「畑中純の世界」展を観て(連載31)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論
を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)
ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


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畑中純の世界」展を見て
 秋山聖太



畑中純の世界観について

私は畑中純という人物を雑誌研究の授業で扱うまで知らなかった。今回畑中純の世界展を観て感じた女性像について述べる。
畑中純Wikipediaだと漫画家、または版画家と書かれている。世界観では版画の作品も多く展示されていた。そこには宮沢賢治の作品もモチーフにした版画作品があった。オッペルと象、風の又三郎注文の多い料理店銀河鉄道の夜、どんぐりと山猫等。それぞれが畑中純の世界観で宮沢賢治を表現されていた。中でも気に入ったのはオッペルと象、本来はオツベルと象だが、何故オッペルなのかは不明。白い象が泣いているのだが、何かと哀愁漂い惹かれた。
版画においては芸術作品と言える素晴らしいものだ。だが畑中純の漫画作品は女性の裸を描くような「まんだら屋の良太」が主流に思える。私は単に畑中純は成人男性が読むようなアダルト作品を描いていると思ったのだが、作品を観てそのような考えは変わった。
畑中純の描く女性は、女性の魅力を最大限に引き出している。ただ脱げば魅力的、というわけでなく、姿勢や服の着方で魅力を表している。それと身体のライン、とても綺麗に描かれて絵からセクシーが伝わる。特に脚の膝から下に特徴がある。ふくらはぎは丸み帯び、足首を伸ばしていて角ばった箇所をなくすことにより、女性らしさを効果的に出している。それと身体の露出をあまりしてない絵も多いのは、露出部分に意識がいくようにしているのであろう。胸が出てしまえばそちらのほうに目がいってしまうが、脚の一部分だけが露出していることにより、その部分に強烈な美を感じる。
顔や胸をリアルに描かないのは、漫画で女性の身体をリアルに近い形で表現すると、美しさから離れ、絵からは醜さしか残らないからではないだろうか。人間の顔というのは、絵で描くのと実際で見るのでは受ける印象が違ってくる。表情をつくる細かい筋肉を描くことが難しいのだ。絵の表情から感情を読み取るのは難しい。そこに嫌悪感を抱いてしまう。だからこそ、顔はフィクションで済ませることにより、醜さを出さないようにしたのではないだろうか。胸にも同様なことが言える。胸が魅力的に思えるのは、実際に目の前で存在するからだ。膨らみを感じることができる場合のみである。絵は平坦だ。胸の膨らみを表現しようとすると、物足りず微妙に感じてしまう。畑中純は現実の女性と絵の中の女性は別のものとして捉えているからこそ、うまく表現できるのだ。
現代の女性というのは、スタイルが良かったり背が高いというのが魅力的と言われる。メディアで取り上げられる美しい女性というのは、皆細身である。それぞれ好みはあるだろうが、世間ではそうなっている。しかし、私は女性の美しさの真髄には、必ず母性が関係してくると確信している。
人が生まれて初めて愛する女性は母親だ。誰しもが母親の愛情を欲しがり、また愛情を返すだろう。これは後の恋愛の感情となる最初のスタート、原点である。この原点なくして女性を愛することはない。そして母親からの母性をダイレクトに感じるのは授乳、乳房だ。寛容な温かさ、柔らぎに人は愛情を感じる。人が女性に魅力を感じるのは豊満。つまり丸みだ。細身ではない。それが好みだったとしても、本能に訴えかけるのは丸みだ。畑中純にはそれがわかる。畑中純は本能をくすぶる絵を描くのだ。
畑中純の女性関係がどの程度のものなのかわからないが、きっと素敵な女性と関係をもっていたのだろう。そうでなければ、あの絵は描けるはずがない。描くには自らが体験して意識することが必要だろう。
もし畑中純が生存していたならば、きっと私と意識が合い、美味しいお酒が飲めたであろう。