ネット版「Д文学通信」19号(通算1449号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第15回)

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ネット版「Д文学通信」19号(通算1449号)           2021年11月24日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第15回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

五、日本の絶対者(イエス・キリストとしての天皇)と群衆道徳 松原寛の亡霊と共に

 

「同じ穴の狢」としての「米国風キリスト教極東支部

 

    私は、阪神淡路大震災東日本大震災をはじめとする自然災害の被災地域の追悼イベントを追ってみているが、被災者や被災自治体が「家族の絆」や「地域の絆」を主張しつつ、最も好んで歌っているのは、「アメイジング・グレイス」である。震災当初に見られた日本語による新作のチャリティーソングは、影を潜めている。

 歌意やその由来を知らずに親や施設から無理矢理歌わされている子供たちや障害者は別として、知らずに歌わせている大人たちの無教養さは目に余るものがある。しかし、知っていて歌ったり歌わせたりしているなら、なおさら確信的一神教信者である。

 この歌は、黒人奴隷貿易に携わったことを悔恨したジョン・ニュートンが作詞したとされる。だが、その事跡を見てみると、牧師になって奴隷貿易反対運動を始めたあとでさえ自らの黒人差別自体を心から反省した形跡はなく(歌詞に謝罪は一言もなく)、むしろ、奴隷船さえも沈没させずに目的地まで送り届け、自分たちが使える奴隷の頭数を減らさなかった神の恩寵の大きさに驚き、自らの小ささを悔恨したというのが真相である。黒人奴隷貿易の歌が日本の被災者の追悼になると考える頭は、少なくとも私にはないようだ。

 無論、クリスチャンでもない圧倒的多数の被災者がこの曲この歌詞を追悼歌に選んでいるのだから、ここで違和感を表明する気は起きない。しかし、日本列島の神々と共にあった大地の鳴動と自然・人間の生々流転それ自体をも引き受けて、能動的に悲哀を体験し、苦闘・煩悶するという覚悟よりも、God's praiseのほうに、大多数の被災者が感激していること自体は、日本人の心におけるアニミズムの終焉を意味している。政府ばかりか、多くの被災者たち自身が、津波の高さを無言で言い当ててきた故人たちの目印(「これより下に居を構えるべからず」といった指標・碑)を無視し、地震津波を敵と見る巨大な防潮堤・防波堤を建設しにかかっている。

 私は、東日本大震災以前から、様々な災害の被災者や殺人事件・交通事故の被害者遺族の方々の口から出る「神」・「神様」(や「仏」・「仏様」)という言葉の意味を非常に厳密に追っているが、概ね「自らと共にあり、自ら悟りに行く汎神・多神(仏)と、それらを包含する始原の一者」ではなく「自らの彼方にあり、自らを救い給う人格神(仏)」を意味している。日本に占めるキリスト教徒の人口が1%だというのは、うわべの所属宗教名称の統計にすぎない。当たり前だが、人間の内心と所属組織とは、こういうときこそ特に分けて考える必要がある。

 とりわけ東北地方は、縄文精神・アニミズムの色濃いはずの地域であって、私は震災以来、被災者の発言や宗教行動、表情などに現れ出る「神仏」観を観察してきたが、現代においては特に大都市部や他地域の日本人の宗教観と大差があるわけではない。

 従って、震災への対応に代表される日本の群衆道徳・「絆」倫理は、もはや宗教学上も「日本教」とさえ言えず、「米国風キリスト教極東支部」としか言えないようである。松原寛は、日本の芸術品として(日本化されたキリスト教建築として)印象に残る教会建築は、震災前の駿河台のニコライ堂と長崎の天主堂の二つがあるのみで、「他は悉くバラツクの簡易食堂と何等異るところはない」と嘆いている(『生活の哲學』二〇四頁)。また、近代日本のキリスト教の現状を「米國基督教の出張販賣」や「米國宣教師の提灯持ち」と言い、少し激越な論述になったものの僭越を顧みず苦言を呈すると述べたが(同二一〇―二一一頁)、なるほど至言である。敵国を鬼畜米英呼ばわりし始めた時代の日本のキリスト教徒でさえこうであるから、米国の傘下にある今は「米国キリスト教日本支店」と言ったほうがよいのだろう。

 私は、東日本大震災に遭った鬱病の人たちを何人か知っているが、これらの人々は「震災が起きて気楽になった。突如として外出し、学校(職場)に行けるようになった」と言った。私にはその気持ちが分かる。群衆が設計してきた神概念が簡単に崩壊し、津波鬱病者のほうを抱きしめたからだ。

