ネット版「Д文学通信」30号(通算1460号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第25回) 

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ネット版「Д文学通信」30号(通算1460号)           2021年12月05日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第25回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

九、大いなるディオニュソス芸術、総合芸術、「母なるもの」の芸術への道

巫女・バレリーナたちと共に、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊に問う

 

「芸術」の別称としての「音楽」、「ギリシャ悲劇」、「総合芸術」

 

 本稿ではまず、筆者である私自身や哲人・文豪たち(とりわけ、ニーチェと松原寛)の自我の葛藤、肉親との死別、母・女性との関係を哲学の根底として押さえた。次に、哲人たちに共通する必然の苦闘の様式美をも観察した上で、東西文明世界それぞれの国家と群衆道徳がもたらした「神のすり替え」と、その欺瞞に気づいた東西の哲人たちの具体的な苦闘を追った。

    さらには、ニーチェや松原寛といった男の哲人たちが、どこまでも「父なるもの」、「男権的なるもの」としての始原への思弁と憧憬の罠に嵌まってしまうのに対し、その悲痛を(「父なるもの」と「母なるもの」の統合の始原、母胎としての)「母なるもの」への導きによって溶解させる、その「母なるもの」の化身としての地方(特に筆者の出身地である吉備)の巫女たちを追った。特に松原寛については、人生終盤に国家神道による軍国主義、巫女・シャーマンであった創唱者・中山みきの意に反して日本の神道的要素を切り捨てた天理教、日本のイデア思想の極致としての親鸞・浄土信仰を選択したことから、これらとは対極にある巫女たちの始原の一者観、母なる直観に対比させる形で、松原寛の苦悶を考察した。

 吉備の巫女たちは、吉備が日本最大の新宗教発祥地である因縁から、国家神道の準備期・成立期にまず神習教黒住教金光教を中心とする教派神道全般に退避・所属し、一部は新国体樹立を狙う大本や反ユダヤ主義神道天行居、共に迫害された陰陽道修験道に転向し、天理教ニューエイジ教団化と浄土信仰の国民的葬式仏教化・超越論化・イデア主義化に対峙した。その過程で、天皇を頂点とする軍部・宗教勢力が動かす実力部隊による自国民や他国家への支配に対して、あくまでも巫女舞巫女神楽や磐座神事、神剣演舞(風雨の音や音楽に乗った身体動作)による呪い・祟りの儀式で反抗する巫女たちの宇宙観の意義を確認した。

 今私は、哲人の男たちの頭脳が何とか見出した始原の一者概念(ニーチェの言うディオニュソスとカオス、松原寛の言う神・聖価値)を、改めて父性と母性の統合者であるところの「母なるもの」として、その地上の顕現である「芸術」を見ていきたい。「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」との総合としての「大いなるディオニュソス」、松原寛が最後に国家神道天理教や浄土信仰に存すると見誤ったものの確かに近づいてはいたところの聖価値、「父なるもの」と「母なるもの」の母としての「大いなる母なるもの」は、芸術にどのように現れるのであろうか。

 先にも述べた通り、大学在籍時、西洋音楽の楽典、和声法、対位法、管弦楽法雅楽、世界の民族音楽を一通り独学し、クラシック音楽や映画音楽、電子音楽などの楽曲提供も始めていた私は、ニーチェワーグナーの出会いと決別について、論文の必修授業で書いた。今ここに、その捨てたいくつかの論文を再現しつつ、それ以降今に至るおよそ十五年の私の思想を加味して、ニーチェワーグナーと松原寛の音楽論・芸術論を追っておく。

 ニーチェワーグナーも松原寛も、哲学・宗教の言葉遊び(言葉の偽善)に対する芸術の根源的力動の意義を分かっていた哲人である。ただし、ニーチェと松原寛は、自分たちで音楽作品を作ったことはほとんど、あるいは全くなかったようである。

 ニーチェの場合、特にプフォルター学院時代、二十歳前後には、詩作に耽ったのはもちろん、作曲もしていたようである。友人のパウル・ドイセンと芸術を語り合い、幼馴染みの友人たちと芸術創作グループ「ゲルマニア」を結成して、詩作・作曲・文筆活動に勤しむなどしていた。だが残念ながら、音楽理論の専門家ではなかっただけに、のちのワーグナー賛美においても、ワーグナーの音楽を音楽理論として理解していたわけではない。

