ネット版「Д文学通信」26号(通算1456号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載21回)七、始原の一者としての「非ヤマト的なるもの」・「母なるもの」が見えていたかつての教派神道(神習教、黒住教、金光教など)・教派神道系新宗教(大本など)と現在の頽落 吉備の巫女たちの悲壮と共に、天理教の使徒・松原寛の亡霊に問う

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ネット版「Д文学通信」26号(通算1456号)           2021年12月01日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第21回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

七、始原の一者としての「非ヤマト的なるもの」・「母なるもの」が見えていたかつての教派神道神習教黒住教金光教など)・教派神道新宗教(大本など)と現在の頽落

吉備の巫女たちの悲壮と共に、天理教使徒・松原寛の亡霊に問う

 

唯一神教国家神道)の男権主義に対抗した汎神・多神教教派神道)の悲しき男権主義

 

 さてここからは、巫女迫害と国家神道成立の時期における実際の教派神道神道新宗教の、国家神道に対する動きや立ち位置と、巫女の汎神・多神教神道観の受け入れ方、および巫女との距離の保ち方や決別の仕方を見ていく。松原寛が日蓮宗キリスト教を経て、人生終盤に国家神道・軍国思想に染まった要因であるところの絶対者観の歪みは、今見てきた通りだが、これ以降は、天理教、浄土信仰にも染まった哀しき現実の理由が、一層見えてくるだろう。

 先にも書いておいた通り、神道近代化にあたっては、まずは巫女と巫女祭祀、陰陽師陰陽道、修験者と修験道が槍玉に挙げられ、度重なる禁断令によってこれらが破壊され、中には全滅した流派も出た。その後、神道国教化に頓挫した大日本帝国政府と神道界は、神道国家神道(非宗教祭祀、神社)と教派神道(宗教、教団)に分けて、前者を後者の上位に置き、表向きは前者の主宰者を天皇とするトリックを用いることで、事実上、神道国教化を成し遂げ、神道の異端派を教派神道へと追い込んだ。元より教派神道には、伊勢神宮神宮教も、出雲大社の大社教も、元政府・大教院系の神道大教さえも、含まれたのである。要するに、神社非宗教論というトリックに基づき、「宗教」の匂いのするものは全て、教派神道のゴミ箱へ投げ入れられたのである。

 必然的に教派神道側には、巫女、陰陽師、修験者の受け入れに好意的な教派が出てきた。教派神道側から見た巫女たちの宇宙観、絶対者観、天皇観、国家観は、国家神道のそれよりもはるかに魅力的なものであったと思われる。

 教派神道の分類としては、元は政府が設置した大教院・神道事務局を母体としながら、後に教派神道の一教派とも統括機関ともされた復古神道系の神道大教、同じく復古神道神社神道系である神宮教神理教出雲大社教、禊系の禊教神習教儒教・神儒習合系の神道大成教神道修成派山岳信仰修験道系の御嶽教と枎桑教と實行教、教祖の神懸かりによって立教された創唱宗教である天理教黒住教金光教がある。吉備の巫女たちと私も、妥協しつつも、概ねこの分類が妥当であると見ている。

 巫女禁断令下にあった吉備の巫女たちは、これら全ての教団に離散して所属したが、やはり地元吉備が生んだ教団である神習教黒住教金光教の所属が最も多かった。今でも、これらの教団への奉職は多い。

 ちなみに、「国家神道」や「教派神道」の語は、戦後の神道指令以後の神道研究において生み出された造語ではなく、元から政府によって使われていた語であることには留意すべきである。

 無論、これらの分類が万能であるわけではない。何しろ、教派神道に定義があるとすれば、大日本帝国政府・軍部・神道界・華族・上級士族らから国家神道の一部と認められなかったものの別派特立を認められた神道派閥と、その他の雑多な土着神道の全てなのである。事実、神道思想の仔細とは無関係に、全ての小規模神道は、これら神道十三派神宮教の解散までは神道十四派)のいずれかに強制的に所属させられたのである。巫女たちも当然、先に述べた通り、強制配属させられたか、自らいずれかを選んで所属したか、神道界を離れて自称巫女として生き残るほかなかったのである。