 そんな中、私と知人の巫女たちは、被災者と、国家や被災者にその自然的価値を殺された津波の双方を弔うため、細々と追悼和歌を交わしているのであった。日本の被災者のことを日本人が西洋語で歌う風潮の中で、和歌で自然と人間の全部を謳う人がいてもいいと思っている。

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図四《現在のニコライ堂(東京復活大聖堂)》 二〇一三年、筆者撮影(中央大より日大を跨いで臨む

 

 二〇一六年、知的障害者福祉施設の元職員の男が起こした相模原障害者施設殺傷事件では、男がナチスユダヤ人虐殺や障害者虐殺(T4作戦)など、かつての欧米圏の人種・民族差別から影響を受けていた可能性が指摘されたが、知的障害者の親よりも近くで知的障害者を見てきた男がそのような思想に至った現実には、ほとんどのマスメディアが触れなかった。それどころか、犯罪被害者遺族たち自らが、自分たちを苦しめたはずの差別感情を描いた「アメイジング・グレイス」を歌っている。

 もうすぐ東京オリンピックパラリンピックが開催されるが、身体障害者たちは、四肢を取り付けたり車輪を取り付けたりして(人体の拡張)、競技に挑む。五体満足の者たちどころか、当の身体障害者やその家族たち自身が、最初から四肢の付いて生まれた人体を「神が創った正しい人体」だと思っている。走り幅跳びなどは、その取り付けたほうの脚、義足で踏み切ってよいというルールになっている。最近の障害者競技・パラリンピックは、生まれ持った体を生かすエラン・ヴィタールではなく、生まれつき四肢のある人々を打ち負かすルサンチマンを主眼に置いている。

 ここで私がニーチェの思想(ルサンチマン弱者道徳)によって俎上に載せたいのは、義足選手が義足の踏み切りによっていわゆる健常者の記録を破り、世界のトップに立ち始めたこと自体ではなく、健常者に追いつくこと、健常者を敗北させることを善的目的として、健常者と同じ場所に脚を取り付けよう(人体を拡張しよう)と思ったその精神のことである。大腿部に車輪を直接取り付けて競争する、健常者も唖然とするような、観戦者が大笑いも大泣きもできる全く別種の、カオスの、ディオニュソスの競技を新作しようなどとは、健常者はともかく、当の身体障害者のほうも思っていない。

 その点で、身体障害者もまた健常者志向なのであって、とりわけ現代の身体障害者は、健常者の身体観や人体改造願望と同様の精神性に生きている(生きざるを得ない)ということまでは言えてしまう。今やわずかに落語や狂言のみが、障害者の体を無理に「治そう」としない、カオスの笑いを残す文化的スポーツである。

 私は、白杖を持った視覚障害者が駅構内や街中で困っていれば、声を掛け、目的地までの道順・曲がり方を伝えるなど、自分にできることは何でもしてきたが、私の「善意」が立脚しているのは、始原の絶対者の絶対無と私の無為であって、キリスト教の神のアガペーや私の隣人愛ではない。ただし今や、多くの障害者たちのほうがそのような始原の助けを必要としておらず、隣人愛を必要としているのを、ひしひしと感じている。

 障害者は(為政者の障害者対策やご親切な群衆道徳ではなく)一部の健常者の貴族道徳に助けられるべき存在である、あるいは、障害者に手を差し伸べるならば、それは奴隷道徳の「善」ではなく貴族道徳の「良い」に基づかなければならないという私の見解は、先の事件の犯人と同じ思想と思われるかもしれないが、全く対極にある。むしろ、多くの国民(健常者、障害者問わず)が、この犯人と共に、神の名のもとに「アメイジング・グレイス」を歌う無血のT4作戦の指揮官や実行部隊にならないように、注意しなければならないと思う。

 私が個人的に、駅構内や街中で決まって出会う障害者は、まだその生まれ持った身体に忠実な(それを甘受した)精神の持ち主であると感じるが、少なくとも障害者競技・パラリンピックやマスメディアの障害者観は今やそうではない。障害の有無にかかわらず、このような思想の関係者の倫理道徳を、ルサンチマンから来る弱者道徳、はた迷惑な「ノブレス・オブリージュ」と言わずして何と言えばよいのだろう。

 今では、その群衆道徳に支えられた(選挙結果がその現実を物語る)現政権が、米国の中東介入の手法を何でもかんでも支持し、協力し、猿真似を完遂している。日本国と多くの日本国民が、米国キリスト教を間借りして日本の伝統だと思い込む新宗教を確立してしまった。「日本教」ことキリスト教極東支部も、同じ穴の狢となったのである。

松原寛の亡霊は今頃、自ら早々とキリスト教を離れて正解であったと誇っているだろう。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

四時限目

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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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