ネット版「Д文学通信」14号(通算1444号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第10回)

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ネット版「Д文学通信」14号(通算1444号)           2021年11月19日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第10回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

三、様式美としての哲人の生涯

哲人様式の必然的一致

 

 さて、哲人たち(今や自称哲人の私をも含む)の生涯が、大衆に比して一定の高貴な「著述」法則と思想の変遷の区分のしやすさを持っているというわけではないかもしれない。逆に、この「著述」パターンを辿って生きた人間は必ず哲人になれるというような法則もないだろう。むしろ、特に今の日本では、哲人のほうが出版界の道徳、都合、著述方法の要求、著作発表パターンに巻き込まれがちだろう。

 一見、ニーチェと松原寛の対応の仕方は全く異なっている。松原寛の場合、芸術の著作、宗教の著作、哲学の著作が無秩序に入り乱れているが、芸術の著作だけを見ても、『現代人の藝術』と『藝術の門』の内容はほぼ同じである。これらの著作において芸術の現状を嘆き、事実上、ニーチェ風のディオニュソス的芸術の復興を叫びはするが、改めてこれを民衆の地平の言葉で、文体を変更して訴えようという態度は、まだ見られない。

 三十代前半においては、ニーチェのほうが、自著を理解されず悩む一方、松原寛のほうは、その理解されにくさが自身の絶叫的文体にあることを一顧だにせず、丸々複製して世に問うあたり、二人ののちの姿(ニーチェ自画自賛と松原寛の浄土・新宗教依存)が全く見えてこないので面白い。

 しかし、ニーチェや松原寛をはじめ、哲人たちの人生がある一定の高貴な「苦闘」様式を有していることは確かである。なぜならば、哲人というものは、後述するような群集心理史、勝者の記録としての世界史の全部を引き受けて、それを一人で生き直すという作業を必ず実践しているからである。その作業の最高峰が、「絶対者」の無限の相対化である。「絶対者」の解体と再構築である。あとはこれを、それぞれの哲人の用語・造語によって展開するのみである。西田幾多郎などは、特に初見では意味の不明なフレーズを多用した哲学者だが、西田幾多郎とて、金星や火星の宇宙人ではなく、地球の哲人である。

 大雑把に言えば、ニーチェと松原寛の三区分は、「哲人様式」を見る上で大いに参考になる。ニーチェキリスト教信仰から『悲劇の誕生』におけるディオニュソス精神への回帰に至る過程と、松原寛のキリスト教信仰から『現代人の芸術』に至る過程は、キリスト教的「群衆道徳」、要するに既存価値と自身の齟齬への気づきと確信の時期である。ニーチェの価値の転倒(反哲学)と松原寛の哲学への傾倒と絶望も、言葉は違えど、同じものである。ニーチェの超人・永劫回帰・運命愛思想(狂気の前夜)と松原寛の親鸞天理教・軍国思想(安住の選択)も、これまた哲人たちが時代を生き抜くために生み出した、異口同音の思想なのである。

    自我の葛藤の乗り越え方、「絶対者」との向き合い方が異なるのは、哲人側の様式の不徹底によるのでなく、哲人たちが生きた古今東西の時代と文明の相違と、大衆側の徹底した価値道徳の暗黙の強制の影響によるのである。つまり、読者(群衆道徳様態)が異なるがために、哲人たちの苦労があるのみである。哲人は、哲人自身にその自らの思想を解説するに当たっては、内言語のみで足り、著書自体が不要なのである。

 ちなみに、二十代や三十代を今生きる私や先の巫女たちからすれば、自分たちこそはすでにニーチェや松原寛の生涯の前期も中期も通り越し、永劫回帰思想なり、神道の神髄なり、何らかの老境や晴耕雨読の生活が見えているなどと自負してしまっているものである。私などは、松原寛の晩年(浄土信仰、天理教信仰、軍国主義賛美)は、氏の哲学や宗教の衰微ではないかと、今の時点で僭越にも指摘したいくらいである。

 だが、そのような性急な判断は取り敢えず横に置く。やはり、松原寛の晩年は氏の思想の最高峰であり、氏の必然であったのだと、あえて見てみたい気はする。寿命以外の人生のある瞬間の自分を完成形だと思った時点で、三島由紀夫になるしか道はないのである。そう思わずに、最後まで生き抜いたニーチェや松原寛は、立派な実践の哲人である。

 私は、もし三島由紀夫が生きて書く予定だったところの藤原定家論(川端康成伊藤整に構想を漏らしている)が実現していたなら、それは『豊穣の海』よりも立派なものだったと思う。三島由紀夫は、結局は西洋的な決定論・目的論折衷型の自己進化論を自分で閉幕する形で、人生を終えた。その中で日本的な要素と言えば、日本語と日本刀と天皇賛美の論理を使ったことくらいであった。

 断っておくが、八十・九十になっても大衆道徳の権化として生きているような官僚や政治家や企業家その他の老翁たちの人生様式の話をしているのではない。哲人たちの人生様式の話をしているのである。哲人は幼少期から哲人だが、晩年および死の瞬間にもやはり哲人だという当たり前のことを確認しているのみである。

 

巫女の生涯区分と哲学の手法 「身体芸術」即「哲学」の哲人女性たち

 

