文学の交差点(連載15)■光源氏と藤壷の関係をめぐって
「文学の交差点」と題して、井原西鶴、ドストエフスキー、紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。
最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。
「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」
動画「清水正チャンネル」で観ることができます。
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これを観ると清水正のドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube
文学の交差点(連載15)
■光源氏と藤壷の関係をめぐって
藤壷の宮のお加減がお悪くなられて、宮中からお里へお下がりになられました。
帝がお気をもまれ、御心配遊ばしてお嘆きになる御様子を、源氏の君は心からおいたわしいと拝しながらも心の一方では、
「こんな機会を逃していつお逢い出来よう」
と、心も上の空にあこがれ迷い、ほかの通いどころへは、どこへもいっさいお行きにならず、宮中でもお邸でも、昼はぼんやりと物思いに沈み、日暮れになれば、藤壷の宮の女房の王命婦に、逢瀬の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人の目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした。
源氏の君は夢の中にまで恋いこがれていたお方を目の前に、近々と身を寄せながらも、これが現実のこととも思われず、無理な短い逢瀬が逢瀬がひたすら切なく、悲しいばかりです。
藤壷の宮も、あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬をお思い出しになるだけでも、一時も忘れられない御悩みにさいなまれていらっしゃいますので、せめて、ふたたびはあやまちを繰り返すまいと、深くお心に決めていらっしゃいました。 それなのに、またこのようなはめに陥ったことがたまらなく情けなくて、耐えがたいほどやるせなさそうにしていらっしゃるのでした。
それでいて源氏の君に対しての御風情は言いようもなくやさしく情のこもった愛らしさをお示しになりす。そうかといって、あまり馴れ馴れしく打ち解けた様子もお見せにならず、どこまでも奥ゆかしく、こちらが気恥ずかしくなるような優雅な御物腰などが、やはり他の女君とは比べようもなく優れていらっしゃいます。
「どうしてこのお方は少しの欠点さえ交じっていらっしゃらないのだろう」
と、源氏の君は、かえって恨めしくさえお思いになられるのでした。
心につもるせつない思いの数々の、どれほどがお話出来ましょうか。
源氏の君はこの夜こそは、永久によるの明けないという〈暗部の山〉にでもお泊まりになりたそうなお気持ですけれど、あいにくの夏の短夜は、早くも白みはじめ、あきれるほど物思いがつのり、これではかえってお逢にならないほうがましなくらいの、悲しい逢瀬なのでした。
見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに
やがてまぎるるわが身ともがな ようやくお逢いできたものの 再びお目にかかれる夜は ありそうもないのだから いっそ嬉しいこの夢の中で わたしはこのまま消えてしまいたい
と、涙にむせかえっていらっしゃる源氏の君の御様子も、藤壷の宮はさすがにお可哀そうでいたましく、
世語りに人や伝へむたぐひなく
憂き身をさめぬ夢になしても 後々の世まで 語り草にされないかしら またとはないわたしの辛い身を たとい永久に覚めない 夢の中に消してしまっても
とお返しになり、お悩みのあまり取り乱していらっしゃる藤壷の宮の御様子も、ごもっともなことなので、恋は理性を失った源氏の君のお心にももったいなく感じられるのでした。
王命婦が、源氏の君の脱ぎ捨てておかれていた御直衣などを、かき集めて御帳台の内に持ってまいりました。(巻一 282~285)
光源氏と藤壷の関係はどこまで明らかになるのだろうか。光源氏と藤壷が最初に肉体関係を持ったのが、いつ、どのようにしてであったのか。作者は明確に記していない。読者は「あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬」というような表現から想像を逞しくするほかはない。厳密に言えば、藤壷と光源氏が何度契りを交わしたのかさえ分からない。
わたしが第一に興味があるのは、二人の心理である。藤壷は桐壷帝の后であり、光源氏より五歳年上である。年齢差を越えて二人が深く思いを寄せ合うことは理解できる。が、藤壷にしてみれば、光源氏を受け入れることは帝に対する弁解しようのない裏切りを意味する。これは光源氏においても同様である。光源氏は、后の藤壷と子供の自分に裏切られる帝のことをどのように思っていたのだろうか。もし不義が発覚すれば、二人はどのような罰を受けることになったのか。死罪、流罪そのほか具体的な法令による罰則が規定されていたのか。不義に対する具体的な罰則に関しては詳らかにしないが、発覚すれば桐壷帝の面目は丸潰れである。精神的なショックも言語を絶することになろう。ふつうに考えれば、光源氏が父親の后藤壷と契りを交わそうとすること自体が異様だし、藤壷も断固として光源氏を拒んであろう。
もう一つ不思議なのは、光源氏を藤壷に取り次いだ王命婦である。なぜ王命婦は光源氏の願いを拒みきれなかったのか。そこに何があったのか。作者は「(光源氏は)藤壷の宮の女房の王命婦に、逢瀬の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人の目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした」と書いている。作者は、光源氏が王命婦をどのように追い回し、どのような言葉をもってせがみつづけたのか明らかにしない。