ユッキーの紙ごはん(連載33)
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【自己卑下という逃げを捨てたい】
ユッキー
ここ数年、我が家は到底お客さんを呼べる状態になかった。
よくテレビで見るようなゴミ屋敷という汚れ方ではないのだけれど、とにかく物が多い。3LDKに五人家族と猫一匹が住んでいるから、物が溢れるのは当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、本当に片付かない家だった。たとえば玄関には買い置きの飲み物が並んでいて、廊下の幅は半分ほどしか残っていないような状況。
ついでに畳や襖は古びていて、障子も猫によってボロボロにされているものだから、見苦しいことこの上なかった。
ところが去年の大晦日に、誰にどのような天命が降りたのか、「徹底的に大掃除をしよう」 という決意の声がした。
「これは?」 「捨てろ!」 「これも捨てようか」 「捨てろ!」 誰かが躊躇しても、誰かが捨てろと叫んだ。捨てに捨てまくり、ベランダには大量のゴミ袋。
かくして我が家はようやく 「普通」 レベルにまで整頓された。家が広く見える。ついでに障子も十年ぶりくらいに張り替えられ、輝いている。すぐに猫が喜んで穴を開けるだろうけど、と苦笑いをし、大掃除は終わった。
そうして2014年を迎えてそろそろ1ヶ月になる。
朝、歯磨きしながらふと目を向けたら、壁に用紙が3枚ほど貼ってあった。「商工会のお知らせ」 「確定申告書の書き方講座」 などお知らせで、どれも日程を過ぎている。
「これ、もう終わってるよ。捨てていい?」 と母に聞き、許可を得てからゴミ箱へとさようなら。
「ね、窓ガラスの法則なのよ。やっぱり家がキレイだと、住んでる人の意識も違うわあ」
母がそういって、満足気に頷いた。
「学校の窓ガラスも、一枚が割られてると他の窓も割られやすくなってしまう。しかし全てが綺麗だと、誰も簡単にはそれを壊そうとしない」 というようなことを、父と話したという。
インターネットで調べたところ、正しくは 「割れ窓理論」 といって、実在する理論だった。破壊するにしても散らかすにしても、やはり秩序を破る最初の一手は勇気のいるものなんだろう。正しい空間を人はなるべく保とうとするのかもしれない。
なるほど、と深く納得した。
きれい、価値がある、汚したらもったいない、大切にしなきゃ。これらは、何においても大事な感情だ。部屋でも、窓ガラスでも、人間でも。
特に私のようにモテない人間にありがちな話らしいけれど、恋人ができたとき、つい 「私なんかのどこがいいの?」 「私のこと嫌いになったらすぐ言ってね、別れるから」 と言ってしまう人がいると聞く。
あらかじめ予防線を張って万が一の悲劇に備えたい気持ちが私にはよくわかるのだが、これは非常に良くない、らしい。
なんて謙虚で健気なんだろう、と好意的な見方をしてくれる人は滅多におらず、たいてい無意識に見下されてしまうのだとか。
それもそうだ。「ああ、全然気にしないで。安い窓だから、割れても取り替えればいいだけだし」 と何度も言われたら、大切に扱おうとは思わなくなる。
だから 「特に私のようにモテない人間」 とか、書いてはいけない。誰かにモテたいなら。
私のことを大切にしてください、私自身が大切にしているのだから。という思いは、多かれ少なかれ伝わるものなのかもしれない。
うちの猫でさえ、美しく張り替えられた障子には、いまだに傷一つ付けていない。
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