ネット版「Д文学通信」40号(通算1470号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第35回)

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ネット版「Д文学通信」40号(通算1470号)           2021年12月18日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第35回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

十、大いなるディオニュソス感覚、総合感覚、「母なる」感覚への道

バレリーナや巫女たちと共に、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊に問う

 

私の「総合感覚」論(「共通感覚」、「統覚」、「共感覚」の共時的・通時的統合としての「総合感覚的パースペクティヴィズム」)

 

 中村雄二郎は、アリストテレスの「共通感覚(センスス・コムニス)」とカントの「統覚」を同一視する一方、「共通感覚」と心理学・神経学上の用語・概念である「共感覚(シネスシージア)」との関係については、うまく論じられなかったと書いている(『共通感覚論』三一五頁)。確かに、私のように科学者から脳や目や耳を調べられ、お墨付きを得た共感覚者でなければ、難しいと思う。

 共感覚というのは、逆に全く観念的・超越的・形而上的問いというものが生じ得ない感官的・肉感的実体験の、医学・心理学的な事態としての報告に過ぎず、本当に「音波に色彩を感じ」たり、「可視光線に匂いを感じ」たりする知覚様態である。共感覚者と非共感覚者との間には、実験上も有意な差が現れる。つまり、非共感覚者には、本当に、音は聞こえてしかいないし、光は見えてしかいない。

 かといって、共感覚者たち自身は、私のような哲学人間を除き、共感覚が始原の総合感覚への扉をひらく鍵であるなどとは思ってもいない。ほとんどの共感覚者は、今私が述べているような話に全く関心を示さない。要するに、被験者群衆としての科学的道徳を堅持しているだけである。

 統合失調症も、てんかんも、躁鬱病も、共感覚も、難産で生まれてきた人に多いことは私も経験上知っているし、私の共感覚も明らかに難産と関係があるのだが、共感覚が前者三つとどう違うと私が見ているのかを記しておく。

 統合失調症者においては、現在の局地的・文化的「常識」(日本では電車は整然と並んで待たなければならない、ご飯に箸を突き立ててはならない、など)と、人間の脳が内省する統覚、自己や他者や事物の了解としての「共通感覚」(主体の私は私の手を動かした、今主体の私は客体のあなたにはたらきかけた、など)が同時的に崩壊する。社会通念の破棄が即、主客未分離への回帰である。

 鏡に映った自分が自分と分からずに声がけや喧嘩を挑み、鏡面に「こっちへ来るな! 無礼者! 非常識!」といった貼り紙をする統合失調症者たちに、私も出会ってきた。鏡像について、他の霊長類やサルと同様の反応を示すのであるが、そこに「社会常識」の有無という観点が入っていることが、人間の統合失調症の特徴である。てんかんは、崩壊の最中だけがあって、最終的に崩壊はしない。躁鬱病は、ほとんど崩壊しないままに歓喜と反省を行う。

 これに対し、昨今(私を含む)被験者から報告されている「共感覚」というのは、「共通感覚」のうち感覚器官的・官能的体験のみを、高度の「常識」の言葉で(ソシュール言語学シニフィアンシニフィエの関係において)表明したものと定義すべきである。無論、ほとんどの共感覚者は、そんな解釈の可能性には気づかないだろう。

 ここには、共感覚は、精神障害圏(統合失調症気分障害双極性障害など)やてんかん圏ではなく、むしろ自閉スペクトラム症発達障害圏と関連があるという、私の確信とフィールドワークの結果がある。

 東京大学に対しては、「共感覚は、健常者と、統合失調症者、てんかん者、双極性障害者との間でも、その出現に有意な差は見られるが、幼児や自閉スペクトラム症の成人に一層有意に多く見られることは、私の直観のみならず経験とフィールドワークにより、確実であるから、研究すべきである」と二〇〇九年から進言していたが、長らく私の深い直観、閃き、経験、調査を全く分かってもらえず、後になって「あなたの仮説が当たっていた」と言ってきた。

 事実、共感覚は、幼児や自閉症者において、多々発見され続けているのである。そもそも日本ではその研究が遅れている一方、欧米の研究者らは早くから、「共感覚自閉症は脳の機序に共通性あり」とする論文を発表したのであった。(Simon Baron-Cohen, Donielle Johnson, Julian Asher, Sally Wheelwright, Simon E Fisher, Peter K Gregersen, Carrie Allison. Is synaesthesia more common in autism? Molecular Autism, 2013; 4 (1): 40など)

