猫蔵の「生贄論」連載14

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

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■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載14)

猫蔵

【赦し】
 さて、いよいよ最後に第四のターニングポイントに入ります。第四のキーワードは【赦し】です。先に見た第三の【転機】をいかに受け止め、他者を赦し、そして最終的に自らを赦し、誰かと分かち合う希望を再び見出すに至ったのでしょう?
 ヨブ記の場合であれば。怒れる神に対し、ヨブは「あるがままを受け入れること」を選択したように見えます。
 それまでのイーザリーにとって、日本の人々は「今なお自分を恨んでいる」存在に他ならなかったに違いありません。星条旗の英雄になるための欠くべからざる犠牲であり、自らが踏みしだいた者たちでした。『よだかの星』でよだかが自覚のないうちに飲み込んできた、数限りない羽虫や甲虫に過ぎなかった様に思えます。その状況が、他ならぬ自分自身が物言わぬ神の前で棒立ちになり、慟哭した瞬間、思いがけず変容を迎えます。苦しんでいたのは、「自分一人ではなかった」という気づきの獲得です。孤立した彼の目に留まったもの。それは、(史実としては間接的な意味ですが)イーザリーの手によって傷を負った少女たちでした。
 それまで決して交わることのなかった戦争の加害者と被害者が、ここにおいて数奇な邂逅を果たします。
  ヨブやイーザリーは当初、沈黙する神や他者に向け、「誰か、私の声に応えてくれる"誰か"はいないのか?」という、焦燥に満ちた"問い"を発していました。それが、「ここに"僕"がいるよ」という"返答"を、自分以外の他者へと向けて発する存在へと、大きな役割の転換を果たします。これは、一人の人間の個人史においては、人類史における天動説から地動説への転換に匹敵する出来事だと捉えます。
 『よだかの星』において、これまで"無数の命"を奪って生きてきたよだかは、自分を迫害する強者の「鷹」によって窮地に追いやられます。そして、思いがけず一匹の甲虫を生きたまま呑み込むことによって、自らの原罪を自覚します。そしてその命に想いを馳せ、燃え盛る炎となって「空の向こう」へと飛び去っていきます。
 「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。」
 「僕はもう虫をたべないで餓うえて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。」「いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。」という、よだかの独白。これは、「宗教の本質をあえて一言で表すのならば、それは"自己犠牲"である」という根源的な事実を示しています。"自己犠牲"という言葉が、現在においては、かなりネガティブなニュアンスをもって語られることを承知しながらも、僕は敢えてこの言葉の本質を見定めたく思います。
 よだかの様に、自らが"生贄"となって、人知れず他者のために祈りを捧げ、死んでいくということ。それは、利害関係を抜きにして、見果てぬ他者に、自らを"委ねる"ということに他なりません。「他人に見捨てられた」自分が、同じ様な仕打ちを他者になすのではなく、「せめて自分だけは、孤独な他者の"問いかけ"に応え得る存在でいよう」とすること。これは、キリストの"十字架の実践"に通底するものがあります。
 果たして僕らは、自らの不幸の渦中で、いかに他者に優しくできるのでしょうか?それは、他者不信を乗り越えて、いかに他者を赦せるか?という問いです。他者を赦し、自分を"委ねる"ということは、他ならぬ自分自身を赦すことへと繋がります。
 "委ねる"は、"祈る"と言い換えられます。イエスの様に「他者のために自らの命を投げ出さなければいけない」ということでは決してありません。アメリカ軍と父なる神に"裏切られた"イーザリーが、自暴自棄の内に破滅せず、少女たちのために"祈り"を捧げた瞬間が訪れたとしたら。たとえそれがほんの一時であれ、その瞬間こそが、彼自身が自らを「特別な存在」として誇り得ることのできた瞬間だったのではないでしょうか。
 弱き者に寄り添い、その同伴者になるということ。それはつまり、キリストの実践であり、言うなれば「市井のキリスト」になるということです。
 僕自身の原体験に置き換えてみると。僕に向けられていた祖母からの愛情を、確かに僕は疑っていました。あくまでも「僕が祖母の孫である」という条件付きで、僕は祖母の愛情を受け止めていました。だから僕は、本当の意味において、他者に心を開き、歩み寄ったことがなかったのかも知れません。それが、思い当たる限りの僕の「原罪」に当たるものと言えそうです。