 従って、国家神道から見た教派神道なる概念は、第一に、「大日本帝国の国家祭祀に不都合な神道思想を、表向きは神道教派・教化集団として認定した国策」と定義することができる。簡単に言えば、天皇・政府側の都合による暴力的圧力のようなものである。

 ところで、今現在、吉備の研究者や大学、巫女たちと共に私が提唱している説は、元より吉備発祥の神習教黒住教金光教は言うまでもなく、これら全ての教派神道の源流は吉備・岡山にあるのであって、本来の教派神道系教団の共通理念は、国家神道が破壊した真のシャーマニズム原始神道古神道を、吉備を母体とする民間活動において護持することであったというものである。

 先に述べた、造山古墳の応神天皇陵説などを唱えているのも、吉備の教派神道系の巫女たちである。埴輪の起源が吉備にあり、しかも大王の威厳と聖域を示す装飾品でなく、吉備の巫女の祭具や葬礼の道具であったという主張は、考古学的調査によって史実であることが判明し、政府側が折れて認めた一件も、前述の通りである。

 このような主張は、岡山県内の大学(岡山大学ノートルダム清心女子大学、就実女子大学など)ではそれほど珍しいことではなくなってきたが、岡山県神社庁は忌み嫌っており、当然その上部団体の宗教法人である神社本庁ほか、宮内庁文化庁神道政治連盟日本会議も嫌っている。現在の教派神道連合会の考えとも一致しない。GHQの神道指令により神道の国家管理が廃止されて以降、主張はしやすくなっているが、未だにこれらの公権力や宗教法人から巫女たちが警告を受けることがある。

 しかし、ほぼ全ての教派神道創始者や幹部が吉備の神道家・高浜清七郎率いた吉備神道の教えを受けており、その清七郎の神道思想は、「伯家神道」と言って、花山天皇の子孫で神祇伯神祇官の長)を世襲した白川伯王家の主導による神道である。

 ここに面白い現象が見て取れる。つまり、皇統の出自である王家が展開した神道が、のちに国家祭祀(国家神道)ではなく宗教教団(教派神道)に、しかも、かつてヤマト王権大和朝廷)のライバルであった吉備の神道教派に、よく受け継がれたことである。

 その伯家神道を傍流へと追いやったのは、「唯一神道」と呼ばれた吉田兼倶神道吉田神道)であった。吉田神道は、かつて天照大神の伊勢内宮神道(荒木田神道)に対抗して「豊受大神天之御中主神国之常立神」を唱えた伊勢外宮神道伊勢神道度会神道)の伊勢信仰と神本仏迹説を継承し、江戸時代後期に至るまで全国の神社・神職を配下に置いた。神々を本地とする神本仏迹説の担い手として、仏を本地と見た本地垂迹説の神仏習合勢力への防波堤ともなった。

 しかし、吉田神道は外宮神道同様、仏教・儒教色を少なからず有したため、仏教色を完全に排除した国学平田篤胤復古神道の台頭や、政府の神祇官制の整備と神仏分離策により、当然江戸末期から明治期にかけて、急速にその影は薄くなっていった。だが、その頃には伯家神道の居場所は尚更なくなっており、国家神道こそが天皇神道として計画されたのである。

 白川伯王家は、吉田神道の勢いの裏で、伯家神道を守るため、のちの教派神道神道集団を指導し、神拝式許状を授けることで、劣勢を乗り切ろうとした(禊教金光教への神拝式許状伝授)。そもそも、平田篤胤も、伯家神道に極めて協力的であり、養子の平田鐵胤は伯家神道の最後の学頭として、伯家神道と篤胤の復古神道とを折衷・調和させていた。

 しかし、時すでに遅し、政府は白川家のような世襲社家に対し、廃絶の圧力をかけ始め、唯一の世襲神道家としての神武皇統を頂点とする国教神道の設計に協力するよう要請した。かつて天皇神道であった伯家神道が、今や明治天皇・国家によって崩壊の危機にさらされているわけである。実際に、世襲社家は廃絶された。しかも当初、国教神道を推進した神官のほとんどは、国学に端を発する平田復古神道の門下であったのである。いずれ自分たちが政府中枢から外されるとは、彼らも知らなかった時期である。

