文学の交差点(連載21)■藤壷と光源氏のその後 ■王命婦と光源氏の契り

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

https://youtu.be/RXJl-fpeoUQ

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載21)

清水正

■藤壷と光源氏のその後 

  源氏の君は二条の院にお帰りになって、泣きつづけながら、終日お寝みになってお過しになられました。

  お手紙をさし上げても、いつものように藤壷の宮は、お手にもとって下さらないと、王命婦から伝えられておりますので、お返事がないのはいつものことながら、今朝ばかりはあまりに辛くて、悲しさの余りしおれきって、宮中へもお上がりにならず、そのまま二、三日籠もりつづけていらっしゃるのでした。

  帝が、これはまたどうしたことかと、御心配遊ばされるにちがいないと思われるにつけても、犯した罪をひたすら空恐ろしいこととお思いになります。

  藤壷の宮も、やはり何という情けない宿世の身の上なのかと痛感され、嘆き悲しまれますので、御病気もまたひとしおお悪くなられたようでした。早く参内遊ばすようにと、帝からのお使いがしきりにございますけれど、とてもそういうお気持にもおなりになれないのでした。たしかに今度の御気分の悪さはいつもとは様子が違っているように思われるのは、どうしたことかとお考えになりますと、もしやと、人知れず思い当たられることもおありなので、いっそう情けなくお辛くて、この先どうなることかとばかり、心も千々に乱れ苦しんでいらっしゃいます。

  暑い間はなおさら起き上がることもお出来になりませんでした。御懐妊も三月になられますと、もうはっきりと人目にも分るようになって、女房たちがそれをお見かけして怪しみますので、こんなことになった御身の御宿世をつくづく浅ましくお辛くお嘆きになられるのでした。

  まわりの女房たちは、源氏の君との密か事などは思いも寄らないことなので、  「この月まで、どうして帝に御懐妊のことを御奉上なさらなかったのでしょう」   と、不審に思っています。藤壷の宮お一人のお心の中では、はっきりと源氏の君のお子を宿したと思い当たられることもおありなのでした。

  お湯殿などにもお側近くお仕えしていて、藤壷の宮のどのようなお体の御様子もはっきり存じあげている乳母子の弁や、例の王命婦などは、さてはと思うものの、お互い口にすべきことでもありませんので、こうなったのはどうしてものがれることのお出来にならなかった御宿縁だったのだと思い、王命婦は呆れ恐れるばかりでした。

  帝には、物の怪のせいでまぎらわしくて、御懐妊のしるしも、すぐにははっきりしなかったように奉上なさったのでございましょう。周囲の女房たちもみんな、そうとばかり信じていました。(「若紫」巻一・285~287)

 

■王命婦光源氏の契り

源氏物語』の中には題名だけ存在する帖「輝く日の宮」(「かかやく日の宮」)がある。もともと紫式部によって書かれた本文があったのかなかったのか諸説あるが確定的なことは分からない。藤原定家はこの帖は初めからなかったという説、小説家の丸谷才一藤原道長一条天皇の思いを忖度して削除したとみて自らこの帖の創作を試みた。瀬戸内寂聴も藤壷と光源氏の契りの場面を紫式部が書かなかった筈はないという思いをこめて「藤壷」を書いている。瀬戸内寂聴は王命婦光源氏の間に肉体関係があったという前提のもとに「藤壷」を書いている。
源氏物語』研究は膨大な量に達しているが、おそらく王命婦光源氏の肉体関係について触れたものはこれが最初なのではないかと思う。『源氏物語』の闇は深く、千年過ぎた今日においても明るみに浮上してこない謎の数々が潜んだままである。まずは瀬戸内寂聴の「藤壷」における瀬戸内寂聴の想像・創造を確認しておくことにしよう。

  破れ築地の中へ分け入った源氏の君は、腰を掩うほどの八重葎を払いながら進んでいくと、すぐ草陰から紙燭の灯りがさしのべられました。この邸の留守役の老婆がその紙燭を握っているのでした。耳がほとんど聞えないので、言葉はなく、無言で足許を照らし、歩むうちに、ある場所でふと立ち止まると、す早く老婆は紙燭を持ったまま去って行き、源氏の君ひとり闇の中に取り残されました。低く咳をすると、目の前の戸が細く引き開けられ、ほの暗い灯の光が洩れてくる部屋の中へ、源氏の君は手を取られ、引きあげられていました。
  すぐ背後の戸が閉まりました。部屋の内にはほのかに香がたかれ、屏風や几帳も上品なもので、壁ぎわの厨子や楽器なども趣きのあるものが揃っています。
  灯に顔をそむけるようにして坐った女を、源氏の君は性急に言葉もかけずに押し倒しました。女は抵抗も見せず、源氏の君の若さの余りの猛々しさにも臆する様子もありません。
  年かさと見える女は、黒髪が豊かで、眦の上ったきつい顔つきをしています。輝く日の宮として帝の御寵愛の並びない藤壷の宮に、最も身近くお仕えしている王命婦という女房でした。
  命婦は宮の亡き母后の遠い縁の端につながった家系だというので、親に死なれた薄倖な身の上を憐れまれ、引き取って育てていただき、宮のお守り役としてお仕えしていたのでした。
  母后亡き後は、帝に望まれて入内した宮とともに内裏にお仕えしています。(「藤壷」講談社文庫。35~37)
 
