ネット版「Д文学通信」41号(通算1471号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第36回)

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ネット版「Д文学通信」41号(通算1471号)           2021年12月24日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第36回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

十、大いなるディオニュソス感覚、総合感覚、「母なる」感覚への道

バレリーナや巫女たちと共に、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊に問う

 

巫女たちと私の共作としての「総合感覚」論(「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」)

 

 ただし、ここに来て改めて、ニーチェワーグナーと松原寛と私とに共通する、あの弱点が思い起こされる。

 ニーチェは通時態的哲学を志向しつつも、その五感はとりわけワーグナーの瞬間的・共時的大音響に自身の思想を見出した。ワーグナーも、女性による救済思想を持ちながら、その五感は女性に厳しい大音響を創作・演出したままこの世を去った。松原寛も、キリスト教の日本化を謳いながら、その五感は、芸術学校の際限なき肥大化計画(土地の買収と校舎の建設)という造形芸術の満足感、共時的な巨大花火を信仰の代替とした。

 三者とも男権的巨大芸術に邁進したところが、痛恨の極みである。ところが私も今、彼らの無謀な雄々しさを超克しようと「共感覚」の官能を持ち出し、「共通感覚」や「統覚」といった直覚の歴史の律動に組み入れ、共時的・通時的総合芸術を説いておきながら、やはり雄々しき力動の思弁的「総合感覚的パースペクティヴィズム」に偏向しているようだ。

 私はまず序盤に、ごく一部の哲人のみではあるが、近現代日本の哲人が、自我の芽生えの時点で展開している凄まじい苦闘を目撃した。それは、「解釈」であるはずのものを「事実」認定して憚らない群衆道徳への、非思弁的な「総合感覚的パースペクティヴィズム」に基づく反抗であったと、今は言うことができる。このような「総合感覚的パースペクティヴィズム」は、実存の不安と向き合う気のない群衆が、少年・少女期を最期に忘れ去るものなのである。

 ここで改めて、五感・身体が発動する直覚のみで始原に達する秘術を行う、あの巫女たちの凄まじい総合感覚を追いたい。これらの巫女たちは、ここまでの「総合感覚的パースペクティヴィズム」論に照らしてみるに、少女を忘れなかった「母たち」である。近現代女性のうちで唯一、「私の総合感覚的パースペクティヴィズムは絶対真理である」と唱えることを始原の一者から許された単独者たちである。私は「母なる」巫女たちのこの総合感覚による相対主義の絶対性を、「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」と名付けるであろう。

 思えば、旧来の古典文献学によらないニーチェの感覚的な詩とアフォリズム、すなわち著述方法から哲学を変革する試みは、一般ドイツ国民のうち超人性を期待できるごくわずかな者たちを振り向かせるのに、有効ではあった。しかし、東洋・日本における「総合感覚」を確認した今となっては、これを母語である西洋語で書かざるを得なかったニーチェの苦しみを思う。ニーチェの「総合感覚的パースペクティヴィズム」は、どこまでも思弁型のそれである。

 松原寛は、思想上はこのニーチェの苦しみのすぐそばにいた、数少ない日本の哲人であっただろう。難解な哲学概念や宗教理念を一通り学びはしたが、これを振りかざすだけの衒学の哲人とならず、芸術学園の実業の土俵に立って、ニーチェの「音楽」や「ギリシャ悲劇」論、ワーグナーの「総合芸術」論に匹敵する「総合芸術」論を説いたことは、松原寛にもまた、極端に思弁的なパースペクティヴィズムだけは少なくとも備わっていたことを物語る。

 哲学の思弁と宗教の教義は、必ず「事実」を認定する。松原寛は、終生これらから逃れられなかったし、ニーチェワーグナーでさえそこに陥りかけた。しかし唯一、芸術が、それもニーチェの言う「音楽」・「ギリシャ悲劇」としての芸術や、ワーグナーや松原寛の言う「総合芸術」としての芸術のみが、私がこれら哲人の芸術観を名付けたところの「総合感覚芸術」のみが、「事実」を超絶した始原、世界の心臓、すなわち、「絶対者・一者」と「哲人たちの相対主義的解釈の重なり」の無矛盾としての宇宙を察知できる。思弁が生み出した「総合感覚的パースペクティヴィズム」は、ニーチェワーグナーの身体には明らかに備わっていた上、今や松原寛の身体の射程にも入っていたと見てよいのである。

