うちには魔女がいる(連載16)


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矢代羽衣子さんの『うちには魔女がいる』は平成二十六年度日本大学芸術学部奨励賞を受賞した文芸学科の卒業制作作品です。多くの方々に読んでいただきたいと思います。



矢代羽衣子

うちには魔女がいる(連載16) 


      ガールミーツガール

ずっと犬が飼いたかった。それこそ物心ついた頃から。
「どうせ世話できないんだから」と反対する魔女と祖母を説得するために飼育本を読み漁ったり、なんの変哲もない紐をリードに見たててエアー散歩をしてみたりと色々試行錯誤をしてみたが、なかなか色良い返事をもらえないまま年月ばかりが過ぎていく。半ば諦めはじめた頃、その流れを変えてくれたのは祖父だった。

居間にでんと居座る、格子のついた見慣れぬ大きな箱。
祖父が運んできたそのケージに、家族全員が目を丸くした。
「なあに、それ。どうしたの?」
「作った」
「作ったぁ?」
ワンコを飼うなら、入れておく物が必要だろ。爽やかに笑う祖父に私は高い悲鳴をあげて抱きつき、魔女と祖母は頭を抱えたのだった。オリを作ったんなら中身も飼うしかないじゃない、と魔女からため息交じりのお許しが出て、大喜びで新しい家族を迎え入れるための準備を進めていった。

そうして小学五年生の七月、はなは我が家にやってきた。

それから十年。十歳だった私は二十歳になって、まだ産まれて二ヶ月も経っていなかったダックスフンドの女の子は、いつの間にか十歳になっていた。
ウチに来たばかりの頃は両手に余るくらいの大きさしかなかったのに、今では体重は七キロ近くあるのだから驚きだ。大きさ的にはダックスフンドというよりコーギーに近い。(掛かりつけの獣医さんに「はなちゃんは太ってるんじゃなくて骨太なんだよねぇ」と言われたのはちょっと忘れられない。)
犬のくせにどんくさくて、あまり運動は得意ではない。ドライブは好きだが散歩は嫌いという犬にあるまじき出不精のせいで、私のエアー散歩はすっかり無駄になってしまった。
はなは穏やかな性格で、めったに吠えないし食べ物を取り上げたりしても決して怒らない。私や魔女が椅子に座っていると「だっこして」と近寄ってきて、そのまま膝の上でイビキをかきながら眠ってしまう甘えん坊だ。
そして彼女は我が家の愛犬らしく、昔から大変食に興味のある子だった。

もちろん鶏肉や牛肉の匂いには大はしゃぎしてちょうだいちょうだいとしつこく食い下がるが、他にも切り干し大根や干し柿、納豆なんかも喜んで食べる。案外渋い食べ物が好きなようだ。
夕飯時になるとはなは必ず祖父の元にとてとてと歩いていき、抱っこをせがむ。夕飯のおこぼれを貰うためだ。それが分かっているのにデレデレと鼻の下を伸ばした祖父ははなを膝の上に乗せて、私の目を盗んでオカズを分けてあげているのだから困ってしまう。魔女や祖父ははなが可愛くて可愛くて仕方なく、ついつい甘やかしてしまうらしい。ひどい時には「ワンッ!」と吠えておこぼれを要求するので、そのたびに私は彼女の名前を低く呼んで叱らなければならなかった。
お互いもっと幼かった時は、よく甘噛みをされて泣いていたのに、今では私が「コラッ!」と叱るとはなの方がやっちまった! という顔をして固まるのだから、成長したものだ。

昔、祖母が亡くなって間も無くの頃に、はなの姿が見えなくて探しに行くと、彼女は仏壇の前でちょこんと座って祖母の遺影を眺めていた。その光景に、思わずほろりとする。
あの子にも何か分かるのかもね。魔女とそう頷きあって、熱くなった目頭を押さえた――――と、ここで話が終われば良い話なのだが、そうは問屋が卸さない。
数日後、仏壇の方から帰ってきたはなを抱き上げた魔女が、その耳に固まった米粒がびっちりくっ付いているのを発見した。まさかと思い慌てて確認したら、案の定、お供えもののごはんとオカズがきれいに無くなっていた。

他にも。
粗熱を取るために階段の上に置かれたケーキの香りに釣られて、普段は登れない階段を勢いで登ったくせに、その高さに驚いてそのまま動けなくなってしまったり。
帰宅した魔女が電気を点けたら、ケージから抜け出して机の上に乗ってお菓子を漁っていたはなと目が合ったり。
ペット可の旅館で夕飯に舌鼓を打つ中、いまから焼く予定の生肉を咥えてどこかへ行こうとしているのを見つけてしまったり―――などなど。
はなの食いしん坊列伝は数多く残っている、し、今後もおそらく増えていく一方だと思う。


最初の数年は、ただただその小さくてやわらかい生き物が可愛くて仕方なかった。
五年目くらいになってくると、言葉が無くてもなんとなく意思の疎通ができるようになって、お互い思い入れが深まって。
最近では意志の疎通ができすぎて逆にふてぶてしくなってきた。やはり歳を取ると人間と一緒で貫禄が出てくるらしい。
それでもやっぱり、可愛いことに変わりはない。

はなが眠っている姿が好きだ。
目をきゅうっと閉じて小さな寝息を立てているやわらかそうなその毛むくじゃらを見ると、泣きたくなるほどしあわせな気分になる。
だらしなく出たお腹に顔を埋めてぐりぐりと擦り付けると、「ぶうぅ……」と不満げな声が上がった。犬にとって十歳というのは、人間でいうところの六十歳とそう変わらないそうだ。歳のわりに元気だけれど、やはりふとした瞬間。例えば、クリーム色になってきた毛並み、チャイムに気づかずに寝こけている丸い背中、長い睫毛に混じる白い毛。
そういうものを見ると、おばあちゃんになったなあ、とほんの少し寂しくなる。
すう、と匂いを吸い込むと、香ばしい匂いで胸がいっぱいになった。なるべく長く、元気でいてくれるといい。


一昨年、私は無事に成人式を迎えて、記念にと晴着の写真を撮りに行った。なんとそこの写真館はペットとの撮影が可能らしくて、私と魔女は一も二もなく飛びついた。
きれいな振袖を着て、はなを抱いて写真を撮るというのは、なんとも面白い経験であった。隙あらば逃げ出そうとするはなをどうにか捕まえながらカメラに向かって笑顔を保つのはなかなかの重労働だったが、いまとなってはいい思い出だ。
二十歳になった子どもと、十歳になった子犬。私もはなも、すっかり大人になってしまった。完成したアルバムを見たら、写真の中の二十歳の私は、大きなダックスフンドを抱えて一等楽しそうに笑っていた。




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