ネット版「Д文学通信」27号(通算1457号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(れんさい第22回)

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ネット版「Д文学通信」27号(通算1457号)           2021年12月02日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第22回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

七、始原の一者としての「非ヤマト的なるもの」・「母なるもの」が見えていたかつての教派神道神習教黒住教金光教など)・教派神道新宗教(大本など)と現在の頽落

吉備の巫女たちの悲壮と共に、天理教使徒・松原寛の亡霊に問う

 

価値転倒(巫女のシャーマニズム復権、ヤマト皇統・現国体の転覆)を成し遂げかけた教派神道新宗教神習教黒住教金光教、大本など)

 

 現在、旧教派神道は、教派神道連合会を結成して活動を継続しているが、新たに加盟した教団に大本(一九五六年、非教派神道)、脱退した教団に天理教(一九七〇年、教派神道)と神道大成教(一九七六年、教派神道)がある。神習教は、一九五九年に脱退、一九九四年に復帰している。

 実はこの新規加盟劇と脱退劇にも、男権的な神道思想体系そのものを考えさせる鍵があるのである。当初は国家神道のみならず教派神道とさえ相容れなかった大本と、戦後に相容れなくなった天理教神道大成教、そして教派神道と付かず離れずの関係を保った神習教の絶対者観を追ってみたい。

 まず、神道大成教は、御岳教の管長をも兼ねた神道家・平山省斎が管長として、国家神道からも他の教派神道からも漏れた諸神道集団を結集して展開した教派である。教派神道の中では、もっとも緩やかな神道共同体であると言ってよい。その中で平山省斎は、西洋科学を積極的に取り入れ、神道についても神霊の科学ないし実用主義的霊験と呼べるものに近づいた。神道大成教が共同体全体として目指したものは、ジェームズのプラグマティズムに近いのである。そもそも国家神道と相容れなかった(むしろ、国家から一方的に異端扱いされた)教派神道からも離れた神道大成教と平山省斎の独自性が思い知られる。

 平山省斎の唱えた「神道(随神の道、かんながらのみち)」は、天皇神道の中心に据えながらも、理論上は神道実用主義的に守るために、近代天皇を似非西洋かぶれとして捨てる場合もあり得たのである。平山省斎は、その博学を以て政府・神道界から重用された上、神道大成教をあくまでも諸派の共同体と見るのみで教義の強引な統一を行わなかったその巧みな手法のために、直接弾圧を受けることはなかったものの、他の教派神道から見ても、その思想は西洋的妖術にも見えたであろう。

 さて次に、天理教の脱退を見てみたい。天理教こそ、キリスト教を卒業した松原寛が最終的に親鸞浄土真宗と共に選択した教派神道である。

 巫女たちと私との間での共通認識としては、天理教は近現代の教派神道系教団の中で唯一、最初は神道を標榜しながらのちに非神道を宣言して教派神道連合会を脱会し、およそかつて神道だったとは思えないスピリチュアリズムニューエイジ運動と化した宗教団体であるというものである。神道大成教の教義・教条(ドグマ)は神道であるが、現代の天理教は何ら神道的ドグマを有しない。これは、ある程度神道に詳しい人なら、天理教の教師や熱心な信徒の話を聞いていれば分かるレベルである。天理教と他の教派神道との教義上の距離は、今でも拡大し続けている。

 天理教からは、ほんみちが分派し、ほんみちから更に岡山のほんぶしんが分派したが、この地元の教団に近づこうとする神道の巫女たちがほとんどいないのも、元の天理教と同様、ほんぶしんが神道色をほとんど持たないことに起因している。

また一方、現在の日本の浄土真宗真宗)は、大谷派を見ても本願寺派を見ても、原始仏教の教えからはもちろん、親鸞からも極めて遠い説法を説いているという見解も、後述の通り、巫女と私に共通するものである。

 これらのことは、巫女たちはもっと切実に感じているだろうが、私も天理教の教師・信者や浄土真宗の僧侶の説法の主張を聞いていて、思うところである。だが松原寛は、人生の最後に、両宗教と国家神道軍国主義を選んだ近代日本人なのである。天理教信者の群衆道徳に疑問を呈しつつも、結局は自分が天理教を絶対化している。

 そうなると、信仰懐疑型、帝大の頭脳型の哲学者(例えば松原寛)から見て、天理教浄土真宗とには、もはや神仏の違いに無関係な、始原の存在解釈をめぐる相互の、あるいは国家神道との、ある共通点があると見ざるを得ない。

