ネット版「Д文学通信」35号(通算1465号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第30回)

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ネット版「Д文学通信」35号(通算1465号)           2021年12月12日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第30回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

九、大いなるディオニュソス芸術、総合芸術、「母なるもの」の芸術への道

巫女・バレリーナたちと共に、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊に問う

「女なるもの」の凝縮としての悲恋和歌(日本のギリシャ悲劇)の神韻縹渺による男権的ディオニュソス芸術の超克と「母なるもの」の芸術の模索

 

    先に、ニーチェワーグナーが大曲のうちに夢見たディオニュソス性もまた、一つの男権的幻想であることを確認した。そして今、私の試みとして、規模を抑制した女性向けの楽曲を創り、あるいは巫女やモデルの身体そのものを音波に描き取る転写音楽を創る中で、本来、西洋音楽理論よりも和楽器理論のほうが、女体を操作する技法であるなどというよりは、元より女体と一体的な神法である(女体による呪詛と法悦を引き出す秘法でもある)ことを確認した。

 それでも私は、巫女たちの憑依現象や精神障害女性たちの認識世界を記述するための人工言語「岩崎式言語体系」を考案するなど、大規模芸術を展開してきた。もちろん、これらの女性たちも私の芸術への協力を惜しまない姿勢ではいるが、かといって、巨大芸術にばかり取り組んでいては、私自身がディオニュソスを覆い隠し、ひいては巨大理論によって女体を破壊する結末を迎えるのである。

 ここで私は、強靱さの披露を優先した交響楽や楽劇の対極にある、徹底した小曲・定型詩としての和歌、和楽器よりも古い音楽・歌謡である和歌の、優美さ、典雅さ、そして何より、真の恐ろしさ、絶大なる生体統御効果に言及せざるを得ない。私が催した歌合の中から、「それそのものが女体であり、始原の存在と一体化した女体であるような、巫女たちが詠んだ凄まじい和歌」の例、かつ私の「女体を観察し思弁しただけの和歌」がそのような巫女たちの憑依の歌に敗北した例を、ここに挙げておく。私の歌が「女体そのものを直覚でき、私自身が憑依したかのように詠むことができた歌」となるには、未だ鍛錬が必要なのである。

 

 『新水無瀬恋十五首歌合(しんみなせこいじゅうごしゅうたあわせ)』

平成二十三年二月五日~十三日に催された、岩崎と巫女と歌道子女による歌合。五点満点で競われた。披講は吉備の巫女教の各巫女神殿や歌道家にて。建仁二年(一二〇二)に後鳥羽院が水無瀬の離宮で開催した水無瀬恋十五首歌合にならっている。

歌題 春恋 夏恋 秋恋 冬恋 暁恋 暮恋 羇中恋 山家恋 故郷恋 旅泊恋 関路恋 海辺恋 河辺恋 寄雨恋 寄風恋

 

■暁恋

 

裃ちの子(巫女枠、仮名)

秋の色そればかり空にほの見えて袖にくまなき有明の月 四点

(私への飽きの色。そればかりが空の有明の月の中に垣間見えて、私の袖の月は涙でくまない。)

 

柳香織(巫女枠、仮名)

別れには月と袖にてわかたばやむなしき恋の有明の空 四点

(恋人との別れ時には、月と袖とで分かち合いたい。むなしい恋を映す有明の空を。)

 

岩崎純一

有明のかた敷く色を面影に知らぬ今はの心をぞ聞く 三点

(明け方の月の色をあの人の面影として寝床に敷き、今はどうなっているかも知らない、いいえ、きっと終わりを迎えたでしょう私への恋心を聞いています。)

 

戸井留子(判者、訳者、巫女頭、仮名)

【判】「色を面影に心をぞ聞く」とは妖艶な共感覚ですが、ここは一首・二首目の、「有明の月」について批判の余地のない情趣をとることにいたしましょう。

 

■山家恋

 