 この頃同時に、弾圧を受けていた巫女、陰陽師、修験者たちがのちの教派神道を頼って逃亡・転属し始めていた。とりわけ吉備の創唱教派神道黒住教金光教)は、政府の天皇親政方針につられて次第にシャーマニズムを蔑視していく平田神道に対抗し、男子シャーマンによる立教を強調し、巫女らを受け入れていったが、この吉備の動きを見た伯家神道側は、吉備の神道家・高浜清七郎に伯家神道の奥義を伝授した。清七郎とその門弟一派は、神道の国家管理に対抗し、あからさまに民間における伯家神道の再興を掲げて、ほぼ全ての教派神道にその神道を伝授したのであった。そこに、政府から追い出され始めた復古神道のうち、汎神論・幽冥界論を堅持した一派が合流していくのである。

  清七郎は、元は尊皇派として活動し、孝明天皇の代で伯家神道が途絶えるのを防ぐため、宮中に出向き、明治天皇にこれを伝授しようと謀略したが、警護を固めていた長州藩閥の激怒を買い、追い返された。孝明天皇はこれを悲しんだ。ここに、孝明天皇が清七郎と共に夢見た汎神論的・秘教的天皇神道の道は閉ざされ、明治天皇イエス・キリスト化を画策する薩長藩閥の国教神道が、現実となっていくのである。

 国家と皇民が結託し、西洋を羨望して、ニーチェの言う奴隷道徳を選んだために、かつて実際の君主の君主道徳皇室神道としての地位にあった伯家神道が、今度は一部の非ヤマト系神道家たちの隠された君主道徳として、生き残りをかけて、荒れ地から再興を目指したのである。吉備の巫女たちと私が最近話すのは、これはニーチェツァラトゥストラそのものだということである。

 無論、清七郎が全ての教派神道を同様に評価したわけではない。例えば、のちの禊教の思想的基盤の大成者である井上正鐵に対しては、伯家神道の最深奥義の伝授を渋り、その全てを授けることはしなかった。これは、同じ禊系で吉備発祥の神習教(芳村正秉が創始)に対するのとは異なる態度である。

 清七郎の懸念通り、禊教は井上正鐵を神として神社を造営、その後、禊教禊教系諸教団と呼ぶほかない多数の教団に大分裂し、まとまりなく今日に至るのである。これらの禊教系教団にも吉備の巫女が多数転属したが、吉備の地に帰りたい思いはありつつも、今となってもなお巫女禁断令の迫害は記憶から去らず、せめてこのまま、清七郎の面影残る井上正鐵流の禊系の儀式を継続するほかないようである。

 その一方、地元吉備の生んだ神習教黒住教、ジェームズのプラグマティズムにも似た実用的秘教主義とも言える儒家神道神道大成教神道修成派、そしてヤマト王権神道としての神社神道皇室神道国家神道に共に抵抗してきた旧知の神社神道である出雲大社教に対しては、清七郎とその門弟一派は比較的好意的で、これらのほとんどに伯家神道の奥義を伝授している。

 金光教については、これまた清七郎の千里眼であるのか、教派神道界どころか国家を敵に回した新宗教・大本の思想的基盤となったこともあって、神習教黒住教と比べて、距離を置いている。故郷の神道教派だからといって、容赦せず、伝授内容をあえて調整したのである。

 否応なしにどこかに所属せざるを得なかった巫女たちの境遇とは異なり、男子神道家としての自身の違和感に実直に従い、伝授相手である自称シャーマンの黒住宗忠や川手文治郎金光大神)と対峙できたことは大きい。

 高浜清七郎の伯家神道を受け継ぐ吉備や出雲の巫女の中には、今でも「天皇と呼べるのは、皇室神道であった伯家神道の伝授を最後に受けた孝明天皇までであり、明治天皇以降は天皇ではない」と主張している巫女もいるほどである。

 従って、国家神道から見た教派神道なる概念は、第二に、「大日本帝国政府が近代化・西洋化を、天皇における諸宗教の絶対者の統一と解釈し、それを中国と古代日本の律令制の復興(神祇官の復興など)において強行しようとするにあたり、ヤマト王権大和朝廷)に追従しなかった出雲、吉備、蝦夷、隼人、熊襲などの異国・原住民勢力(特に前近代神道の最大の継承者であった吉備)を神道史上から追放するための国策」と定義することができる。

