飯塚舞子 「ドストエフスキー曼荼羅」展での展示品

お知らせ
<span class="deco" style="font-size:x-large;">ドストエフスキー曼陀羅展</span>
展示会場に設置された巨大な「1865年のサンクト・ペテルブルクの絵画」を前に記念撮影。


清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208
日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。
<span class="deco" style="font-size:x-large;"></span>
 

 「ドストエフスキー曼荼羅」展での展示品

飯塚舞子

 「ドストエフスキー曼荼羅」展での展示品は、開催までに目にすることが多かった。サモワールなどを実際に手にし、展示会の全容を想像する日々だったが、実際に搬入され、展示として完成された姿は感慨深かった。


 来館者はまずロシアの写真を見ながらドストエフスキーの作品世界を実際に見たような気持ちになれる。小さな写真の中に広がるのは日本よりもはるかに巨大な国の日常の景色である。また、同時にそこはドストエフスキーの作品舞台でもある。私たちが普段目にする景色とは全く異なる世界は、ドストエフスキーが生きて『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を書いた時代から脈々と人々が暮らす世界の空気を感じさせる。日本よりも建物から時代を感じることができ、特に風景写真の一枚一枚から様々なことを感じることが出来る。作品の中でしか見たことが無かったロシアの今昔の風景を大量の写真で知ることが出来るのは、新鮮であった。


 また、正面に掛けられた『罪と罰』の舞台が描かれた巨大な絵は一気にドストエフスキーの世界に来館者を誘うにはうってつけであろう。サモワールもイコンも、研究室の扉の中に閉じ込められていた時とは違う表情を見せていたのが印象的だった。実際のロシアに存在する一室のように演出された空間の中では、19世紀にロシアの空気に触れていた品々は少しだけ息を吹き返したかのようであった。また『罪と罰』の世界に一瞬だが入り込んだかのような気にさせてくれた。あまりにも貴重な19世紀ロシアからの品々は来館者をロシアへ誘うには十分な役割を果たしていた。

 

    ロシアの街の構成を知らない私にとって、ドストエフスキーの作品世界はただ頭の中で描く世界だった。『罪と罰』では街中が細かく描かれていたが、頭で思い描こうにも、ひとつも知識がないため、なんのヒントもなく寂しい景色となってしまっていた。今回、正面に飾られた大きな絵や、パネルになっていたものから、ロシアの街中を、『罪と罰』で描かれていた実際の世界を見ることによって、これからは私の頭の中も鮮やかになることが嬉しかった。


 そして正面を過ぎると、資料館の世界感は清水正一色になる。先生の著作や所蔵、年表に囲まれた空間は小さな清水正資料館である。何よりも圧巻だったのは清水先生の著作がずらっと並んでいるコーナーだ。搬入前、多くの著作を見てはいたが実際に資料館に並んでいるのを見ると、単純にその数の多さに驚いた。先生の軌跡をたどることが出来るこの展示は、私が見る機会が無かった先生の後ろ姿を眺めることができた。

   

    先生がかつて読んでいた『罪と罰』の原本では、無数の書き込みを見ることができ、清水正がどのようにドストエフスキーと向き合ってきたのかを少しだけ知ることもできた。ガラスの中に閉じ込められた本は年季を感じるが、その書き込みの迫力は時の流れに負けることはないのだということも感じられた。今に続く先生の功績の一片を実際に見ることが出来る貴な機会に巡り会えてよかったと強く思った。場面ごとに付けられた付箋は見る人を圧倒し、ドストエフスキーに向き合う先生の気迫を感じることが出来る。

 

    また、同じく先生の軌跡は、壁一面を埋め尽くす年表からも見ることが出来る。先生が生まれてから現在に至るまでに起きた出来事や、行ってきた研究は抜粋し、まとめただけでも資料館の壁を覆い尽くした。資料館の展示を見ることは多いが、あんなにも大きく長い年表を私は見たことがない。それほど清水先生の成してきたことは偉業であるのだと感じた。


 私はロシアには行ったことがないし、ましてやドストエフスキーが生きていた時代も同時のロシアも知ることはない。清水先生に出会うまでドストエフスキーについても詳しく知ることのない人間だった。しかし、日芸は私に清水先生だけでなくドストエフスキーとの出会いも与えてくれた。5年前は想像もできなかった景色が広がっている。

 

    ドストエフスキーの展示に関わる日がくるとは、考えてもいなかった。それだけでなくドストエフスキーに関わる品物や写真を見て、ドストエフスキーの作品世界に想いを馳せる日が来るとは思ってもみなかった。あんなにも展示数が多い展示会は初めてである。それらすべてによって私はロシアの世界観を味わえ、ドストエフスキーの時代を感じ、先生の功績を改めて知ることが出来た。

 

    また、ドストエフスキーを清水先生を通して見て知ることによって、私は新しい文学や世界の見方を知った気がした。一瞬でも先生がいる世界を見ることができた。私がいる世界は小さい枠に囲まれていて、今や昔のロシアに飛んだような気にさせてくれる今回の展示は私にとってとても新鮮で、さらに不思議な気分を味あわせてくれた。

 

 今回の展示は、年表やドストエフスキー論全集のおかげで私と清水先生、ドストエフスキーの出会いを思い出させてくれるものでもあった。不思議な縁に誘われ、私は今ここにいる。5年目にして、もう一度始まりを思い返すチャンスを得たことすらも不思議であった。