裃ちの子(巫女枠、仮名)

山ぎはは人の心をうつすらんかりほのひまに見ゆる薄雲 四点

(山のあたりの空は、あの人の心を映しているのですね。山小屋の屋根のすき間から見える、薄い心のような薄雲が出ていますから。)

 

柳香織(巫女枠、仮名)

来ぬ人のことのなぐさに重ねてきかりほのそとの山鳥の声 三点

(来ないあの人の、口先だけの恋の慰めに重ねてしまいました。山小屋の外のほうで聞こえる、山鳥の雄の翼のほろ打ちの音を。)

 

岩崎純一

海ならぬ里の我が身をいかに見るや松のうきねに峰の白雲 二点

(海にはない里、つまり山里にある私の恋の身を、あの人はどのように見るのでしょう。波に浮いた松の根のように、あの人を待つ憂き寝床を。今は、あの人にはもう会えない、あの人のことは知らない、と言わんばかりに、山の峰に白雲がかかっています。)

 

戸井留子(判者、訳者、巫女頭、仮名)

【判】「山里」を「海ならぬ里」と言って、「松のうきね」を詠みこむとは、技巧的ではありますが、技巧的にすぎるでしょう。難しい歌になりすぎております。「かりほ」をそのまま読みこんだ残る二首をよしといたしましょう。

 

■海辺恋

 

裃ちの子(巫女枠、仮名)

うきまくら逢ふことなみのよるの袖にみをつくしてもみる目なきかな 四点

(私は涙に浮いた枕に寝ています。あなたに逢うことのない中、波の寄るように濡れる夜の袖に、身を尽くしてあなたを思っても、海の藻が打ち寄せられないように、逢うすべもないことです。)

 

柳香織(巫女枠、仮名)

うつりゆく花は忘れんはまゆふの心の色を海にながして 五点

(花のようにうつりゆくあなたのことは忘れましょう。浜木綿の葉のようにあなたと私とでへだたっている心の色を海に流して。)

 

岩崎純一

我が涙かけじかけても消えわびぬ忘れがたみの貝の下燃え 三点

(私の涙は流しかけまいと思うけれど、そういうわけにはいかず、泣いてしまいます。そして、流しかけても、涙は消えないのです。その涙をかけても消えない、恋の火ですから。私は貝のように、あなたを忘れがたく、陰で泣くばかりです。)

 

戸井留子(判者、訳者、巫女頭、仮名)

【判】言葉が優美であるのは、「心の色」の共感覚表現でありましょう。しかし、ほかの二首も優れています。一首目のミ音と三首目のカ音とは、心地よい響きを持っております。悩んだ末、「心の色」をとりましょう。

 

(『新水無瀬恋十五首歌合』 https://iwasakijunichi.net/2/1/9/2/2-1.pdf より)

 

 和歌は日本最古の音楽である。ニーチェが言うところの「音楽」や「ギリシャ悲劇」は、太古日本にも、いや、太古日本にこそ、あったのである。

私が「女なるもの」の音楽を試みたのと同様、「女なるもの」の歌会、恋歌の宴として催したこの新水無瀬恋十五首歌合は、私以外の巫女たちの詠んだ歌によって、「母なるもの」の歌会に昇華したと思う。

 これらの歌が、現実の失恋ではなく、言葉遊びの上での失恋であるとは言っても、今私はこれら巫女たちの歌を、改めて次のように理解しなければならない。この女たちの袖の涙に揺れ映る月は、本当は恋人との別れに対するただの不安ではなく、始原の一者と一体化する立場にある自分たち憑依の巫女に飽きた思弁型の男にさえ、せめて最後の期待をかけた、呪詛の女心であると。「人の心」は「女と手を取り合って始原を見る覚悟のない男の心」、「来ぬ人」への返歌は「女の肉体との合流の形を取った、始原についての無言の話を、しに来ない男」への霊視であると。大海原には、巫女たちの失恋を直視しない男には捉えきれない、大いなる一者が遍在しているのだと。そして、一緒に歩めないと分かった恋人との別れの悲嘆を慰める存在もまた、キリスト教の神ではなく、天照大神でさえなく、日本の女としての自分たちが達観する汎神の一者しかあり得ないと。