 先にもやや触れたが、「復古神道」や「古神道」や「原始神道」なる概念が、縄文時代精神・アニミズムに通じる復古的な神道、つまりは神社神道(特に近代の神社神道)の成立以前の巫女祭祀・巫女神楽を基礎とする出雲神道や吉備神道や毛野神道のような太古神道を指すのであれば、復古神道神社神道ではないはずである。復古神道の大成者であると明治政府が位置づけた当の平田篤胤自身が、天地創造の主神・天之御中主神を、皇祖神・天照大神と同等か、それよりも上位としたのである。

 ところが、蓋を開けてみると、自称平田復古神道系の藩閥官僚・神官らは、近代化当時の神道界の大多数を占めていながら、逆に多数派の奢りをもって平田神道を改造し、天照大神天皇のみを極限まで祀り上げ、イエス・キリスト化させた。ここに、皇室神道神社神道こそ復古神道であり、天皇は実は神武創業の純粋血統であるばかりでなく、アブラハム一神教の教祖でもあるという壮大な勘違いが発生したのである。

 これは、ニーチェが批判したところの、ギリシャ神話世界の死、プラトニズムの発展と改変、ヤハウェイエス・キリストに対するユダヤ人やパウロキリスト教徒やドイツの大衆らによる冒涜と、全く同じ過ちであると私は考える。従って、神社神道神宮教出雲大社教復古神道系とされているのは、本来は神道の改竄である。近現代の神宮教は伊勢信仰とは異なるし、出雲大社教は巫女の出雲神道とは異なると見るべきである。

 こうしてみると、国家神道教派神道の違いは、国家の祭祀儀礼であるか宗教・教派であるかの違いなどでは毛頭なく、「天皇は、天照大神血統の神聖不可侵、唯一絶対の神(現人神)であり、ヤハウェイエス・キリストアッラーの生まれ変わりである」と見る立場を採るか、「天皇もまた、宇宙の始原、大いなるディオニュソス、人格神・非人格神の混在としての天之御中主神天之常立神国之常立神が生み出したこの汎神・多神の地上世界・形而下の世界から、強引に取り出された、絶対化の仮冒の名称に過ぎない」と見る立場を採るか、その違いなのである。

 そして私は、後者の精神によって神道を見直す態度それ自体を「神道」と呼ぶものである。しかし、前者を「神道」と呼ぶ態度の溢れる宗教・神道学界においては、後者を「出雲神道」とか「吉備神道」とか「巫女神道」などと、発祥地や女性性・母性性を添加して呼ぶほかないのである。

 こうして、国家神道が、平田篤胤復古神道を曲解・改竄しながら、「イエス・キリストとしての天皇」へと国民の絶対者観を集約していく一方で、儒教陰陽道、仏教、禊、山岳信仰修験道プラグマティズム相対主義神秘主義などの性質を包括した教派神道は、始原の存在、大いなるディオニュソス、カオスとしての一者に対して天皇の絶対性を減ずる形で、全ての個物(人間の身体、神社、鳥居、動植物、水、石、土、砂)に宿る汎神・多神としての八百万の神々を国民に思い出させる役割を担ったのである。当然、伯家神道復古神道直系の高浜清七郎とその門弟たちの教えを託された吉備の巫女たちが、教派神道シャーマニズム型祭祀によって支える最初で最後の巫女たちとなったのである。

 ところが、教派神道と巫女たちの神道も、完全に合致するものではない。国家神道教派神道の争いは、あくまでも国家の男権主義と民間教派の男権主義の争いである。国家から弾圧された巫女たちは、教派神道新宗教に受け入れられ、一部の祭祀の存続に成功したとはいえ、教団の祭神や運営方針に関する発言権までは持たなかった。

 「群衆道徳に基づく新作の唯一神天照大神、神武皇統、天皇)」対「君主道徳に基づく始原の一者(天之御中主神天之常立神国之常立神)」としての国家神道教派神道との決闘は、巫女たちの太古呪法・原始神法、つまり女の神道だけは近代神道に持ち込むべきでないという両者の利害一致により、非敵対的な共存共栄が開始されると共に、幕を閉じたのである。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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