ネット版「Д文学通信」21号(通算1451号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第17回)

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ネット版「Д文学通信」21号(通算1451号)           2021年11月26日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第17回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

六、始原の一者としての「非ヤマト的なるもの」・「母なるもの」の否定・排撃としての国家神道と群衆道

吉備の巫女たちの悲壮と共に、国家神道使徒・松原寛の亡霊に問う

 

絶対的一者(ヤハウェ、ゴッド、イエス・キリストアッラー)としての近代天皇概念を早期に準備・提供した巫女弾圧策

 

 ここまで、「絶対者」をめぐる東西の群衆道徳、そしてそれに対する当代の哲人たちの応答様態を見てきた。重要なことは、「絶対者」(の「絶対性」)を一神教キリスト教の「神」の名とするならば、東洋哲学に「絶対者」は不在であるという立場が生じるのみで、比較宗教学に終わるが、「絶対者」を東西普遍の始原の名とすれば、原初の一神教イエス・キリストのみがむしろ復権され、代わりに大衆キリスト教やその手法を転用した国家神道(国家・神職・大衆の道徳としての神社神道)が「神や天皇の絶対者へのすり替え」として断罪されうるということであった。これだけ見ても、東西それぞれの哲人(ニーチェ、松原寛)が抱えていた大衆道徳への反発心が察せられる。

次に、大衆型一神教が主張する差し替え後の「絶対者」と、原初一神教が護持していた大いなる「絶対者」との齟齬に、哲人女性である日本の巫女たちがどう対応したかを、政府による近代神道概念(大衆型一神教)の設計手法の真相と共に見ておこう。

 二〇一九年五月、いよいよ令和の時代が始まった。今回の御代替わりの前後に行われた祭祀儀式としては、天皇陛下御在位三十年記念式典、退位礼正殿の儀、剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀、大嘗祭などがあり、また従来通り毎年行われることになる祭祀には新嘗祭などがある。これらの多くは、皇室神道方式の祭祀であり、そのため政教分離原則との整合性が議論されている。

 ところで、私は故郷である吉備・岡山の多くの巫女と交流していると書いたが、東京・関東圏の巫女との交流もある。本稿でアニミズムシャーマニズムの始原感覚の体現者として主に取り上げているのは吉備の巫女たちであるが、その多くはこれらの宮中祭祀には招かれていない。むしろ、国、宮内庁文化庁神社本庁神道政治連盟などが意図的に招かないようにしていると言ったほうが正しいし、吉備の巫女たちのほうも宮中祭祀に参加する気持ちがない。

 なお、吉備の巫女たちと言っても、吉備にある現神社本庁系・岡山県神社庁系の一般神社のような巫女たちではなく、職業の上で神社に所属しているにすぎない、アニミズムシャーマニズム系巫女神道(巫女教)の巫女たちのことである。彼女たちの一部は今なお、前近代的な巫女祭祀(神卸し、口寄せ、磐座神事、巫女神楽巫女舞など)を執り行っている。

 この吉備の巫女たちこそ、明治政府が近代西洋的日本神道を確立するにあたり、日本の神道史からの追放の標的となり、次のいわゆる複数回の「巫女禁断令」によってその祭祀の廃絶を強制されながら、陰でたくましく生き抜いた巫女神道の巫女たちの子孫なのである。近代・戦後日本の神道行政の犠牲者なのである。

 明治政府は、「天皇世界宗教の全ての絶対者の化身かつ創造者」としての近代神道概念を確立するにあたり、「母なるもの」、「母性的なるもの」、「女性的なるもの」、「霊力なるもの」の神道からの抹消を狙ったのである。

 

従来梓巫市子憑祈祷孤下ケ杯ト相唱玉占口寄等之所業ヲ以テ

人民を眩惑セシメ候儀自今一切禁止候条於各地方官此旨相心得

管内取締方厳重可相立候事

(「梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件」明治六年一月十五日 教部省達第二号 府 県)

 