 女に成りきったつもりでいながら、我々男に呪いをかける悲恋の女の霊的姿態の象徴美・緊縮美にばかり傾注し、女の肉感が肉感のままの詠みぶりで終わった私の歌に比べ、女である自らの肉感と始原への直覚との一体化に成功した巫女たちの歌に高い点数がついたことは、偶然ではない。判者も遠慮しているが、神道・歌道の申し子であるこれらの女性たちが私に抱いている違和感が、判によく表れているのが分かると思う。

 この歌合の後、彼女たちは私に、「和歌を組み立ててはいけません」と言われた。これは、先のバレエ指導者に言われたことと同じである。と同時に、これらの巫女たちは私に、彼女たちを神道の女ではなく神道の母と見ることができるようになったならば、吉備の秘教神道を少しずつ教えていくと言った。巫女たちが三十一音のみで示した神韻縹渺に、私は、私にとっての「女なるもの」のみならず、女にとっての、巫女にとっての「女なるもの」までもが模索する「母なるもの」への凄絶な道程を垣間見た。

 ここに、私以上に女と一体化できた(女を思弁したのではなく、まさに女になったのだと私が見ている)本物の貴族たちの貴族道徳の歌、「女なるもの」の「母なるもの」への昇華に成功した歌を、挙げておこう。なお、文字表記については古来多くの揺れがあるため、ここに示す出典は一つにとどめ、岩崎が比較的分かりやすいものに直して記載するほか、現代語訳も岩崎によるものである。

 

九条良経

ありし夜の袖の移り香消え果ててまた逢ふまでの形見だになし

(あの人が確かにいた夜の袖の移り香さえ消え果てて、また契りを交わす時までの形見さえない。)

(「六百番歌合 戀」 『續國歌大觀 歌集』 一一五二頁)

 

 この女の悲恋の歌は、極めて均整のとれた歌で、私の説では、良経は「ありし」と「なし」から作り始め、その後に中間の語句を思いついたと考えるのだが、ここで重要なことは、「ありし」と「なし」は有から無への二元論的大移動ではないということである。

 そうではなくて、「移り香」、「消え果てて」、「また~までの」、「形見」の語句が醸し出す茫漠とした縹渺美によって、「ありし」と「なし」との境界が雲散霧消する、あるいは「ありし(有)」が最初から即「なし(無)」を孕んでいる、というとらえ方、実存の了解ができなければならない、ということである。つまりは、「出会いというものは、それが別れ自体であることをもってしか、出会いたり得ない」という認識に良経が生きていたという感銘に、我々は浸らなければならない。

 ところで、この私の逐語的解釈は、東洋的・日本的恋愛歌の美的側面を存分に強調したもので、今これを、次のように解釈してみよう。

 

(「神は死んだ」。始原の神をあの男と語り合えると確かに信じた日々の残り香は消え果てて、また神の話に出会えそうだという確信さえない。)

 

 こうしてみると、「ありし」と「なし」との相違と断絶は極めて深刻な問題である。「ありし」と「なし」の興趣が同居することによってこそ移り香の盛衰に感動できるような良経の詩的余裕を、あえてそぎ落とした訳だからである。

 

藤原定家

白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く

(別れ際、草葉に降りる秋の露をよそに、お互いの真っ白な袖に真っ赤な血の涙が落ちる。飽きの心を思わせる、身にしみるような色の秋風が吹いている。)

(『新古今和歌集』二十巻 三 巻第十五 戀哥五 水無瀬戀十五首哥合)

 

