猫蔵の「生贄論」連載13

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

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■生贄論〜原罪と芸能〜 (連載13)

猫蔵

【転機】
 三つ目のターニングポイントに入ります。三つ目は、運命の【転機】です。原典たる『ヨブ記』に当てはめるならば。打ちひしがれるヨブの前に、なんと"父なる神"が降臨し、事態を好転へと導くきっかけとなる出来事が起こる場面です。イーザリーにとってその転機となった象徴的出来事は、「日本からの手紙」であったと捉えます。1959年の夏、彼に手紙をしたためた日本人の中に「原爆乙女」と呼ばれる少女達がいました。原爆乙女とは、被曝による影響で顔や腕に深刻なケロイドを負った、25人の若い女性たちのグループのことを指します。
 手紙の一部を引用します。
「最近、私たちは、あなたが広島のあのできごとのために罪の苦しみに悩まされ、その結果、治療のために病院に入られてしまったということを知りました。私たちが、いまこのお手紙をさしあげるのは、あなたに深い同情の気持ちをお伝えするとともに、私たちがあなたに対して敵意など全然いだいていないことを、はっきりと申しあげたいからでございます。」(※この文章は、あらかじめ英訳を含めて完成しており、少女たちには署名のみを求める形であったと言われます。なお、彼女たちはアメリカのクエーカー教徒の助力もあり、55年に25人が渡米し、ケロイドの治療を受けています。少女たちは署名することに対して深い逡巡があったそうですが、「せめて君たちだけでも」「敵を敵といわずに」「許す心を持ってほしい」と説得され、最後にはサインしたと言われています。)
 イーザリーの運命にとっての【転機】。それは、乙女たち自身の逡巡は深かったにせよ、自分を恨んでいると信じてやまなかった彼女達から、責めることのない手紙を貰ったときだったのではないでしょうか。この時に至って、あるいは、キリストを裏切りながらもそのキリストのために命を絶ったユダの様に、「他者」に対する不信を、他者への「慕情」が上回った瞬間があったとしたなら。
 確かにイーザリーという人間は、晩年である1975年8月、「ヒロシマデー」に関する意見をヒューストンのテレビ局から求められた際、「(仮に、当時と同じ状況に現在の自分が置かれたとしても)国のため、防衛のために(任務から)逃げたりはしない」と筆記(この時点で彼は喉頭癌により肉声を失っていた)を用いて語るなど、非常に矛盾した人物であることに違いはありません。しかし、こと、一見するとこの矛盾や曖昧さに満ちたイーザリーの人生を、それでもなお見つめ、そのささやかな善意の瞬間に寄り添う眼差しが、仮にあるとしたら。その眼差しはきっと、彼が日本の少女たちに「幸あれ」と祈りを捧げた瞬間を、決して見逃さないに違いありません。言い換えれば、"神"という他者の目を通じて、他ならぬイーザリー自身が、平穏な気持ちと共に、自らを赦し得たひととき。その瞬間に至る出会いが、彼の人生に訪れたとしたら、あるいは、この「日本からの手紙」を読んだ時だったのではないでしょうか。
 ヨブにとって、絶対的な他者とは、つまり父なる神でありました。一方、イーザリーにとっての絶対的他者とは、(たとえ間接的であるにせよ)自らが傷つけてしまった広島の人々に違いありません。「原爆を落とされた者」が、「原爆を落とした者」を赦す。その象徴的瞬間に、彼は立ち会ったのです。
 ここで、宮沢賢治の小説『よだかの星』の一節を思い出します。傷心の主人公のよだかが夜空を飛んでいる時、口めがけて飛んできた一匹の甲虫を、無理矢理飲み込んでしまう場面があります。その次の瞬間、「急に胸がどきっ」として、よだかは大声を上げて泣き出します。今まで自分が顧みることのなかった他者の犠牲の上に、自分の生が成り立っていたという事実の発見。パイロットとして空を舞うイーザリーの姿が、僕の目にはどこかこのよだかと重なります。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦

日野日出志体験』を手に持つ日野日出志


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。