猫蔵の「生贄論」連載11

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

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■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載11)

猫蔵

【現代のヨブ】
 総括に入りましょう。
 改めて僕は、クロード•イーザリーこそ、イスカリオテのユダの系譜に連なる者であると同時に、神の"沈黙"に直面した、ヨブの運命をなぞる者、「現代のヨブ」であると捉えます。僕は、これまで見てきたイーザリーの人生を、ヨブ記の物語になぞらえ、大きく四つのターニングポイントに分け、総括したく思います。その試みを通して、全ての文学の「原点」であり、「最高傑作」と謳われる『ヨブ記』の、現代に即した読み方が見えてくるはずです。
 クロード•イーザリーはいかにして、ヨブ記的人生を生きたのか?そして、彼はそこで、いかなる選択をしたのか?最初の謎は、当初は軍人的功名心すら覗かせていた向こう見ずな軍人イーザリーが、後に彼自身を破滅に導いたと(世間一般的に)言われる「良心の呵責」を覚えた転向地点は、一体いつだったのか?ということです。

【断絶】
 四つのターニングポイントの内、まず一つ目として、全ての始まりである、イーザリーが直面した【断絶】に注視します。思いがけずイーザリーは、「他者との断絶」=「神の沈黙」と直面します。ヨブがそうであった様に、信頼していた神の沈黙、引いては思いもよらない"悪意"は、イーザリーの人生における「始まりの断然」に他なりません。
 僕は、それに該当すると思しき出来事は、二つあると捉えます。やがてはこれらの双方が絡み合い、彼を、功名の「英雄」ではなく、「一人の人間」に引きずり下ろす端緒になったと捉えます。
 一つは、三島由紀夫が、小説『美しい星』の中で描いた、広島への「原爆投下直後」です。これは、イーザリーに纏わる流説の中で、最も一般的なものです。イーザリーは、原爆投下直後、「離脱する軍用機のコクピットの中から、立ち昇るキノコ雲を目撃した」というものです。三島は小説の中で、「あの原爆投下者の発狂の原因」は、「痒みほどの苦痛もなかったこと」だったと述べています。罰せられてしかるべき罪を犯したはずなのに、ただ飴玉を口の中で転がすだけの平穏な時間が、何食わぬ顔で流れ続ける。その絶対的リアリズム=あるべき神の"空っぽ"を見てしまったことが、イーザリーに決定的な変革をもたらしたという説です。これは他ならぬ僕自身が、イーザリーという人物に引き寄せられるきっかけとなったものでもあります。
 これは、史実とは異なります。しかし、仮にもし、僕自身がクロード・イーザリーとして、原爆投下の瞬間に立ち会っていたと想像したならば。この瞬間、僕の中の"他者"に対する幻想は、音を立てて崩れ去ったに違いありません。自らの罪を、神が罰してくれるということ。それはつまり「この世界における誰かの"痛み"は、同時に僕自身にとっての"痛み"として、途切れることなく繋がっている」ということの、動かぬ証明となります。(想像の中の)彼は、ある意味においては、その時神が姿を現し、自らを裁くその瞬間の到来を、今か今かと待ち望んでいた。自らが犯してしまった罪によって生じた歪みが、厳然たる罰によって帳尻を合わせ、正常に戻ることを欲していたのです。しかし、神がおわすはずの場所に彼が見てしまったのは、文字通りの"空っぽ"だった。三島由紀夫が、半自伝的小説『仮面の告白』の中で、祭りの喧騒の中、汗まみれの男たちに担がれた神輿の中央に、六尺四方の空っぽの闇を幻視してしまった様に、この時イーザリーは、神のいない、"空っぽ"のコクピットに居合わせてしまった。問いを発しても、答えてくれる"他者"は、誰もいなかったのです。いわば、「"神"という物語はつまるところ、大いなる"虚無"のカモフラージュのことである。」という定理が、まるでナイフの様に、鼻先に突きつけられた瞬間。
 他者に何かを伝え、それを共に分かち合うことへの、拭い難い慕情があると、僕は冒頭に書きました。これは言うなれば、ある種の「テレパシー」に対する幻想として、民間信仰や土着の風習にその痕跡を辿ることができます。この幻想は、クリスチャンの家に育ったイーザリーにも当然あったはずです。
 このテレパシー幻想を描いた、顕著な例を挙げるならば。終末信仰をモチーフにした北欧映画『サクリファイス』(アンドレイ・タルコフスキー監督)です。この作品に、魔女によって捧げられた生贄と祈りが、第三次世界大戦を食い止めるという隠喩が出てきます。主人公の男が、自らにとって価値のあるもの(=家や貞操)を魔女に捧げ、その魔女が媒介となり、神とのとりなしを担うという世界観。人間の身代わりとなり、一身に祈りを捧げるシャーマンのイメージ。このイメージは、幼い頃から僕の脳裏にも棲みついていました。
 そのイメージの現像を辿ると、"ガイア"という女神信仰に行き着きます。未開人の"呪術"に対する捉え方を体系化した人類学者フレイザーの『金枝篇』にも、共同体内部の穢れを一身に背負って最後に「殺される」森の王が出てきます。つまり、生贄として捧げられるシャーマンは、人類にとって共通の「共同幻想」と捉えることが可能です。たとえ、そこに現実的な効果はなかったとしても、この様な物語が人類史において語り継がれてきたという事実は無視できません。誰かと「痛み」や「不幸」を分かち合うことで、人はまた、孤独の痛みから救われるのです。