 定家が女として詠んだ、縹渺美の真骨頂である。「秋」に「飽き」が掛けられているのは全研究者の共通見解としても、「身にしむ色」(身にしみる色)、つまり触覚的に感じられる視覚的な色とはどんな色かという疑問は古くからあり、これについては、アララギ歌人たちが貶し、笑いの種にした一方で、塚本邦雄をはじめ象徴美的・実存主義歌人らは褒め称えてきた。

 長年塚本派に立ってきた私の見解では、「身にしむ色」は触覚・視覚未分化の共感覚表現である、という見解になる。秋風が淡々と、しかししみじみと、女の身体に染みいり、風と人の身体も一体化する、ということになる。秋風によって、かえって女は、恋愛終焉の悲嘆に即、「色即是空」としての「色」を見るのであり、それを見る(それに気づく)ことで、かえって悲嘆が現世的悲嘆でなくなる(喜怒哀楽の別それ自体が消失する)無為の哀愁の境へ誘い込まれるのである。

 ただし、これもやはり私の生粋の東洋・日本的美意識かぶれの新古今観ではあり、あえて次のようにとらえ直すこともできる。

 

(「神は死んだ」。絶対的一者(神)を語る超人を追い求めて走り回ってきた先に、真っ白な視界以外の何ものもなく、あるのは「神は死んだ」と宣言する自分自身の血の涙ばかり。そこに吹くものも、始原の神を思う男の確かな呼吸ではなく、空虚な秋風ばかり。)

 

 次の恋歌も、同様の情趣を感じさせる。

 

藤原家隆

思ひ入る身は深草の秋の露頼めし末や木枯らしの風

(あの人を思う我が身は、京都深草の里の深い草むらに分け入って秋の露に濡れるがごとく、涙に濡れている。当てにした先に吹くのは、冬の冷たい木枯らしの風。)

(『新古今和歌集』二十巻 三 巻第十五 戀哥五 水無瀬戀十五首哥合)

 

 女と一体化した男が詠んだ、新古今調の虚無的象徴美の極致である。この歌も今や、日本の歌でありながら、世界の一神教芸術を揺るがす、始原を詠んだ恐ろしい定型詩であると賞賛せざるを得ない。

 

(「神は死んだ」。絶対的一者を悟ったはずの男を追ってきた我が身は、ついにこの超人に出会えず、深い草むらの秋の露に濡れるがごとく、涙するばかり。始原の神のもとで男に期待した末、「神は死んだ」と叫びつつ吹く、木枯らしの風。)

 

 「神は死んだ和歌」なるジャンルを打ち立てるとすれば、新古今調の悲恋の和歌こそは、それにふさわしい趣を持っているのである。和歌の神韻縹渺における「女なるもの」と「母なるもの」の一体化、アニミズム短歌ばかりか一神教短歌としても解釈できるその壮大な汎神観は、「音楽」・「歌謡」芸術の一つの極点であろう。

 民衆のみならず、藤原頼通平等院の創建時期以来、民衆のみならず貴族の間でも末法思想・浄土信仰が流行し、武士が新たな貴族(武家としての武士)に成り上がっていく中、今挙げた貴族歌人たちは、群衆の欺瞞に気づく本物の貴族道徳を持ち合わせていたのである。そのとどめとしては、次の歌があるだろう。

 

藤原定家

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮

(あたりを見渡すと、咲き乱れる春の桜の花は元より、色とりどりの秋の草花も紅葉もないのであった。海辺の粗末な小屋ばかりがただ眼前にある、秋の夕暮れよ。)

(『新古今和歌集』二十巻 一 巻第四 秋哥上)

 

 これは、三夕の歌の一つとして知られる定家の名歌で、私に和歌史上最も深い感動を与えてきた歌の一つである。少なくとも今の私には、次のようにも解釈できる。

 

(「神は死んだ」。あたりを見渡すと、理想的な神の真善美なるものはなかった。神の存在証明の不可能性を教える、人間の作った粗末な小屋だけがある、絶対神の黄昏よ、神々の黄昏よ。そして、静かに復権する、光と闇が共栄する真のカオスよ。)

