ネット版「Д文学通信」36号(通算1466号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第30回)

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメールshimizumasashi20@gmail.comにお送りください。

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ネット版「Д文学通信」36号(通算1466号)           2021年12月13日

───────────────────────────────────────────────────────

「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

───────────────────────────────────────────────────────

連載 第31回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

十、大いなるディオニュソス感覚、総合感覚、「母なる」感覚への道

バレリーナや巫女たちと共に、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊に問う

 

「音楽」、「ギリシャ悲劇」、「総合芸術」を生成させる「総合感覚」の始原へ

 

 ニーチェの言うディオニュソス精神による復興芸術、ワーグナーや松原寛の言う総合芸術の形而上理念を、今まさに私が有している音楽理論などの芸術の技術をもって有限の五感世界に再現できれば、これほど嬉しいことはない。今やこれが、私の机上の哲学・宗教論の大成と共に、最大の目標である。ただし、まだ考察すべきことがある。

 本稿そのものが、一つの総合芸術であると自負しているが、音楽その他の、文芸以外の芸術においても、総合芸術と自負する芸術は生み出してきたし、これからも生み出したい衝動は常にある。むしろ私には、今見てきたように、文芸の前に音楽があった。今も私が目指している、いや、日芸ほか人類が目指すべき芸術様態を、「大いなるディオニュソス的総合芸術」とでも言おう。

 もちろん、哲学と宗教も、言葉の総合芸術・文芸であるが、教条・ドグマの芸術でなく、もっと目や耳に直接飛び込む芸術、しかも、先ほど見たような生々しい「芸術としての女体」やその転写音楽でもない始原感覚の芸術は、ないだろうか。

 そこで、「(大いなるディオニュソス的)総合芸術」を生み出す母体としてのディオニュソス感覚、「総合感覚」というものをここに考えることで、「総合芸術」の意味を追いたい。なぜならば私は、音楽(聴覚的要素)や色彩・形状(視覚的要素)や身体表現(触覚的・体性感覚的要素)その他の五感の知覚対象が融合した芸術作品であるからと言って、今から述べる「総合感覚」への躍入のない芸術は「総合芸術」と呼ぶべきでないと考えるからである。音楽理論と絵画理論と演劇理論の合体など、芸大・音大・美大エリートなら誰でもできることである。しかし、そのほとんどは「総合芸術」たり得ないのである。

 私の思う「総合芸術」とは、「総合感覚芸術」であると言ってよい。先ほどの女体転写音楽はそれに近いが、その「女なるもの」の官能的性質を脱するには、やはり母胎に回帰しなければならない。母胎回帰が宇宙の始原への回帰だと感じられるところに、回帰しなければならない。

 そして、ニーチェの「音楽」・「ギリシャ悲劇」も、ワーグナーや松原寛の「総合芸術」も、女性の身体を度外視した男権的巨大芸術ではあるものの、そのことを主張したものと私は見ている。本来は、知覚分化以前の原初人類の直覚は、一度離れ離れになったものの「総合」でさえなく、「始原感覚」、「一者感覚」などと名付けるべきであろうが、知覚の機能分化の極致にある我々近現代人の立場から、ここでは「総合感覚」と名付けるものである。

 文筆家であろうが、音楽家であろうが、画家であろうが、劇作家であろうが、ニーチェの前ソクラテス的・前プラトン的芸術や、ワーグナーや松原寛の総合芸術を自ら再現せんとするには、先に述べたすり替え前の絶対者(一神・汎神・多神世界を問わぬ、始原の存在)に達する技術としてのアリストテレスの「共通感覚」、ライプニッツやカントの「統覚」、ベルクソンの「純粋知覚(経験、直観)」などの、いわば異口同音の「総合感覚」に共通の根底と、それら相互の差異を、机上ではなく、五感と身体で直覚していなければならない。

 今一度、私のみならず、多くの哲人たちが、手法は違えど、「五感の総合(総合感覚)」が「始原の存在」の垣間見への道であるとする総合感覚論を共通して展開してきたことを確認しよう。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

www.youtube.com

動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正・批評の軌跡Web版で「清水正ドストエフスキー論全集」第1巻~11巻までの紹介を見ることができます。下記をクリックしてください。

sites.google.com

 

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

f:id:shimizumasashi:20210907111050j:plain

「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

sites.google.com