 もちろん、私のように音楽理論を一通り知っている人間とて、ワーグナーの音楽のこの旋律がディオニュソス的でないとか、ビゼーのこの和音がアポロン的すぎるとか、このチェロの和音の次にそのコントラバスの律動が来るのは君主道徳的であるとか、このピアノと弦楽器の旋律の組み合わせは奴隷道徳的である、などといったことは確定できない。そのような作業は、結局は哲学・宗教の言葉遊びと同じになるからである。音楽理論家の間だけの偉そうなエリート遊戯になるからである。ただし、ニーチェディオニュソス芸術、始原の存在の立ち現れというものがどのようなものであるか、自ら具体的作品を作り上げて追究することには意義があると考え、私は作曲活動をしてきた。

 ニーチェにとって、(とりわけワーグナーの)「音楽」とは、「ギリシャ悲劇」と同じく、「芸術」そのものの別称でもあった。つまり、「音楽」とは、音楽や造形芸術や絵画や演劇の、大いなるディオニュソス精神に基づく総称であった。ニーチェは、音楽や絵画や文学のうち、音楽なる一派に最も「総合芸術」性を見たがゆえに作曲家のワーグナーに心酔したというより、「総合芸術」の名を「音楽」と呼び、ワーグナーをそのような「音楽家」、「総合芸術家」と見たがゆえに、ワーグナーに心酔したのである。

 ニーチェにおいて、従来の(古代ギリシャ、近代ドイツなどの時代を問わぬ)西洋一般の、いかにも冷静な、良い子ぶった、夢幻的・倫理的な特色は、まず視覚的芸術たる造形芸術に見出された。これには、理性を司る神であるアポロンが引き合いに出された。音楽性なき造形芸術は、単なるアポロン的なものに偏向した芸術として、批判の対象となる。これに対し、ディオニュソス的・陶酔的なものの鼓舞が主唱され、聴覚的芸術たる音楽がディオニュソス的芸術として期待された。

 

 もしわれわれが以下述べるようなことを頭で理解するだけでなく、直接、具体的に確信できるようになれば、美学に寄与することは多いと思う。すなわち、芸術の発展というものは、アポロ的なものとディオニュソス的なものという二重性に結びついているということだ。それはちょうど生殖ということが、たえずいがみあいながら、ただ周期的に和解する男女両性に依存しているのに似ている。アポロ的とディオニュソス的という名称は、ギリシア人から借用したものである。

(『悲劇の誕生』 一 アポロ的夢幻とディオニュソス的陶酔 二九頁)

 

 音楽はすでにあきらかにアポロ的芸術として知られていたが、しかし厳密にいえば、リズムの波動としてにすぎず、リズムの持つ造形的な力がアポロ的な状態を表現するために展開されたにとどまっていたのだ。アポロの音楽は音におけるドーリス式建築だった。ただし音といっても、それは七弦琴に特有な、ただ暗示するだけの音にすぎなかった。ディオニュソス的音楽、従って音楽一般の性格をなしているほかならぬその要素は、非アポロ的なものとして用心深く遠ざけられていた。すなわち、魂をゆさぶる音の威力、旋律の統一的な流れ、和音のまったく類のない世界といったものは遠ざけられているのだ。ところが、ディオニュソスの酒神賛歌においては、人間はその持っている一切の象徴的能力を最高度に発揮するようにかきたてられる。

(同 二 ディオニュソスギリシア人 四一頁)

 

 プロメテウスは、人類に対するその巨人的な愛のために、禿鷹にひきさかれ、エディプスは、スフィンクスのなぞを解いたその度はずれな知恵のために、非行の混乱する渦の中へ落ちこまねばならなかった。デルフィの神はギリシアの過去をそのように解釈したのだ。

 アポロ的ギリシア人には、ディオニュソス的なものがひき起す作用もまた「巨人的」で「野蛮人的」だと思われたのだが、彼自身がしかし同時にあの打ち倒された巨人や英雄たちと、内面的には血のつながりがあることを自認しないわけにはいかなかった。それどころか、もっとそれ以上のことも感じないわけにはいかなかったのだ。すなわち、あらゆる美と節度をそなえた彼の全存在が、苦悩と認識の覆われた基盤の上に立っているということだった。ところがこの基盤の覆いは、またもやあのディオニュソス的なものによってあばかれたのである。見るがいい! アポロはディオニュソスなしには生きることができなかったのだ! 「巨人的なもの」と「野蛮人的なもの」とは、けっきょく、アポロ的なものとちょうど同程度に必然なものだったのだ!