 これを皮切りに、複数回にわたり同様の巫女および巫女祭祀の禁令が発令され、締め付けが厳しくなっていき、最終的にはそれらの壊滅が目指されたのであった。

巫女撲滅策の開始期は、神道国教化、そして国家神道の発想が政府・神道界に本格的に生じる時期よりも早いものであった。多くの巫女および巫女祭祀が、皇民を幻惑させ天皇神格を冒涜する淫祠邪教、国体転覆思想と見なされ、国策によって根絶・解体が行われた。

 彼女たちの家系は、基本的に女系継承である。この女系継承という点に対しても、男系男子天皇を絶対の唯一神と崇める神道を整備しようとしていた当時の明治政府は、当然腹を立てた。その後、国家神道の準備期までに、多くの巫女祭祀が日本神道史の表舞台から姿を消している。

 このとき、巫女(巫女神事)と同じく禁止された主な宗教者(宗教行為)には、陰陽師陰陽道)と修験者(修験道)がある。これら巫女禁断令、陰陽道禁止令、修験道禁止令は全て、万世一系とされる男系男子皇統と、その祖先神としての天照大神の地位を保全するために、発令されたものであった。これによって、のちの国家神道における現人神、唯一神ヤハウェ、ゴッド、イエス・キリストアッラーとしての天皇の地位が準備されたのである。

 国家神道の整備期に入っても、なおしぶとく生き残って憑依の秘儀を行っていた山陽・山陰・四国・九州の巫女たちは、教派神道の各教団(岡山県発祥の黒住教金光教など)に無理矢理に転籍させられたり、致し方なく教派神道に転向・所属するなどした。幕末三大新宗教のうち、二教が岡山で発祥したこと、いずれも巫女に理解のある男子シャーマンによる立教であったことは、(私が精神病理学的観点から見るに、そのシャーマン性は半ば自称・創作であった可能性が高いものの、)吉備の巫女たちにとっては救いであった。

 しかし政府は、吉備・山陽地方の官国幣社や、政府寄りの立場を表明した同地域出身の政治家や神職・神社を利用し、いわば傀儡政権として、同地域の巫女を取り締まった。

 一九〇〇年以降の四十年間、国家神道の整備・設計・実務に当たったのは神社局であったが、総勢二十一名の歴代神社局長のうち、八割以上に岡山・広島・山口・兵庫(つまりは、古代吉備の最大版図)の出身者が集中的に当てられ、九割超が巫女集落の存在する藩・県の官僚である(吉備以外は加賀、滋賀など)。神社局本局の規模は抑えられていたが、これは政府の策略で、政府・内務省・局長・神社が国民の宗教生活を監視する事実上の国教官庁であった。

 とりわけ、岡山県出身者が二代続いた時期(松本学、赤木朝治)以降は、巫女禁断令の全国一律での発令はなくなった一方、非公式で吉備の巫女集落のみに集中的に発令された。大正時代も終わろうとしていた頃である。国体転覆の準備勢力とされた吉備の巫女の根本からの廃絶策と祭祀の解体、家伝書の没収・処分、国家神道への服従宣誓の強制が、岡山の各巫女集落で行われた。

 我らこそはヤマト王権大和朝廷の正統であるという自負を(実はユダヤキリスト教を猿真似していながら、それは隠蔽して)高く持った近代天皇と近代政府にとって、吉備の女系巫女神道は最も激烈に憎悪すべき敵であったことがよく分かる。

 政府中枢部は当然、巫女弾圧の指令を出すのみで、自らは手を汚さなかったが、その傀儡神道勢力であった吉備や出雲の旧平田復古神道の神官・神職らが巫女制圧の命を受け、実際に吉備や出雲の巫女家・女系社家にまで「訪問」している。その際の巫女の抵抗は凄まじいもので、吉備では巫女の集団自決も発生している。抵抗方法としては、後日改めて当局が巫女神楽の舞台、巫女神殿、祭具などの破壊・没収や巫女の身体の制圧に来る前に、急いで神々を自身らに憑依させ、明治・大正・昭和天皇と政府に対する報復の秘密呪法を行った後、自分たちの身体を消滅させる方法を採ったようである。