 芸術作品としての芸術は、言語や音楽理論やデッサン技術や演技力の習得と向上によって生み出されることは、当然のことである。それにしても、ニーチェが自身の思想をワーグナーの爆音歌劇に見出したことは、今でもどこかで私に多大な勇気を与えているものの、一方では、私のような東西の音楽理論や和歌の経験者からすると、全く滑稽なことだとも思えるものである。ニーチェの思想やワーグナーの音楽、後期ロマン派の音楽に静けさがないことは、私にとって、東洋的・日本的「観点」から超克されるべきものであり続けている。

 西洋の哲人は当然、自らの哲学を観衆の五感に「art」(musicやsculptureやpaintingなど)として再現してくれる芸術家と、タッグを組んできた。ニーチェワーグナーの関係もそうである。

 元より「art」とは「artificial(人工的な)」や「by art(作為的に、狡猾に)」からも分かる通り、「人為、作為、ずる賢さ、自然状態に対する介入」の意である。近現代的なサイエンスとしての科学の人為に対する、より自然で人間的で人文主義的な人類の営みという意味ではない。「自(おの)ずから然(しか)り」としての「nature(自然)」に対する作為的行為が、(英語の「art」などの西洋語の訳語としての)「芸術」である。

 従って、対自然的に実施する哲学や宗教それ自体も「芸術」でありうる。ひいては、服飾や歩行や座禅も、哲理や教義を強引に意識して行う限りは、「芸術」である。元来、「人為であるもの(学問、科学、哲学、宗教、文学など)」の全てを「芸術」と呼ぶことができる。

 ただし、芸術が超越的形而上理念としての絶対者・神に対峙するその仕方(神の引き出し方)が、プラトンやカントのように所詮人間の知り得ないイデアや叡智界から引っ張り出してくるような手法であってはならないことは、ニーチェ自身が説いた。

 しかし、悲しいことに、ニーチェワーグナー西洋音楽理論の飽和時代を生きた。ワーグナーの音楽は、どこまで行っても西洋の「art」である。ニーチェが見たものも、和楽器や和歌ではなく、西洋音楽である。結果的にニーチェは、総合芸術論を展開するにあたり、西洋音楽の例、あるいはそれに付帯する芸術(交響楽、楽劇)ばかりを挙げて論じた。

 始原の一者との合一体験が「一足飛びの共時的事態(超空間的事態)であると同時に一足飛びの通時的事態(超時間的事態)である」とニーチェが分かっている以上、超人芸術の筆頭として、明らかなる時間的聴覚芸術である音楽を挙げてしまうのは当然であった。

 だが先にも述べたように、全く西洋音楽理論というものは、私にとって今も戦慄の対象である。その理論の根底にある暴力性が我々日本の作曲家・歌道家を、いや、実は群衆を、いかに震え上がらせるものであるか、そしてワーグナーのような哲人芸術家は別として、それにいかに群衆が気づいていないかについては、これまで見てきた通りである。

 ニーチェワーグナーがいくら「総合芸術」を説き、その誕生を西洋で目撃しようとも、それは「art」の範囲内での、視覚・聴覚優位の芸術にとどまるものである。嗅覚、味覚、触覚、体性感覚、内臓感覚、その他のあらゆる身体の深部感覚は、西洋精神においては、岡潔や私の描いた西洋精神の構造図のように、最下層に置かれる。これらの西洋精神の図において、最下層に置かれることは、最も低級で動物的・非人間的であることを意味する。

