ネット版「Д文学通信」34号(通算1464号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第29回)

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ネット版「Д文学通信」34号(通算1464号)           2021年12月10日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第29回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

九、大いなるディオニュソス芸術、総合芸術、「母なるもの」の芸術への道

巫女・バレリーナたちと共に、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊に問う

「女なるもの」(女性の純愛と自己犠牲による救済)の直視による男権的ディオニュソス芸術の超克と「母なるもの」の芸術の模索(2)

 

 女体の生体情報を音に直写する、時にはヌード情報さえ用いるという、『月ノ巡リ』で採った手法とは対極的に、二十代半ばまで多用していたのは、楽曲モデルを頼んだその女性を、着衣のままギリシャ神話や西洋神秘思想に、ひいては私の自作または女性との共作による悲恋物語・悲劇に乗せて、西洋音楽理論で描くという手法である。このような作品には、前述の神秘和音による『水の精の夢』のほか、『Poème de Pétales I(花弁の詩、花びらの詩 一)』(二〇〇三年)、『雪肌詩(ゆきはだのうた)』(二〇〇九年)などがある。

 これらの作品の演奏者、舞い手・踊り手、朗読者、歌い手などは、先のバレエ音楽とは異なり、必ず全員が女性である。上演も、これらの女性たちが居住する、東京・関東圏や岡山のいくつかの女子寮・女性専用シェアハウス(一部に私営DVシェルターなど、女性専用特殊施設を含む)の広いスペース(男子禁制でない小ホール、エントランスホール、共同スペース、仮設舞台、中庭など)で行われてきた。

 ここでも私は、相変わらずほとんど裏方に徹し、作曲家、詩人、劇作家などとして、そして何より鑑賞者として、上演を見届けてきたのであるが、もちろん各回の個別練習・合同練習の際には、楽曲全体の創作構想やこだわっている部分だけはしっかりと伝えさせてもらってきた。

 元来、これらはいずれもピアノ協奏曲であり、初演は数名の女性演奏者のみが担った。しかしそれ以降、詩とその朗読、劇、バレエ、舞、歌唱、舞台セットなどが次々と加えられ、これらの初演会場を含むいくつかの特定の女子寮では、上演人数が特に増やされている。舞台セットについては、すでに寮が所有する、あるいは各女性の手持ちの化粧台、ベッド、ソファ、椅子、テーブル、絨毯などを比較的容易に上演スペースまで持ち込むことができるため、女子寮で上演することの利点が存分に発揮されている。無論、裏方役が得意な私がそれらの主な運搬役となったことは、言うまでもない。

 小規模の寮では、居住女性の半数以上が上演者となり、残る居住女性たちも皆鑑賞者となった場合もあるなど、かなり閉鎖的な悲恋音楽演劇の様相を呈している。しばしば、精神障害心身症神経症性障害の女性たち(同じ寮の入居者である場合もある)も呼ばれて参加することがあり、彼女たちが鬱屈した気分を発散する場にもなっている。

 こう書いてみると、何やら物凄い巨大作品のように見えるが、上演者は毎回約一~三十名、鑑賞者も最大で五十名ほどである。ちなみに、バイロイト祝祭劇場の観客収容人数は約二千名であるから、規模としてはあまりに可愛らしいものである。

 これらの作品は、歌唱による劇よりは、音楽に乗せた台詞・朗読と舞踊・バレエによる劇が大部分を占めている。また、元より音楽と台詞、朗読、舞踊、劇とが同等に主役なのであって、音楽に女性たちの台詞、朗読、舞踊、劇が乗っているのではなく、女性たちによる音楽の演奏、音響の紡ぎ出しそのものをも劇と見ている。

 そのためこれらは、正確な表現としては、音楽と演劇をそのままつなげて「音楽演劇」とするのがよいかもしれない。少なくとも、「オペラ・歌劇」(とりわけ、歌唱に支えられた劇表現が音楽に堂々と重なることを厭わない「楽劇」)ではなく、「音楽劇」と言ったほうがよいかもしれない。しかしながら、音楽と台詞の劇とが分離して交互に現れるわけではないため、必ずしも「音楽劇」であるとも言えない。結局は、交響楽、演劇、音楽劇、オペラ、バレエ、巫女舞などが渾然一体となった舞台となっていった。

 これらの作曲時期は、私が、一方では大交響楽を規模の論理で作曲しながら、一方ではモデルや音大生の協力を得て唯美的な音楽美学・音楽哲学を探求していた時期に重なる。とりわけ、ワーグナーのようなドイツ・オペラの長大爆音芸術ではなく、フランス・バレエと巫女舞を融合し、日本美を基調として、女性の二側面(誘惑と純愛・自己犠牲)をテーマとする救済思想を体現することを目指していた。

 とりわけ『Poème de Pétales I』は、詩を加えた時期が早く、作曲、作詩(日本語・フランス語のリブレット)を私が担ったのはもちろん、全体の劇作、振付などをもほぼ全て私が行うことが多い。上演の際は、ピアノと管弦楽の演奏、台詞、ささやき、歌唱、バレエ、劇の全てを、相変わらず女性が担う。

