井ノ森 詩織 「ドストエフスキー曼荼羅」展を見て

 

お知らせ
ドストエフスキー曼陀羅
展示会場に設置された巨大な「1865年のサンクト・ペテルブルクの絵画」を前に記念撮影。


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ドストエフスキー曼陀羅」展示会を観た大学院生の感想を紹介します。


ドストエフスキー曼荼羅」展を見て

 

 井ノ森 詩織

 


今日、清水先生の展示を初めて見た。
 私自身が関わっていたのは、パネルづくりがメインで、あとは山下先生から、その他に頼まれた清水先生のプロフィールやロシアの展示でも使う紹介文のデザインといった、仕事を細々とやっていた。そのため、パネルの準備を進めているときは、これらがどんな風に展示されるのか、どんな風に配置されるのかということに余り意識がいっていなかった。とにかく目の前の写真や書籍のプリントされた紙、発砲スチロールの台紙をさばくことだけに一心不乱になっていたと思う。ただ、今年の夏休み前にラスコールニコフの部屋を一部再現する、ということは聞いていたので、それに関してのみ「あんなふうかな、こんなふうかな」とワクワクしていた。


 実際足を踏み入れてみると、まずロシアの景色に心を奪われた。写真パネルが壁中に貼られており、ドストエフスキーが普段、日常的にこんなきれいな景色を見ていたのかと、羨ましく思った。私自身はロシアに全く行ったことがないので、ドストエフスキーの作品を読んでいても、頭の中に浮かぶ景色は、あくまで空想であってリアリティはない。私の持っている知識では、昔見た海外映画や絵本、また手塚治虫の描いた「罪と罰」といった資料しかなかったのだ。大学院に入って、清水先生の授業を受けるようになってから、清水先生は度々「ドンキと詩織は山下さんに付いて、ロシアに行かないのか。学生のうちに、行ってこい」とおっしゃっていた。私は清水先生が授業内で話してくださる、ロシア旅行の話や山下先生が教えて下さるロシア情報で満足していたのだが、こうして改めて写真を見てみると、先生が「行った方が良い」と言っていたことが分かったような気がした。ドストエフスキー作品に登場していた彼らが歩いていた道、側の川、暮らしていた街並み、イメージがぐっと湧きやすくなったことに加え、彼らをより近くに感じられたような気がする。きっとペテルブルクやモスクワに行ってみるとより肌で、直接的な感覚で、彼らを体験できるのかもしれない。


 清水先生の著作物の多さは、先生の研究室や、山下先生の研究室に並べられていたドストエフスキー全集によってなんとなく予想はついていたが、展示されているのを見ると、その量の多さに改めて驚いた。先生の年表が壁に貼られているのだが、その壁に沿ってずら~っと並べられた著作は圧巻だと思う。正直言って私はドストエフスキーの研究家を清水先生以外、知らない。しかしドストエフスキーを五十年も研究して、こんなにも多くのドストエフスキー論を書き上げ、世に出している、清水先生は宇宙一の批評家なのだな、と思う。私の小ささでは先生の大きさは測れないけれど、分かった気にしかなれないのだとは思うけれど、やっぱり清水先生は一番なのだと思う。しかも、清水先生の頭の中にはまだドストエフスキーについての批評がたくさんあるのだというから恐ろしい。帯状疱疹後の神経痛をはじめとして、清水先生が何かを体験、経験するごとにドストエフスキー作品の切り口が増えているのだから、ドストエフスキーもびっくりしているはずだ。清水先生はまさに自身の体を張って、批評家としての人生を学生である私たちに、社会に、世界に、そしてもしかすると、未来に向かって示しているのかもしれない。


 ドストエフスキー曼荼羅の特別号についても少し触れたい。展示の入り口で無料配布している、私たちからの清水先生へのラブレター集だ。清水先生は時々、先生の作品に学生である私たちの文章を載せて下さることがある。先生曰く、これは記念写真なのだそうだ。その時、その空間に居合わせ、想いを同じくした人たちの記念なのだ。今回のドストエフスキー曼荼羅もその記念写真の役割があるのだと思う。日芸を通じて、誰かを介して、清水先生に居場所を与えて貰えた人たちは、近くに居続けられる人も、たとえ様々な事情があって清水先生の元を離れた人も、想いはみんなここにあるのだ、とページをめくるたびに訴えてくるようだった。この曼荼羅を読んだ人は誰であれ、この多幸感に当てられて、ニコニコになってしまうのではないだろうか。当たり前だが、清水先生の周りにはいつの時代も、先生のことが大好きな人(もちろん私も含まれている)がたくさん居て、それぞれが先生との大切な思い出を持っているのは少々妬けるが、読んでいると「清水先生はずっと清水先生だったんだなぁ」と嬉しくなってしまう。


 ラスコーリニコフの部屋を模した展示も面白かった。ただ、ラスコーリニコフがこんな部屋に住んでいたのだ、という情報だけでなく、これは山下先生がどこどこで入手したと言ってやつか、こっちはロシアで見つけたやつだ、などその背景もちらついて二倍楽しめた。ラスコーリニコフの部屋の窓も印象的だった。あの展示で一番見続けてしまったといっても過言ではない。あの窓を見た時に私の脳裏をよぎったのは清水先生の授業で幾度と聞いた「あれが俺にできるだろうか」というラスコーリニコフの言葉だ。ドストエフスキーが彼に託した皇帝殺しのたくらみを、彼はどのような想いで受け止めていたのだろうか。
私はロジオンがあの窓の向こうに見ていたであろう、景色に思いを馳せた。