 西洋の交響楽、オペラ、ミュージカルの人工性をよそに、日本では和歌、雅楽能楽、そして何より、神々と合一する巫女たちの巫女舞巫女神楽などの巫女祭祀・神事が、連綿と行われてきた。いわば、総合芸術の最たる自然な外在化と言える。

 ニーチェの哲学が「反哲学」であり、巫女たちの神道が「反神道」であることを先に確認したのと同様、私は、とりわけ東洋音楽や民族音楽、和歌、巫女神楽などは「反art」・「反芸術」であると思う。要するに、「総合芸術」は「反芸術」の芸術なのである。アートでないと感じられるほどに、生まれ持った実存に忠実かつ無作為でなければならないのである。

 群衆道徳の一員であるほとんどの芸術家たちの「芸術は自己表現である」という主張を、ニーチェは嘲笑し、一刀両断した。「芸術は自己超克である」とするのがニーチェであって、唯識無境、ひいては無我・非我に至る仏教との親和性は、ここにあるのである。もし芸術が自己表現であると感じられるならば、その芸術作品は元の自己の劣化複製作業であるはずである。自己表現というだけならば、単に裸体になれば済む話である。

 その意味では、気まずそうにしながらも、私の楽曲群をヌード音楽劇・オペラ・バレエに改作して上演した先の女性たちは、それはそれで真っ当な芸術家である。自己表現を主張しながら、裸体にならずに音楽や演劇や彫刻や絵画を生み出し、上演・展示するならば、それは一つの暴力である。実存の不安を引き受けられていない証左であり、翻ってそれは自己とその身体と他者の否定なのである。

 一方で、今まさに生み出した芸術が自己による自己超克であると感じられるならば、それはその創作者が実存の不安を真に引き受けた単独者である証左であり、世界内存在としての仮の特異点である自己とその身体が、遍在する始原の存在を垣間見ているのである。ここに、ニーチェが自己表現としての芸術を自己否定かつ始原存在の否定と見て非難する所以がある。

 ニーチェが仏教にまでは出会いながら、極東の島国の文化に手が届かなかったことは、つくづく惜しく思われる。西洋の哲人の中で、今でもニーチェは、東洋・日本思想の最大の友人である。

 本来、ラスコー洞窟の壁画や縄文土器の時代も含め、全てがどこまでも「有限の人為」であるところの芸術の、その背後にある「究極の無作為の人為」である「宇宙の始原との一体化の試行」をこそ、「総合芸術」と名付けなければならないのである。

 私は、古今東西の音楽(聴覚)と身体運動(体性感覚)と身体美(視覚)とを融合させた交響楽、バレエ音楽巫女神楽や、定型詩・言葉の律動(聴覚)を基軸にあらゆる共感覚表現を駆使した和歌・歌合などの芸術形式として、「総合芸術」に取り組んできたつもりである。私なりの、東洋における「総合感覚的パースペクティヴィズム」の表現である。

 だが、当の私自身が、過去に「母なるもの」どころか「女なるもの」、女体の耐えうる芸術規模を度外視したワーグナー風の巨大交響楽を創っていたことを、自白したのであった。ニーチェにとっての「ディオニュソス的」芸術、ワーグナーと松原寛にとっての「総合芸術」とは、思惟の手段と内容と目的であるところの哲学や宗教の大規模な外在化であったが、当の私にとってもそうであった。

 だが、その外在化なる作業、ディオニュソスを交響楽の音波に強引に引き出そうとする狙いも、なお男権的な芸術であると考えた私が、始原の一者、母なるディオニュソス、世界の子宮と一体化する立場にある巫女たちと共に、規模を抑えたバレエ音楽巫女舞、ひいては女体転写音楽なる総合芸術を試みたことをも、記しておいた。バレエ音楽巫女舞では、「母なる総合芸術」と自負できるものにも出会った。