 生前のクロード・イーザリーはある時、「広島から離脱するコクピットからキノコ雲を見下ろし、僕は愕然とした」と述べています。しかし、繰り返しますが、これは史実ではありません。当時のイーザリーはそもそも、原爆投下機であるエノラゲイ号を先導する"気象観測機"の機長であり、原爆投下を確認することなく任務を終え、帰路に着いたと言われています。ただ、先の発言が、イーザリーが故意に嘘をついた故のものだったと断定するのは早急です。当時の世界的な世論が彼のことを「アメリカの良心」と持て囃していた現状を鑑みれば。おそらくイーザリー自身が、その世論の求める"イーザリー像"に応えるべく、意図的でないにせよ、以後その幻視像を"もう一つの現実"としてみなす様になっていった可能性が高いでしょう。
 ただし、「原爆パイロットがそのコクピットからキノコ雲を見下ろし、神の"空っぽ"を見てしまった」という黙示録的光景は、あまりに強烈で、動かし難いイーザリー像として、人々の脳裏に焼き付いたことは否定できません。これはある意味、人々が潜在的に、その様な心象イメージを需要したからだと捉えることが可能です。見るべからざるものを見てしまった"原爆パイロット"の肖像。それは、女神"ガイア"の様に、僕らにとっての共同幻想だったのです。当時の人々、特に日本人が希求していたものであり、たとえ歴史的事実でなかったとしても、渇望された"真実"であったのです。
では、史実として、イーザリーが他者との関係から断ち切られた「始まりの断絶」は、一体いつだったのでしょう?僕はそれは、彼の妻が、彼との子供を流産した時点であったと捉えます。
 実は、広島での任務が終わって間もなく、イーザリーは自ら志願し、南太平洋のビキニ環礁における水爆実験(1946年)に参加しています(放射性降下物の調査)。
 その後、彼の妻は二度、お腹の子供を流産してしまいます。そして1947年の時点では、イーザリーは軍を退役し、市井の一市民となっていました。そして彼は、なんと退役軍人局を相手取り、"放射能汚染"を理由に、賠償請求を起こすという行動に出ます(1948年)。当時はまた、放射能による人体への影響が、今ほど解明・言及されていませんでした。訴訟事件の前に彼は、ヒロシマについて書かれた書物から、放射能が人体へ与える影響について知るところとなります。あるいはこの時初めて、他ならぬ自身の肉体が被曝している可能性を自覚するに至って、彼はようやく"当事者"となったのかも知れません。原爆後遺症が一般的には認知されていなかった当時、一勤め人(ガソリンスタンド従業員)として、妻を養う責任のあったイーザリーの孤独と苦悩は、どれ程のものだったでしょう。
 被曝し、全身を放射能に蝕まれた自己の発見。それは、信仰に厚き者にも関わらず、神の所業による皮膚病に苛まれる、あのヨブの姿を彷彿とさせます。『ヨブ記』と異なる点は、ヨブは始終、無垢なる者としての印象を読む者に与えていたのに対し、クロード•イーザリーのエピソードは、彼の英雄願望に重きが置かれていることを無視できない点です。
 あるいは、イーザリーの信仰は、神自身への信頼であると同時に、その神の威光を、自らが"英雄"の星の下に生まれた者であることへの"裏付け"として捉える意味が濃かったのではないでしょうか?
 これを、僕自身の体験に置き換えてみたい気持ちに駆られます。かつて、家族の中でひときわ存在感のあった祖母が、自分に愛情を注いでくれるのは、僕が祖母自身の孫であり、他ならぬ一家の長男だからだという意識。別の言い方をすれば、祖母の愛情は、僕の実存に対してではないのではないか、という、拭い難い自意識。
 僭越ながら、イーザリーの神に対する信仰は、これとよく似ていたのではないでしょうか?限りなくイーザリーに寄り添って捉えるならば。"英雄"としての将来を約束された彼を神は愛しており、彼の中にいる傷ついたインナーチャイルドは、彼自身の実存に神の愛が向けられていないのではないかという不安に、ずっと怯え続けていたのではないでしょうか?
 そして、"被曝者"としての自己の発見こそが、その恐れていた事実が、顕在化した瞬間だったのだとしたら。自らを承認してくれる神は不在であり、全ては野放図に"許されている"。この身も竦むほどの、暴力的なまでの"自由"。その自由を前にして、自らの運命を規定していたはずの存在を、イーザリーは見失ってしまった。そのことが、"特別"であるはずの自らの生が、路傍に転がる石ころと何ら変わることはないという認識へと、彼を導いてしまったのではないか。そして、その恐るべき虚無を直視しないために、何か(彼の場合、所属するアメリカ軍)を悪者に仕立て上げ、そこに憎しみを注ぐという行為は、一時的な対処療法として選び得ることに、何ら違和はありません。
 英雄の星の下に生まれたと信じていた者が、ある日突然"凡人"であることを告げられたとしたら。(仮に、先に挙げた僕と祖母の関係で例えるなら。ある日突然、僕が祖母と血の繋がらない子供であることを、祖母の口から宣告された様なものでしょう。幸いなことにその様なことを実体験することはありませんでしたが。)以上、二点挙げた始まりの"断絶"は、予期せぬ挫折という点で共通します。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。