ネット版「Д文学通信」6号(通算1436号)岩崎純一・連載4「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」

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ネット版「Д文学通信」6号(通算1436号)           2021年11月05日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第4回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

二、哲人たちの哲学の根底

 

林太郎少年(森鷗外)の苦闘 ニーチェを選んだ近代日本のエリートにとっての自我、学問、母、女性

 

 ニーチェに最もよく似た男、松原寛を見る前に、この森鷗外という近代日本人エリートの自我の葛藤を見ておきたい。私は、今はニーチェと松原寛に哲人としての共通性を感じているが、松原寛を知る前は、鷗外にニーチェ的特性を感じていたのである。いや、むしろ戦前には同じような死生観を持った文豪たちが実に沢山おり、このような死生観が西洋・キリスト教道徳に対する東洋・日本の誇るべき典型的特質として理解・自負されていたことを紹介しておく。

 私が通っていた中高一貫校では、近代日本文学(主に夏目漱石)の研究者で、現在は大学教授である先生が国語教師を務めていて、大変人徳のある先生であった。一方でその頃から、何となく漱石よりは鷗外のほうが私の葛藤を再現してくれている気がしていた。鷗外に私自身を感じたのである。今改めて、若き日の自我の苦闘体験に注目してみると、鷗外の自我との向き合い方、西洋的倫理道徳への対応は、漱石のそれとはやはり異なる。私に似て、非常に挑戦的な匂いがする。

 次に挙げた鷗外の文章などは、私にどこまでも深い感銘を与えてくれる。鷗外は、ショーペンハウアーニーチェにうるさいくらい大量に言及した人である。ただし、鷗外は西洋化の真っ只中におり、自身もドイツ医学に憧れたためか、教えられた西洋的自我と自身本来の東洋的・日本的自我との闘いが生じる時期が、比較的遅かったようだ。あるいは、気づいていたが書けなかったと見たほうがよいのだろう。次の『妄想』の文章は、鷗外が四十九歳のときに、過去の自分を述懐したものである。主人公「翁」は鷗外自身である。いわば、医学の天才による野蛮人宣言である。

 

 自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからも、暇があれば外国の小説を読んでゐる。どれを読んで見てもこの自我が無くなるといふことは最も大いなる最も深い苦痛だと云つてある。ところが自分には単に我が無くなるといふこと丈ならば、苦痛とは思はれない。只刃物で死んだら、其刹那に肉体の痛みを覚えるだらうと思ひ、病や薬で死んだら、それぞれの病症薬性に相応して、窒息するとか痙攣するとかいふ苦みを覚えるだらうと思ふのである。自我が無くなる為めの苦痛は無い。

 西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だと云つてゐる。自分は西洋人の謂ふ野蛮人といふものかも知れないと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時二親が、侍の家に生れたのだから、切腹といふことが出来なくてはならないと度々諭したことを思ひ出す。その時も肉体の痛みがあるだらうと思つて、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思つたことを思ひ出す。そしていよいよ所謂野蛮人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出来ない。

 そんなら自我が無くなるといふことに就いて、平気でゐるかといふに、さうではない。その自我といふものが有る間に、それをどんな物だとはつきり考へても見ずに、知らずに、それを無くしてしまふのが口惜しい。残念である。漢学者の謂ふ酔生夢死といふやうな生涯を送つてしまふのが残念である。それを口惜しい、残念だと思ふと同時に、痛切に心の空虚を感ずる。なんともかとも言はれない寂しさを覚える。

(「妄想」 『日本文学全集 四 森鷗外集』 三三四頁)

 

 それは兎に角、辻に立つ人は多くの師に逢つて、一人の主にも逢はなかつた。そしてどんなに巧みに組み立てた形而上学でも、一篇の抒情詩に等しいものだと云ふことを知つた。

***

 形而上学と云ふ、和蘭寺院楽の諧律のやうな組立てに倦んだ自分の耳に、或時ちぎれちぎれの Aphorismen の旋律が聞えて来た。

 生の意志を挫いて無に入らせようとする、ショオペンハウエルの Quietive に服従し兼ねてゐた自分の意識は、或時懶眠の中から鞭うち起された。

 それは Nietzsche の超人哲学であつた。

 併しこれも自分を養つてくれる食餌ではなくて、自分を酔はせる酒であつた。

 過去の消極的な、利他的な道徳を家畜の群の道徳としたのは痛快である。同時に社会主義者の四海同胞観を、あらゆる特権を排斥する、愚な、とんまな群の道徳としたのも、無政府主義者の跋扈を、欧羅巴の街に犬が吠えてゐると罵つたのも面白い。併し理性の約束を棄てて、権威に向ふ意志を文化の根本に置いて、門閥の為め、自我の為めに、毒薬と匕首とを用ゐることを憚らない Cesare Borgia を、君主の道徳の典型としたのなんぞを、真面目に受け取るわけには行かない。その上ハルトマンの細かい倫理説を見た目には、所謂評価の革新さへ幾分の新しみを殺がれてしまつたのである。