 しかしながら、女体転写芸術においては、男権的芸術への反省がかえって振り子を「女なるもの」の方向へと大きく振らせることとなった。バレエや巫女舞のように、着衣の女性のサイズに芸術作品のサイズを合わせる試みを超えて、女性身体そのものに芸術作品を一体化させる(いわば女体、女性の肌や子宮や内蔵に芸術を貼り付ける試み)は、結局は「女なるもの」の芸術に終わるきらいがあった。一部の女性たちも、巫女たちの忠言を受けていながら、あえて思弁を省略し、自らその芸術に参加した。

 最終的に、巫女たちの霊感の助けを借りつつ私が到達した総合芸術は、日本最古の音楽・歌謡である和歌であった。交響楽一曲が持つディオニュソス性の巨大な質量を、女体がその力量の範囲内で、最も自然に謡い、舞うことのできる音数、とりわけ和歌の三十一音に、そのまま密度を高くして凝縮することこそ、「母なる」総合芸術の極致であると分かってきた。しかし、それでもなお、歌合において詠んだ和歌の神韻縹渺の程度を見てみれば、呪歌とも言える巫女たちの「総合感覚和歌」のそれに、私の歌は見事に叶わないのであった。

 私は今や、世界各地に残る古代の定型詩の律動に乗った女性たちの舞踊こそが、始原の一者感覚の極致であると見る。私は、西洋芸術理論の大規模化にならざるを得なかったニーチェワーグナーの総合芸術論や、東洋の男だけによる東洋的総合感覚論に基づく総合芸術論ともまた違う、女性の総合感覚、女性身体の実存のみが達観可能な東洋的・宇宙的境地を、やはり「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」と名付けざるを得ない。そして今日の日本では、これを有する女の数もまた、派手なだけの群衆道徳を持つ女の数に圧倒された、稀有な残照である。私がその稀有な残照の一つである吉備の巫女の秘儀秘伝を託された責任は、甚だ大きい。

 「神は死んだ」。私自身は、その神なきあとの世界を生きる新たな人間への道を、西洋文明が愛してきた視覚優先主義を超え、絶対音楽の聴覚性を超え、ワーグナーの巨大楽劇によるそれらの融合さえ超え、まだ机上の理念の名残を残すニーチェのパースペクティヴィズムをも超え、唯識論が示した「五感、即、思考」の総合感覚的パースペクティヴィズムをも超えて、「母なる五感、即、母なる解釈」の「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」に見出したいと思う。

 ところで、「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」では、世界に対する男の思弁はない。ただ、神楽を舞う巫女の身体の反応のみが、世界解釈である。従って、子宮を持たない男が「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」を獲得することは金輪際ない。また、それゆえに、哲学や宗教学や芸術学というものは、過去にも未来にも、その永劫回帰のうちに、男のみが生み出すものである。これが私の結論である。

 私は今、「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」にただ言及することができているだけである。限られた女には、巫女には、この相対主義的哲学概念の絶対的名称さえ不要である。むしろ、「巫女的絶対無の境」と名付けるべきものである。

 男は相変わらず、哲学や宗教や芸術を論じ、その論が「事実」として正しいかのごとく吹聴することしかできない。しかも、西洋の哲人・芸術家は、我々東洋の哲人・芸術家よりも、常に「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」から遠いところを思惟して回ることしかできない。それに、芸術作品を創ったところで、我々東洋の哲人・芸術家以上に、女体を無視した巨大作品を生み出し、いずれ女に制される始末である。

 男の芸術行為は、巫女の舞よりも、「母」から遠いところにいる。男の設計した西洋音楽の理論・音配列は、女体をシステマティックに、反重力的に統御・破壊できてしまい、和楽器民族音楽の理論は、女体をより無理なく自然に、親重力的に動かし、元よりこれと一体化することができるが、日本の巫女は、静かな回転と逆手と跳躍のみで、恐ろしい呪いをかけることができる。男がいくら恐怖の芸術を創ろうとも、女体の発する呪詛が必ずそれを上回る。

 ただし、男の悪政の裏に、群衆道徳タイプの女の、妻の、誤った恐怖の呪詛があるのが、現在の日本の国政の姿である。「女なるもの」の使い方を女自身が間違って使う昨今、「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」を有する女性の継続的出現は、私のような思弁型哲人の男にとっては、何よりも強く期待されるところである。