 これでいよいよ、「共感覚」は「常識」や「知性」以前の、人類・動物の脳の可塑性に直接依拠していること、ヒトの受精卵の感覚世界そのものであることが、分かってきた。つまり、「ホ短調の音楽が青緑色に見える」などという私の説明は、科学者としての共感覚研究者が近代言語で「ホ短調は何色か」などと問うてきたからそのように答えざるを得なかったところの、近代音楽理論による了見の狭い回答にすぎない。そのような言語表現の背後にある全感覚としての共感覚は、古代人、自閉症発達障害者、幼児、動植物ほど有するのである。私の説の意味をまだ、共感覚研究者らは理解していないが。

 私の言わんとすることを先読みできた人は賢いが、「共感覚」は、個人の受精卵期・胎児期・幼少期や自閉スペクトラム症発達障害者や知的障害者や始原の人類や動植物においては、「共通感覚」に一致するのである。ただし、近現代的社会通念としての「常識(コモン・センス)」や言語表明能力は消失する(それ無くして人間は誕生する)。

 従って、「共感覚」と「共通感覚」が一致している者(純粋経験の体現者)においては、その大いなる総合感覚を「共感覚」とも「共通感覚」とも報告することはない。共感覚の実験室における健常者の用いた「共感覚表現」が近代語や音楽理論や絵画理論による説明・報告になっているだけであって、「共感覚」を生み出す脳の機序そのものは、「共通感覚」よりも太古のものである。私の場合は、「共通感覚」と「共感覚」がむしろ同じ「始原の直観の仕方」であると見、「統覚」は、「共通感覚」・「共感覚」と出自を同じくしていながら、もはやそれらから引き剥がされて発明された、異質で強引な「都合のよい神・始原の導出技術」と見る。

 また、「共感覚」が「共通感覚」と同源であると理解するに至ることは、西洋哲学の視覚優位性に抵抗することと同義である。人間の原初的なあり方である触覚的人間性に戻ることと同義である。そのことを、理解どころか、脳のニューロンと身体で抵抗できた場合のみを、つまり、多かれ少なかれ統合失調症てんかんや躁鬱や神経症の経験を持ち、かつこれを(群衆道徳に右往左往させられて生じた「祭りの前、最中、後」感覚を)、生々しい触覚的体験はそのままに、超克できた者のみを、共感覚者とか共通感覚者と呼ぶべきである。

 中村雄二郎木村敏には、この視点は全くなかったようである。両者とも、カントの統覚に影響されすぎているがゆえに、なぜ「黄色い声」や「真っ赤な嘘」などが常識的な言葉で、なぜ「緑色の音楽」や「青い思索」などが精神病者の言葉であると自分たちに感じられるのか、なぜ精神病理学者・医師たちや群衆もそう感じているのかを、全く説明できていない。前者を正しい感性・悟性・理性・知性の使用の結果であると、なおも考え続けたところに、原因があるのである。

 元々「共感覚」は、五感の融合とその芸術表現を称え、芸術界に引き入れるために、発明された用語ではなかった。最初の提唱者、フランシス・ゴルトンは、近代優生学の祖とされる人物である。当初共感覚者は、「目に視覚が、耳に聴覚が、鼻に嗅覚が、舌に味覚が、身体に触覚が正しく対応していない、神経系の異常者」、つまり、「神の失敗作である知的障害者」として、論文で報告されたのである。ゴルトン自身は、自分を棚に上げて論じているが、実際は共感覚者を蔑視する大衆心理を紹介・借用する形で、共感覚者を蔑視している。

 

 Francis Galton, Inquiries into Human Faculty and its Development, 1883. London: Dent, 1911, 111.

 多くの人々は共感覚を野蛮で狂気と見ていると報告。

 

 Max Simon Nordau, Degeneration: Translated from the Second Edition of the German Work. Lincoln: University of Nebraska Press, 1993, 142

 共感覚を褒めることは、人間の意識から牡蠣(カキ)の知覚・意識に戻ることを進歩と呼ぶようなもので、芸術家は創作において、人間をこのような知覚・意識に格下げしないように留意すべきであると主張している。

 

 共感覚表現の作曲家として有名なのはスクリャービンリムスキー=コルサコフだが、ワーグナーも壮大な共感覚交響世界を現出した作曲家だと言える。本人たちはサイエンスにおける意味での共感覚者ではなかったが、一応は巨大交響楽・オペラの作り手らしく、聴覚芸術・音楽と視覚要素・色彩・造形を多分に融合した。とりわけワーグナーオペラにおいては、視覚性と聴覚性の分離そのものが困難である。

