猫蔵の「生贄論」連載12

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

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■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載12)

猫蔵

【不信】
 次に、第二のターニングポイントに入ります。第二のキーワードは、他者への【不信】です。原典たる『ヨブ記』に照らし合わせるなら。ヨブが"神の沈黙"に加えて、周囲の人々との軋轢を味わい、孤独へと落ち込む場面です。
 邁進した軍役の置き土産が、自らの肉体を蝕んでいると知ったイーザリー。彼は次第に、軍に対して不信感を募らせます。連合国を勝利へと導いたアメリカ軍人としての誇りは、引き裂かれていきます。
 軍人時代のイーザリーには、禁じられていた「皇居への攻撃」を独断により実行するなど(通説では、昭和天皇の殺害を狙ったとされています)、少なからず"英雄願望"があったと思われます。しかし、自分を"英雄"として規定してくれるはずの軍そのものが、彼の人生において、沈黙する存在、敵対する存在へと変貌してしまいます。やがて軍は、「任務と流産との間に因果関係は認められず」と、彼の賠償請求を却下します。その直後、彼は初めて自殺未遂を起こします。
 その後イーザリーは、おもちゃの銃で郵便局に押し入ったり、小切手を偽造したり、食料品店に強盗に入ったにも関わらず、一度奪った金を軒先に置いて立ち去ったり、奇妙な犯罪を繰り返し、逮捕されることを重ねます。そしてその度に精神鑑定を受け、精神病院への入退院を繰り返します。通説においては、これら犯罪の動機として「誰も罰してくれない罪を自ら罰するため」というものが一般的です(これは、哲学者アンデルス宛の手紙の中で、後に彼自身が打ち明けている動機と一致します)。しかし僕はこれを聞いて以来、どこか綺麗過ぎるという違和感を拭い得ませんでした。
 奇妙な犯罪を繰り返すイーザリーを、やがてある雑誌が「かつての連合国軍の英雄の聚落」として、センセーショナルに取り上げます。やがて、にわかに脚光を浴びたイーザリーは、マスコミの取材に対し「誰も罰してくれない罪を、僕は自分自身で罰している」旨の発言を行います。加熱していく「悲劇の英雄」報道の中、彼自身の発言も、次第に反戦の様相を呈していきます。
 イーザリーの奇妙な犯罪は、これらの時代状況から、彼の言う通り、「自らを罰するため」の贖いとして機能し始めます。しかし、僕はこの動機は後付けの色合いが濃いと感じます。
 抜け駆けの手柄を目論んだり、当初英雄願望の強かったイーザリーは、やがて自らの拠り所でもあった軍と対立せざるを得なくなります。その結果、彼は、もはや英雄ではなくなった自分と向き合わざるを得なくなります。それは彼にとって「自己の喪失」に他ならず、苦痛であったに違いありません。その焦燥。それこそが、彼を奇妙な犯罪に駆り立てたものの一因であったのではないでしょうか?「自らを罰するための贖い」というもっともらしい大義は、本当のところを言うならば軍の"英雄"ではなくなった彼が、かつての"英雄"願望の残骸に、ギリギリの矜持で縋りついたものが発端となり、生まれたものだったのではないでしょうか?

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。