 そこで死はどうであるか。「永遠なる再来」は慰藉にはならない。Zarathustra の末期に筆を下し兼ねた作者の情を、自分は憐んだ。

(同 三四一―三四二頁)

 

 軍医でもあった森鷗外は、むろんここで、他の文豪に対して己の死生観を好き勝手に語っているのではない。このような死生観についての激闘が、鷗外自身のみならず、西洋文明に否応なしに触れることになった漱石ら日本の知識人層の多くに生じたことを分かっており、ひいてはこのような死生観が東洋・日本の特質であることを見抜いて、こう書いたのである。

 鷗外は、ショーペンハウエルニーチェにシンパシーを感じながら、ここでいきなりそれらの哲学をも卒業しようとしているが、それはやや性急すぎるとしても、鷗外のこれらの文章にこそ、非西洋・非キリスト教としての日本人の死生観が表れているのである。自らが東洋的無我(非我)として西洋的自我に触れたときの抵抗感が、私と同様であることが観察でき、ありがたいことこの上ないのである。私は哲学論議や文筆で、しばしば好んで「東洋的(日本的)真我」なる語を用いるが、「自我」と便宜的に対置させる機能を持つ限り、「無我」でも「非我」でも「超我」でも同じことである。

 明治当時の文豪で比較すれば、森鷗外ニーチェ的特性は、夏目漱石よりは明らかに徹底している。漱石の「則天去私」の境地は、涅槃的境地を言わんとしたものでありながら、理知的で視覚的、絵画的なものに感じられる。ニーチェの語で言えば、ややアポロン的要素の優先性を残す。イギリス風景的と言ってもよい。鷗外のほうは、ディオニュソス的、全身感覚的、音楽的である。ドイツ的、ゲルマン的と言ってもよい。文体と思想がそれぞれの留学先に対応していることも、言うまでもない。一方は戦勝国、一方は敗戦国となっていく、その前夜の時期である。

 また、鷗外と母・峰子の関係は、ニーチェとフランツィスカの関係に似ている。どちらの母も、息子可愛さのあまり、将来への期待が激しくなる傾向にあった。蜂子は、鷗外の出世工作、有力者への接触や、鷗外の離婚後の再婚工作など、自ら激しい行動に出る恐るべき女であった。鷗外は、妻の志げと峰子の確執にも悩まされた。そんな鷗外の女性観と言えば、『舞姫』や『うたかたの記』、『ヰタ・セクスアリス』に表れていることは言うまでもない。

 漱石漱石で、おそらくはニーチェを完全に無視したわけではない。漱石は、(西洋人の受け売りではない)「自己本位」や、(西洋文学の形式を超えた文学自体の定式としての)「F+f」などの概念を残している。「Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す」(『文学論』冒頭)としたのである。ここには、アポロン的観念としてのF、ディオニュソス的情動としてのfが見て取れる。また漱石は、画(造形芸術)と詩(言語芸術)を対比させて、ニーチェ風のアポロンディオニュソス論をいわば入れ子構造として展開している。

 日芸の此経啓助先生などはこれを評して、清水正先生の批評精神に通じるものとしているが(『ドストエフスキー曼陀羅』九号「文芸批評の王道 –夏目漱石から清水正へ-」十六頁―二十六頁)、これは此経先生の清水先生に対する深いねぎらいや配慮から来るアポロン的解釈だと思う。清水先生は、実はむしろ鷗外的人間だと言えると思う。

 漱石の自我の苦悶は、実はすでに解決しかけている、収まりつつある苦悶であるように見える。私のように、解決している(問題が発生しない)にもかかわらず、西洋道徳に基づく学校道徳や国民道徳に自分が投げ込まれたがために発生せざるを得なかった自我の葛藤とは違い、漱石の葛藤は、あまり西洋道徳と対決姿勢を示さなかったがために、温和に解決した葛藤であると思う。

 しかし、鷗外の葛藤は、形而上の存在論の対象にさせられた自我(無機的生命)の価値・意義が形而下の喜怒哀楽体験や快・不快体験や恋愛・結婚・肉感体験(有機的身体感覚)の価値・意義を上回るという西洋医学や西洋文学の前提がまずおかしいと言っている。その上で、ドイツ医学を学んだ自分が日本人の身体とどう向き合うべきかに苦しんでいる。

 そう考えると、私の場合はなおさら、清水先生の筆致(『ドストエフスキー曼陀羅』九号に見られるような形而下学としてのドストエフスキー論や『源氏物語』論)には、まずは漱石よりも鷗外を見てしまう。私自身の葛藤もまた、漱石よりはニーチェや鷗外の葛藤に近かったと理解される。