 ただし、衣装については比較的、女性たちの自由に任せていたため、次第に全員がナイトガウン、ネグリジェ、ベビードールなどを着用して上演するようになり、参加女性たちからは「ナイトガウン聖女悲劇」とか「ネグリジェ悲恋舞台劇」と呼ばれるようになった。これは、この詩が「ナイトガウンに包まれた私の体の奥から、不安が天井を見つめる」という、キルケゴールに対するレギーネの悲恋(『誘惑者の日記』におけるヨハンネスに対するコーデリアの悲恋)を思わせるフレーズを含むことによる。

 これにつられて、類似の悲恋物語を描いた『水の精の夢』や『雪肌詩』もそう呼ばれるようになり、女性たちも同様の衣装を着て実演するようになった。中にはフランス人形に扮する女性もいるが、多くの女性はそこまで着込むことは少なく、基本的にはナイティ(nightie、夜着)のスタイルである。また、これらの同じ音楽に別の既存の、または私や女性たちによる自作の悲恋物語・悲劇を乗せて上演されるようにもなった。

 我ながらこのナイトガウンシリーズは、ワーグナーニーチェに私淑する一方で、あの大学時代のフランスやベルギーの象徴主義文芸・絵画との接触の影響が総合芸術に表れたものとも言えるのだろう。興味深いことに、『刻燈』や『月ノ巡リ』の響きに耐えられた巫女たちは、ナイトガウンシリーズにはあまり参加せず、むしろ参加女性たちにアドバイスばかりを行っていた。『共感覚幻想曲』よりも規模は小さいが、かえってそれが妖艶な官能を生んだとも言えると思う。

 これだけ書いてみても分かるが、実際のところ、ある音楽やオペラやバレエが「母なるもの」よりも「女なるもの」、性的・官能的な様相を呈するかどうかは、舞台の女性がヌードかどうかにさえ無関係だと感じられるのが、これらを作曲してきた私の実感である。『月ノ巡リ』は、女体ヌードの直写音楽であるにもかかわらず、極限まで官能性が排された東洋的シャーマニズムの神秘音楽となった。

 一方で、ナイトガウン悲劇楽曲群のほうが、着衣の上からはるかに官能的姿態を描写しているし(実際にそう感じさせる作品であるし)、私以上に実演する女性たちのほうが、音楽と文学に能動的に巻き込まれ、悲劇のヒロインとしての役柄に融和しており、自ら官能を表出してもいる。美大・音大などでの個別の練習は別にして、各女子寮での合同練習と上演に際しては、次第にベリーダンス、ひいてはヌード音楽劇・オペラ・バレエとしての改作も構想されるようになり、一部が二十歳以上の女性たちの手で現実となったなど、結局のところ、『共感覚幻想曲』や『月ノ巡リ』よりも官能のブレーキが利きづらい音響と悲恋の内容を持っている。

 着衣の有無の要素だけでなく、身体動作・踊りの大きさと内容についても、女子寮という閉鎖的空間であるだけに、『サロメ』の「七つのヴェール」のダンス以上に官能的で恍惚に満ちたものとなった回もあった。当の女性たち自身が、原作者の私に対して気まずそうにしながらも、自ら作り込んでいったため、私も自分の立ち位置や関わり方を考えるのに苦労したものであった。

 ただし、私はこれらの作品の原作者として、ここでヌード女性たちの弁護もしておこうと思う。次のニーチェの言葉は、これらのヌード女性たちが好んでいる言葉の一つである。

 

 芸術家は、いくらかでも有能であるなら、(肉体的にも)強い素質をもっており、力に満ちあふれ、力強い獣であり、肉感的である。或る種の過熱した性的組織をもたないなら、ラファエロのごときは考えることもできない・・・音楽を創作するとは一種の子を産むことでさえもある。純潔はたんに芸術家の経済的な節制にすぎない、――いずれにせよ(出典の脱字「れ」を追加)芸術家にあっても生殖力と同時に創作力も停止する・・・芸術家は、何ひとつとしてそれがあるとおりに見てはならず、むしろより豊かに、むしろより単純化して、むしろより強く見るべきである。そのためには芸術家には、一種の青春と陽春が、生における一種の習慣的陶酔が固有でなければならない。

(『権力への意志』下 第三書 新しい価値定立の原理 Ⅳ 芸術としての権力への意志

八〇〇 三一三頁)

 

 このニーチェの言葉は、ナイトガウン悲劇を上演した女性たち、とりわけヌードで上演した寮の入居女性たちや一部の巫女たちに、多大な勇気を与えたようである。それは、入居女性たちにとっては、入居(いわば避難)に至った原因(心身の苦悩、心身症神経症性障害、虐待・暴力・性被害など)を、芸術における非侵襲的な(男との間に肉体的に何も起きない)昇華としての性の発露によって乗り越えようとする自分たちに対する、ニーチェからの応援歌として捉えられた、という意味においてである。一部の巫女たちにとっては、自ら課した生涯純潔の規範によって圧せられていながら忘れることはない(普段は巫女神事に全身全霊で投入している)処女のディオニュソスを、(やや境遇が近いとも言える)孤独と心身症の女性たちの集う女子寮でのヌード舞台に時々は参加して発露しようとする自分たちに対する、ニーチェからの賛美歌として捉えられた、という意味においてである。