(同 四 アポロ的・ディオニュソス的なギリシア文化の推移 五三頁)

 

 抒情詩というものは、言葉が音楽を模倣するもので、従って言葉のもつ象徴的比喩や言葉のあらわす概念を通して音楽が閃光のようにひらめくものであると見ていいとすると、その次に問題になるのは、「そういう象徴性と概念の鏡に音楽はどういうものとしてあらわれるか(現象するか)?」という点である。音楽は意志として現象する、というのがその答である。ここにいう「意志」という単語は、ショーペンハウアーの意味で使っているわけで、つまり純粋に観照的な、意志のない、美的な気分の反対を意味するのだ。この場合、本質という概念と現象という概念をできるだけはっきり区別してもらわないと困るのである。というのは、音楽はその本質からいえば、意志ではありえないからだ。音楽が意志だったら、芸術の領域から完全に追放されねばなるまい――なぜなら、意志はそれ自体非芸術的なものなのだから――。だが、音楽が現象するときには意志なのだ。

(同 六 詩と音楽との関係 六八―六九頁)

 

 以上ギリシアを例としてわれわれが明らかにしようとしてきたことは、音楽の精髄が消滅すると悲劇もまたかならず滅びてゆくことは、音楽の精髄からし悲劇の誕生がありえないのとまったく同様に確かだということであった。(中略)

 アポロは個体化の原理の浄化する精霊として私の前に立っている。仮象における救済は、この精霊によってのみ、真に達成されるのである。これに対して、ディオニュソスの神秘的な歓呼の叫びのもとでは、個体化の呪縛は破られ、「存在の母たち」への道、事物の一番奥の核心に至る道が開かれるのだ。アポロ的芸術としての造形芸術とディオニュソス的芸術としての音楽のあいだに、大きく口をひらいているこの巨大な対立にきづいていたひとは、大思想家のなかで、ただひとりしかない。彼はギリシアの神々のもつ象徴的表現というあの手引きさえなしに、音楽にあらゆる他の芸術とは違った性格と起源とを認めたのである。音楽は、他のすべての芸術のように現象の模写ではなくて、直接に意志そのものの模写であり、したがって世界のすべての形而下的なものに対しては形而上的なものを、すべての現象に対しては物それ自体を表現するからである、と彼は言っている。(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第一編三一〇ページ)これはあらゆる美学のもっとも重要な認識であり、かなりまじめな意味で、美学はこの認識とともにはじめて始まるのである。リヒャルト・ワーグナーもこの認識に太鼓判をおして、それが永遠の真理であることを保証している。

(同 一六 音楽と悲劇的神話 一四七―一四九頁)

 

 私がもっぱら相手にするのは、直接に音楽と血のつながりがあるような人たち、音楽をいわば母胎とし、ほとんどただ音楽との無意識的な関係を通じてだけ事物につながるような人たちに限られるのである。私はこうした真の音楽家に対して、次の問いをさしむけたい。『トリスタンとイゾルデ』の第三幕を、言葉や比喩の助けをいっさい借りないで、純粋に巨大な交響楽の楽章として感受できるような人で、あらゆる魂の翼をけいれん的に張りひろげたあげく絶息しないような人間を想像できるかどうか、と。

(同 二一 ワーグナーの楽劇 一九五頁)

 

 悲劇におけるアポロ的なものとディオニュソス的なものとのむずかしい関係は、実際のところ、二柱の神の兄弟のちぎりによって象徴されるであろう。すなわち、ディオニュソスはアポロの言葉を語り、アポロも最後にはディオニュソスの言葉を語るのである。悲劇ならびに芸術一般の最高の目標は、こうして達成されたわけである。

(同 二〇一頁)

 

 アポロン的――ディオニュソス的。――芸術自身が自然の暴力のごとく人間のうちに立ちあらわれ、人間の欲すると否とにかかわらず、人間を意のままにする二つの状態がある、すなわち、一方には幻影への強制として、他方は狂躁への強制として。

(『権力への意志』下 第三書 新しい価値定立の原理 Ⅳ 芸術としての権力への意志

七九八 三一〇―三一一頁)

 

 もっとも、これらの比喩を用いたニーチェの目的は、絶対的な「善」と「徳」とを視覚中心に「見んとする」試みを当たり前の所作としてきた合理主義と主知主義・知性主義、とりわけその原点であるソクラテスの思想を批判することであった。そして、アポロン的・夢幻的なるものとディオニュソス的・陶酔的なるものの双方を総合したところの大いなるディオニュソス芸術、カオス芸術を高唱することであった。

