ネット版「Д文学通信」23号(通算1453号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第19回)

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ネット版「Д文学通信」23号(通算1453号)           2021年11月28日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第19回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

六、始原の一者としての「非ヤマト的なるもの」・「母なるもの」の否定・排撃としての国家神道と群衆道

吉備の巫女たちの悲壮と共に、国家神道使徒・松原寛の亡霊に問う

 

ヤマト系の西洋型男権主義の唯一神教による非ヤマト系の巫女の汎神・多神教に対する殲滅作戦としての神道近代化

 

 このことを、日本神話・『記紀』神話解釈の違いという観点から見てみたい。

巫女禁断令のターゲットとなったのは、ほとんどが山陽・山陰・四国・九州の巫女の神道であったが、京都以西以外では、信州や毛野など、内陸の秘教・神秘主義巫女神道が弾圧を受けている。

 これらの巫女神道が祀った神々を見てみると、弾圧の狙いが一目瞭然である。皇室の祖先神かつ日本民族の総氏神とされた天照大神以外の神々、とりわけ天之御中主神天之常立神国之常立神などを、天照大神と同等か、それ以上の地位(根源的一者、始原の存在)に祀っている。そして、始原の宇宙への回帰を唱えている。

 これらの神道の巫女(シャーマン)は、皇祖神・天照大神以上に、根源的一者たる天之御中主神との合一体験の秘儀を行う存在だったのである。そして、天皇ヤハウェイエス・キリストアッラーの化身であることを否定する一方、憑依状態の巫女こそが天之御中主神天照大神の化身であると主張してきたのである。

 ところで、『記紀』において天照大神は、高天原を統べる主神の地位にあると解釈できるといえども、天地開闢唯一神でもなければ、造化三神別天津神神世七代の神々でもない。しかし、皇統・神武天皇血統に最も近い天地開闢期の神とされたからこそ、伊勢の内宮を中心として、天照大神が日本神道絶対神の性質を帯びていくのである。

 元来は、国家神道のモデルとなった平田篤胤復古神道でさえ、天之御中主神を宇宙の究極神とする汎神論・幽冥界思想を有していた。いわば、古代ギリシャのカオスやデウスに比定できる宇宙論神道神道形而上学とも呼べる余地を多分に持っていた。これは、出雲神道や吉備神道の「幽顕一如」に通じるものである。にもかかわらず、明治政府と神官らが巧みにこれを隠して、天皇を、天照大神ユダヤ・キリスト・イスラム唯一神の統合としての、顕界における偶像と位置づけ、不自然な近代的・前衛的至高神に仕立て上げた。

 その背後には、開国・近代化と復古神道とを強引に結びつけたことによる政府側の根本的な矛盾がある。幽界思想だけをいいように曲げて吸い取られ、政府中枢から使い捨てにされた平田派の怒りが不平士族と結託したのが、神風連の乱西南戦争である。

 古くは、伊勢の外宮神道(単に「伊勢神道」と言えば、これを指す)が、内宮の天照大神至上主義に対抗して、豊受大神天之御中主神と同一視し、外宮の内宮に対する優位を主張して、汎神論的神道を展開した。天照大神・皇統・朝廷の強大な力には遠く及ばなかったが、天皇の絶対性を揺るがす、始原の一者に迫る思想が、伊勢から出たのである。

 そうであるから、吉備の巫女教のように、天照大神血統(皇統)を始原の一者(天之御中主神天之常立神国之常立神など)から枝分かれした王朝の一派に過ぎないと見る地方神道は、あって当然であった。巫女たちは、弾圧下においても、これらの神々を生きたのである。

 巫女弾圧策では、天照大神血統以外の王朝を(すでに古代出雲も古代吉備も滅亡しているが)神道史上も廃絶し、大和朝廷の勝利を内外に宣明するため、天皇国之常立神に見立てることさえあった。