 自らの内部に巣食う、虚な目。その目に、イーザリーもまた絡め取られていた様な気がしてなりません。こんな自分でも、もう一度誰かを信じることが赦されるのだろうか?という問い。
 先に僕は、日本の見世物小屋について述べました。日本の見世物小屋は、他者の命を食むことによって生かされてきた自らの罪を自覚し、共有し得る機能を帯びた文化装置だと論じました。蛇女という芸能者もまた、自らが依代となり、他者の罪を背負う存在であると言えます。なぜなら、彼女たちの蛇殺しは、「食糧」としての意味ではなく、「殺めるために殺める」行為だからです。殺生を禁じた「放生夜」における存在の矛盾を解く鍵がここにあります。彼女たちは蛇(これは、僕たちが生きるために殺めざるを得ない、あらゆる生き物たちの隠喩でしょう)を手にかけることによって、自らの身に"見えざる罪"を背負い込んでいるのです。蛇殺しは、文字通り"見世物"であると同時に、僕らの原罪を可視化する儀式なのです。
 その意味において、大衆の面前で"蛇喰い"という殺生の罪を犯す蛇女は、穢れという刻印を刻まれた"罪人"です。同時に、人々の罪を一身に背負った"依代"に他なりません。彼女は衆目の奇異の目に晒され、その身に背負った僕らの原罪を、"芸"に昇華します。蛇を殺す蛇女は、殺される蛇のメタファーです。他者救済のために身を引き裂かれ、人々の奇異の目に晒される、生贄の蛇。この姿は、洋の東西は異なりますが、ある種イエスの姿を彷彿とさせます。放生夜における見世物小屋もまた、他者との"断絶"にはなく、緩やかな繋がりの中に生きています。
 改めて、クロード•イーザリーについて。彼の人生における、前進の"足枷"となっていたもの。それは、その明晰過ぎる"個我"でした。彼は、自分の見たもの以外は決して信じようとしない、リアリストでした。軍の規律を無視して皇居を襲撃した様に、イーザリーには、自分以外の他者を信頼して、自らのプランを委ねることが困難な一面がありました。既にその他者不信に、やがて訪れる「他者との断絶」の萌芽はあったと言えます。
 ユングの説を発展して解釈すれば。僕には彼が、神の子としての使命にいまだ"目覚めざる状態"で受肉した、イエス・キリストとして映ります。弟子のユダに触発されたイエスは、かつて父なる神がヨブに触発されたごとく、ユダの不完全性に、自らにはない人間らしさと自律性を見出します。そしてイエスの遺伝子は、より人間に近付くために、時を超えてイーザリーとして受肉したのだとしたら。
 「全ての人間は神の言葉である。」という古諺があります。ならばイーザリーの中にも間違いなく、イエスの萌芽は秘め隠されているはずです。生前、救世主としての確信に満ちていたイエス。しかし、全ての価値観が相対化され、神への信仰すらもかつての様な絶対的を失った現代において。自らが「特別である」と確信を得て言うには、この世界は余りにも複雑化しています。
 他者のために傷つき、その姿を晒すことを選んだ瞬間。それは、この悲劇的な物語の中で唯一、主人公イーザリーが復活の曙光に輝いた瞬間だったのではないでしょうか?他者不信の荒野における、自分を赦してくれる他者との、思いがけない出会い。それは、自らを赦す、内なる神の獲得でもあります。
 ある時期のイーザリーが「僕は燃え盛るヒロシマの子供の夢を見た」という言葉を口にしたという言説は、あるいは世論の創作であって、事実ではないかも知れません。しかし、これを立証するのはあまりに困難であることを承知の上で言うならば。イーザリーのこの言葉は、彼の優しさから出た嘘だったと捉えたい。晩年、狼少年の様に扱われたイーザリーの言葉に、一片の"真実"が含まれているのであれば。そこに耳を傾けることが、文学の役割であると僕は感じます。
 苦しんでいるのは自分一人ではなかったことを、イーザリーは発見しました。ふと横を見ると、顔や手足に傷を負った広島の少女たちもまた、他者不信の灰の中で喘いでいました。その彼女たちからの、思いがけない"赦し"。イーザリーは彼女たちに赦されたことによって、彼の中の他者観が変容を迎えます。他者は、彼を脅かす存在ではなかったのです。その実感が、大いなる"他者"に、自らを委ねることを可能にします。それまで彼にとっての他者は、その動向を常に"凝視"しなければならない存在に他なりませんでした。信頼に足る対象であった軍が彼に沈黙し続けける存在に成り果てた末、イーザリーは、乙女たちに応答します。それこそが、先に述べた「僕は燃え盛るヒロシマの子供の夢を見た」という、限りなく虚構に近いとされる、彼の言葉に象徴されているのではないでしょうか。真実ではないその言葉を、彼は象徴の上で口にした。あるいは、その言葉に寄り添った瞬間があった。
