ネット版「Д文学通信」18号(通算1448号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第14回)

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ネット版「Д文学通信」18号(通算1448号)           2021年11月23日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第14回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

五、日本の絶対者(イエス・キリストとしての天皇)と群衆道徳 松原寛の亡霊と共に

 

日本列島の覇者としての異端派一神教日本教

 

 神のすり替え作業が西洋世界でどのように起きたか、その実状(例えば、ニーチェ森鷗外、松原寛たちがドイツで巻き込まれた実状)を見てきたところで、ここからは、日本の天皇概念をめぐる「西洋のすり替え手法の猿真似」とその失敗(戦後・現在に至るまでの八百万の神々の死)までの過程をも追う。今度は主に、巫女たちが巻き込まれ、かつ松原寛のような血気盛んな男が騙されかけることになる、日本の「弱者道徳」の実状を観察する。

 私は、この「猿真似」こそが、日本の敗戦と戦後の堕落の根本原因であると考察している。大日本帝国大和魂と信じていたものは、実はすげ替えられた欧米列強精神そのものだった可能性のことである。まずは戦後日本人の宗教観の現状から探っていきたい。

 世の宗教を「一神教」と「多神教」とに強引に分類する限り、一神教は正しく絶対者・一者(と自ら定めたもの)を追求する宗教であり、その他は未だ多神と戯れる未開社会の宗教だと位置づけざるを得ない。つまり、雑多な神々は人間の知性の進化に伴って唯一神に集約される(唯一神の実在がようやく自覚される)という前提のもと、「一神教」を上位に置くほかない。この二大分類そのものが、キリスト教が生み出した分類であり、トリックである。

 とりわけ、多神教の特徴を表す「ペイガニズム」や「アニミズム」や「シャーマニズム」という語は、キリスト教側からの多神教・汎神教世界に対する侮蔑表現として定着していた時期があった。同じ群衆・奴隷道徳の研究家であっても、チェスタトンなどは、あくまでも帝国植民地主義に立脚した上での高貴道徳を理想とし、先のオルテガやカネッティとは違い、東洋人・日本人や黒人、南北アメリカ先住民を差別すべき蛮族と見なしていた。ニーチェの態度とは大きく異なる。

 当然、この場合のキリスト教の神は、人格神の性質を帯びている至高神ととらえられているのであり(従って、西洋人こそがまず神の似姿として、有限的・相対的に現存在として顕現するのであり)、アジアや日本に見られる「マナ」・「霊(ヒ)」の信仰に見られる自然信仰は、非人格霊・非人格神を量産する野蛮思想として嘲笑の的になるしかないのである。この傾向は、実存主義のあとに構造主義ポスト構造主義が現れて、異教・多神教趣味の西洋哲学者らが現れても、続いていた。それが今では、欧米各地でも民族主義の高まりと共に、自らネオペイガニズム(復興異教主義)を標榜する若者も増えている。

 ところで私は、本稿で取り上げている巫女たちや私の基本的立場(アニミズム、自然信仰、原始神道神仏習合思想など)を、「多神教」のみならず「汎神論(教)」や「神々の遍在」とも表現している。「汎神論(万有神論)」や「神の遍在」なる語と概念は、一神教にも多神教にも用いることができるが、やはり元は一神教における用語ではある(特にスピノザシェリングフィヒテゲーテのそれ)。

 確かに、極めて原初的な多神教である日本の自然信仰、原始神道神仏習合思想は、一神教の文脈における「汎神論」や「神の遍在」説とあえて対照させる場合は、「雑多神教」や「神々内在」説と呼ぶ手もあるだろう。事実、一神教の汎神論や遍在説につられて、これに対抗するために、神道は太古の昔から汎神論や遍在説ではなかったなどと、誤って説く神道家も多い。後述する国家神道に至っては、汎神論と遍在説を全面的に排撃した「特異点の神」だけを許可した神道である。

 しかし、実は汎神論や神の遍在説のほうが東洋的・日本的見地であると見るのが、私の立場である。汎神論論争に見られるように、一神教そのものの中に人格神への傾斜と汎神論・神の遍在への抵抗の原理があると理解したほうが正確である。