 

 秋の夕暮れと、極楽浄土の綻びと、ニーチェの宣言した(すり替えられた)神の斜陽とが、重なって見えてくる。能動的ニヒリズムの極致である。ここにワーグナーの『神々の黄昏』を重ねると、もはや日本の風景美の寂しさ以上に、キリスト教と仏教の折衷された虚無の悲痛が浮かび上がる。

 だが、定家の主張を誤解してはならない。花や紅葉よ、すぐにでも咲け、この殺風景を打開せよ、などとは言っていない。そんなことをすれば、また間違った神が打ち立てられ、受動的ニヒリズムが到来するだけである。定家は、この寂れを「よし」とし、この寂れの表象自体を、即始原の本質として、承諾できる超人なのである。

 そして、この悲恋の歌でない歌に、「女なるもの」をかえって感じる力動も、また備わっていなければならない。花と紅葉とが、女が恋した男が見誤った神、幻想の英雄であり、秋の夕暮が「女」であり「母」でもあるところに、この歌の縹渺美があるのである。

 九条良経藤原家隆藤原定家は、日本のアイスキュロス、ソポクレスである。ニーチェは怒るかもしれないが、彼らはソクラテス的修辞技巧の達人たちであるだけに、エウリピデスでもあるだろう。

 巫女神殿における新水無瀬恋十五首歌合は、歌の披講、判、音楽、巫女舞の全てを伴ったため、舞踊・合唱を伴ったギリシャ悲劇の形式に元より類似しているが、『新古今集』の時代は、特に舞や音楽を伴わずとも、和歌文化の全体が最もギリシャ悲劇に近かった時期であろう。もちろん、ギリシャ悲劇のほうが、ニーチェワーグナー好みの規模の巨大さを有したのであるが。それにしても、ニーチェの詩とアフォリズムワーグナーのライトモチーフなどを見るにつけ、もしこの二人が和歌に出会っていたなら、どれほど素晴らしい歌を詠んだであろうと思えてならない。

 私はここに、ニーチェワーグナーの大規模芸術志向を超克するにあたり、単なる規模の抑制も、女体の直視芸術も、どちらも単独で成立してはならず、「女なるもの」をほとんど寡黙とも言える三十一の音数に収斂させ、閉じ込めたところにこそ、ディオニュソス芸術の日本的解釈があり、ひいては始原の汎神的一者、「母なるもの」への道があると信ずる。

 私が巫女たちから受け継いできた歌道を、日芸において、連続する複数回の講義として、時間に余裕を持って取り上げることができたのは、日芸の非常勤講師となった二〇一九年度が初めてだった。ただし、眠り込む学生が後を絶たず、また、和歌の講義に入る前から「岩崎先生の授業は難解すぎて、頭がついていけない」という学生からの相談を受けていたこともあり、さすがにもう少し易しい話にすべきかと考え、内容としては「和歌とは何か」という基礎的事項の説明に終始してしまった。今でも国内最大の歌壇連合を誇るアララギ系が貶す傾向にある『新古今集歌人のうち、先の九条良経藤原家隆藤原定家の三人の歌を、何とか矢継ぎ早に紹介し、「アララギ系ばかりが短歌だと思っているようでは文芸自体の道を間違う」などと、学生に向けて唐突に警告したのみであった。

 そういうわけで、和歌(日本という風土に固有の定型詩)の神髄については、ほとんど大学の講義では語れない、あるいはそもそも語らないほうがよいということが段々分かってきたところだが、何しろ、日芸創設者、哲学者かつ総合芸術の高唱者である松原寛の影を感じながら日芸に通い、講義ができることには、大変な感銘があるものだ。

 講義ではほとんど取り上げることができなかったものの、松原寛の総合芸術論に迫ることのできそうな和歌を、ここで取り上げてみたのである。

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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