。手紙を読んだロジオンは、まさかこの商人を母親が言うような〈いい人〉(добрый человек)などとは思わなかっただろう。こんな計算高いみみっちい男はいない。こんな男が亡き父親の〈友人〉であったことさえ癪にさわったであろう。
 前にも指摘したようにドストエフスキーのような作家が〈いい人〉とか〈すばらしい人〉などと書いたら要注意なのである。マルメラードフが〈生神様〉(божий человек)とまで大げさに吹聴したイワン閣下が、実はペテルブルク中で知らない者がいなかったほどの淫蕩漢で、ソーニャの処女を銀貨三十ルーブリでものにした男だと知れば納得いくだろう。商人ワフルーシンの名〈アファナーシイ〉は、イワン閣下の父称アファナーシィエヴィチから取られているのである。つまりアファナーシイ・イワーノヴィチという名と父称には淫蕩漢イワン閣下の息子という象徴的な意味が隠されていたということである。ちなみに〈Афанасий〉という名はギリシャ語起源でathanasiaで〈бессмертие〉(不死、不滅、永遠)を意味する。ドストエフスキーの小説では、淫蕩なイワン閣下が善良で慈悲深いお方と持ち上げられ、計算高いがめつい商人ワフルーシンが永遠不滅のようないい人と言われるのである。この名前に仕掛けられた皮肉が分からないとテキストの表層を素通りしていくほかはない。
 問題は母親の手紙を読んだロジオンが、母親の〈秘密〉にどこまで照明を当てていたかである。賢明で分析力に秀でたロジオンがプリヘーリヤとアファナーシイの秘められた関係に気づかなかったとは思えないが、しかしそんなことにまで踏み込んで『罪と罰』を書くわけにはいかなかった作家ドストエフスキーの側の問題がある。『罪と罰』の発表舞台は「ラザロの復活」の朗読場面に書き直しを命じたカトコフが編集長を務める「ロシア報知」であったことを忘れてはならない。
 『罪と罰』の生原稿はすべて残っているのだろうか。もし残っていれば照合も可能だろうが、生原稿に線や書き直しがある場合これまた厄介な問題が生じることになる。いずれにしても作家の存命中にテキストが確定されているものに、作家の死後、研究者や編集者が手を入れることは極力避けるべきではないかと思う。〈ワシーリイ〉を〈アファナーシイ〉に訂正するのではなく、脚注などで読者の注意を促せばすむことである。

 

文学の交差点(連載13)■プリヘーリヤの〈事の真相〉をめぐって

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載13)

清水正

■プリヘーリヤの〈事の真相〉をめぐって

――  プリヘーリヤは手紙で「ちゃんと順序立てて書くことにしましょう。これまではどうだったのか、そしてこれまでおまえに何をかくしてきたのか、すっかり知ってもらいます」「もし私が事の真相をすっかり手紙したら、おまえはおそらく、何もかも放擲して、歩いてでも帰ってくれたことでしょう」と書いている。

 いったいプリヘーリヤは「何をかくしてきた」のか。いったん、プリヘーリヤとアファナーシイとの関係に疑いの眼差しを向けた者にとっては、実に刺激的、挑発的な言葉である。しかし、手紙を読んだ者には明白なように、これはドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についての言葉である。プリヘーリヤはドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についてのみ〈事の真相〉を話そうとしているのであって、自分とアファナーシイの関係については沈黙を守り続けている。手紙の表層を読む限り、プリヘーリヤとアファナーシイは年金を抵当にして金を借りたというだけの関係にとどまる。プリヘーリヤとアファナーシイの関係に関しては、手紙文をマルメラードフの告白に重ねて執拗に揺さぶりをかけないとその秘密を浮上させることはない。

 描かれた限りで読めば、手紙を受け取ったロジオンが、母親プリヘーリヤと亡き父親の友人アファナーシイとの関係についてことさら思いを深くすることはない。そのことも手伝って『罪と罰』の読者は、改めてプリヘーリヤとアファナーシイの関係について照明を与えることはしない。読者の関心はもっぱらドゥーニャとスヴィドリガイロフの〈事の真相〉に向けられる。

 ロジオンは母親と妹の彼に対する独特な愛の性格をよく承知している。ロジオンは肉親に対しては想像力を豊かに働かせ、感情を露わにする。ロジオンの肉親に対する愛も独特であり、その愛はすべての人間に対しても適用されるわけではない。ロジオンはルージンや高利貸しアリョーナ婆さんに対して微塵の愛も向けることはなかった。ロジオンの想像力は肉親やソーニャに対しては豊かに広がるのだが、ルージン、アリョーナはもとよりスヴィドリガイロフやポルフィーリイ予審判事に関しては憎悪、敵意、殺意など負の感情に支配されてしまう。

 母親の手紙を読んでも、ロジオンは商人アファナーシイに関してはいっさい触れない。父親の〈友人〉で〈いい人〉であるアフナーシイと母親との〈事の真相〉に関して、ロジオンのアンテナは何も受信しない。ロジオンが敏感に反応するのはドゥーニャを誘惑したスヴィドリガイロフと婚約者ルージンである。アファナーシイなどは年金を抵当にとって母親に金を貸してくれた男ぐらいの認識しかなかった。少なくとも作者はそのように描いている。

罪と罰』の闇は深い。この闇の中には想像もできないような出来事が秘め隠されている。プリヘーリヤが手紙で知らせる〈事の真相〉は、息子に知らせてもよい情報に限定されている。ドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についても、プリヘーリヤが実際に知っていることは何もないと言っていい。プリヘーリヤの把握している〈事の真相〉はすべてドゥーニャならびにマルファから聞いたことである。 スヴィドリガイロフは男と女の間の出来事は当事者にしかわからないと言っているが、けだし名言である。否、当事者にすらわからないのが男と女の関係である。

〈事の真相〉に関して、当事者であるスヴィドリガイロフとドゥーニャのあいだにさえ食い違いが見られる。〈秘中の秘〉と〈自己欺瞞〉に関してある種の女性は天才的な能力を発揮する。女に関しては海千山千の好色漢であったはずのスヴィドリガイロフが、見ようによってはドゥーニャに弄ばれたとも言えるのである。スヴィドリガイロフからルージンへ、そしてラズミーヒンへと短期間の間に鞍替えしたドゥーニャを、ロマンチックに理解するほど危険なことはない。