 日本の自然信仰・原始神道は、まず山や森や海や川や岩の神々がこれらの特異点的個物自体に内在すると見る時点で、超越神を想定する一神教とは異なっているのは明らかである。だが加えて、各神が各個物に内在するのみならず、各個物を中心にそれらをも離れた一定地域や世界一般に多重遍在していると見る地方の土着神道が多々ある点で、むしろ最初から「汎神教」と言える。

 借景や見立ての文化は、それを如実に物語る。例えば、龍安寺石庭の枯山水の岩石や砂には、岩石や砂の神々に加え、水の神々が宿る上、庭園を越えて世界に汎神的に遍在し、臨済禅の境をさえ包み込むのである。その遍在感覚を庭園・箱庭に緊縮・象徴させていると見るべきである。

 従って、特に日本の自然信仰・原始神道においては、「汎神」・「遍在」概念は「多神」概念に親和するのである。それがために私は、これらに「汎神論(教)」や「神々の遍在」説を適用するのである。無論、「汎神論」よりも「汎霊論(教)」なる語を用いたほうがより適切であろうが、アニミズム・自然信仰のみならず「神道」の語にも整合性を持たせる必要があるため、「汎神」の語を多用するのである。

 しかし逆に、G7(主要七カ国)のうち唯一の非キリスト教国の民である我々日本人も、絶対者・一者について考えないわけではない。先の巫女たちや私は、多神の根源にある東洋的無を絶対者・一者と見ており、この後にそのことを論じることとなる。

 ところが、多くの日本国民の頭の中を探ってみると、実際のところ、単に表向きはキリスト教信者でないというだけにすぎず、欧米以上に(遍在でない)特異点的な神にすがる一神教信者であるというのが、私の感じるところである。それがむやみやたらに現世利益への煩悩と結託しているので、世界的に見ても最も悪質なクリスチャンが、日本国民ではないかとさえ思うのである。日本においても、キリスト教的道徳はその覇者である。自分は無宗教者だと答える日本人の死生観をよくよく聞いてみると、大抵はキリスト教浄土真宗の折衷宗教である。

 神社に行けば、汎自己的・全人類的・宇宙論的なことを汎神論的・多神教的に願うのではなく、図々しいことに金運、名誉運、恋愛運、健康運、交通安全といった極めて特異点的に個人的なことを一神教的に願っているのが、日本人の実情である。極端なところでは、朝のテレビの星座占いを見て今日一日の現世利益の有無に一喜一憂する有様である。釈迦牟尼の教えや原始仏教、龍樹の原始大乗仏教の教えに従えば、これに一喜一憂することと、一喜一憂を脱して極楽往生したいと願うことは、どちらも煩悩である。

 多くの日本国民は、これがなかなか理解できない。卑近な悩み(金銭、名誉、家族、恋愛などの悩み)についての打開策の教授(現世利益)を神仏に要求する責任転嫁宗教を確立したにもかかわらず、自分が今年の初詣ですがった神様がキリスト教的な神か天照大神か、あるいは仏・如来か菩薩かさえ、分かっていないはずである。自分が参詣・参拝した神社仏閣の祭神・本尊も知らない場合が多い。

 分からない、知らない(が参詣・参拝が成立する)ということは、「たった一つの特異点的何者か」という唯一神に願っている証左である。多神多仏と戯れる者ならば、今自分が足を踏み入れた神社仏閣が何を祀っているかに関心を抱くはずである。特に戦後日本人にはそれがない。

 一神教どころか、神仏量産型の宗教大好き思想に無意識がまみれている中にあっても、九割が「自分は無宗教」と回答し、あとは何もなかったかのように電車内で下を向いてスマートフォンばかりいじっているのが日本国民の特色、名付けて「日本教」であると言えるだろう。

 おまけに高校教育・センター試験では、哲学も宗教も倫理も「倫理」と呼ばれている。当然、科目設定自体が神道でも仏教でもなく、キリスト教教育倫理によって行われている。この状況で、強大な米国や中国やインドの極めて独特な国家的知性と渡り合えるはずがない。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

四時限目

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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