 そのことを考察する際に、まさに大本の連合会加盟が極めて参考になるのである。大本は、神懸かり体験を繰り返していたシャーマンの出口なおと、その娘婿の出口王仁三郎が創始した神道新宗教教団である。先の分類では、復古神道系、創唱宗教系にまたがる宗教である。

 ところで、出口なおに憑依した神は国之常立神であったとされ、その神示はお筆先(自動筆記)によって伝えられ、王仁三郎が『大本神諭』としてまとめた。出口なおの死後は王仁三郎にその審神能力が移り、これにより『霊界物語』が口述されることとなる。大本の神道解釈は、国家神道のそれとは全く異なるものであった。

 大本に対する政府・神道界の弾圧策(二度の大本事件)は、天照大神と皇統に対する政府の執着がいかに凄まじいものであったかを物語る。第一次大本事件(不敬罪と新聞紙法違反容疑)では、王仁三郎の政府・軍部・華族への介入への懲らしめが主な目的であったが、第二次大本事件(不敬罪治安維持法違反容疑)では、大本が国体転覆革命を起こしかねない危険教団と位置づけられた。

 その根底には、二人の神託の結果が、天照大神と皇統を宇宙の絶対始原とするものではなく、むしろ出口なお王仁三郎をヨハネ国之常立神スサノオの全体または一部とし、救世主とするものであったことへの、政府の激怒がある。王仁三郎は最終的に、国之常立神天之御中主神と同一視し、ゴッド、ヤハウェ、アラーなどと呼ばれているものは国之常立神であるとするに至った。

 吉備出身の私も感じるところであるが、吉備や出雲の巫女たちも、王仁三郎は日本神道史上、最大の「始原の一者」追求型の宗教家の一人であったと見る。王仁三郎は、キリスト教、仏教、儒教天理教、『記紀』、古史古伝大石凝真素美の言霊学など、あらゆる宗教体系を取り込んで、自らをカリスマ視しており、おそらくは自ら天皇の地位に就くことを狙っていたと私も思う。吉備・出雲の巫女たちの一部も体得している合気道は、王仁三郎・『霊界物語』の思想を母体として発展した武道である。

 数度にわたる「皇道大本」の取り下げと復名は、明治・大正・昭和天皇を我が主君と見た敬礼と理解するのは短絡にすぎ、その最終目標は、自らを国之常立神直系の新天皇とすることであっただろう。その王仁三郎の思想を離れることを決意したことで派生した団体が、生長の家心霊科学研究会神道天行居などであった。

 私は、松原寛は出口王仁三郎に極めてよく似た男だと思う。王仁三郎は、自身の神道体系の普及もさることながら、教団としての巨大化にも余念が無かったからである。宗教商業のカリスマである。私立教団神道が国教神道国家神道に取って代わることが最大の目標だったのである。松原寛も、私立の総合芸術学園(日芸)が他の私立芸術学校(現在の武蔵野美術大学多摩美術大学など)を吸収し、あわよくば官立・国立の芸術学校(東京芸術大学など)の権勢を上回り、一つの哲学・宗教体系としての芸術の大聖堂となることを目標とした。事実、次のように書いている。

 

 國費に依る文化的施設の缺陥を補はんとする處に、私學の任務と使命とがあるのではないか。

(『街頭の哲學』 六九頁)

 

 それでも、国家神道の欠陥と教派神道新宗教の使命は、松原寛にはなかなか分からなかった。いや、薄々分かってはいたが、(本来は奔放な松原寛からすれば敵であるはずの)国家、国家的一神教、帝国軍の破竹の勢いと自分の黄金欲とが、どうしても重なってたくましく見え、目が眩みがちであったのだ。

 そして、王仁三郎が最も影響を受けた宗教、それが岡山の金光教であった。金光大神を頂点とする同教の教義・組織体系は、大本の教義・組織の巨大化にそのまま模倣・利用されることとなった。

 巫女禁断令下にあって、東京における国家神道と大本との大喧嘩を見ていた吉備の太古神道の巫女たちのうち、大本の原点である金光教(男子シャーマンによる女子シャーマンの庇護体制)の復権と、国家神道・大本双方の似非神道性の暴露を狙った巫女たちは、金光教に所属したのである。その背景には、国家神道による天照大神・神武皇統の絶対化や天之御中主神の軽視と、大本による教祖と天之御中主神の同一視の両方を、宇宙の始原、存在の根源である天之御中主神の悪用と見た、巫女たちの千里眼があったのである。