 このようなパースペクティヴィズムのみが、神社神道が捏造してきた天照大神の誤った子宮、すり替えられてきた日本教の誤った唯一神を、解体できるだろう。始原を見据えている巫女たちは、救済を求めてはいない。自らの悟りだけを求めている。

 ここで、あのニーチェの凄まじい言葉、相対主義宣言を改めて振り返ってみたい。ここには、西洋哲人の弱点のみならず、私を含めた男の哲人の生硬な弱点も、見え隠れするのである。

 ニーチェのパースペクティヴィズムは、この哲学概念を新たな真理であると主張するならば、「完全な相対主義は絶対に正しい。ゆえに絶対主義も絶対に正しい」こととなり、パラドックスに陥るのであった。これにニーチェも気づいており、哲学概念としてのパースペクティヴィズムの樹立自体を転倒させ、「事実」の非在性、「解釈」のみの存在性を、ニーチェ自身が言ったのではなく、根源的一者が言ったかのように、高唱するほかないのであった。

 私は、ニーチェが自身のパースペクティヴィズム概念を、根源的一者への思弁・認識・認知の相対主義ではなく、根源的一者への知覚・感覚・直覚にまで深めようとしたと考えていることから、「(思弁型)総合感覚的パースペクティヴィズム」と名付けた。

 しかし今、選ばれし巫女たちには、次の言葉が許されたのだ。「女の身体・五感・総合感覚もまた、男の目には確かに一つの現象にすぎないでしょうが、その女の自己ではなく、その女の身体・五感・総合感覚こそは、実証主義者として、次のことを認定するでしょう。始原存在と一体化した女性身体・五感・総合感覚は、現象であると同時に本質であり、総合感覚的パースペクティヴィズムが謳う無限の相対主義は、宇宙の子宮、世界の心臓である大いなる母の名において、絶対的に正しい真理である。」

 巫女たちは、身体・五感が一足飛びに背後の本質に達し、始原に立ち返るのだから、決して「神・絶対者・一者のすり替え」を行うことはない。あの祭政一致の国体を目指した近代政府は、それをスローガンにするのであれば、パースペクティヴィズムでもなければ総合感覚・総合芸術でさえない国家神道を祭りにするのではなく、真の絶対の境を見ている巫女たちに祭政を託すべきであった。無論、近代日本に対し、もはやそんな汎神・多神教の自然信仰国家を継続している場合ではないと思わせ、戦慄させた西洋列強・キリスト教の強大さもまた、日本の巫女たちの自然信仰という「総合芸術」・「反芸術」を破壊した張本人であるということは、言えるのである。

 ニーチェの「神は死んだ」は、今や日本の群衆道徳による天照大神の死でもある。そして何より、天之御中主神国之常立神の死でもある。これらの神々そのものが、日本人の「解釈」であり、日本人の「場所」である。むしろ、「解釈」や「場所」としてのこれらの神々を復権すべきであろう。私は、それは物性でも心性でもない中立一元論としての汎神・多神の遍在であり、それがすでに見えているのが巫女たちであるとするものである。

 ニーチェが打ち立てた「音楽」論・「ディオニュソス的」芸術論、ワーグナーや松原寛が打ち立てた「総合感覚」論に、「共感覚」なる既存概念を導入しつつ、それらの論を東洋・日本の男として再構築したところの私の「総合感覚」論は、身体の実証主義者である巫女たちに憑依した「力への意志」のおかげで、ここに新たに「母なるもの」の論として成立することが可能となったのである。今、ニーチェワーグナー、松原寛の亡霊にはしっかりと、近代の巫女たちの慟哭が聞こえ、その子孫である現在の巫女たちの生の躍動も見えているだろう。