 さてここで、先の表のニーチェと松原寛の生涯区分に、今回取り上げている吉備の巫女たちの平均的な生涯区分を重ねてみた。無論、本稿で取り上げるニーチェや松原寛、そして私と異なり、ここに挙げたのは私の知人の巫女数十人の生涯の平均的な生涯であるから、個々の巫女の人生はまた別に営まれていることだけは間違いない。しかし、少なくともその平均値は、私にはやはり美しい様式美を有しているように見える。

 これらの巫女たちの生涯は、もう一方の神道派閥(いや、神道政治勢力)を展開する巫女(内掌典ほか宮廷・皇室神道関係の巫女や、旧国家神道神社本庁神道神社神道系の巫女)の生涯に対し、より古式の土着の神道形態に基づいており、独自の慣習を有する。

 彼女たちは、二十代を中心に、まだ十代後半から三十代前半の女性がほとんどであるから、年齢の上ではせいぜい先の二人の哲人の前期から中期前半あたりにいる。しかし、神道内の派閥争いに巻き込まれて育っていることもあって、母親や祖母の神道の伝統を護持しようとするあまり、思想の早熟が見られる。そのため、実際には前期(祭祀・芸道の修練期、思想の準備期)と中期(祭祀・芸道・思想の確立期)とは複雑に重なり合っている。

 巫女を統率する立場の巫女(巫女頭)となった女性や、巫女の審判者である審神者(さにわ)、巫女を引退した指導者の女性であれば、もう四十・五十を超えているので、表の中期後半から後期の部分は、これらの女性の生涯を参考にその平均値を書き込んだ。無論、十代から三十代の巫女たちも、いずれこのような生涯を過ごすことになる。

 彼女たちが継承し蓄えている神道体系とは、ニーチェや松原寛のように表裏を使い分けるどころか、ほぼ全てが思想の口伝と身体動作の直伝による秘儀秘伝で、今ある書物も多くが秘伝の書であり、著作の出版そのものに乏しい。しかしながら、その巫女神事は、現代日本において東京からも京都からも離れた異端神道の女性たちが八百万の神々や絶対者(宇宙の始原)との一体化の直接体験をどのように試みているかを知るには、最高の一次資料である。これは、ニーチェディオニュソス精神・永劫回帰・運命愛を、松原寛が総合芸術・総合文化・聖価値を、それぞれ文筆活動で宣言するほかなかった事実とは一線を画する。

 巫女たちについて、かつての家政婦や看護婦などの用語と同じく、女の哲人の意で「哲女」と呼びたい気はするが、単に「哲人」と呼んでおこう。

 

筆者の生涯区分 ニーチェと松原寛を追いかける自称哲人

 

 加えて、私自身の生涯をも表に書き込んでみたが、当然現在の三十七歳までの記入となっている。もちろん、私のこれまでの実人生も、ニーチェや松原寛などの哲人と同じ思索過程を辿っているわけはない。私自身の思想からして、松原寛のような安定志向の浄土信仰や新宗教信仰に至ることはないだろうが、かといってニーチェのように精神に支障をきたすこともないだろう。

 ただし概ね、十代から二十代に諸芸術活動を通じて絶対者について思索し、葛藤し、三十代に一層理知的な形而上の哲学論を展開するようになったことは確かであり、ニーチェ、松原寛、巫女たちの生涯と対比させてその共通点と相違点を見ることには意義があるだろう。

 無論、私自身の最近の(例えば本稿の)著述方法は、ニーチェ的であり、終盤の松原寛的である。読後の安定感を図ろうとしている。私の論述は、比較的英語・西洋語に翻訳しやすいものである。だから私などは、前・中期の松原寛や清水先生の筆致を羨ましく思うところがあるが、これは各人の気質によるところだから、終生逃れられないものである。

 何を隠そう、私はまとまった文章を書くとき、最後の章どころか、最後の段落を確定させておき、その上で冒頭から書き始めることがある。本稿もそうだと考えてよい。全くもって起承転結のある、非ディオニュソス的なドーリア式造形芸術としての論述である。ここに、清水先生が私を「知性派ニーチェ」と呼んだ真意がある。「アポロンニーチェ」と呼んでもよいだろう。

 清水先生によるこの「知性派ニーチェ」という命名は、かの哲学者ニーチェには知性がないが私(岩崎)にはあるという意味でもなければ、ましてや、知性あるニーチェにさらに輪をかけた知性がある(ニーチェ以上の知性的哲学者である)のが私であるという意味でも毛頭ない。その意味でないことは、清水先生の表情や口調を見聞きしていれば分かる。どちらかと言えば、「岩崎の知性がニーチェ哲学への理解を邪魔することがあるということだけは、岩崎には分かっているが、それはニーチェ哲学そのものではないので、ニーチェを体験しているのは自分のほうである」という、先生の堂々たる宣言に思えたのである。

 ドストエフスキー論執筆五十年を超える先生は、ドストエフスキーの前にはニーチェをよくお読みになっていたのである。西欧、東欧、そして日本というそれぞれの土地の人間の根本的思考原理を比較検討し続けている人の口からしか出ない、重大なニックネームだということである。

 哲人には、時代を問わず、ある一定の哲人らしい苦悶の生涯様式があることを確認したところで、今度は、その哲人たちを取り巻いた歴史と時代を、「絶対者」観の盛衰の観察を中心に、確認したい。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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