 ところが、当時は「五感の交感」は精神異常・知的障害の代表格であり、視覚優越主義、優生思想、反ユダヤ思想、白人優越主義にとって格好の材料となったため、ワーグナー自身も、「共感覚」の語も概念も用いなかったし、それがディオニュソス的総合感覚そのものであるともほとんど気づかなかったのである。「共通感覚」を説いたアリストテレス、「統覚」を説いたカントにとってさえ、その総合感覚は、視覚優位のまま、他の感覚が付帯する意味での総合感覚だった。

 当然、今私は、その西洋哲学の視覚優位性は打破されるべきものとして論じている。私は、「共感覚」を「共通感覚」に、「共通感覚」を「統覚」に、「統覚」を「社会常識」や「群衆の良心」に長大な時間をかけてすり替えた立派な哲学者・宗教者・優生学者と群衆たちのほうが、救いようのない狂気の野蛮人であると、価値転倒を行いたい。その野蛮性は、視覚優越主義によってもたらされた。ショーペンハウアーの色彩論『視覚と色彩について』でさえ、彼が表象と意志の関係の達観能力を視覚にばかり期待していたことを物語る。

 共感覚は、まさに「大人(分化された五感の奴隷としての常識人)になりきっていない、受精卵からの成長・発達・進化を終えていない、未分化の脳」によって音を見、色を聞き、太陽を匂い、月を味わい、星を触ることなのであるから、超越世界を(プラトン的に、アリストテレス的に、カントの超越論的に、といった方法論の違いを問わず)視覚的に目撃することを最終目的とする西洋哲学に比して、元より東洋的であり、禅であり、悟りなのである。

 むしろ、東洋・日本文化においては、古代歌謡・和歌にせよ、能楽にせよ、触覚・体性感覚・深部感覚こそが優位である。これらを優位とする総合感覚こそが、宇宙の始原へと合流する唯一の手段なのである。それを、それぞれの時代の言葉で、極めて遠回しに、アリストテレスは共通感覚と言い、カントは統覚と言い、ベルクソンは純粋知覚と言っているに過ぎない。「共通感覚」も「共感覚」も、始原の存在と合一する躍動と見れば、同じく「総合感覚」である。

 これは、清水先生の幼少期の報告の例一つを取っても、極めてよく分かる。清水先生も、「共感覚」と「共通感覚」と「てんかん分裂病体質」との統一を、他の言葉と実体験で表現している人の一人である。私も、机上の理論のみならず、自らの共感覚体験、共通感覚体験、常識への表向きの迎合体験(私とて、週のほとんどをこのようなご立派な社会性によって生活しなければならない)、精神病理の一歩手前の体験からそれを言っているのである。

 中村雄二郎は、「共通感覚」や「共感覚」を、やはり進歩的直覚、健常者の良心、近代的大衆の価値道徳と見たから、両者が「総合」されなかったと見える。それは社会進化論の見方であり、今では進化心理学などが「サピエンス」と呼ぶところの人間観である。

 だが、「星は音楽である」、「風は演劇である」、「空は絵画である」。ニーチェや清水先生にはこれが、総合感覚的に直覚できた。中村雄二郎は、それを分からずに終わってしまった。松原寛は、できているにもかかわらず、その最善の解説手段が哲学や宗教学だと長らく誤解し、最後には浄土信仰や天理教や西洋への軍事的勝利だと誤解して苦しんだ。

 彼らよりもずっと思弁力の浅いところで人間の知覚を考えている東大の現代サイエンスの担い手たち、共感覚分析官たちが、私の脳と身体を調べて「共感覚」と呼んでいるものは、単に脳神経と伝達物質の特殊なはたらきの意に過ぎず、それ以上の議論の進展は期待できないから、ここでは横に置いても全く差し支えない。

 感覚器官の祭りである「共感覚」(音に色が見える、色とりどりの物体が浮かんでいるように見えそれで遊んでいた、など)と、「統覚」(思考や言語の遠い手前に、かつ認識の直前にあって、対象を五感で知覚した際に生じる、五感の統合としての意識の統一)としての「共通感覚」が、出自の異なる別物という理解そのものが、そもそもの弊害である。アリストテレスの「共通感覚」が「常識」の根源にあることを、不健全にも健常者のほうが忘れ、統合失調症者や自閉症者のほうが正しく体現していることと、実態は同じである。