 松原観の言う「総合芸術」の語も同様で、これ自体が松原寛にとっては「芸術」そのものの名であっただろう。

 私は二〇一九年度に日芸文芸学科の非常勤講師となってから、講義の一部で松原寛に触れるようになった。松原寛の総合芸術理念について、ほとんどの学生・院生が、文芸学科、音楽学科、美術学科、演劇学科といった芸術科目の垣根を越えて交流する芸術形態だと理解しており、授業内だけではそれ以上の思索の発展は望めないものと私は理解した。

 前回の『日藝ライブラリー』No.3その他の松原寛論の寄稿でも、多くの学生・院生が同様の理解において総合芸術論を書いており、学生らの芸術作品の実作上や教師からの就職指南としての芸術教育上の観点からは、全くその受け止め方でよいのである。だが、どうやら松原寛の言う「総合芸術」の真意はそんなところにはないようである。

 もちろん、松原寛自身も、総合芸術理念を説明するために、芸術をまずは空間的芸術と時間的芸術に分類し、さらにはそれぞれに下位分類(平面的芸術、立体的芸術など)を設け、これらの総合としての総合芸術を解説している。

 

 綜合藝術とは云ふまでもなく、舞臺藝術の謂ひである。

(『現代人の宗教』 二二四頁)

 

 之を(総合藝術としての舞台芸術を)方程式に現すならば、

劇=戯曲+諸藝術的表現+俳優の現身藝術

だと云ふ事になる。

(同 二三〇頁)

 

 つまる處私は人間の全的表現は綜合藝術を俟たねば、十全であり得ぬと思ふと共に、劇の根本的本質を、そこに見出し度いのである。藝術諸面の要求は、この一大殿堂に於て初めて、遺憾なく滿され得るであらう。文化現象に於ける、劇の地位はかような處にあるものと思ふ。

(同 二三九―二四〇頁)

 

 劇を方程式で表す点などは、先の夏目漱石の「F+f」にも似た理知を感じさせる一方で、これらの方程式は当たり前と言えば当たり前の方程式でもある。松原寛の舞台芸術論は、先にも確認したように、自ら創立したばかりの芸術の殿堂(日芸。『現代人の宗教』発刊当時は法文学部美学科)においてこそ、総合芸術を実現していこうとする意志の表れでもあるのである。松原寛の学園増設願望が、巧みな文筆技術と共に、図らずもすでに示されているとも言えるのである。

 その証拠に、舞台芸術を称揚するのに、かつて自分を受け入れなかった「恩師西田幾多郎博士」の言葉をわざとらしく挙げて、自らの芸術論がそれに匹敵すると言わんばかりに、対抗心を燃やしている。

 

 恩師西田幾太(ママ)郎博士に依れば、「論理的範疇を超越した、我等の深い人格の中には、純なる藝術に依つて現はされるゝ如き、無限に豊富なる先驗的感情の要素がある」と。

  さうだ。我等の人格には、掘れども掘れども掘り盡せない、深い泉が潜んで居る。その深いゝゝ泉の中にはいくら汲んでも果もない、感情が湧き流れて居るのだ。この滾々として溢るゝ感情は、只一篇の詩で描寫し得られるものでもあるまい。單なる繪畵で、盛り盡されるものではなからう。

(同 二三六頁)

 

 しかし、松原寛の本当の目的は、松原寛自身が信仰と言いながら信仰になっていなかった信仰を、芸術によって純粋信仰に至らしめることである。そして、哲学でも宗教学でも説明の付かなかった純粋信仰を、人類最初の思考である芸術によって説明し、「総合文化(synthetische Kultur)」の境地へと進むことである。

 松原寛の真意を汲み取らない、実作や就職面接や世渡りでのみ役立つ皮相浅薄な総合芸術理解は、語ったり書いたりするだけ時間の無駄と言えばそうであるが、大学の授業では、いくら薄く軽い話とはいえ、「総合芸術を生み出すため、学科どうしでもっと交流しましょう」程度の分かりやすい言葉を発しないわけにいかず、致し方なく発するようにしている。

 さて、その私の「わざとらしい秘匿」に違和感を訴えて授業後に質問に来たわずか一名や二名の学生のみが、真の総合芸術の道に進める人間である。学校教育法、教育基本法文科省の決めた方針の下における大学の授業内で大いなるディオニュソス芸術や総合芸術を語れるなどと思うのは、ニーチェや松原寛に対する無礼であると私は考えるのである。では今、その一名や二名しか理解できないと思われる、「宇宙の始原との一体化」としての総合芸術を、具体的な芸術作品の創作体験において追ってみよう。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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