随想 空即空(連載87)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー&清水正ブログ#

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随想 空即空(連載87)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

 鑑三とタケの離婚を考える時、「武士の家庭として一旦しきいをまたいでこの家を出た以上は再び帰ることはできぬがよいか」と言った鑑三の言葉は鍵となろう。鑑三はタケを内村〈家〉に嫁いできた女と見ている。これは鑑三だけでなく鑑三の父宜之も母ヤソも同じであろう。ヤソが結婚に大反対したのも、学問のある賢い女タケが内村〈家〉で嫁として自分とうまくやっていけないことを直感していたからである。鑑三の新渡戸稲造や宮部金吾にあてた手紙を読んでも、鑑三が内村〈家〉の嫁としてではなく、彼自身の伴侶としてタケを結婚の相手として考えていたとは思えない。鑑三は母ヤソの大反対によって一度はタケとの結婚を断念さえしている。鑑三とタケとの関係が潔白であることを理解した両親が賛成するに至って結婚を決意している。先に指摘したように、鑑三はそもそもの段階からタケよりもヤソを選んでいる。家庭内でいざこざが生じた時、鑑三はすべてのひとを敵に回してもタケの味方にならなければいけない。つまり母親ヤソよりもタケを選んでいなければ、結婚などうまくいくわけはないのである。内村〈家〉(武士の家庭)をタケと二人で出て行く覚悟のない鑑三が、タケとの離別にどんなに煩悶しても、その煩悶はタケの胸には響かない。わたしの胸にも響かない。鑑三はタケよりも〈家〉を、自分の〈野望〉(彼自身は明確に自覚していないようだが)の実現を選んだのである。

 鑑三の手紙を読み、また鑑三側にたった評伝を読んでいると、タケは〈うそ付き〉で〈うわき者〉になってしまう。政池仁は鑑三は「忍耐に忍耐を重ね、種々慰めて離婚を思いとどまらせようとした」と書いているが、こういうことを言えば、タケもまた〈忍耐に忍耐〉を重ねていただろうし、また鑑三がタケにかけた〈慰め〉の言葉が問題になろう。要するに鑑三の〈慰め〉の言葉がタケの心に届いていないのである。家庭内で事件が起きた時に、真実を求める余りに厳しく問いつめたり叱責したりすれば、取り返しのつかない破局を迎えることになる。タケは嫁として、ひとりの女として、鑑三が自分の味方ではなく、内村〈家〉の側、家督継承者としてその中心に立っている男であることを明確に知ったのである。

    鑑三は〈僕の助け手、慰め手、共働者として信頼していた彼女〉に対して、口が裂けても〈羊の皮をかぶった狼〉などと言ってはならないし、ましてや友人宛の手紙で書くべきではない。鑑三は「僕は全精力を傾けて問題を精しくしらべた」と書いているが、タケの置かれた嫁の立場や彼女の心理・感情の側面に関しては特別の関心を向けていない。こういった鑑三が家庭内の〈紛糾の原因〉をタケに発見したと言っても説得力がない。鑑三はもともと内村〈家〉を一度出たタケを、内村〈彼個人〉が迎え入れる気持ちがないのであるから、彼の煩悶苦悶を個人のものとして受け入れることはできない。鑑三が士族の誇りや、家制度の桎梏にとらわれていたのなら、その側面を軽視することはできないだろう。尤も、鑑三の決断は同じく士族であった浅田家にとっても不名誉そのものであったろう。キリスト教式の結婚をしてからほんの七ヶ月でタケは実家に戻っており、子供が生まれてからも鑑三に復縁を許されなかったのであるから、そうでなくても醜聞ネタに飢えている世間から両家に向けてのどんなに酷い噂が囁かれたか、想像するに余りある。鑑三がタケの欠点をとりあげ、厳しく裁断すればするほど、鑑三自身も責められることになるのである。しかし、政池仁はタケに対してかなり厳しい裁断を下している。彼は先に引用した箇所の後に「タケは去った後でまた内村家に帰りたくなった。彼女は実に軽々しく結婚し、軽々しく離婚し、そしてまた、軽々しく復婚しようとした。しかし内村はそういう人ではなかった。仲々離婚に同意しなかったが一旦去ったら再び入れぬと約束した以上はうそを言うことのできぬ彼であったから頑として受付けなかった」(89~90)と書いている。

 読んでいて一方的な感じがするのは免れない。結婚は二人の同意によって挙行されたのであり、タケだけが〈軽々しく〉と責められるのは公平ではない。離婚に関しては鑑三側だけの資料しか出ておらず、どういうわけかタケ側の資料はない(もしくは発表されていない)。これに関して政池仁は「彼らの間にかわされた手紙も英文で数多く残り、先年まで保存されたが、全集にも載せられる事なく、全部彼らの娘の手で焼却された。それらは内村が宮部に書いたような切々の文字の連続であったという」(87)と書いている。政池仁は重要な事に関して余りにも簡単な記述で済ましている。〈先年〉とはいつの事なのか。どうして全集に収録されなかったのか。なぜ娘ノブはこれら重要な手紙を焼却したのか。ノブ一人の判断によるのか、それとも鑑三やその他の人から要請があったのか。そもそも〈焼却〉は本当にあったのか。政池仁は取材にあたって録音していたのか。なぜ彼は踏み込んだ質問をしなかったのか。いずれにしても疑問だらけの記事である。

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