 中村雄二郎は、私を実験している東大の心理学の先生方よりは圧倒的に賢いが、「共通感覚論」に「共感覚論」を組み込めなかったその瞬間、机上の理論家に収まってしまい、生々しい共感覚芸術に目を向ける機会を失ったと言えるのだろう。

 「総合感覚」の奥義を惜しくも逃したが、中村雄二郎よりはそこに辿り着きそうであったと私が思う哲人には、数学者の岡潔がいる。

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 図二十九《数学者・岡潔による西洋と東洋の精神の図》(「岡潔の生涯と思想」 =心の根底にある「情」の世界= より)

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 図三十《西洋と東洋の精神の図》 岩崎純一、二〇一一年

 

 この図は、岡潔が、理論積み上げ型の西洋の数学と文明への違和感と共に、日本的情緒に基づく直観としての数学を目指す中、西洋人と東洋人の知覚・認識様態の違いを示したものである。

 図を見ると一目瞭然であるが、岡潔によると、西洋では、人間の感情というものは、意・意志・競争心と知・知性・知恵・知識の上に設計されるものである。また、これらの全てが、自己に意識される第一の心である。西洋では、五感・知覚というものは、最も感情から遠く、最も動物的で非人間的なもの、機械的で野蛮な作業とされるのであり、「意」の最下層に沈澱するものである。また「感情」とは、西洋においては健常者の健康な、良心的な、常識的な情のことである。無論これは、「主意主義」、「主知主義」、「主情主義」の対立に見られる精神三元論をもとにしたものである。

 ところが、東洋哲学においては、仏教の唯識論が説明したように(日本仏教では法相宗がそれを説明したように)、ユング集合的無意識に比定される阿頼耶識が根底にあり、次にフロイトの本能に比定される末那識、そして意識が堆積され、五感(特に内臓感覚、深部感覚が重視される)こそが最上部にある。西洋の図においては、上層の精神が高級で人間的、下層の精神は低級で動物的な精神である一方、東洋の図においては、層の上下左右は単に精神の表層・深層・並列のみを意味する。高級も下級もないのである。むしろ、下層に行くほど、精神の奥義を意味するのである。

 岡潔は、自身の唱える日本的「情緒」論を説明するため、仏教の言う真如は阿頼耶識の一つ深い層にあり、真情としての日本の心が最深部にあるとしたのである。しかも、西洋の意・知・情を反転させて、無意識(第二の心)としたのである。主意主義でも主知主義でも主情主義でもなく、主「日本の心」主義者なのである。岡潔は、日本人の「感情」について、「情緒」の語を多用し、西洋の心・第一の心を「浅い心」とし、東洋の心・第二の心(特に日本の心・情緒)を「深い心」とするのである。

 この岡潔の思想は、西洋哲学・キリスト教とか東洋哲学・仏教とか日本の思想といった固有名詞さえ絶した世界の一者への直覚は、実は西洋哲学では発見されないばかりか、今絶しようとした東洋・日本の思想に潜在し、東洋・日本において発見されるのであるとする、私の態度にも似ている。先に言及した久松眞一の態度にも近い。

 ただし、岡潔の図にも、私なりに修正を加え、新たに私の唯識論の図を提示してみたい。私の理解では、最深部の阿頼耶識の上に末那識が堆積するのはよいとして、「意識とは五感であり、五感とは意識である」とするのが唯識論の神髄である。ここでの「意識」とは、左の西洋の図の「感覚」から「感情」までの、自己の顕在意識において行われる全ての感官・覚知・思弁・思惟を指している。西洋では、例えば、「本能」が「認知」の上にある意味は、それが視覚・聴覚などの五感とそれに対する自己自身の認知の後に、意識されるものであるからである。無論これは、ほとんどの近現代日本人の精神構造でもある。

 しかし、元来の唯識論の説くところは、西洋人・東洋人に限らず、物を見たり聞いたり触ったりすること自体が、即、全ての意識・思考・思弁・思惟・知性・感情である。この態度は、私の「総合感覚」論そのものである。知覚の上部構造を成す思惟が解釈を成すのでさえなく、知覚は解釈である。また、思考を芸術に表すのではなく、芸術は思考である。これが私の考える、唯識論の芸術への適用であり、まさに和歌と巫女舞をその一つの極致と評価せざるを得ない。ここでは、感性、悟性、理性、知性などといった区別は全部廃止・超絶させられるのである。