 国家神道は、素戔嗚尊大国主命奉じる出雲神道に対しては、天照大神による素戔嗚尊の追放という『記紀』の背景を利用することで、吉備よりは非常に分かりやすい形で神道の正統からの追放が可能であった。これによって、当時の千家尊福は祭神論争で失脚し、大国主命神道事務局の神殿、神宮遥拝所の祭神から外されたのである。

 厄介なのは、吉備の巫女教のしぶとさであった。今でも天照大神・皇統への(血を流さぬ、呪術での)反撃を行っている現地の巫女たちがいる。巫女弾圧によって、巫女たちの背徳と秘教化は深まったと言うほかない。

 興味深いことに、岡山には造山古墳なる、墳丘規模全国第四位の前方後円墳がある。吉備の巫女たちは近代に入ってもなお、その築造時期について、これよりも大きい誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)や大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)に先行しており、このような巨大前方後円墳の築造技術は当時吉備しか持っていなかったはずだと、自分たちの家伝を軸に強硬に主張していた。しかも、造山古墳を応神天皇陵であるとまで主張してきた。

(現在は私も、造山古墳=応神天皇陵説が正しい可能性を研究しており、先の畿内の二大古墳は応神・仁徳天皇陵でない可能性が高いと見ている。)

 また、いわゆるヤマトの古墳に、大王の威厳を示すため装飾的に配置された埴輪についてさえ、埴輪そのものが吉備発祥のものであり、元来は吉備の巫女祭祀や王の葬礼の道具であるとし、天照大神・ヤマトの大王と無関係に、古代の神々や歴代有力者の霊のいずれをも自身に憑依させるための祭具でさえあったとさえ主張していた。

 あるいは、過去の女性天皇(全てが男系天皇)は、実は全員が巫女(特に吉備の巫女共同体血統)の長であり、その霊力をヤマトの大王と豪族たちに必要とされ、かつヤマトの大王と豪族が吉備の豪族の力を減じるために、半ば強制的に即位させられたり、天皇の妻とさせられたとしているのも、吉備の巫女たちである。

 例えば、天武天皇は自身を審神者(さにわ)として、妻かつ巫女である持統天皇の託宣を判定し、今に通じる「日本」や「天皇」の概念を作ったとしている。もちろんそこには、審神者が巫女を男権主義的に統御するというヤマト神道の憑依儀式が吉備の巫女教とは異質のものであると見抜いた、近現代の吉備の巫女たちの慧眼がある。当時の女性天皇天皇の妻の多くが吉備豪族の血を引いている史実は、偶然の産物ではない。

 これらの主張も、巫女禁止策に伴って禁止されたものである。しかし、巫女たちの反撃の秘儀は連綿と続けられ、彼女たちは宮内庁文化庁神社本庁に祟りをもたらすための秘密呪法さえ持った。

 今現在、吉備の巫女たちや考古学者らの努力により、埴輪の起源は吉備の原始古墳群(弥生末期の墳丘墓群)にあることが発掘調査の結果認められ、これら吉備型の古式埴輪は「特殊器台・特殊壺」としてヤマト型の新風埴輪から正しく区別されるようになった。

 吉備史の例をはじめとするこのような新たな史実の判明に強く反発し、一般の歴史教科書に載せないよう妨害したのが、先に述べた「新しい歴史教科書をつくる会」の一部の面々、特にニーチェ学者ら(正しくはニーチェの誤読・曲解の達人たち)、現代の日蓮主義者、日本主義者、国体主義者らである。

 一方、古墳自体についての巫女の言説は今でもほぼ認められず、ついに先の二大古墳を含むヤマトの百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産に認定された。これらを応神・仁徳天皇陵にほとんど断定的に治定する宮内庁と、これに追従する文科省文化庁の姿勢には、我々吉備人に限らず、ICOMOSも疑問を持っていた。しかし、日本政府はこれをうまく通過させた。「つくる会」も、宮内庁の陵墓治定の手法と結論を概ね正当化している。

