「畑中純の世界」展を観て(連載25)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論
を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)
ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


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四六判並製160頁 定価1200円+税


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畑中純の世界」展を見て
 野中咲希



               

 畑中純宮沢賢治〜それぞれの理想郷〜

 畑中純は、2012年に死去した漫画家・版画家だ。宮沢賢治に造詣が深く、様々な宮沢賢治作品をモチーフにした版画作品等を制作した。今回、日本大学芸術学部芸術資料館で開催された『「畑中純の世界」展』では、生前に残した多くの貴重な作品を間近に鑑賞することができる。
 1996年に製作された「雨ニモマケズ」では、あの有名な宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を何枚かにわけて版画作品へと仕上げている。画面には「雨ニモマケ ズ」の全文と賢治作品に登場するキャラクターが描かれている。例えば、「月夜の電信柱」の電信柱や「風の又三郎」の又三郎、中には宮沢賢治自身や「下ノ畑ニ居リマス」の文字も見受けられる。それだけでなく「雨ニモマケズ」の版画作品内に登場した電信柱は宮沢賢治本人の描いた電信柱を元に描かれているが、1983年に彫られた「月夜の電信柱」ではそれを畑中純が自分の中で読み解くことによって自分の独自のイメージを再構築したのだろう。強い存在感を放つ賢治の作品を、畑中純の力を感じさせそれでいて繊細な線が、賢治のパワーに圧倒されつつも飲み込まれることなく新しいインパクトを与えてくれる。同じように、賢治作品に影響されそれを己の作品の中に取り込んでいった漫画家にますむらひろ しがあげられる。彼の作風は独特で、夢の中にいるかのような幻想世界。宮沢賢治の世界の美しさを際立たせて感じさせてくれる。一方で畑中純の作品はまた違い童話や詩の世界観を見事に現実と融和させる。版画作品「雨ニモマケズ」では、生身の肉体を持つ宮沢賢治はもちろんのこと作品内で息づく登場人物やモチーフも同時に身体性を持たせることに成功して。もちろん、どちらにも優劣はないが、一つの作品を巡っての表現方法の違いが面白い。どちらも賢治作品を文章から絵にすることで自分の中にある「イーハトーブ」をつくりだしている。「イーハトーブ」とは、賢治童話作品内に度々登場する理想郷だ。また、その語源は岩手をエスペラント語風に直したのではないかと言われている。
 畑中純の 代表作の一つに「まんだら屋の良太」がある。舞台は、九州にある「九鬼谷温泉」という架空の温泉地。主人公良太は旅館宿の若い息子だ。そして、作者の畑中純の故郷も九州だ。そして、その温泉地に訪れる様々な人間模様を描いた。賢治の童話世界に度々登場する理想郷としての「イーハトーブ」と同じものを感じる。賢治の故郷は岩手県の花巻だ。今では花巻温泉という温泉街として知られている。九州と東北とでは、気候や風習も違うがどちらも独自の文化を持っている。たとえば、九州北部では「ホーランエンヤ、エンヤノサッサ」と独自の掛け声をあげながら船を漕ぐ「ホーランエンヤ」が、東北では賢治作品内で「高原」や「獅子踊りの始まり」に登場する「獅子踊り」がある。関東地方にはない空気 間の中、違う時代を生き抜いた二人の作品はどこか美しいだけでない理想郷がある。
 「イーハトーブ」は岩手を語源にしたと先ほど述べたが、岩手と鏡写しの世界、とても似ているはずなのにどこか違う場所ではないだろうか。では、「九鬼谷温泉」の意味するものとはなんだろう。九の鬼の谷と書いて「くきたに」と読む。九とは不思議な数字だ。九分九厘とも言うように少し何かが足りないイメージを彷彿させられる。鬼は邪悪なものや悪いもの。谷は北欧の作家トーベ・ヤンソンムーミンシリーズでえがいた「ムーミン谷」や賢治作品では「峯や谷は」にわかるように遠い秘境の地、そしてそこには陣地を越えたものが住まう場所のように描かれている。鬼とは神の一つの姿でもある。「九鬼谷」は、鬼 にまだ少し足りない者たちが息づく谷という意味ではなかろうか。
温泉街には様々な人が宿泊しては帰ってゆく。老若男女様々な背景を持った人々が、身一つになり湯につかる。考えてみれば妙な光景だ。なんの接点もなかったはずの人々が裸の付き合いをする。現在では混浴はめっきり減ったがほんの少し前までは多かったとも聞くが、混浴が当たり前であった時代の温泉とはどんな光景であったのだろう。あのジブリ作品「千と千尋の神隠し」では湯屋八百万の神々が体を休める場所として登場する。トンネルの向こうの異世界にあるその湯屋が舞台だ。そこは神々の世界と温泉は日々の汚れを落とし、その土地、その場ではこの世のどのようなしがらみがあったとしても服を脱ぐのと同じように取り去る力 を持っている。また、お湯につかるというのは、産湯から連想されるように産まれなおす意味を感じられないだろうか。「千と千尋の神隠し」でもてなされる客は神だ。それと同じくして、「九鬼谷温泉」に訪れる人もそこに住まう人々も、九州を鏡写しにした理想郷に生きる神のような存在だと思える。また、賢治作品中にも神の存在を感じられる。たとえば、「銀河鉄道の夜」には大きな十字架が、「どんぐりとやまねこ」では植物の種に過ぎないどんぐりが命を持ち、「風の又三郎」では又三郎という不思議な少年が登場する。元来日本では、神や幽霊妖怪の区別が薄く、神の落ちぶれた姿が妖怪であるともされている。不思議なものはひとくくりに神でなのだ。そうなると、賢治作品中に登場する様々な人物 や物事は神の仕業であり、イーハトーブの住民たちは神ともいえる。
宮沢賢治畑中純の作品は、それぞれ一見まったく違うように思える。しかし、それぞれの理想郷を見比べることで似通ったってんがたくさん見えてきた。また機会があったら考えてみたい。