 その心理の根底には、「原爆投下に携わった自分が、罪悪のために苦悩した」とすることによって、傷ついた者たちにとっての救いになり得るという考えが、僅かでもあったと感じます。それは、「原爆パイロット」であり、後に自身も被曝を体験した彼にしか果たせない役割だったに違いありません。
 虚栄のために誇大な嘘をついたとして、歴史に黙殺されたイーザリー。彼を全否定するのではなく、もしも彼に赦しが得られるとしたら。
 「自分が見たもの」しか信じなかった、肥大化した自意識をイーザリーは持っていました。その彼の、見果てぬ他者のための自己犠牲と、そのために傷付く選択。その選択の瞬間こそが、虚無の無限の劫火に焼かれ続ける(罪を実感できない事実を含め)イーザリーが、自分自身を赦せた瞬間だったと僕は考えます。「瞬間だった」とは、彼のこの心性は、必ずしも持続するものではなかったことを指します。
  あるいは彼は、本当の意味において、罪の自覚を持ちきれていない自分を、直視せざるを得なかったのかも知れません。
 「あの時、妻のお腹の中で、なぜ私の子供は死ななければなかったんだ?」という内省を、生前イーザリーは何度繰り返したことでしょう?そしておそらく、ある何者かが彼の心の中で「それはね、水爆の放射能の影響だよ」と答えたに違いありません。「何だって?そんなものに私の子供は殺されたのか?」とイーザリーは問います。すると、また誰かの声が「ああ、そうさ。君が"ヒロシマ"に落とした原爆の様にね」と答えます。そして「イーザリー、君は前に言ったよね?罪なき一般人なんていない。罪深きジャップは罰せられるべきだ、って」。この声に対しイーザリーは「なんだと?私の子供は悪人だったから死んだとでも言うのか?」と、行き場のない憤りを覚えたに違いありません。すると声は「見よ。罪なき者のうち、いまだかつて罰せられた者がいたか?」という、神を弁護する無数の"他者"たちの声として、イーザリーの耳に幾度もこだましたに違いありません。
 原爆乙女たちの手紙を貰った後も、この内なる他者の声を、究極的にはイーザリーは打ち消すことができませんでした。死ぬ直前まで、彼は揺らぎ続けていた。そこに、決して晴れることのない彼の苦しみがあります。苦しみがあるということは、裏を返せば、彼が以前の彼自身と比べて、その心に'他者"の灯火を宿した証と言えます。
 ユングの説を引き受けるなら。父なる神がヨブを下敷きにイエスとして受肉したのと同様、イエスもまた、ユダを下敷きに、イーザリーとして受肉したのです。自省することが、全能者である神にはない、人間に与えられた聖性であるとすれば。イエスはまだ、人間化が不十分であったとユングは指摘します。確かに、イエスには原罪がなく、彼はメシアとしての使命に揺るぎない自覚を持って産まれてきました。
 父なる神は完全性を志向すると同時に、人間の不完全性をも志向し、より精緻な人間化を目指しているのであれば。イーザリーは、人生における確信を得られず、ユダの姿を彷彿とさせる揺らぎと迷いを見せます。
 あるいは、恐ろしいことを書くことが許されるのであれば。イーザリーの中では最期まで、当初の英雄願望は消えていなかったのではないでしょうか?
 イーザリーとアンデルスの往復文書を書籍化したものの邦題が『ヒロシマ わが罪と罰』なのも示唆的です。ドストエフスキー同名の小説において、主人公のラスコーリニコフは、「一つの瑣末な罪は、百の善行によって償われる」「選ばれた非凡人は、その良心に照らし合わせて、社会的道徳を踏み越える権利を持つ」という思想の下、一人の高利貸しの老婆を「シラミの様な存在」として、斧で殺害します。老婆の溜めていたその"悪いお金"を、彼自身の善意と照らし合わせ、より正しい目的のために使おうとしたのです。しかしラスコーリニコフは、老婆殺害を目撃してしまった老婆の妹すらも、隠蔽のために惨殺してしまう。(例えば、この目撃者が、彼自身の母や妹だったとしたと置き換えると、彼の思想の特異性がより際立ちます。)そして物語の最後、ラスコーリニコフは、家族のために娼婦としての生活を送るヒロイン•ソーニャの献身に心打たれ、自首へと至ります。しかし、その結末においてなお、ラスコーリニコフが当初の「思想」を捨て得たか否かは明らかにされぬまま、物語は幕引きを迎えます。
 イーザリーはまさに、このラスコーリニコフの様に、最後まで二つの価値観の狭間で揺れ動いていたとすれば。ヒロシマの少女たちの"ナイト"として殉じたいという想いと共に、全くもって、顔や身体を引き裂かれたあの少女たちが、その"下手人"であるこの俺を「赦すはずはない」という想い。("自分は本当の実行者ではない"という自己弁護の退路は、果たして彼にとってどれほどの慰めになったことでしょう?)