 吉備の巫女たちは、今でも「痛いの痛いの飛んでけ」といった魔法の文句を母親が子供に使うことを勧めているが、これは彼女たちが唯識論の神髄を体得している証拠である。昨今、欧米と日本の医者が、世界各地に残るこのような定型詩の律動と内容による治療効果にようやく注目するようになったのをよそに、巫女たちや世界のシャーマンたちは、最初からこの治療法をやって生きてきたのである。巫女・母親たちの五感は、医者の思惟よりも、太古の昔から正確なサイエンスである。「動植物は始原感覚の教師である」とする巫女たちや私のアニミズムは、デカルトやカントには分からないだろう。

 無論、この図が西洋と東洋の人間精神の共時態を示したものにすぎないことは確かである。私は、「五感、即、共感覚、即、思惟」の太古時代から現代に至る全ての通時態を一足飛びに遡及して、これを「今」のこととする東洋的・日本的覚知を「総合感覚」と呼び、これに基づく芸術をこそ「総合芸術」であると考えるのである。

 唯識論においても、「私(自己・自我)」は、「今」以外を持たないアートマンであり(時間的継続はなく、瞬時の生成・消滅を繰り返しており)、近い過去・未来の「私」が遠い過去・未来の「私」よりも遠いということは一切言えない。この無数の「私」を(ベルクソンやジェームズのように)連続体と見るのが末那識であり、末那識は「私」の身体を中心とはするが、周囲の物、ひいては森羅万象に遍在している。阿頼耶識は、「私」と宇宙との一体化として、完全な遍在である。そして、「唯識」として実在を仮定したそれらの識を見つめる、特異点としての「私」も、本来は世界に非在であり、仮に「私」と呼ばれる何らかの偏在する波動(いわばプシュケー)しか存在していない。

 唯識論の立場に立てば、例えばベムの自己知覚理論などは、「知覚、即、行動、即、思考」として東洋的一元論の妥当性を示唆している。最近ドイツや日本の哲学愛好家の間で売れているマルクス・ガブリエルの新実在論ニーチェ批判などは、特に新しい実在論には見えず、むしろニーチェの親唯識論的なパースペクティヴィズムの崇高さが際立つばかりだ。

 ところで、ショーペンハウアーキルケゴールよりもニーチェの思想に近く、ニーチェが真っ先に引用してもおかしくなかったシュティルナーは、キルケゴールの「単独者」やニーチェの「超人」に近い「唯一者」の概念を唱えている。この「唯一者」は、いかなる他者によっても言及・定義できない「私(エゴイスト)」の一切として用いられているが、唯識論のほうが、その「私」なる「識」とて阿頼耶識との接続を保ったままの遍在とする点で、私にとっては深遠な唯心論的エゴイズムに思えるのである。ショーペンハウアーの「意志」やニーチェの「力への意志」は、阿頼耶識をより個人の通時態的かつ能動的な生・生命・生命衝動の意味に引き寄せた概念であると私は見る。

 中村雄二郎の共通感覚論と岡潔唯識論は、それぞれ独創性が強い分だけ、相互の欠落部分をうまく補完し合うだけの力があるように思える。

 ところで、あらゆる過去と現在と未来を先後関係なしに接続する時間論と言えば、清水先生の講義「清水正の時間論。〈今・ここ〉の奇蹟と有無即空」(二〇一六年十二月十三日)の動画を見ればよい。悲観的ニヒリズムに終わるだけの末法思想や浄土信仰が、なぜ未だニーチェ永劫回帰・超人思想の境涯に至っていないか、その仕組みが分かるはずである。

 こうしてみると、まず「総合感覚」というものは概ね、ニーチェが批判した弱者道徳が「常識」なる概念に書き換える前の、カントの「統覚」であると定義することができよう。さらには、「統覚」が無理矢理引き出した一者ではない、元より森羅万象に内在する一者への洞察・覚知の道としての、アリストテレスの「共通感覚」と定義することができよう。ひいては、さらに遡れば、「共通感覚」に至る前の自然哲学者たちが共有していた、アルケー・始原の一者への「共感覚」としての直覚的視線や合一体験への道であったと定義することができよう。すなわち、「旧来の共通感覚や統覚の不備不足や欠点を補い、あるいはそれ以前に立ち返り、汎神・多神世界を包括する存在としての始原の一者を、改めて哲学や宗教の言葉を用いず、一足飛びに垣間見る直覚」と定義できるだろう。巫女の第六感・霊感とさえ、定義できるものだろう。