 だが、造山古墳がこれら二陵墓よりも古いことだけは、それ以前に国が公に認めたために、何とか我々吉備人はこれを口にすることができるのである。ただしこれも、「つくる会」、ニーチェ誤読主義者、日蓮主義者らは子供に教育しないよう要求している。

 古墳の秘密については、私を含め、少なからぬ吉備史の研究者や吉備の巫女たちが暴露の機会を窺っているが、いくら史実といえども、文献によらず口伝による主張が多いため、宮内庁文化庁に古墳調査を要請しているところである。

 戦前の国家神道と大差ないか、それを超えた歴史創作としての神道観を持ち続ける宮内庁文化庁神社本庁ニーチェ誤解名人らの動きを見るにつけ、「創られた伝統」の権力がどれほど巨大なものかが分かるのである。

 巫女禁断令の本性とは、それまでの神道体系が有した天照大神以外の神々を事実上取りつぶし、「母なるもの」を「ヤマト王権」の女神である天照大神に集約してこれを聖母マリアに比定し、その直系子孫である天皇を主宰神として一神教を構築する策だったのである。私は、国家神道が否定・排撃した吉備や出雲の巫女神道の要素、つまり、日本神道の本当の起源を、「非ヤマト的なるものとしての母なるもの」と名付けたい。国家神道においては、母なるものはヤマト王権の母・天照大神のみでなければならず、そこでの母なるものは宇宙的母性ではなく強権的聖母でなければならなかったし、逆に非ヤマト的なる神道・宗教は必ず母を見誤っているものと見なされたのであった。

 吉備の巫女教は、これに対し、「真の母なるもの」、「天照大神以前の聖母」、「ヤマト以前の価値」、「神道以前の随神の道」、「真の日本芸術、古代ギリシャ悲劇としての吉備王国」、「大いなるディオニュソス」、「宇宙の心臓」の復権を狙った秘教であると言える。

 興味深いことに、邪馬台国畿内説や邪馬台国九州説が学界のほとんどを占める中、これらの巫女たちの一部は邪馬台国吉備説さえも唱えており、卑弥呼の鬼道・鬼神道神道の起源とまで見ている。

 私は現在のところ、邪馬台国ヤマタイ、のちのヤマト)が吉備にあったのではなく、卑弥呼の鬼道を勝手に男権的に作り替えたヤマト(大王・百済人・畿内人の軍事連合)が吉備に侵攻して大規模前方後円墳や巫女の祭具(特殊器台・特殊壺)の技術を盗んで畿内に持ち帰り、それらを元からヤマト(ナラ・奈良・日本)にあったことにしたのが、今の日本の起源だと考えている。しかし、一部の吉備の巫女たちは、「ヤマタイ」という王国の本体と名称までヤマトが盗んだと考えているわけである。

 長い神道の歴史から見て、現在の神社本庁伊勢神宮がトップ)、神道政治連盟、大規模単立宗教法人(靖国神社など)が主導する神社神道は、巫女たちが神々と合一する祭祀を中心とする原始神道からあまりに遠くかけ離れたものである。換言すれば、多くの現代日本人が神社の奥や天にいると思っている「神」とは、ほとんどキリスト教的絶対者・一者そのものである。

 天皇が「人間宣言」を発して以降、大衆は唯一神天皇ではなく、GHQ・マッカーサー元帥やイエス・キリストそのものに見るようになった。最終的には、現世利益と極楽浄土を唯一神と見るようになった。ここに、キリスト教型浄土信仰における完全なる救済への願掛けを神道と呼ぶ、教養も品もない戦後民主主義宗教が誕生したのである。これが、国家と群衆自身が制作した群衆道徳の末路である。

 ちなみに、私がここまで採ってきたキリスト教や浄土信仰批判のやり口そのものが、ニーチェが採った手法に似ているのである。換言すれば、キリスト教や仏教や神道を否定しているのではなく、キリストや釈迦牟尼親鸞八百万の神々を取り戻すために、群衆道徳を批判しているのである。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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