 これら男の哲人たちの視界からさえ漏れていたもの、これからを生きる男の哲人の視界からも漏れ続けるもの、彼らが確信した「力への意志」でさえ常に頼るべきであるもの、頼らざるを得ないもの、哲人の自画自賛を唯一恥ずかしく思わせるもの、「運命愛」を引き受けた「この人を見よ」という宣言をどんな男の哲人にも一瞬は思いとどまらせるもの、どんな一神教も未だ達し得ない聖概念、少女時代から決して減じない女性の自由精神、ルサンチマンの対象にさえならない大地の鼓動、真の汎神・多神のスピリチュアリズム、これをこそ私は、大いなる「母なるもの」として語ってきた。

 私とて、それをニーチェワーグナーのように芸術の雄々しい肥大化に見出したかと思えば、振り子が振れすぎて、審美の極致、「女なるもの」に見出してきた。和歌をいくら詠んでも、巫女たちが神楽を舞うと降ってくるというその神韻縹渺の和歌に、到底達することができない。

 私が、未だその奥にいる「母」に出会えていないのは確かである。しかし私の中で、「幼年・少年期の自我の葛藤で見出された東洋的・日本的実存」と「汎神・多神の遍在する島々としての日本」とが、「母なる泉への回帰」において統合されつつあるのも確かである。

 私の実母は、私の最初の「母なる総合感覚的パースペクティヴィズム」の師であった。私が成人となってからは、私の創り出した音楽や神楽や和歌を舞い、踊り、謡ってきた巫女たち、神懸かりして自身の身体に託宣や和歌を降らせる巫女たちが、私の師である。

 おそらくは、哲人の男たちは皆知っている。母胎にいた時、自分は今よりも始原の母なる総合感覚的パースペクティヴィズムに立っていたと。そして、その母胎から解き放たれたのちにも、その母胎に宿るかのように、世界に遍在する始原のアルケーに包まれつつ、女性による救済を探し求めるしかないと。

 

二〇一九年二月七日 起筆、二〇二〇年三月十六日 擱筆

 

 

引用・参考文献

※ 引用箇所の詳細は文中に示した。また、引用や言及が一回である、書籍以外の文献は、文中のみに示した場合がある。

※ 書籍により、一部または全部につき、掲載内容が同一である電子書籍を参照した。

※ 表示困難な旧字体漢字や記号などは、適宜新字体や同義の記号に直して引用した。

※ クリエイティブ・コモンズ・ライセンスが主張されている著作物は、著作者・権利者の主張の通りに掲載した。

※ ウェブサイトの最終閲覧年月日は、二〇二〇年三月十一日である。(本稿は~に提出。)

 

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出口王仁三郎 著、霊界物語刊行会 編纂 『霊界物語』一~十四 八幡書店 一九八九―一九九一年

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中山太郎 『愛慾三千年史』 サイレン社 一九三五年

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中山太郎 『日本巫女史』 国書刊行会 二〇一二年

夏目漱石 『文学論』 大倉書店 一九〇七年

南洋神社 『官幣大社南洋神社 御鎮座祭記念写真帖』 南洋神社 一九四一年

西尾幹二 代表執筆 『中学社会 新しい歴史教科書』 扶桑社 二〇〇一年

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ドストエフスキー曼陀羅』特別号「清水正ドストエフスキー」 日本大学芸術学部 二〇一八年

『日本現代文學全集 七 森鴎外集』 講談社 一九八〇年

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久松眞一 『東洋的無』 弘文堂書房 一九四二年

藤原定家 著、早川純三郎 編集 『明月記』 国書刊行会 一九一一・一二年

文化庁文化部宗務課 編 『宗務時報 一一九』 文化庁 二〇一五年

「若き哲人の苦悶」 教育学術研究会編集 『教育学術界』第二九巻第二号 同文館 一九一四年

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松原寛 『藝術の門』 大阪屋号書店 一九二四年

松原寛 『宗教の門』 大阪屋号書店 一九二四年

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松原寛 『ヘーゲル哲學物語』 同文館 一九三一年

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松原寛 『生活の哲學』 日本公論社 一九三三年

松原寛 『流轉風景』 四条書房 一九三四年

松原寛 『西洋哲學物語』 同文館 一九三四年

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アンリ・ベルクソン 著、真方敬道 訳 『創造的進化』 岩波文庫 一九七九年