 私は最初、このニーチェの言葉を当然、ニーチェらしい、女の側の事情を横に置いた、男のリビドーのディオニュソス的肯定として読んだ。しかし、「音楽を創作するとは一種の子を産むことでさえもある」とは、有能な芸術家は女にもいるとニーチェが期待していたことを物語るし、「純潔はたんに芸術家の経済的な節制にすぎない」とは、ニーチェは純潔から程遠いことばかりが有能な女だと言っているのではなく(むしろ、ニーチェにとってそれは単なる畜群の女であって)、処女をただの処女と見下してはならず、青春と陶酔が習慣付いている処女は真に強いディオニュソスであると見ている証拠でもある。

 ニーチェはこの通り、日本の昨今の女性の中では、とりわけ心身に病的な苦悩を抱えた女性たちや特殊な禁欲生活を送る巫女たちにこそ、極めて正しく理解されるのである。そしてニーチェは、そのような女性たちこそ、実は病的・弱者道徳的でなく、強く有能で芸術的な女であると考えている。しかしこれは、私にとっては新しい発見ではなく、以前から私の理解していたニーチェ哲学そのものである。私が私の作品のヌード上演女性たちを依怙贔屓する所以は、ここにある。これらの女性たちが、厳重な着衣のアポロン的状態からは脱するものの、裸体となったならば文字通りぎりぎり裸体にとどまり、それを大きく超える演技へと暴走しないのは、裸体がすでにディオニュソス的なるものの実現であることを、ニーチェの芸術論への理解によって、知っているからである。

 ところで、ナイトガウンシリーズがこのような結果になった要因は、他にもある。もちろん、二十代前半であった私が日本女性の悲恋を西洋理論の音楽で描くにあたり、ワーグナーニーチェや私好みの雄々しいドイツのオペラ・交響楽(私の楽曲では、のちの『刻燈』など)にわざとらしく対抗して、フランス的悲哀の小規模なピアノと管弦楽を選択したということもある。しかし、実はここには、ドイツもフランスもなく西洋音楽理論一般が有する、人体に対するシステマティックな統御作用が関係している。

 『Poème de Pétales I』や『雪肌詩(ゆきはだのうた)』、『水の精の夢』などが、巫女たちよりもバレリーナやヌードモデル、心身症神経症精神障害の女性たちに好まれ、即効性のある官能の魔術、特効薬(とりわけ後者の女性たちにとっては、自傷行為の非侵襲的代替)のように捉えられるのは、これらがどこまでも和楽器理論を用いない、西洋的調性理論のみの楽曲であることと深い関係がある。『サロメ』があれほどエキゾティックで、グロテスクで、エロティシズムに満ちたオペラとなったのも、西洋音楽理論のみでオリエント風の女性の神秘を描ききり、歌手・女優・オーケストラをコントロールできたことによる。

 西洋音楽理論は、私にとっては「(自然な)重力への反抗」(超越世界への接近願望)を駆動力として設計されている思弁様式の、音波の操作法、音に対する作為としての名称である。西洋が生み出した、「女なるもの」どころか神・「母なるもの」に対する、音楽家や哲人たち自身も意図しなかった拷問様式である。ここで言う「重力」とは、物理学概念(地球における万有引力の現れ)としてのそれであると同時に、「自然信仰」とか「表象即本質としての太古人類の自然」、ひいては「始原の一者」に引き寄せられる感覚、ニーチェの「運命愛」と同義である。

 従って、「重力への反抗」とは、「(偏在する汎神・多神ではなく、イデア界、超越界に存在するものとしての)神への強引なすり替え・飛躍」と言い換えてもよい。ドレミのドは、対位法における「神」の象徴であり、トニックのドもまた和声学における「神」の象徴である。指揮者はオーケストラにおける「神」の象徴であるし、第一ヴァイオリンの筆頭演奏者は、コンサートマスターとして、今から演奏する楽曲としての「神」に対し、音の発出者として最大の責任を負う。

 一方、雅楽を見てみれば、笙は天、龍笛は空(天地の間)、篳篥は地(人の声)を表し、天地人ヒエラルキーを廃し、その音は汎神・多神として舞台と宇宙に遍在する。雅楽は、創世と終末の峻別の拒否、中心音の非在を、その真骨頂とする。巫女神楽も同様である。そして、これら全体として、始原の一者と呼べる音の時空を現出する。私は、この「自然への人間の回帰・合流」を「重力」と呼ぶ。東西の音楽理論を見てきた私にとって、この差は歴然たる実感として、染みついているものである。

