文学の交差点(連載19)■王命婦と『オイディプス王』  ――光源氏、藤壷、王命婦の〈裏切り〉劇の内実――

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載19)

清水正

■王命婦と『オイディプス王

 ――光源氏、藤壷、王命婦の〈裏切り〉劇の内実――

 光源氏、藤壷、王命婦の〈裏切り〉劇の内実は探れば探るほど闇の領域を拡大していくことになる。わたしは光源氏と桐壷帝の関係も解きがたい謎を潜めていると思っているが、このことに言及する前に、も少し王命婦に執着してみたい。

 かつてソポクレスの『オイディプス王』について批評した時、わたしが二十歳の頃に観てたいへん衝撃を受けた映画『アポロンの地獄』(原題『Edipo Re』一九六七年製作。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督・脚本)について触れた。パゾリーニの『アポロンの地獄』を観て、わたしはアポロンの神のオイディプスに対する神託(運命・必然)の絶対性を強く感じたが、四十年後に観直した時には監督の独自の解釈を面白いと思った。

 パゾリーニオイディプスとイオカステの愛撫シーンをライオスとイオカステのそれに重ねている。よほど感性の鈍い観客を別とすれば、息子オイディプスと夫ライオスの愛撫の仕方はそっくりだということが分かる。これはどういうことか。つまりイオカステは現在の夫オイディプスが息子オイディプスであることを全身で感じ取っていたということである。なにもかも知っていたイオカステが、ことの真実が判明するまで完璧に知らんぷりを決め込んでいたということ、このことが理解できないと『オイディプス王』の深淵に触れることはできない。さらに〈ことの秘密〉(オイディプスが父ライオス殺しの張本人であり、母であるイオカステと結婚していること)を知っていたのは一人イオカステだけでなく、彼女の弟クレオン、神官たち、そしてテーバイの国民の多くもそうであったということである。

 ライオスはアポロンの神に「生まれてくる息子はおまえを殺し、妻と情を結ぶであろう」と宣告される。ライオスから神託を聞いたイオカステはオイディプス殺害を召使いに命じる。召使いは殺すことができず隣国の羊飼いに赤ん坊を託す。そのことでオイディプスは一命をとりとめる。わたしがここで問題にしたいことは、イオカステの妊娠、出産を知っていた侍女たちのことである。無事に生まれた赤ん坊が突然姿を消せばそのことに疑問を持たないものはいまい。それにライオスに下されたアポロンの神の神託がライオス以外の誰にも知られなかったなどということもあり得ない。神託が下された時点で多くの神官たちがその呪われた神託の内容を知っていたはずである。これ以上詳しく語ることもないだろう。オイディプス王の秘密は城の内外においてすでに知られており、その秘密を知ったものたちが共通してだんまりを決め込んでいたということである。