「畑中純の世界」展を観て(連載23)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論
を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)
ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


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四六判並製160頁 定価1200円+税


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畑中純の世界」展を見て
増田萌乃



 10日の授業が終わってすぐ、展示をみてきました。奥様やお子さんのお話を聞いたあとに、畑中さんの絵を見られるという、贅沢な一日でした。
 入って直ぐにあったのは、先生や奥さんの話にも登場した奥さんの肖像画でした。私が想像した絵柄とはまた違い、リアルにえがかれていました。漫画での版画のような、少しガサツな絵柄しか知らなかったので、少し驚きました。そこに描かれていた奥さんはとてもきれいで。穢れを知らないような美しさでした。私がお会いした奥さんもそうとうお綺麗でしたが、お若い時はどれだけ綺麗だったのだろう、と気になりました。うつむいて恥ずかしがっているのか、はたまた憂いを帯びているのか。髪型にも年代を感じる奥さんの肖像画。美しかったです。「これかあ、先生方がおっしゃっていたのは」と納得しました。
 そこからどんどん進んでいくと、私の知らない畑中純の世界が広がっていました。「まんだら屋の良太」の絵は勿論、様々な絵が多く並んでいました。パッと私が見ている最中に思ったのは、「人間って生々しいな」という事です。恥ずかしい部分をあえて隠さずに、人間の隅から隅まで描きたいという畑中さんの意志が強く伝わってきました。裸の絵が多いですね。男女問わず。でも、女性の裸の方が多い気がしました。男も、女も、老いも、若きも、みんなで一緒に温泉に入っている絵もあり、奥さんが言っていた「一緒に色々な温泉に行って、絵や漫画の参考にした」というお話を思い出しました。でも、あれだけ見るのが恥ずかしいような絵(作風)でも、見ていられない不潔さはないなと思いました。しかし、授業で息子さんに話を伺ったときには、苦い虫をかみつぶしたような顔で、「父の作品は読んだこともないし、読もうとも思わない。受け付けない」とおっしゃっていました。まあ、想像してみて自分の父親がああいった恥ずかしい、赤裸々な絵をかいていたら、私も受け付けないだろうなと思いました。
 「恥ずかしい、赤裸々な」と書きましたが、人間だれしもそういった生暖かい部分をもっているのです。勿論私にも。でもほかの人(他人)のことになると、生暖かい部分は恥ずかしい物だと。なんて都合がいい生き物なのだろうなあ、なんて考えつつ展示を観ていました。そんな都合がいい私たちに「見ろ!目を反らすな!」「そんな顔すんな!お前にだってそういう部分は必ずあるんだよ!」と訴えかけている気がして、また恥ずかしくなって、下をむいて。また向き合って。の繰り返しでした。
 私が一番印象的だったのは、畑中純が好きだった宮沢賢治のお話の絵です。「セロ弾きのゴーシュ」は、周りの動物たちが人面のようにも見えて、面白いなと思いました。小学生の時、図書館でみたことがあるとおもいます。親しみのある絵です。思わず動物も目を閉じて耳を傾けるゴーシュのセロの音色が聞こえてきそうです。ゴーシュの何とも言えない、微笑んでいるような顔もたまりません。そして凄い存在感を放っていたのは、「銀河鉄道の夜」でした。三枚にも渡る大作で、私は一目みたときから、そこでカミナリに撃たれたように動けなくなりました。シンプルな絵なのですが、真ん中の鉄道が幻のようでいながら異世界に通ずる道しるべのようで、威風堂々とした姿の鉄道。カムパネルラとジョバンニが今にも窓から顔をのぞかせそうな絵。思わず「ひぇえ、」と声にならない声をもらしました。
 畑中純の「エロスとカオスとファンタジー曼荼羅宇宙」の世界は、私には近くて遠い存在でした。人間的な部分で遊び心がありつつ、エロスの部分を惜しみなくドドーンと描く。躊躇の無い作風に惹かれました。下書きもせずに一発書きしているみたいな荒々しさと、人間の急所を細部まで描く繊細さが同居する絵があったのか・・・と驚きました。もっとはやく畑中純の絵と出会っていたかったです。
そして、「まんだら屋の良太」も人間として見なくてはならない作品だと思います。目を反らしたりしたくなるこの社会だけれど、目を背けていては見えないものが多すぎる。そんなメッセージを感じました。なかなかあんな絵を描いてみたくても、描けるような作画ではありません。力強い筆跡を目でたどっていくと、会ったこともない、「畑中純」がもくもくと絵を描いている場面が浮かんできます。好き勝手に想像できるという点では、私たちのように「畑中純をよく知らない」人間のほうが面白かったりするかもしれません。ですが、頭に浮かんできたりして身近に感じることがあっても、決して私とは同じ次元にいる人ではないとおもいます。こんな凡人には理解のできないような頭の中なのだろうなあ。ぽやぽやと考えていました。でも、展示を観て少しは「畑中純の頭の中」をのぞき見できたんじゃないかなと思います。
「まんだら屋の良太」、読みます。またちょっとでも「畑中純の頭の中」を覗くために。