 ヒロシマからの手紙を受け取りつつも、そこに書かれた言葉に、裸の身を委ねきれないもう一人のイーザリーがいます。耳の奥から聞こえてくる「あんな奴らは殺してしまえ」という声。少女の白い顔や肌を、真っ赤な炎が舌を出してチロチロ炙ってゆく光景を、ワインを味わう様に堪能する。そんな自分に苛立ちながらも、抗えない自分。あるいはそれは、戦争という非常時の中で、軍人であったイーザリーが、どこかで実際に体験したものだったのかも知れません。
 この現代に生きる僕自身も、全くの例外ではありません。体裁のよいハッピーエンドの主人公に収まらない、イーザリーという人間(もしくは怪物)に、心を揺さぶられる僕がいます。もっと言えば、共鳴すら感じています。イーザリーの胸の皮を剥ぎ、彼の心の内側まで覗き見たいと思う僕は、あるいは、彼の中に、自分の一部分を見いだそうとしているのでしょう。
 「イーザリーほど、よく食べ、よく眠る男はいなかった」という、妻や親類の証言があります。これは、「広島でのミッション以降、不眠症に悩まされ、夜中に叫び声を上げて目を覚ます」と言われた、"悲劇"のイーザリー像を完膚なきまでに覆えす証言です。
 しかし、だからこそ僕らは目を凝らさないといけません。彼が何か、特別な人間なのではなく、あるいは僕自身も、彼と同じ状況下に置かれたとしら。彼と同く"ヒロシマミッション"をこなし、それにも関わらず、家に帰れば皆と同じ様に一市民としてよく食べ、よく笑い、よく騒ぎ、よく眠ったのかも知れない。そこに、イーザリーの冷血性や僕らとの差異があるとは思えないのです。
 反面、ヒロシマからの手紙を貰った時、あるいは「何万分の一でも、彼女たちと痛みを共有したい」という気持ちが生じたことも、決して嘘ではないと思えるのです。「顔や肌を引き裂かれた乙女たちの痛みを、自分が少しでも引き受けてやりたい」という気持ち。
 そんな彼が晩年、テレビ局のインタビューに対し、「原爆投下は果たすべき私の役割だった」と言葉少なに語った矛盾。彼は死の瞬間まで、銀貨30枚で恩師を売った"ユダ"としての自分、戦争の英雄を夢見た自分を、決して忘れていなかったのです。心の奥底では、イーザリーの英雄願望は決して消えてはいません。
 果たして、どれほど改心しても、決して赦されない罪はあるのでしょうか?もしあるとしたら、人間には破滅しか残されていないのでしょうか?例えば、誰かを傷つけるために傷つけるという行為。
 では、もしないとしたら?一度改心したら、その後に再び残忍な気持ちが目覚めたとしても、罪は帳消しになるのでしょうか?
 善と悪というものが人間にとって不可分であるとすれば。改めて、イーザリーの物語のどこに、僕らは救いを見出せるのでしょう?
 イーザリーは、ヒロシマの少女たちに、本当の意味で罪の意識を持ち得ない自分に対する不信を投影し続けたのかも知れません。裏を返せばそこに、彼の善性の欠片を見出す僕がいます。希代の狼少年という烙印を押されたイーザリー。それでももし、彼の人生の足跡が伝えたかったものがあるとして、そこから何か掴み得るものがあるとするならば。
 もしも、1964年の転機、イーザリーの"嘘"が暴かれるあの出来事さえなかったら。彼は、反核の旗頭として邁進し、生きる途に殉じたでしょうか?それは分かりません。あるいは、彼の内なる"声"、あの「焼いてしまえ」という声が、どこかで彼の歩みを阻み、引き返さざるを得ない状況へと追いやったかも知れない。いずれにせよ、その道も永久に閉ざされてしまった。彼に残されたのは、いわば"狼少年"という汚名だけでした。当時、自らの正当性を主張する場もなく、ペテン師扱いされた彼は、もはや息を潜めて、アメリカの片隅で生きる以外、選択の余地はなかったのかも知れません。
 そんな精神的に孤立した彼の心の中で、"ヒロシマの乙女"たちは、一体どの様な位置を占めていたのでしょうか。ヨブが神を、対立する存在ではなく、内なる同伴者として内在化した様に、イーザリーにとって、ヒロシマの少女たちは、心の同伴者たり得たのでしょうか。あるいは、彼女たちの入る余地はもはやなかったのでしょうか。仮に、彼女たちの居場所はもうなかったとして、代わりに彼の心の内に寄り添っていた内的"他者"とは誰足り得たのか?再びアメリカ軍であったのか。
 逆に、もし彼女たちが、まだイーザリーの心の中に住んでいたとしたら。晩年の彼が口にした(筆記ではありますが)「国のため、防衛のために、私は同じ状況に置かれたとしても」「またヒロシマミッションを遂行するだろう」という言葉。この言葉を、彼自身は内的対話を通じて、心の中の少女たちに一体どう伝えたのでしょう?そこを明確にしない限り、彼は、他ならぬ自分自身を赦し得なかったはずです。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。