 逆に言えば、「総合的でない知覚様態」、「総合できていない認識状態」とは、「人間(哲人と群衆)が勝手に神を追いかけたり、要請したり、引き出したりしたことで、本来の神(始原の存在)を見失い、力への意志復権できていないニヒリズム」と定義することができる。

 この受動的ニヒリズムを、ニーチェ以前の西洋哲学の技術によってではなく、ニーチェディオニュソスの智恵そのものによって、始原への回帰に向かって能動的に解消する感覚を、「総合感覚」と私は呼ぶのである。そして、音波や色彩や形状によって外在化させられることに成功した「総合感覚」を、ワーグナーや松原寛は「総合芸術」と呼んだものと、私は考えるのである。

 松原寛個人にとっては、「総合芸術」とは、自身の信仰のうちに長らく確認できなかった始原の一者としての神を自身に、そして群衆の前に現出させ、再発見させる、形而下の表現の意味である。それは、汎神・多神世界への回帰とそれを包含する始原の存在への直覚を目指すニーチェの態度と同じであり、ディオニュソスの雄叫びの騒乱に匹敵する強大な「力への意志」を意味するものである。

 しかし、松原寛自身は、このような総合感覚・芸術論を何ら説明していない。松原寛も目指していたであろうところの総合感覚・芸術を、私が自らの総合感覚・芸術論のタームで述べたというわけである。

 ニーチェはナチズムに曲解され利用されるほどの「強者」の選民思想を確かに持ち、ワーグナーはより厳しい反ユダヤ主義を持ったが、今や私は、松原寛について、ニーチェワーグナーの最大の友人であると言いたい。その大きな理由は、松原寛が国家神道・軍国思想と、親鸞・浄土信仰と、教祖のシャーマニズムを継承しているとは思えない天理教を選択したという「事実」が、ここに来て私に新しい「解釈」を生むからである。

 つまりは、超人でない男子は軍に入るべからず、徹底的に反道徳である悪人以外の悪人(群衆)は浄土に至るべからず、総合感覚に生きない信徒は天理を知るべからず、というものである。まさに、ニーチェをほとんど引用しなかったニーチェ風哲人のニーチェ風哲学であるが、こんなことを読み取る読者が多数いるとでも松原寛は思ったのだろうか。もはや、ニーチェを引用しなかった意味が分からない哲人である。

 ここで今一度、ニーチェのパースペクティヴィズムに立ち返ろう。

 私がここまで述べてきたような人間の五感と身体、とりわけ古代人や少数民族、幼児の知覚世界への眼差しと言えば、バタイユメルロ=ポンティレヴィ=ストロース、私の研究所の標語である「エピステーメー」にも借用したフーコーデリダなど、主に構造主義以降のフランス現代思想が有していたものである。ニーチェワーグナー時代のドイツ哲学の視点ではない。木村敏中村雄二郎の東洋的精神病理観とニーチェ永劫回帰・超人思想に親和性を見る私のような態度も、普通ではないと思う。だが、ニーチェのパースペクティヴィズムは、人間のあらゆる覚知・認識・懐疑・思弁などの基層を生身の肉体・感覚器官そのものに帰還させる唯識論的視点を確実に有する。

 ニーチェの言うパースペクティヴィズムは、「事実」と思われている最も卑近なものから、森羅万象、「神」にまで適用されるのである。目の前のリンゴがリンゴであるという「事実」も「解釈」であるとするのと同等に、「神」も解釈であるとするのである。「事実」がないとは、「特異点」がないということである。「神」の特異点が非在であるということは、「神」は汎神・多神の遍在なのである。

 つまり、ニーチェにとっては、群衆道徳とは、自分たちが実存自体の不安を引き受けられない弱者であるがゆえに設計した「神」への一個の見通し、眺望にすぎないその視点を、厚かましくも一斉に、超越世界から地上に送り込まれた絶対真理であると見なした暴力状態を指す。

 衒学じみた哲人の哲学論と、中間的・平均的・常識的価値を自称しながら個々に身勝手な群衆の視点が見る絶対真理としての(彼らが絶対真理だと豪語するところの)特異点の一者ではなく、意志に根ざした個々の誇り高き単独者・唯一者・超人の「感官、即、思惟」のパースペクティヴィズムが、自己の限界と共に達観する、無限の相対としての遍在する一者。ここまで論じてくると、前者の見る一者のほうがどこまでも、てんでばらばらの神であること、個々の人間が互いに違う絶対者を信じているにもかかわらず同じだと語り合っているだけの一者であることが浮き彫りになるだろう。

