ネット版「Д文学通信」24号(通算1454号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第20回)哲人男子たちのイデオロギーとしての思弁の限界を超える巫女たちのシャーマニズム的・アニミズム的直観

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ネット版「Д文学通信」24号(通算1454号)           2021年11月29日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第20回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

六、始原の一者としての「非ヤマト的なるもの」・「母なるもの」の否定・排撃としての国家神道と群衆道

吉備の巫女たちの悲壮と共に、国家神道使徒・松原寛の亡霊に問う

 

哲人男子たちのイデオロギーとしての思弁の限界を超える巫女たちのシャーマニズム的・アニミズム的直観

 

 さて先に、ニーチェや松原寛といった近代の哲人たちが巻き込まれた東西の群衆道徳社会の実態を見た上で、ニーチェや松原寛がそれをどう切り抜けようとしたかを観察した。

 西洋キリスト教文明については、群衆(奴隷)が身勝手に、自分たちの都合のよいように、「神」概念を次々とすり替えて絶対化する動きとしての歴史、キリスト教的群衆道徳史を観察した。

  ニーチェはこれに対し、ギリシャ悲劇という、多神教の神話世界を包括する極限的相対存在の絶対としての始原の存在、宇宙の心臓を持ち出し、これを再び絶対者・神の座に据えることを画策した。ニーチェの言う「神は死んだ」とは、「私は神を求めていない」の意ではなく、「群衆のせいで神は死んだ」の意を大いに含むものである。

 松原寛は、このような群衆道徳がそっくりそのまま日本に無鉄砲に輸入され、日本人が群衆道徳化していく現状には気づいていたが、それをニーチェの奴隷道徳論や「神は死んだ」論としては展開せず、自らのキリスト教信仰不審を専らニーチェに至る前の哲人たちの渉猟で慰めようとした。

 また、日本という地については、西洋列強側も仰天した神道国教化、国家神道という日本特有の一神教設計の実態を見てきた。その担い手であった藩閥政府・神道勢力と大衆の双方が持っていた、西洋文明に対するルサンチマン弱者道徳こそが、国家神道という名の西洋風味の神道破壊を完成させたのであった。

 ニーチェは当然、この遠い極東での「天皇イエス・キリスト」型カルト宗教の事態を全く知らずに世を去ったのである。ニーチェは、ゾロアスター教や仏教に接近し、オリエントの神々の世界を発見したが、ついに極東の神の道には出会うことができなかった。

 ニーチェ神道に出会っていたなら、間違いなく、天照大神ではなく、出雲神道素戔嗚尊古神道・吉備神道天之御中主神国之常立神をカオスとディオニュソスに比定したはずである。国家神道を呪う巫女たちの秘密呪法を称えたはずである。日本のニーチェ学者たちはこれらが理解できていないので、単にニーチェ天照大神天皇国家神道のみを礼賛したに違いないと見るわけである。

 ではこれに対し、松原寛はと言えば、ニーチェにはほとんど言及せず、プラトンアリストテレス以後かつヘーゲルヴィンデルバント以前の哲人の思想を使い回し、国家神道の中身も吟味せずに、ただこれを伝統的神道として賛美するに至ったのであった。松原寛がニーチェ教派神道諸派に深く接していれば、自身の信仰の懐疑が実はキリスト教以前の根源の一者や神道の始原への回帰要求に一致すること、国家神道ユダヤキリスト教からも断罪されるべき似非西洋教であることを、見抜くことができただろう。

 政府・神道勢力(本来ニーチェの言う君主道徳を持つべき君主・神職・僧侶側の創り出した、一神教的・男権主義的弱者道徳・群衆道徳)による巫女(汎神・多神との交信者、母なるものの体現者、聖なるものの現出者、全ての男の源泉)への対応(原始神道への嫉妬・羨望の反転である弾圧・迫害)という観点から近代日本を見てみたのは、松原寛のような自称キリスト教少年がなぜ天皇教賛美に至るのか、その仕組みを探るためである。

 我々哲人男子たち(ニーチェ、松原寛、そして私も)は、最後には母なる巫女性に我々の哲学を神託で判定してもらうほかないのである。巫女性、女性性の持つ我々男子に対する圧倒的な修正能力と包容力は、すでに哲人たちの自我の葛藤についての追憶で確認しておいた。

 そこで、松原寛が手放しで賛同した当時の国家神道を見てみたところ、その真の目的が見えてきたのであった。それは、地方に汎神・多神信仰的に残存する「母なるもの」を制圧・排斥し、天照大神聖母マリア(男系男子皇統の始原)として、これに「母性・女性性」を一極集中させた一神教を「日本の伝統的神道」として創作し、皇民道徳として普及させることであった。

 こうしてみると、巫女たちはまさに、円環的悲嘆に暮れたのちに天理と浄土での安泰を目指した松原寛の真意の、代弁者であるように思える。松原寛自身はそこに気づかず、やはりカントやヘーゲルの使い回しによって自身の生涯を描ききろうとしているので、日本的実存者としての記述にはなっていない。しかし、こうして男の源泉である巫女・女性たちの生涯を追ってみたほうが、かえって洋の東西の哲人の男たちがそれぞれの国の群衆道徳とどう闘い、どう切り抜けてきたかが、はっきりと見えてくるのである。

 神々に最も近い女性たちを捨て、歪んだ一神教を選んだ当時の大日本帝国であったが、私立の芸術学園の長であった松原寛もまた、最終的には国家神道側についたがために、歪んだ絶対者観を持つその神道体系から巫女たちを守る防波堤とはなり得なかった。国家の巧妙さによって騙されたこのような当時の偉人・哲人たちによる国家・軍国主義の礼賛によって、日本の唯一神天皇)と日本の神々との決別は加速していくことになる。

 どんな哲人の男も、信仰に迷ったならば、母なるもの、聖母の霊力、巫女の託宣に、自らの内にある胎児期以来の始原の絶対に、問い尋ねるべきである。キリスト教神道、仏教、新宗教それぞれの信徒の女性との交流は、私に、やはり「あるべきは男女の不平等」であることを是認させるばかりだ。無論、一部の学識ある巫女たちは、今私が書いているような、始原の一者への回帰の論理的記述ができるのであるが、我々男が頼るべきは巫女・女性の恐るべき神通力である。男の神通力は、必ず思弁的なものに終わるのである。

 松原寛の哲学が、不安定だが凄まじく魅力的であった円環様式を取りやめ、国家主義天理教と浄土信仰の安定に至ったのは、私の見解によれば、母を見誤ったからである。これは、吉備系巫女神道を長年見てきた私からすれば、大変に惜しいことである。それと同時に、今改めて、ニーチェ永劫回帰・超人思想の完遂の凄まじさをも思い知るところである。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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