命婦光源氏の最初の肉体関係の描写が余りに簡単なので驚くが、瀬戸内寂聴なりの理由と工夫があるのだろう。一つは紫式部の作風に限りなく合わせようとする意向があり、ひとつは王命婦光源氏の契りに至るまでの根回しが行き届いていたということである。光源氏のおしのびの夜歩きには必ず惟光がお供しているが、彼の母は光源氏の乳母であり、二人は主従を越えて深い親密な関係を結んでいた。光源氏が王命婦と契りを結ぶに当たっても惟光がぬかりなく手回しをしていたということである。
 それにしても近代文学の心理分析描写に親しんできた者には、ここで描かれた王命婦光源氏の契りの場面は余りにもあっけなく感じられるのは否めない。瀬戸内寂聴は三ページ後に次のように書いている。

  王命婦はようやく果ててしまったようでした。真珠も瑪瑙も、渡りの絹や錦も、手に入れがたい香木も、どれ一つ欲しがらぬ女を屈服させるのは、この方法しかなかったのでした。事実、体で結ばれてしまえば、どの女もみなどのような要求にも応じてくれるということを源氏の君は覚えました。
 「それでもきっとお見捨てにならないなら……」
  女たちはそれに対する源氏の君の答えを信じているわけでもないのに、必ずそうつけ加えて、一応誓いのことばを聞きたがります。
  王命婦はさすがにそんな他愛もない誓いを要求はしませんでした。その替り、はじめての交じわりの後で、源氏の君の手をしっかりと自分の胸に押し当て、眦をさけるほど見開いて、真正面から男君の双の目の中を見据えました。
 「ようございますか。この企ては、人倫の道にも仏の道にも叛いた極悪道でございます。生きて露見すれば只事ではおさまりますまい。万に一つもあの世まで秘密が保たれたなら、無間地獄へ投げこまれましょう。今ならまだ思い返すことが出来ます。いかがなさいますか」
 「くどい。これほど恋いこがれたあのお方と想いを遂げられないこの世こそ、地獄でなくて何であろう。邪恋の炎に包まれているこの現世こそ焦熱地獄の責め苦でなくて何であろう。思い直したりするものか」
 「わかりました。すべては前世からの因縁でございましょう」
  そういう会話を交してからも、はや三月が過ぎています。
  王命婦とこういう時を分ち合ったのも五度めになります。それでもまだ一度のよい首尾も与えられてはいないのです。(40~42)

    ここに引用した最初の一行目に王命婦光源氏の激しい契りの場面が浮かび上がる。王命婦には特定の男がいたわけではないから、光源氏との性的関係は実に久し振りであったと思われる。「王命婦はようやく果ててしまったようでした」とは、王命婦がエクスタシーに至るまでの光源氏の執拗な愛撫とテクニックを十分に伺わせる。もしかしたら王命婦は一度ならず何度も絶頂に達したのかもしれない。どのような高価な贈り物でも手引きを承諾しなかった王命婦に対して、光源氏が最後にとった手段が強姦まがいで契りを結ぶことであった。光源氏は自分の生来の魅力、女性に与える性的魅力を十分に自覚している。光源氏のいきなりの押し倒しが強姦罪として摘発されないのは、結果として相手の女性が体感的に納得させられてしまうからである。
 王命婦光源氏より十歳年上、今でいう熟女にあたる。たとえ意識が光源氏を拒んでも体が光源氏の若く猛々しい愛撫に反応してしまう。一度「果ててしまった」王命婦光源氏の魔力から抜け出すことはできない。ここに王命婦の描かれざる煩悶、葛藤が渦巻くことになる。当時、女の元に三日続けて通えば夫婦として認められた。が、王命婦光源氏と五回契りを結んでさえ、手引きを承知していない。王命婦の迷い、葛藤の深さが伺いしれる。
 瀬戸内寂聴光源氏によって無理矢理関係を結ばれてしまった王命婦の、女としての、女房としての、人間としての悩み、葛藤を端的に表現している。王命婦は藤壷に仕える誠実な一女房としての役割を大きく逸脱してしまったのである。