 人間が信じているのは、絶対者ではなく、絶対者への自身の解釈なのである。衒学的哲人と平均的群衆は、どこまでも個々に身勝手に前者の一者を要請するばかりである一方、宇宙の意志に基づく自己を極めた個人こそは、むしろ後者の真の一者を垣間見るのである。

 神道・巫女たちの思想はもちろん、中観、禅、唯識論など多くの東洋思想が、後者の一者に至る深遠な道を持ったが、西洋では、ニーチェのパースペクティヴィズムを別格として、ショーペンハウアーキルケゴールベルクソン、ジェームズ、ハイデガーなど、一部の哲人を除いては、未だにあの「すり替え」られた前者の一者を追っている。ほとんどの日本国民も、それを追っている。

 ここに来て、私の先の「神のすり替え」論と「総合感覚」論とが、パースペクティヴィズムを媒介として結びつくことになる。神のすり替えは、群衆の意識や認識や思惟や感情をいくら矯正しても治るようなものではなく、五感(とりわけ内臓感覚、深部感覚)からして変革しなければならないのである。むしろ、五感を思惟や感情としなければならないのである。

 各々の「私」の中で絶対者のすり替えが起きないようにするには、相対者であることを了解した「私」の五感が直接に絶対者と一体化しなければならないのである。その絶対者とて、特異点・絶対地点にはおらず、万物と「私」の身体に、遍在として茫漠と宿るのである。

 しかし、それでもなお、ニーチェが西洋語による西洋の思想家であるという現実が、また頭をもたげてくる。

 先に私は、西洋哲学の本質を「形而上的存在」と「形而下的存在」の二元論を軸とした形而上学と見た上で、その形而上学を転覆させようとしたニーチェ哲学自体も、結局は形而上学の一派として収まってしまったと見ることができると書いた。

 ニーチェが克服しようとした西洋哲学・キリスト教哲学の根底に流れるプラトンアリストテレスプロティノスたちの形而上学は、先に見たように、「絶対者の真実在の事実」と、「絶対者の真実在の事実を人間が認識できる可能性があるという事実」の双方を、自明のこととして(デカルト以前は、絶対者の存在証明さえ不要なものとして)事実認定していながら、本来、その絶対者についての解釈は実に多様なのであった。

 「事実」のうちの最高峰であるはずの「絶対者の真実在性」に対しては、広義の自然科学(第一哲学・形而上学でない自然哲学を含む)が対象とする個物(例えば、人間の肉体、動植物、石、ペン、机など)に対するのと異なり、解釈がただ一通りに収まることを目的とすべきだったはずであり、また「事実」として、解釈が一通りに収まり、哲学論争・普遍論争そのものが生じないはずである。だから、「絶対者・一者が実在する」という事実認定が解釈の究極形態であることが、判明するはずであった。

 しかし、歴史の「事実」として、古代ギリシャ哲学の時点で、誰もその矛盾に気づかなかった。絶対者を疑わない形而上学は、キリスト教といとも簡単に結びつき、西洋哲学はキリスト教哲学となった。それはいわば、強者道徳の体現者になりかけてはいるが自らも苦闘している天才哲人が、自身よりも圧倒的に実存の不安を引き受けられていない弱者群衆に対して、致し方なく絶対者を説く学問である。

 ニーチェとしてみれば、「私は絶対者についてこう考える」という解釈や言明が成立する時点で、即、絶対者とは、非感覚的(感覚を超絶した)実在ではなく、「解釈」そのものの呼称(主観的感覚に基づく解釈どころか、個々人の勝手な五感そのもの)であると哲学者は気づくべきであるのに、「事実認定したものに対して解釈を二千五百年以上も継続してきた」西洋哲学そのものが、欺瞞に思えたのだろう。

 しかし、先の引用の通り「そのようなことを欲するのは背理であろう」とするニーチェ自身も、また西洋形而上学の系譜上の哲学者であらざるを得なかったことを物語っている。「絶対者の実在の事実自体」の追求が「背理」であるためには、その「理」をニーチェ自身が事実認定していなければならない。先のニーチェの言葉は、前半と後半とでニュアンスが異なっている。