 巫女の呪詛性を滅失させるためとする口実を用いて、その身体に対して男性神職らにより行われた、筆舌に尽くしがたい事件の記録も私は継承しているが、本稿ではこのくらいにしたい。さらなる研究の上、後年、岡山や東京の学会などで発表することになるであろう。

 一部の巫女たちは、自ら国家神道に抵抗し、あえて教派神道教団の巫女として、あるいは運命を同じくする陰陽師や修験者の男子たちと協同して、霊的神道・秘教神道と呼べるものに至り、大和朝廷天皇・政府・一神教を呪う秘儀を行った。あるいは、欧米に渡って西洋魔術・妖術団体の職業魔女になるなどした。「黄金の夜明け団」など、日本人をほとんど受け入れなかった西洋魔術団体に関わり、むしろその悲惨な事情から歓迎された巫女もいる。

 中には、ヤハウェそのものと一体化した天皇の神性を根本から吸い取るため、山口県神道天行居など、反ユダヤ主義神道に転向した巫女もいる。神道天行居は、天皇を万教の大教主と見、天皇における万教一致を説きながら、ユダヤに対しては敵視し、巫女祭祀に通じる太古神道観(神道霊学)をもって霊的国防を唱えているため、(実はあらゆる西洋一神教・西洋科学の猿真似で、軍事的国防に邁進する)国家神道からは、「不敬」とされた。

 あるいは、天皇崇拝と軍国主義がもたらした国民の疲弊の打破という観点に立ち、岡山の山室軍平が創始した日本救世軍救世軍の日本組織)に加わり、泣く泣く神道を捨てて福音伝道と社会慈善事業に身を投じた巫女たちもいる。ニーチェも松原寛も注目した救世軍(『道徳の系譜』一八四頁、『生活の哲學』二一一頁)が、日本においてはまず岡山の地で受け入れられ、その巫女たちを救済したことは、皮肉であると共に、完全な必然とも言える。ニーチェが狂気に陥ったのちのことであった。

 ともかく、巫女禁断令に始まる巫女壊滅策のターゲットとなったのは、吉備・岡山を中心に、多くが広島、山口、兵庫西部、瀬戸内海島嶼部、出雲、広く見ても薩長土肥を除く京都以西の巫女たちであり、その子女たちは戦後も、これらの地域に集中して生活してきた。このような巫女たちこそ、本稿で取り上げている巫女たちである。信州の巫女村、沖縄・奄美ノロ(王国の神官巫女)・ユタ(民間巫女)、青森の恐山のイタコなども迫害されており、中には吉備・出雲の巫女と同盟すべく、これらの地に逃亡してきた巫女(シャーマン)たちもいる。

 私に最も近い巫女たちに限れば、その半数以上が、普段は吉備津神社吉備津彦神社をはじめとする神社本庁系の神社の巫女や、黒住教金光教をはじめとする旧教派神道新宗教団体の巫女、八重垣神社や日御碕神社などの出雲神道の神社の巫女として、大人しく就職していて、前述のようなあからさまな反天皇・反一神教思想を持って呪術などの秘儀を執り行うことは少ない。だが、内心では今でも、神社本庁宮内庁文化庁など神社神道勢力に対しても、教派神道新宗教に対しても、ユダヤキリスト教に対しても抵抗しており、中には敵対的態度をとる巫女もいる。

 私は、神道神道史と古語・和歌集・勅撰集の双方を研究し、自らも和歌を詠んだり、古代吉備王国の版図内の神社にある歌書・歌碑などの解釈を地元民・神社に提供したりしてきたことから、先にも述べたように、特に吉備の巫女から一部の神道の家伝・秘伝や歌書の継承を託されている個人の一人である。

 それにしても、ここ数年、これらの巫女たちのうち、生涯純潔の身で過ごす巫女を除く巫女たちの結婚ラッシュが始まっており(いわゆる「許嫁(いいなずけ)」の相手との結婚も多い)、巫女たちも急ぎ気味で私に家伝や歌書を提供するようになっている。一方で、生涯純潔巫女たちの場合も、隠遁生活が迫っているため、同じく私への継承を急いでいる状況である。私が岡山に帰ることがほとんどなくなったので、インターネットを介した打合せを多用している。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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