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「清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕200周年に寄せて」展示会の感想を何回かにわたって紹介します。(連載10)
【14】
表現する情熱は一種の執着だ。人が何かにこだわって追い求め続けられるのはそこにある魅力や惹きつけられるものに対する執着なのだと思う。その形や物は人によって違うだろうが、清水教授にとってそれはドストエフスキーだったに違いない。この歳になっても、病魔に体を犯されようとも尚追い続けられるのはもはや人生においてなくてならない、自分自身を表現するにはドストエフスキーに執着するしかないという情熱を作品や展示されている物たちから感じた。日々私自身も表現をしている。それは芸術活動の領域には収まらないだろう。生きることそれ自体も、自分自身が自分であり続ける為の執着の果てにあるのだと考える。人間は何かに執着して自分を表現し続けなければ生きていく事ができない。唯一無二の人間で代わりはいないと思う為に、自分や他にそう言い聞かせるにはそうする他方法はない。だからこそ、表現すること自体に魂を燃やして情熱を持って挑む事ができるのだと私は思う。
【15】
展覧会を何度も見て情熱がどこからくるのか考えているのだが、なかなか難しくて未だはっきりとした答えが出せない。しかし熱情の行方を考える時、なぜだか清水先生のこの文章を思い出す。「江古田駅北口の階段を降りてすぐ、日芸校舎に向かう途中で突然背中がゾッとした。」(日藝ライブラリー第3号 4 頁「松原寛との運命的な邂逅」より)
回想する理由すらわからないのだけど、ここに何かヒントが隠されている気がするのだ。「日藝に導かれたから、私がここでドストエフスキーなどを論じないといけない」という先生の使命感たるや凄まじい。私は、この使命感こそが清水先生の表現における情熱の原動力なのではないか、と今は考えている。自分が表現したいことは、自分自身で表現するしかない。誰になんと言われようと、私も藝術を止めてはならない。書き続けなければならない。だって私は清水先生と同様、日藝に導かれてしまったひとりなのだから。日藝に出会った時、もう既に私のなかにも表現のための情熱はあったのかもしれない。
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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景
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