 連合会に大本が加盟し、天理教神道大成教が脱退した意味は、結局のところ、大本は最も反国家神道らしい民間(半官半民)の巨大神道企業になろうとし、天理教神道でなくなろうとし、神道大成教は現行の神道らしからぬ国家神道から漏れた中小神道団体の儒家的共同体になろうとしたということに尽きる。つまり、天理教が最も神道から浮いた教団であることは否めない。

 大本は、戦後にようやく教派神道系となったという意味では、政府も大本自身もこれを半ば神道的でないと自負していたことになるが、その実態は今見た通りである。教義が非神道的だったのではなく、教団の拡大手法が神道らしからず政治的・大企業的であったという要因が大きい。一方、天理教の脱退については、天理教自身が非神道を宣言したのであるが、元より私には、中山みきの神懸かり体験のみは巫女神道であると思える。

 一方、その中山みきの遺言でも何でもなかった教団の設立を行った弟子たちの行動は、宗教でさえなく、商業であると思える。それは私見ではあるが、事実として、天理教に渡っていったごくわずかな人数の吉備の巫女たちは、地元の黒住教金光教に残った巫女たちと比べて、破格の条件でその職を務めている。

 同じ吉備の教派神道であっても、金光教が大本の思想基盤となった一方、黒住教がそれほど大本と接触していないのは、黒住教が現皇統・朝廷・国家と非敵対的な、比較的オーソドックスな天照大神信仰をも維持してきたからである。本稿で取り上げた一部の巫女たちの遠戚でもある(吉備に残る巫女たちの家伝・秘伝は、私の遠縁でもあるとしている)教祖・黒住宗忠は、「天命直授」で自身に憑依したのは天照大神であると報告している。

 ただし、黒住教天照大神信仰においては、日の出・太陽信仰を基礎とする自然信仰そのものが見られるのであって、特異点としての皇祖神・天照大神崇拝ないし天皇崇拝の要素は希薄であり、八百万の神々の全柱を祭神としている。また、黒住教の教義には、吉田神道儒家神道の側面が見られる。

 これは、『記紀』神話と吉備神話を折衷させ、天之御中主神国之常立神大国主神以下ありとあらゆる天神地祇を集合させて、主祭神相殿神として無階層的に祀る神習教や、天地金乃神・金光大神を汎神論・宇宙論的に戴く金光教の態度と同様である。神習教教派神道連合会を一度脱退した目的も、そのラディカルな八百万神信仰の護持にあったと見てよいだろう。

 この時代に吉備出身の男子神道家や男子シャーマンによる新宗教の立教が相次いだことは、偶然ではない。単なる土地柄では済まされない。神々の土地柄と言ってもよい。ヤマト王権の首長である天皇と、巫女共同体に支えられた古代吉備の王との距離は、この現代文明においてもなお、残存するのである。

 やはり、私に母なるものとしての巫女性を感じさせる神道祭祀とは、せっかく始原の一者への洞察に達しながら神道系巨大企業となってしまった大本や、教祖以外は太古神道の匂いを全く感じさせない近代西洋スピリチュアリズムニューエイジ教団である天理教よりは、神習教黒住教金光教のもの、もっと言えば、いかなる教派神道にも断固として所属しなかった吉備・山陽・山陰の巫女たちの神道祭祀である。

 そして、ここにこそ、松原寛の持っていた商魂の強大さも、見て取れるのである。松原寛は、天理教について次のように書いている。

 

 一度私の入信が報ぜられるや、方々からその動機を語れ感想を述べよとの依賴やら命令やら果はきづいて質問さへ頻々と來る有樣。相當な波紋を投じた形らしく、いろんな會合に出るたんびに質問攻めに合ふので、之には一寸參つた。(中略)

 もとより私には思ふ處もあるし、私の精神生活に於ては相當の必然性を持つ私の基督教信仰に代つて、私の救濟者となつたものが「哲學」であつた。これに奉仕すること二十年。遂に今日に及んで居る。これで一種の境地は拓き得て居ると、自負するものの常に一抹の不安と哀感とは絶えず、私の精神生活の伴奏をなして居るのだ。殊に最近二三年は人知れず感傷の涙を流す折すら珍しくない。かゝる日に「論理の悲しみ」が切實に思はれるのである。

(『生活の哲學』 二五九―二六〇頁)

 