 ただし、鷗外も鷗外で、社会的立場のこともあって、ニーチェのような根本的な価値転倒に邁進することはできないと見たのか、『青年』の時点で、「利他的個人主義」などという、漱石でさえ怒りそうな、良い子じみた理知的概念にすっぽり収まってしまった。これは無論、「利己的個人主義」、「利他的共同体主義」、そして「利己的共同体主義」(いわばアダム・スミスの道徳情操論、あるいは、個々人の保身と責任逃れのための大衆迎合)に対する概念であるが、「利他的個人主義」とは、日本的共同体に生きながら群衆道徳に陥らない超人思想を自らなりに継承しようとする鷗外なりの遠慮した表現であったのだろう。

 森鷗外の場合、まさにニーチェが生きた時代のドイツの医学と哲学の洗礼を受け、夏目漱石のイギリス風景美的な、危険を冒さない実存哲学よりも、もっと原理的な価値の転倒に挑むことができたはずだが、西洋人が問答無用に前提している自我の実在とその消滅の惜しさに納得できない旨をはっきりと表明できている作品は、『青年』や『妄想』など以降である。

 これらの自我葛藤作品は全て、性愛恋愛小説群(『舞姫』、『うたかたの記』、『ヰタ・セクスアリス』)の後に書かれたものである。西洋の自我と東洋の真我の違いへの自覚的葛藤の芽生えが比較的遅いと先に書いたのは、そういう意味である。あるいは、鷗外自ら意図して遅くしたとも言える。

 それに鷗外は、漱石のような理知的葛藤を蔑視していたわけではない。むしろ、鷗外は、漱石の『三四郎』に触発されて『青年』を書くが、ここに登場する医学生の「大村」の助言と「純一」(奇しくも私と同じ名前だが)の孤独と絶望は、次のように描かれる。鷗外は、ツァラトゥストラの超人思想に一見そぐわないと誤って思われがちな恋の苦悩をも、ニーチェの大いなるディオニュソス論を転用することで描いたのである。この後、『妄想』で大村のショーペンハウアーニーチェ観をも超克しようとするのだが、鷗外の軍医としての働き方は、「超人」に至らない「利他的個人主義」であったと思う。

 

 大村の啓発

 

 大胆な航海者が現れて、本当の世界の地図が出来る。天文も本当に分かる。科学が開ける。芸術の花が咲く。器械が次第に精巧になって、世界の総てが仏者の謂う器世界ばかりになってしまった。殖産と資本とがあらゆる勢力を吸収してしまって、今度は彼岸がお留守になったね。その時ふいと目が醒めて、彼岸を覗いて見ようとしたのが、ショペンハウエルという変人だ。彼岸を望んで、此岸を顧みて見ると、万有の根本は盲目の意志になってしまう。それが生を肯定することの出来ない厭世主義だね。そこへニイチェが出て一転語を下した。なる程生というものは苦艱を離れない。しかしそれを避けて逃げるのは卑怯だ。苦艱籠めに生を領略する工夫があるというのだ。What の問題を how にしたのだね。どうにかしてこの生を有のままに領略しなくてはならない。

(『青年』 一九三頁)

 

 Tolstoi がえらくたって、あれも遁世的だ。所詮覿面に日常生活に打っ附かって行かなくては行けない。この打っ附かって行く心持が Dionysos 的だ。そうして行きながら、日常生活に没頭していながら、精神の自由を牢く守って、一歩も仮借しない処が Apollon 的だ。どうせこう云う工夫で、生を領略しようとなれば、個人主義には相違ないね。個人主義個人主義だが、ここに君の云う利己主義と利他主義との岐路がある。利己主義の側はニイチェの悪い一面が代表している。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるという思想だ。人と人とがお互にそいつを遣り合えば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論を須たない。利他的個人主義はそうではない。

(同 一九四頁)

 

 純一についての記述

 

 寂しさ。純一を駆って箱根に来させたのは、果して寂しさであろうか。Solitude であろうか。そうではない。気の毒ながらそうではない。ニイチェの詞遣で言えば、純一は einsam なることを恐れたのではなくて、zweisam ならんことを願ったのである。

(同 二一一頁)

 

 純一(ないし現存在としての人間一般)は、「寂しさ」や「孤独」に苛まれたのではなく、かつ「einsam(一人きり)」を恐れたのでもなく、「zweisam(二人きり)」を願ったのである、という主張だが、非常に難解である。ニーチェの思想に照らして解釈すれば、「一人きりを恐れて、恋愛の相手を求め、ひいては神に頼るのは、ただの弱者道徳、我が儘である。しかし、二人でいながらにして、それぞれが寂しさや孤独を堂々と直視して生きる単独者であることは望ましく、純一はいよいよそのような超人たらんことを願ったのである」というのが、鷗外の主張の内実なのだろう。

 こうしてみると、漱石のようにやや英国的な貴族道徳からニーチェを遠目に見るか、鷗外のようにドイツ的な君主道徳からニーチェを恥ずかしいくらいに直接引用したかにかかわらず、西洋的自我への違和感は、およそ弱者道徳を持つ大衆の計り知れないレベルで、和魂洋才のエリート文豪たちの間で共有されていたのである。

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

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ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                        発行所:【Д文学研究会】

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館で「松原寛と日藝百年」の展示会が開催されています。 

 

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