 後半に至って、ニーチェは「私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない」と言っているのであって、「私たちはいかなる事実「自体」の存在の事実を認定してはならない」とは言っていない。ニーチェは群衆の圧倒的な愚かさを前にして、自らのパースペクティヴィズムだけは致し方なく絶対化しようとしている。ここでまず、「否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと」が揺らぐ。

 さらに、「そのようなことを欲するのは背理であろう」と事実認定したことによって、「私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない」というニーチェの自己主張と個別解釈が、いつのまにか普遍原理を語った事実として、ニーチェ自身を根拠として(ニーチェの思弁でさえなく、ニーチェの五感を根拠として)認定される。つまり、ニーチェの身体こそが、ニーチェに酷似した世のわずかな強者たちの身体のみが、絶対的に正しい超人性を備えていることになる。

 また、「パースペクティヴィズムは正しい」、「全ての価値道徳は解釈であり、相対であり、観点に依存する」という命題は、これらの命題自体もまた一つの解釈にすぎないと言っているのであるから、特異点としての絶対真理も正しく実在することになる。

 ニーチェはこの自己矛盾・自己論駁の可能性に気づいており、あくまでも、ニーチェのような哲人からパースペクティヴィズムを真理として学ぶのではなく、これを自ら獲得する超人の出現を求めたのである。

 危うく、ニーチェもまた、プラトンアリストテレス自身になりかけたのである。というより、自らの天才的哲学に自ら恐怖するレベルになったと言ったほうがよい。このような絶対と相対のからくりに西洋哲学が二千五百年間も気づかなかったのに対し、ニーチェ自身は気づいているが、気づいたがために狂気に陥らざるを得なかったのである。

 これをもって、西洋人にとっての最大の恐怖が何かがよく分かる。絶対者の真実在の破綻と、それに伴う自我の破綻である。ニーチェでさえ、そこに陥りそうになった。恋愛を中心とする審美的実存の境地から神との向き合い方に迫ったキルケゴールも、ニーチェが直接に影響を受けたショーペンハウアーも、皆この罠にはまっていった。西洋人にとっては、五感よりも自我のほうが大切であり、上位にあるものである。ここに、あの森鷗外が、そして私が発した、「自我がなくなるのが惜しいという西洋人の思想が根本的に分からない」という悲痛が思い起こされる。

 パースペクティヴィズムが現出する通時的感覚は、創世と終末の感覚ではなく、円環的・永劫回帰的感覚でなければならない。過去が未来に直結して帰ってきても「良し」とする超人的覚悟を持たなければならない。ここまではニーチェが立派に言った。

 しかし、西洋にとって長らく野蛮・辺境の地であった東洋の果て、極東の日本に生まれた私は、ニーチェの思弁的・知性的パースペクティヴィズム(群衆のあまりの奴隷道徳ぶりを前に、致し方なくパースペクティヴィズムを絶対化・真理化せざるを得ないという矛盾と、そこに確かに気づいていたニーチェの苦しみ)から、今や一部の男の哲人や巫女の身体しか持たなくなった五感的・共感覚的・直覚的パースペクティヴィズムに至らなければならない。「特異点としての自己が特異点としての始原の一者に達する感覚」が「非自己・無我が遍在としての汎神・多神と戯れる感覚」に全く同一であるような相対主義に至らなければならない。およそ世界に特異点なるものなど無いとか有るとかいう思弁的詰問を投げかけ合って(戦争や殺戮やユダヤキリスト教の分派の形を取って)紛糾している時点で弱者道徳であると、五感・身体の総合感覚によって確信できる、超人の絶対主義に至らなければならない。このような総合感覚は、東洋精神にこそ潜在しているのである。

 今、ニーチェでさえ陥りかけた「私の説くパースペクティヴィズムは真理である」とする絶対主義を超えて、宇宙に遍在する阿頼耶識から湧き出たあらゆる個々の自己が、「力への意志、即、五感、即、思惟」の境地によって、始原の一者としてのその阿頼耶識に立ち返りつつ、自己を生きる東洋的超人の態度を、私は「総合感覚的パースペクティヴィズム」と呼びたい。

 ここに、もしニーチェが出会っていれば発狂せずに済み、松原寛が出会っていれば天理教や浄土信仰に安住している場合ではなくなった、真の肉感的相対主義が樹立されるのである。

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

 

 

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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韓国語訳『ウラ読みドストエフスキー』はイーウンジュの翻訳である。イーウンジュはわたしの教え子で拙著『宮崎駿を読む』の翻訳者でもある。現在、ソウルで著作活動に励んでいる。

 

「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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