 西洋においてこの雅楽精神・巫女神楽精神を探そうとすると、古代音楽にしかないのである。と言っても、実態不明なローマ音楽や初期キリスト教音楽を除けば、ギリシャ音楽くらいのものである。ギリシャ悲劇合唱団「コロス」やリラ、キタラー、アウロス、バンパイプなどの楽器が、かろうじて雅楽巫女神楽精神と相通じるものである。ニーチェギリシャ音楽に初期の『悲劇の誕生』で触れたのは、あまりに慧眼としか言えない。ニーチェは、おそらくは雅楽巫女神楽精神の分かる稀有な西洋哲人である。

 東洋・日本の「神々と共にある」音に対して、西洋の「神に近づくために音を設計する」思想は、女性の身体、特に(演奏者の女性よりは)汗を流して動き回る側の踊り手の女性の生々しい身体性が舞台に加わったときに、最も強く発揮され、外在化される。これを私は特に重大なことと見て、西洋音楽を「重力への反抗」と言っている。このことを、とりわけバレリーナの身体と巫女の身体との比較において観察してみると、その差異の恐ろしさが際だって分かるだろう。

 東西の音楽理論を机上の音楽学として学んでいるうちは、私も非常に知的欲求を満たされたものである。ところが、バレエ音楽巫女舞を鑑賞するばかりか、作曲し、バレリーナと巫女の舞踊がそこに乗ったのを目撃したときに、作品規模の大小に関係なく、西洋音楽理論の恐るべき暴力性に気づくことになる。大規模楽曲における女性演奏家疲労を見ているだけでは分からない恐怖の事実が、明らかとなる。

 バレエ音楽におけるバレリーナの動きは、神に向かってジャンプすることであり、反重力運動である。また、その回転運動は、遠心力への抵抗であり、忍耐を伴う速度と回数をバレリーナに強制するものである。バレエは、人間が地に足を着けることさえ嫌う芸術である。だから、つま先を重力の犠牲にする。日本のバレリーナ巫女舞の巫女の足を比較してみれば、両芸術が女性身体に対してどういう思想を持っているか、目に見えて分かる。

 重力への反抗心、回転運動の激化を、裸体に近い衣装の披露に乗せて大衆に送り届けるという、バレエが持つこのような「真善美」の芸術の態度は、日本でも人気のフィギュアスケートを見ても一目瞭然である。回転数の増加、ジャンプの高さの追究、つまりは「反重力志向」に疑問を呈する指導者はほとんどいない。巫女たちにとっては、フィギュアスケートの思想と動きは、ジャンプ・回転以外の部分も含めて、舞や神事の参考にほとんどならないようである。バレエやフィギュアスケートは、事実上、身体芸術の顔をした視覚芸術である。着氷の音や重力との融和の心を評価する競技ではない。

 一方、舞を伴う雅楽である舞楽巫女神楽においては、身体の動きは親重力的・従重力的である。また、巫女たちは身体、とりわけ子宮部分を守護する衣装を纏うのである。バレエのように、男の作曲家や女の指導者が鑑賞者にバレリーナの女体美を見せるための策略はない。鑑賞者である男性神職や氏子などもそれを目的とすべきでない。むしろ、そこにあるのは巫女自らによる神々との一体化体験、重力への従順体験であるから、男による女体改竄の余地はない。

 確かに、中山太郎の『日本巫女史』も、世界の非西洋のシャーマン教の作法として「逆手」や「跳躍」を挙げ、日本の古代巫女も例外ではなかっただろうとして論を展開している。ところが、つま先立ちでハイジャンプしたり、一秒以内に三回以上も回転するような、バレエやフィギュアスケートの激しい動きを、巫女神楽は全く持たない。

 中山は、「逆手」や「跳躍」による神事が必ず憑依・脱魂を伴うことを前提として書いている。つまり、バレエやフィギュアスケートのような西洋の舞台芸術・競技における「逆手」や「跳躍」として読むことはできない。しかも、巫女舞における憑依・脱魂の動きは、西洋のバレリーナフィギュアスケーターの跳躍や回転よりは、ずっと遅いものである。「浦安の舞」や吉備舞をはじめとする、近代以降に創作された巫女舞は、古来の憑依・脱魂の動きを封じる形で、作曲・振り付けがなされている。

 従って、私が女性の激しい舞踊を伴う交響詩『刻燈』やバレエ音楽、ヌードの舞踊を伴うことのできる幻想曲『共感覚幻想曲』を作曲したときには、あえて女体を反重力的に跳躍させ、つま先で立たせ、足腰を壊すか壊さないかの境界を意図的に狙うように努力して、作曲したものである。なぜならば、それが西洋音楽理論だからである。

 そこに気づいた私はどうしても、思想と身体観を共有している巫女たちに合わせた作曲を、バレリーナに対してもしてしまう傾向があり、これはバレエの指導者からも指摘された。私が「努力」したというのは、そういう意味である。私自身の東洋哲人的性格に反して、音楽によって女性に(音楽理論上の)暴力を行い、群衆道徳で鑑賞してくる観衆の視覚と聴覚に答えるよう意識的に努力・実験したという意味である。

 もちろん、バレエの指導者たちは、西洋音楽理論の物理学上かつ哲学上の恐ろしい真相には目を向けないようにしている。というよりも、それを考えたこともないだろう。自分たちのバレエをただ清く、正しく、美しいと信じているだろう。そこに性的暴力性さえあるとは知らずに。バレエを習う少女たちの足を見て、男の私のほうが悲しむ有様である。

