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矢代羽衣子さんの『うちには魔女がいる』は平成二十六年度日本大学芸術学部奨励賞を受賞した文芸学科の卒業制作作品です。多くの方々に読んでいただきたいと思います。
矢代羽衣子
うちには魔女がいる(連載15)
本日モ晴天ナリ
私にとってお弁当というものは、昔から特別なものだった。
小中高と学生時代のほとんどを給食制の学校で過ごしたけれど、特別行事などでお弁当持参になる数少ない日はいつもご機嫌だった。普段家で食べている魔女の料理。それが小さなお弁当箱に収まっているだけで、胸は踊るようにときめいた。
幼稚園から始まり、遠足、社会科見学、給食が出ない文化祭。高校のときなんかは巷でも給食がマズイと有名な学校に通っていたので、時々小振りなお弁当を作ってもらってこっそり食べていた。大学生になってからは、実家から東京に帰る際に持たせてくれたお弁当を、特急電車の中で食べるのが習慣になった。
そんな私と魔女の長いお弁当人生の中、どれもこれも美味しかったけれど、やはり思い出深いのは、運動会の日のお弁当だ。
私は昔からどんくさい子どもで、決して運動会で目立てるタイプの子ではなかったのだが、それでも毎年、運動会の前の日は眠れなくなるほど楽しみだった。必ず前日になると作るてるてる坊主は、作り手が下手くそなせいでいつもひっくり返ってしまっていた。一度も雨に降られずに無事に六年間、全ての運動会を晴天で迎えられたのは幸いであろう。
いつでも美味しいお弁当を作ってくれる魔女だったが、この日ばかりはそもそもの気合いが違った。まだうっすらと空に夜が残っている早朝四時に起き出し、忙しなくキッチンを駆け回り、大量の料理をせっせとこさえる。
おにぎりからあげエビフライ、卵焼きにトマトにパプリカ。
目が覚めて居間に降りていくと色とりどりの美しい料理がこれでもかというほどずらりと並び、そしてその傍らには必ず、朝一番の大仕事を終えて息も絶え絶えの魔女がぐったりしている。毎年お馴染みの、我が家の運動会の朝がやってきた。
家族や融くんだけでなく、何故か親戚や魔女の友人まで駆けつけるギャラリーは、多いときでは総勢十人を越える。並みのお弁当じゃ全く足りないので、料理の数と魔女の疲労は毎年増える一方だ。おせちのときに使うような大きなお重におかずをみっちり詰め込むと、もはや鈍器並みの殺傷能力を誇る重さになるのが恐ろしい。
へろへろの魔女に送り出され、先に学校へ行って運動会の準備を進めるが、今朝見てきた美味しそうなお弁当で私の頭はすでにいっぱいだ。開会式もリレーも障害物競走もどこか上の空でそわそわと過ごし、ようやくお昼の時間になって、いの一番にクラスから抜け出して魔女たちの元へ向かう。人混みを掻き分けてキョロキョロとしている子どもを先に見つけた魔女が、私の名前を呼びながら大きく手を振った。
そんなくすぐったい記憶から、早十年余り。豪華なお弁当にはしゃいでいた小さな子どもは、今や立派な制作班だ。
「お皿洗って!」「机片付けて!」「キッチンペーパー取って!」と矢継ぎ早に飛んでくる魔女の指令に、はい! はい! と威勢のいい返事をしながら、キッチンを縦横無尽に駆け回る。ちなみに充分に甘やかされて育った私は、舌は肥えていてもキャベツの千切りに三十分もかかる人間なので、仕事はもっぱら味見と皿洗いとその他もろもろの雑用である。多少は役に立っている、と、信じたい。
あの頃は魔法のように次々に作られていくおかずにただ目を輝かせていればよかったが、今なら分かる。運動会の朝は戦場だ。この過酷さはおせち作りと並ぶ。
量の多さ、限られた時間、見た目を華やかにするための小細工やらなんやら、ハードな課題がこれでもかというほど山積みになって一斉に襲いかかってくるのだ。私の三倍のスピードで動く魔女には脱帽するしかない。平伏である。
本日の主役であるはるなは、風邪で休んだ子の代わりに急遽リレーに出ることになってしまったらしい。姉さんからの電話でガチガチに緊張している彼女の様子を聞いて、申し訳ないけど笑ってしまった。
ついこの間まで自分に作ってもらっていたお弁当を、誰かのために魔女と一緒に作っている。その事実は私をほんの少しさみしくさせて、それから、体の内側をやさしくくすぐった。大人になるというのは、きっとこういうことなのだ。そしてこのあたたかいさみしさは、これから何度も、私の胸をいたずらにくすぐっては消えていく。
このお弁当を開けたら、はるなは幼い頃の私のように喜んでくれるだろうか。
運動会の人混みのなか、私の名前を呼ぶ魔女の声を、ふいに思い出した。
※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。