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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載25)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 ここで叙述上の特徴(カメラの視点)を指摘しておこう。『ベラミ』は三人称小説の体裁を採っているが、『罪と罰』と同様、主人公を示す〈彼〉〈デュロワ〉〈ジョルジュ・デュロワ〉〈ジョルジュ・ド・デュロワ〉を〈私〉に置換することができる。カメラは〈ジョルジュ=私〉の眼に張り付いて外部世界を映し出すか、あるいはそこから離れても、ジョルジュに焦点を当てながら世界を映し出す。『罪と罰』のカメラがスヴィドリガイロフを描くに当たっては例外的にロジオンから離れたように、『ベラミ』においても例外(ヴァルテール夫人の内的世界)はあるが、基本的にはジョルジュから離れることはない。

 カメラは待合室に残されたジョルジュではなく、フォレスチェを追っていくこともできたはずだが、作者はそういった方法は採らなかった。作者は、今の段階で新聞社の複雑な機構や人間関係に照明を当てることを避けている。それらは今後の展開において順序を追って明らかになっていくだろう。今は、〈通俗小説〉の読者の頭を混乱させるような複雑な構成は極力避けるという職業作家の知恵も働いたであろう。パリの世界、これからジョルジュが踏み込んでいくパリの社交界は、あくまでもジョルジュの視点を通して徐々に切り開かれていかなければならないのだ。換言すれば、読者はジョルジュと歩調を合わせて、野望実現のプロセスを歩んで行くということである。ジョルジュの物語を、読者一人一人のものとして描き出すこと、作者の戦略は多くの読者を獲得するという商業戦略とも一致していることは間違いない。ジョルジュの〈野望〉は同時代のパリを生きる人間たちの野望を余すところなく反映しているのである。

 ようやくフォレスチェは一人の男を連れてジョルジュのもとへ戻ってくる。フォレスチェが〈先生〉と呼ぶその〈背の高い痩せた男〉の名はジャック・リヴァル、作者はジョルジュの眼差しを通して「背の高い痩せた三十から四十の間と見える男で、黒の服に白のネクタイ、色が浅黒く、髭が鋭くぴんとはね上がっている。傲慢不遜なうぬぼれの強そうな様子をしている」と書いている。〈美貌〉を抜きにすれば、まるで鏡に映ったジョルジュの肖像のようにも見えるが、ジャック・リヴァルはフォレスチェに言わせると〈第一流の時評家〉で、〈ここで週に記事を二つ書いて年三万フランもらっている〉先生である。鉄道会社に勤めているジョルジュの実に二十倍の年収額である。「ステッキを小脇にはさんで、口笛を吹きながら、階段を下りて行った」有名な時評家ジャック・リヴァルと、その後ろ姿を見送るジョルジュとの間には収入と社会的地位に関して雲泥の差がある。おそらくジョルジュの美貌など、この傲岸不遜なジャック・リヴァルの注意を引くことさえなかったであろう。

 次に紹介されるのが、息を切らして階段を上ってきた〈髪を長くのばした、太った、いかにも不潔そうな様子の小男〉である。フォレスチェはこの小男にひどく丁寧な挨拶をした後で、彼がノルベール・ド・ヴァレヌという名の詩人で「死せる太陽」の著者であること、彼が寄稿する短編一つが三百フランだと告げる。短編一つがジョルジュの年収の五分の一ということになる。

 フォレスチェの男二人に対する紹介の仕方は名前、容貌、肩書き、収入と簡潔であり、読者に明確な肖像画を提示している。注意すべきは、ここでフォレスチェはこの二人をジョルジュには紹介していないことである。さらに興味深いのは〈収入〉を報告していることだ。十九世紀中葉のパリの新聞界において、寄稿者の原稿料を特に秘密にしておく慣例などなかったのであろうか。それとも、やはりここでもフォレスチェのジョルジュに対する虚栄がそれとなく発揮されたのだろうか。『社の〈秘密〉をおまえさんには特別に教えてやるよ、おれは彼らの原稿料を決定できる地位にあるんだよ』ぐらいのことを、昔からの友にほのめかしたかったのかも知れない。

 日本人の感覚からすると、ひとを紹介するにあたって、そのひとの年収や原稿料まで口にすることはまずない。金のことを口にするのははしたないことだと見なされている。わたしの七十余年の人生においても、かなり長いつき合いをしている仲であっても〈年収〉のことをお互いに口にすることはない。しかし、資本主義の自由競争・契約社会において、仕事の報酬を内密にしておくことのほうが本来不自然である。フォレスチェの紹介の仕方はごく普通のことであったのかも知れない。

 資本主義社会にあって、報酬の額は、仕事の価値を明確に表している。その価値を決定づけるのは人気、評判、権威者の推薦など、必ずしも内容の評価そのものと合致しているわけではないが、需要があっての供給であるから、資本主義社会にあって評価は世間の評判や要求と切っても切り離せない関係にある。ここでフォレスチェは時評家ジョルジュ・デュロワや詩人ノルベール・ド・ヴァレヌの作品そのものに関するコメントはいっさいしていない。原稿料が即作品の価値を示しているのであり、さらに作家の社会的評価も決定しているのである。まさにジョルジュが連れてこられた新聞社〈ラ・ヴィ・フランセーズ〉(フランスの命)は、掛け値なしの自由競争社会の戦場であり、フォレスチェは仕事の価値は金によって冷徹に換算されることをジョルジュに告知しているのである。

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