 この苦悩をあえて互いに反動的に利用して、成人女性(巫女、バレリーナ、ヌードモデル)たちと共作し、ほとんど秘密裏に上演している楽曲群が、ナイトガウンシリーズであると言える。

 ところで今私は、日本の雅楽などの太古の民族音楽の理論が女体を統御できないと言っているのではない。西洋音楽理論による女体の統御は、システマティックで合理的で、生み出す効果は結果的に快・不快の二択しかあり得ないと言っているのである。音による女体解釈が、特異点としての実在と規定された神に向かうための合理的手段として、調の長短、音の強弱、律動の緩急などの二元論に減縮されていると言っているのである。むしろ、雅楽巫女舞少数民族の音楽の理論のほうが、それぞれの土地の男が理論的思考で生み出したものなどではなく、女たち自身がそのシャーマンとしての身体で生み出した法悦と呪詛のカオス体系であり、根本的に恐ろしいのである。

 私が感じる西洋音楽の恐ろしさとは、そのような法悦と呪詛の恐ろしさではなく、哲人と作曲家の男たちが自ら、理性と知性で女体や神を合理的に記述し改竄するシステマティックな理論を構築しておきながら、男女双方の理性と知性がその恐ろしさに気づかなくなった恐ろしさのことである。

 音楽理論と哲学の両方に手を出し、東西のそれらを探究してきた私のような人間からすれば、女体に対してどのようなタイミングで、どのような楽章・小節構成で、どのような旋律や和音や律動を加えれば、女性の足腰を壊せるかも分かるようになる。音波の組み合わせ、設計で、生理不順をもたらすこともできる。もしかしたら、橋の欄干から飛び降りさせることもできるかもしれない。逆に、女体を喜ばせることもできてしまう。しかし、巫女たちは、自分たちの身体だけでそれらができてしまう。

 日本の巫女たち、特に本稿で取り上げている吉備の巫女たちは、西洋音楽よりも少ない音数の聴取や、動作速度の小さい回転や逆手や跳躍で、憑依や脱魂、性的超脱状態を引き起こすことができる。西洋音楽に染まった日本のバレリーナやソプラノ歌手や舞台女優やヌードモデルは、これができないようである。

 逆に、一般女性が社会的ストレスを受けて稀にそれらに陥った場合には、精神病理学によって精神障害などと言われてしまうのが現代である。その精神障害のほうが女体の本来的様式であると、もはや誰も思わなくなってしまった。やたらと違法薬物と結びついている昨今のクラブ・ミュージックなどは、大衆の身体・女体が本来的身体性を忘失し、鈍感さを獲得したために、それを人工的に強引に補完しようとして発明された音楽ではないかと思うほどである。

 近現代の西洋音楽理論がいくらでも世に出ている一方、とりわけ古式の西洋魔術・性魔術や吉備の巫女神道の秘儀に集中的に保存されている、音楽や歌による憑依・脱魂の手法が、今後世に出ることはないと思われるので、今少し説明しておく。

 ここまでは、楽曲の大音圧や長大さ、「反重力思想」による女性演奏家や舞子・踊り子の身体の統御とその暴力的心的外傷または官能的疲労を見てきた。ここからは、それらによらない、男の哲人・作曲家たちと巫女(魔女)たちの共作としての女体の官能的・陶酔的統御が、東洋のみならず西洋にもあったことを記しておく。東西の理論で、身体・女体解釈の手法と思想とが全く異なることは、強調されるべきであるが、その相違は、時代を遡及すればするほど、解消されることもまた確かである。

 今から記すのは、単に急速な大音響の音楽を創って女性の身体を壊し耳をつんざくなどという荒技のことではなく、むしろ、古代から続く精密な音の配列術によって女性の子宮・生殖器や内臓にはたらきかける音響秘法のことである。男が音楽で女を統御(悪く言えば支配)するのに、実は楽曲規模はほとんど関係がなく、一定の音配列と音響が持つ生体への非侵襲的(と言っても半ば侵襲的な)能力が関係しているという話である。

 我々が、いわゆる長調の音楽には喜楽を感じ、短調の音楽には悲哀を感じ、テンポの速い音楽には焦燥を感じ、テンポの遅い曲には安堵を感じることは、音そのものが動物としての人間の身体を統御するディオニュソスとカオスの神であることを我々自身に教えてくれる、数少ない最後の教えである。激しいロックを聴くと鼓動が高鳴り、悲恋のバラードを聴くと涙が出るのは、音配列がヒトの生体を操作できることの最後の証拠である。

 このような体験があるというだけで、催眠療法の被験者となれるし、霊感商法に引っかかる可能性がある人間である(身体性を有する)と言えると同時に、吉備の巫女たちのように非常に原理的な訓練をすれば、人や自分に呪詛や魔術をかける巫女・魔術師になれる可能性があることをも意味する。