ヂェームス・ボールドヰン 著、杉谷代水 訳補 『希臘神話』 富山房 一九一二年

エリアス・カネッティ 著、岩田行一 訳 『群衆と権力』上・下 叢書ウニベルシタス 二〇一〇年

カール・ダールハウス 著、好村富士彦、小田智敏 訳 『リヒャルト・ワーグナーの楽劇』 音楽之友社 一九九八年

ギルバート・キース・チェスタトン 著、安西徹雄 訳 『正統とは何か』 春秋社 二〇一九年

ミルチャ・エリアーデ 著、堀一郎 訳 『大地・農耕・女性 比較宗教類型論』 未來社 一九六八年

ミルチャ・エリアーデ 著、岡三郎 訳 『神話と夢想と秘儀』 国文社 一九七二年

マルティン・ハイデガー 著、細谷貞雄 訳 『存在と時間』上・下 ちくま学芸文庫 一九九四年

エリック・ホブズボウム、テレンス・レンジャー 編、前川啓治、梶原景昭 他訳 『創られた伝統』 文化人類学叢書 一九九二年

イマヌエル・カント 著、宇都宮芳明 訳・注解 『実践理性批判』 以文社 二〇〇四年

セーレン・キルケゴール 著、飯島宗享 訳、中里巧 校閲 『誘惑者の日記』 未知谷、二〇〇〇年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、戸塚七郎、泉治典、上妻精 訳 『ニーチェ全集 1 古典ギリシアの精神』 ちくま学芸文庫 一九九四年

ニーチェ 著、秋山英夫 訳 『悲劇の誕生』 岩波文庫 一九九七年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、渡邊二郎 訳 『ニーチェ全集 3 哲学者の書』 ちくま学芸文庫 一九九四年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、小倉志祥 訳 『ニーチェ全集 4 反時代的考察』 ちくま学芸文庫 一九九三年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、池尾健一 訳 『ニーチェ全集 5 人間的、あまりに人間的』1 ちくま学芸文庫 一九九四年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、中島義生 訳 『ニーチェ全集 6 人間的、あまりに人間的』2 ちくま学芸文庫 一九九四年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、茅野良男 訳 『ニーチェ全集 7 曙光』 ちくま学芸文庫 一九九三年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、信太正三 訳 『ニーチェ全集 8 悦ばしき知識』 ちくま学芸文庫 一九九三年

ニーチェ 著、手塚富雄 訳 『ツァラトゥストラ』Ⅰ・Ⅱ 中公クラシックス 二〇〇二年

ニーチェ 著、木場深定 訳 『善悪の彼岸』 岩波文庫 二〇一四年

ニーチェ 著、木場深定 訳 『道徳の系譜』 岩波文庫 二〇〇三年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、原佑 訳 『ニーチェ全集 12・13 権力への意志』上・下 ちくま学芸文庫 一九九六年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、原佑 訳 『ニーチェ全集 14 偶像の黄昏 反キリスト者』 ちくま学芸文庫 一九九四年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、川原栄峰 訳 『ニーチェ全集 15 この人を見よ 自伝集』 ちくま学芸文庫 一九九四年

