うちには魔女がいる(連載14)


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矢代羽衣子さんの『うちには魔女がいる』は平成二十六年度日本大学芸術学部奨励賞を受賞した文芸学科の卒業制作作品です。多くの方々に読んでいただきたいと思います。



矢代羽衣子

うちには魔女がいる(連載14) 


    くいいじ遺伝子



魔女の職場の同僚から、立派な秋鮭をいただいた。
毎年釣りたてを届けてくれるらしい。今年はオスとメスの一匹ずつで、私の身の丈半分ほどもある立派な鮭は、両手で受け取ってもずっしりと重かった。


「ほら、出来すぎてるとな、ここが黄色くなるんだよ」
鮭の身柄を明け渡してすぐ、祖父はあっという間にメスの腹に包丁を入れて開いてしまった。得意げな鮭講座が始まるのは毎度のことだ。内臓に鮮やかに浮かぶ黄色を包丁の先でぐちゅぐちゅと弄る映像は、あまり精神衛生的によろしいとは言えない。
いつも美味しく食卓に並んでいただいているのだから文句は言えないのだけれど、魚の内臓が抉り出され血液がキッチンのシンクやら床やらを汚す様はなかなかにショッキングでグロテスクだ。脳内で有名なスプラッタ映画をいくつか思い浮かべて、うへぇと辟易しながらキッチンに背を向けた。
ここは魔女に任せてしまおう。案の定背後からは魔女の情けない悲鳴が聞こえてくる。鮭の開いた腹から卵を取り出せと祖父に指示された魔女は無理! 無理! と叫んで真っ青な顔で首を振っていた。
「一度アラ湯がくからお湯沸かせ」
「わかった! わかったからまず手を洗って!」
「この大きさじゃ冷蔵庫入らねえな」
「だから! 手を! 洗え!」
大雑把で野性味溢れる祖父は血まみれの手のまま気にせず至る所を触ろうとするから、追いかけて端から片付けをしている魔女としてはたまったものではないのだ。本人たちは必死だろうが、遠くから見てるぶんには喜劇でも観ている気分で大変面白い。腹を抱えてひとり笑っていたら、魔女にじろりと睨まれて慌ててぱくんと口を閉じた。

やがてぎゃーぎゃーと騒がしかったキッチンが静かになり、祖父の「うまい」という声が聞こえたのでそろそろかな、とそっちへ向かった。
「うまいって聞こえたからこっちに来たな、薄情者め」
魔女のジト目と恨み言をするりと聞き流して随分と綺麗になったキッチンを覗くと、丼の中できらきらと輝く大量のいくら。醤油の海の中で美しく光る卵たちに、思わずにんまりと笑った。
いくらの入った丼を食卓の真ん中に据えて、いそいそとごはんをついでみんなで席についた。我が家のいくらは醤油漬けである。炊きたての熱い新米の上に、まだ漬けの浅いいくらをたっぷりと乗せる。真っ白なごはんに醤油が染みてじわじわと広がっていく様に、ごきゅんと喉が鳴った。さっきまではスプラッタと重ねてげんなりしていたのに、今は極上のご馳走にしか見えないのだから我ながら現金なものだ。新米にいくらとは、私にとって鬼に金棒と同義である。

「その歳で料理するなんて、お父さんマメよねって言ってたよ」
魔女が歌うようにそう言う。魔女の同僚からの評価を聞いて、祖父は愉快そうに、でもどこか照れ臭そうに笑った。
「俺は食い意地が張ってるだけだよ」
ぱくぱくと食べ進めながら、なるほどたしかに、と頷いた。
「じゃあ私の食い意地はじいちゃんに似たんだね」
何も考えずにそう続けたら、大人たちが苦笑した気配があったが、気にせず箸を進めた。私はいま目の前のいくらで忙しいのだ。

口の中でまだ張りのあるいくらが表皮を破ってぷちゅんと弾けた。二日目三日目のしっかり漬かって醤油の旨みが染みたいくらも良いが、漬けたての若いいくらも良いものだ。卵のとろりとした風味が舌に広がって、醤油と米と混ざり合って濃厚な余韻を残していく。
鮭の身の方は後日石狩鍋にして、残りは冷凍して寒くなったら燻製にして干して鮭とばにするらしい。祖父の燻製ものは絶品である。美味しいものを美味しく頂ける、というのは、なんとしあわせで贅沢なことだろうか。
今後食卓に並ぶであろう鮭料理を想像し、祖父から受け継いだ食い意地が、私の胸の奥で軽やかにスキップした。


※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。