 今「最後の」と書いたのは、西洋音楽にも、古くは教会旋法などと言って、長調短調への集約以前の多様な旋法があったのである。これは近現代では、ジャズやフュージョンの理論として蘇っているほか、西洋魔術や神道の巫女の秘儀とも相性がよく、多用されているのである。ドリア旋法に近い「君が代」は、西洋人にその旋法の物悲しさ、システム化される前の音の宇宙を思い起こさせる、世界最後の国歌である。

 日本の雅楽は、長らく宮廷音楽であり続けているがために、太古の旋法、和声、律動をほぼそのまま残している、世界稀に見る民族音楽である。私は一時期、東儀秀樹のコンサートを鑑賞していたが、雅楽の部を重点的に鑑賞する人などほとんどおらず、雅楽とロックやポップスを合体させた音楽の部のほうにばかり客が偏っている。

 しかし同時に、その雅楽の主宰者である天皇・政府・神道勢力が、雅楽よりもずっと古い自然信仰の巫女神楽を取りつぶしたことは、全く痛恨の極みである。今では、(宮内庁雅楽も含めた)雅楽宮中祭祀も随分国民の意見を取り入れており(世相からして国民に多少迎合せざるを得ず)、巫女神楽のほうが圧倒的に古式の姿を保存している可能性がある。

 その広義の巫女神楽・神事(神楽、磐座神事、神剣演舞など)は、どのような風雨の向きや強さや音のときに、巫女がどのような動きをし、どのような呪文を唱えれば神懸かりできるかについて、秘伝を残している。この一部が、吉備出身の私に託されているわけである。巫女神楽では、まずは巫女の身体と、それを取り巻く神々、精霊、日光、月光、空気、天候、風雨こそが主役であり、音楽とその理論は主役を支える役割として発祥したのである。

 このような人間(の聴覚)と自然との関係を「明(長調)」と「暗(短調)」などの二元論に小綺麗に集約したのが、近代までの西洋音楽理論である。これをあからさまに意図的に破壊したのが、新ウィーン学派などに代表される(西洋クラシックの)現代音楽である。しかも西洋理論では、理論が先にあって、人間の身体はそれに付帯するものである。特に女体は、男の理論と身体の付属物である。

 ワーグナーリヒャルト・シュトラウスをはじめ、後期ロマン派の音楽は基本的に調性音楽時代の最後の暴発であるから、ショーペンハウアーニーチェの思想に影響を受けて作曲した場合でも、当然この飽和した反重力的二元論に基づいて作曲されている。

 前述の快・不快が必ずしも調の明暗に対応するわけではないが、いずれにせよ西洋音楽理論はあらゆる要素が二元論(明暗、強弱、動静など)で記述されており、音波のメカニズムを完全な二元論に押し込めることが絶対者についての正しい記述への道であるという思想がある。ニーチェが西洋哲学を超えた思想を西洋語で記録するほかなかったのと同じ苦しみが、作曲家たちの音楽創作においても、あったということである。

 ワーグナーニーチェの思想に合致すると思える音楽体系は、私などから見れば明らかに非西洋音楽や古式の西洋音楽であるが、彼らは近代西洋音楽理論の極致形態しか自分たちの思想に転用できない時代と社会に生まれ、追い込まれていたわけである。

 もちろん、西洋の作曲家の男たちとて、最初から女体の蹂躙や破壊を意図して理論を構築したわけはない。むしろ、男が支配する教会勢力が神への接近を、教会旋法の組織化や音律の整備(ピタゴラス音律中全音律など)によって追究したがために、その音楽における男権思想が慣例となり、ロマン派・十九世紀末に至っても男の体格だけに合った強大で競争的な交響楽ばかりが生き残って、結果的に女体に厳しい状況となったにすぎない。

 明らかに男のみが設計してきた芸術である西洋音楽でさえ持っていた、女体の法悦の導出能力や、自律神経・ホルモンバランス改変能力や、女体自身に対する、あるいは女体が呪詛をかける対象者に対する殺傷能力は、西洋魔術・性魔術や日本の巫女舞・巫女の身体と、音楽理論の関係を多少なりとも研究・再現した私のような人間には、生々しく分かるものである。

 巫女弾圧策のときに渡欧した吉備の巫女たちの一部が学んだ、「黄金の夜明け団」などの魔術結社では、人間の声や司官杖・小道具の音ばかりが重視され、音楽はそれほど使用されなかった。しかし、このような西洋の魔術・神秘学結社に見られた傾向は、女性に潜在する性的体質を引き出すのに音楽が不向きであることを意味するのではなく、単に秘密結社であるがゆえに、秘儀専用の新曲の制作や大勢の演奏家の集結が困難かつ間に合わなかったためと思われる。

 事実、次第にセレマ神秘主義教団などで、ソロからカルテット程度の演奏(ヴァイオリン曲中心)を用いた女性の秘儀が行われるようになった。これには、録音技術の向上も影響している。どんな音楽も、別のホールで録音し、秘密結社の屋内で秘密裏に小音量で再生できるようになったためである。秘密結社と作曲家と女性(魔女、バレリーナ、女優)たちの間でも、音楽による女性の魔女性・呪詛性・憑依現象・性的絶頂の引き出し効果は議論され、実践されるようになった。