フリードリッヒ・ニーチェ 著、原佑、吉沢伝三郎 訳 『ニーチェ全集 別巻3・4 生成の無垢』上・下 ちくま学芸文庫 一九九四年

ホセ・オルテガ・イ・ガセット 著、神吉敬三 訳 『大衆の反逆』 ちくま学芸文庫 一九九五年

ショーペンハウアー 著、西尾幹二 訳 『意志と表象としての世界』一~三 中公クラシックス 二〇〇四年

オスヴァルト・シュペングラー 著、村松正俊 訳 『西洋の没落 第一巻 形態と現実 世界史の形態学の素描』 五月書房 二〇一五年

オスヴァルト・シュペングラー著、村松正俊 訳 『西洋の没落 第二巻 世界史的展望 世界史の形態学の素描』 五月書房 二〇一五年

スタンダール 著、野崎歓 訳 『赤と黒』上・下 光文社 二〇〇七年

ヴヰンデルバンド 著、松原寛 訳 『哲學概論』 イデア書院 一九二四年

ヴヰンデルバンド 著、松原寛 訳 『哲學の根本問題』上 同文館 一九二六年

ヴヰンデルバンド 著、松原寛 訳 『哲學の根本問題』下 同文館 一九二六年

ワーグナア 著、北村義男 訳 『芸術と革命 他4篇』 岩波文庫 一九五三年

リヒャルト・ワーグナー 著、三光長治 監訳、杉谷恭一、藤野一夫、高辻知義 訳 『友人たちへの伝言』 法政大学出版局 二〇一二年

リヒャルト・ワーグナー 著、三光長治 監修 『ワーグナー著作集 一 ドイツのオペラ』 第三文明社 一九九〇年

リヒャルト・ワーグナー 著、三光長治 監修 『ワーグナー著作集 三 オペラとドラマ』 第三文明社 一九九〇年

ホワイトヘッド 著、山本誠作 訳 『ホワイトヘッド著作集 第一〇巻 過程と実在(上)』 松籟社 一九八四年

ホワイトヘッド 著、山本誠作 訳 『ホワイトヘッド著作集 第一一巻 過程と実在(下)』 松籟社 一九八五年

DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引(新訂版)』 原著:American Psychiatric Association 訳:高橋三郎、大野裕、染矢俊幸 医学書院 二〇〇三年八月

DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』 原著:American Psychiatric Association 日本語版用語監修:日本精神神経学会 監訳:高橋三郎、大野裕 訳:染矢俊幸、神庭重信、尾崎紀夫、三村將、村井俊哉 二〇一四年六月

ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン(新訂版)』 原著:World Health Organization 監訳:融道男、中根允文、小見山実、岡崎祐士、大久保善朗 医学書院 二〇〇五年十一月

井上寛司 「国家神道」論の再検討 : 近世末・近代における「神道」概念の転換」 大阪工業大学紀要 : 人文社会篇. 51(1), 0-50 大阪工業大学 二〇〇六年五月

下川茂 「『赤と黒』新訳について」 『スタンダール研究会会報』十八号, pp.14-20 スタンダール研究会 二〇〇八年五月

照井日出喜 「現代ドイツの演劇状況(Ⅶ)」 人間科學研究. (4), 63-110 北見工業大学 二〇〇八年三月

横山賢二 「研究録 岡潔の生涯と思想」 月刊カレント. 55(11), 74-77 潮流社 二〇一八年十一月

 

岡山県バレエ連盟、岡山バレエカンパニー http://okayama-bf.com/

國學院大學 https://www.kokugakuin.ac.jp/

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/

清水正チャンネル https://www.youtube.com/channel/UCPjKs2BsVoPWC1qWghus1Ug

数学者 岡潔思想研究会 http://www.okakiyoshi-ken.jp/

世界保健機関(WHO) https://www.who.int/

日本大学の歴史 https://www.nihon-u.ac.jp/history/

日本大学藝術学部 http://www.art.nihon-u.ac.jp/

日本文化チャンネル桜 http://www.ch-sakura.jp/

文化庁 https://www.bunka.go.jp/

 

岩崎純一学術研究所(Iwasaki Junichi Academic Institute、IJAI)

https://iwasakijunichi.net/

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

 

 

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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清水正・批評の軌跡Web版で「清水正ドストエフスキー論全集」第1巻~11巻までの紹介を見ることができます。下記をクリックしてください。

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清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

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韓国語訳『ウラ読みドストエフスキー』はイーウンジュの翻訳である。イーウンジュはわたしの教え子で拙著『宮崎駿を読む』の翻訳者でもある。現在、ソウルで著作活動に励んでいる。

 

「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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