 松原寛には、やはり「実利としても精神の満足としても儲からない宗教には入らない」という、生まれ持った気質から来る計算処理が頭をよぎったと思う。「取らぬ狸の皮算用」ならぬ、「まだ見ぬ神の姿算用」。どう頑張っても、「神仏」に「名誉」、「権勢」、「金銭」が付帯して見えてしまう。そこに、あまたある思想・宗教から大東亜共栄圏天理教と浄土信仰を選び、賛美した根本原因がある。

 先に群衆道徳の観察において述べた、「金運祈願」タイプの入信である。九州・長崎に生まれた松原寛は、一時期就職したはずの大阪、上京時に通ったはずの吉備・山陽の新宗教を全てすっ飛ばして、最も経済的体力のある奈良の大教団を選んだのであった。

 松原寛の神道観というのは、宗教学上は、どう見ても救済型のうわべのキリスト教観のこととしか解されないのだから、元から学問的に畑違いとは言え、国営神社神道や群衆的ニューエイジ宗教にいとも簡単に参戦してしまう、非常に危ないものであったとは言える。浄土信仰・浄土教、いや、厳密に言えば近現代の浄土真宗の説く極楽往生も、一見すると、現世において利己を抑えて功徳を積む忍耐の宗旨に見えながら、極楽往生という目的のために忍耐する現世利益の教えなのであるから、松原寛にとって魅力的に見えたのも無理はない。

 無論、松原寛自身には、それがキリスト教天理教や浄土信仰への理解不足だとも理解されていなかっただろう。ということは、自身の国家神道信仰や天理教・浄土信仰のみならず、キリスト教信仰とて、そのようにしか(権勢欲・商売根性の慰めとしてしか)とらえていなかったはずである。

 吉備の巫女神道の汎神・多神論は、プラトンの「実在と仮象」、カントの「物自体と現象」、ショーペンハウアーの「意志と表象」などの二元論的世界解釈のうち、前者を後者の本当の実在とするのではなく、後者そのものしか実在していないとし、最終的には二元論的世界解釈そのものを解消するものである。前者を真実在・本質(優位)としたヒエラルキー構造を主張したプラトンやカントと違い、ショーペンハウアーにおいては意志は表象のすぐ背後にあり、表象自体に即現れ出ているのであるから、巫女の立場に近い。「実存、即、本質」に基づく「力への意志」を説くニーチェは、もっと巫女の汎神論に近い。

 これをサルトルのように「実存は本質に先立つ」(イデオロギーとしての実存主義)としてしまうと、ヒューマニズムに基づく過剰な価値転倒であり、人間の実存先行の絶対化(他の動植物や神々や精霊の格下げ)になるのであるから、我々の認識世界とその背後にある真相世界とを最接近させるか一体化させておくことが、神道の汎神論的世界観にとって必須の試みなのである。

 一方、国家神道天理教や浄土信仰は、それぞれ「始原の絶対としての現人神・天皇(意志)と国体・国政・国家神道行政(表象)」、「天理と地上世界」、「極楽浄土と穢土・衆生」というヒエラルキー構造を設けているのである。

 天理教浄土真宗の理念には、国家神道と同様、ニーチェの言う奴隷道徳、善悪の峻別、良識と背徳の分離、真実在の理想化を人為的に生み出して盛んに鼓舞する二元論的一神教の性質があることは否めない。その両教にすっぽり嵌まり込んでしまったのが松原寛であったという現実が、ここまで来ると失笑を禁じ得ない必然の帰結であるように思える。

 こうして、教派神道の中でも、天皇・政府に近い教団と始原の一者の復権を狙う教団とに分かれていったわけであるが、たとえ後者であるからといって、諸手を挙げてその思想に賛同するなどという態度を、私は取らない。我が故郷発祥であるからと言って、神習教黒住教金光教が今もなお立教や別派特立当時の反骨精神、ディオニュソスの姿を持っているなどと、依怙贔屓して賛美することはない。

 現在のこれらの教団の幹部や信者(信者である巫女を含む)と、致し方なく所属・協力して祭祀を執り行っている一部の巫女たちとでは、見ている始原が異なる。松原寛には悪いが、宗教に商業の気配が入り込むと、もうその教団は根源的一者との戯れの道を自ら閉ざしたも同然である。

 これこそ、現代日本のほとんど全ての宗教団体が陥っている、君主道徳の顔をした群衆道徳としての頽落である。なお、「頽落」とは、「頽廃」、「堕落」を意味する、主にハイデガーの用語であるが、ニーチェの思想と組み合わせても成立するものである。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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