 ところで、当初は秘密結社でさえ、ワーグナーのようなやかましく長大な調性基調の音楽と、印象主義のような旋律・和声・調性の輪郭のぼやけた近代的前衛音楽と、それら以前の中世西洋の教会音楽と、古代西洋の民族音楽的響きの、どれが秘儀にふさわしいか、迷っていたのである。

 例えば、オカルトカトリック哲学の申し子であるジョゼファン・ペラダン率いたカバラ教団「薔薇十字カバラ団」では、会員のエリック・サティーが楽曲を提供していたが、ペラダンがニーチェ同様、ワーグナー派であったため、サティーは退団している。ニーチェと違うのは、ニーチェワーグナーの『パルジファル』にキリスト教色とインド仏教色の中途半端な折衷を見たこと(ニーチェのほうがワーグナーを少なからず誤解したこと)を一因として、ワーグナーと決別した一方で、ペラダンはむしろこのオペラによってワーグナー派となったのである。

 もちろん、ペラダンはワーグナーの大音響や調性音楽の特徴だけを気に入ったのではない。男たちが運営しながらも、女たちの魔力を重視した当時の秘密結社側にとっては、その作曲家が普段、結社の外で観客に向けて創作している楽曲の時空間的規模の大小よりも、魔女・バレリーナ・女優たちの呪術的・性的体験を合理的に引き出す効果の存在、そしてその作曲家の思想との相性が、重要だったのである。

 女体に直接的に、仕方なく拷問に近い形ではたらきかける大音響効果の背後にある、ギリシャ悲劇を基礎とするワーグナーの古代回帰思想、ワーグナーが持った女性による救済思想のほうが、人間の身体性を本気で捉えない印象主義音楽の、静かな倦怠感の居眠り効果よりも、秘儀の演出にふさわしかったのである。ただしもちろん、実際の女体への秘術効果が最も高かったのは、ワーグナーでもサティーでもなく、古代西洋音楽や東アジアのシャーマニズム神道巫女舞だったのであるが。

 西洋音楽とて、このような女性の生体への影響力を、鉛筆と紙だけで、女体に触れずして行使できる、男女共作の法悦と呪詛のカオス体系を持っていた。にもかかわらず、それをシステマティックに二元論において設計し直し、群衆にそれを気づかせないことに成功し、後期ロマン派の爆音音楽にまでスムーズに到達し、逆にかつての秘術のほうをオカルト芸術だと見なすに至った西洋音楽は恐ろしいと、私は言っているのである。そう設計していながら、大衆は全く気づかず、鑑賞し拍手しているだけである。

 アダム・スミスの神の見えざる手は、芸術においても偏った調和だけを生んだのである。この「芸術理論で女体、神を破壊できることを知っている人が、それを知らないで大喝采している群衆を見ている事態」ほど、気が狂う事態はないのである。

 無論、それを鑑賞させる指揮者、演奏家、合唱団、劇団員、振付師、バレリーナたちもまた、群衆道徳の一員になってしまっているので、もはや反重力運動や急速回転運動でも気が狂わない脳と身体とを獲得した。「母なるもの」の根底にある女の恐ろしい呪詛が、思弁どころか身体でも分からなくなったのである。近現代において西洋音楽の本当の恐ろしさを分かっているのは、魔術・神秘学結社の指導者の男たちや魔女・女優たちばかりである。

 ニーチェワーグナーは、古式の西洋音楽の持つ西洋魔術としての恐ろしさに実は気づいていたが、彼らが生きた時代は男権的・二元論的調性音楽の飽和状態であり、自分たちのギリシャ悲劇への復古主義、超人思想を体現する音配列理論はこれだと思うしかなかった。新ウィーン学派のような前衛音楽は、まだ登場していなかったし、早く登場していたとしても、ニーチェワーグナーがその音響をギリシャ悲劇の総合芸術性に比定できるものとして好んだかどうかも、また疑わしい。

 ワーグナーの総合芸術の試みは、音配列理論の変革(ライトモチーフの作り方やトリスタン和音など)以上に、楽曲の時空規模拡大の方向に向かうしかなかった。その結果、女性が疲弊するばかりの大曲によって、ギリシャ悲劇の巫女たちが持っていた呪詛と法悦を、かえって封じてしまった。時代が時代だけに、芸術の肥大化志向をやめられなくなったとも言えるだろう。

 ニーチェも、ワーグナーと決別したはずが、思想の大規模な外在化志向だけはやめられなかったようである。三十代半ばから後半は、キリスト教道徳への批判が円熟すると共に、独自の新概念を多発する時期であった。「神の死(神は死んだ)」、「永劫回帰」、「力の感覚(力への意志)」などは、全てこの時期にニーチェが提示した概念である。ニーチェの四十代前半は、自らの書に注釈を付け、さらにはニーチェを知りたければニーチェ自身を見よと宣言した時期でもあった。

 この間ずっと、ニーチェの頭の中にあったのは『パルジファル』の響きであり、東洋・日本の幽玄美の芸術ではなかった。ワーグナーが『パルジファル』にインド仏教色を込めたことは、ニーチェにはわざとらしく映り、ワーグナーの虚無への後ずさりと解されたが、これもまた、西洋音楽理論における仏教表現の是非論にしかなり得なかった。

 逆に日本の私にとっては、まさに「すり替えられた神のために女を壊せる」芸術、「群衆道徳の神に作曲家が女を売却する」芸術、それが近代西洋のバレエ音楽であり、歌劇であった。

 こうしてみると、今大々的に欧米や日本の上流階級の子弟が音楽大学で学んでいる近代西洋音楽理論のほうが、人間身体に対する暴力的裏技で、今秘密結社とされているキリスト教神秘主義教団や魔術教団、日本の一部の巫女たちが保存している音楽と女体の法悦・呪詛体系のほうが、人間身体の自然な実存の解釈であるかもしれないのである。

 そもそも、ヤマト王権勢力の最大の拠り所、『記紀』神話(特に古事記)によれば、世界と日本列島に光が差したのは、巫女のアメノウズメが胸乳をあらわにし、裳の紐を陰部までずり下ろしてヘソ踊りをし、神々が大笑いしていたところ、天岩戸に隠れていた天照大神までもが出てきたからだということになっている。本来ならば、このような法悦と呪詛、喜劇と悲劇の混在した神話を総合芸術と認める態度を、保守主義とか右派と呼ぶべきである。

 今や男の役者ばかりのエンターテインメントである歌舞伎とて、元は歩き巫女の踊りで始まった可能性がある。日本が誇る総合芸術の能楽(猿楽、狂言)は、シャーマニズム巫女舞を、その呪詛性を封じながら、いわば男の巫女舞として作り替えたものという見方もできよう。

 だから前述の通り、吉備の巫女の秘儀に、裸体の巫女舞で朝廷を呪い殺したり、巫女の排泄物で大真面目に天候を占ったり、秘儀の後でそれらを畑に撒いたりする秘儀があるからと言って、何ら不思議なことはない。反ヤマトの儀式が性的背徳儀式と合流した(元より未分化である)ことは、巫女たち自身にとって必然であった。

 これらの点ばかりは、魔女の裸体や排泄物は快・不快の二元論のうち後者にしか属さないもの、唯一神にとって迷惑なものと前提して理論を組み立てていることの多い西洋魔術とは、やや異なる点である。

 そこにこそ私が、ニーチェワーグナーの爆発的超人芸術の影響をどうしても受けてきた西洋魔術よりは、日本の巫女神事のほうに本当の始原の一者との合一としての総合芸術性を見る所以がある。西洋魔術にも、女体における始原感覚への到達(意志と表象の総合)という姿勢は見られるが、その姿勢は巫女神事のほうが顕著である。

 巫女神事は、先に述べた巫女禁断令以降に復興・新作された近代巫女神楽も含めて、女体と宇宙・世界とは一体のものと前提して作ってある。黒住教金光教の吉備楽・吉備舞はその完成度が高い。

 ただし、近代の巫女舞では、巫女の狂気が完全に封じられているのに対し、今や秘儀となっている前近代の巫女舞を舞えば、巫女たちは今でも、精神病理学上は心身症、身体表現性障害、転換性障害解離性障害などと呼ばれている重度の神経症性の状態に陥る。遺伝的体質によっては、統合失調症てんかんをも自ら引き起こすことが可能である。神事の後、自ら元の意識状態に戻れるところが、これらの精神病理学的な診断を正式に受けた精神障害者とは異なる点である。

 しかし、あまりに巷の生活に迎合し、特にスマートフォンで簡単に情報を得たり街の喧騒に身を置いたりする生活をしばらく続けていると、身体化・転換・解離能力が戻るまでに時間を要するようではある。巫女たちの神事中の脳と身体は、心理学では「フロー」や「ゾーン」と呼ばれる状態にある。いわば忘我の境地であるが、精神科や心療内科の手を借りなければ寛解しない重度のトランスや変性意識状態ではないということである。

 ワーグナーの巨大西洋音楽を超克しようとして始まった真の根源的音楽への私の試みは、今や、音楽理論によって女性身体の美を表現することをも超えて、女性身体の音への転写によって女性身体を音楽化したり、女性自身がその音楽を身体で聴いて秘儀を執り行うという音響神道に達した。私なりに男の思弁を超絶できたつもりではいるが、だがそれでもなお、男の哲学ばかりか、男の音楽は思弁である。

 ここで見えたものは、未だに「女なるもの」であって、「母なるもの」とは言えないのである。巫女たちもそう私に言った。カントが提示したような神へのよそよそしい統覚ばかりを感じさせる西洋音楽理論に対して、私は、女体転写音を通じて神々の生々しさだけは知ることができたが、未だ日本の始原の聖母に達するものではない。目の前のモデル女性の右肩をフルートのこの旋律に、左脚を琴のあの和音に、などという欲望を全部超絶したつもりが、出来上がった作品の隅々にそれらのつまらない欲望の痕跡を、私自ら発見するのであった。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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