ユッキーの紙ごはん(連載53)
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【 夏の幻覚症状 】
ユッキー
日傘が好きじゃない。他の通行人からしたら多かれ少なかれ邪魔だろうという罪悪感に攻撃され、人とすれ違うたびに日傘を傾けるなり少し畳むなりして気を遣わなければならない。
好きじゃないくせに使うのは、ほくろなのかシミなのかよくわからないものが顔に増えたからだ。
つい去年まで 「多少日焼けしてもいいや」 という傲慢と怠惰で、日傘など持っていなかったし、日焼け止めを塗り忘れることも多々あった。「しっかり日焼け対策しないと将来シミだらけよ」 という母の長年の忠告は聞くべきだった。勉強しなさいにしろ家事を覚えなさいにしても、親の言葉はそんなものである。
大した顔でもないくせにほくろだかシミだかが一つ二つ増えたくらいで騒ぐなと、言われてしまえば私は頷くしかない。正論だ。
しかし、ただでさえ大した顔じゃないのに更にほくろだのシミだのを増やして平気でいるなんてだらしないと、思われないこともないんじゃないか。そう気付いてからは、春や夏は日焼け止めを丹念に塗り込み、なるべく日傘を差して歩いている。
日傘を差して歩いていると、少なからず邪魔になってしまうことへの罪悪感に加えて、なんだか自分がものすごく 「正しくない」 ことをしているような気持ちになるから日傘は好きではない。
この気持ちはどう表現すれば通じるのかよくわからない。紫外線だけでなく視界や周囲の情報を遮断されている感覚があり、情緒的な生き方とは反対方向に早歩きで向かっているような虚無感に襲われる。
最近私の親世代がよく愚痴を言うのが、「電車の中でみんなしてずっとスマホを見ているなんて異常だ。本を読んでいたり外を眺めていたりする人を見るとほっとする」 ということである。
私は電車の中でずっとスマートフォンを見ている日も多いので、愚痴を言う彼らの気持ちに心から共感はできないどころか耳が痛いけれど、恐らく私が日傘に感じている嫌悪感に近いものがあると思う。
日焼けをするのが嫌だから日傘を差すことも、暇だからずっとスマートフォンを見続けることも、何ら間違っていない。非常に合理的だ。
だけどたとえば、日焼けを恐れず陽の光を浴びて歩くことや、することもないけれど何となく電車の揺れに身を任せてぼんやりすることのほうが、何となく 「自然体での暮らし」 「満たされた生活」 をしているイメージがあるのは多分私だけじゃない。
合理化した現代社会に生きる人間の幻と、言われるかもしれない。そういう気もする。
その幻に惑わされ、私は建物に入る直前日傘を畳むとき私の代わりに太陽光を吸収した熱を手に感じるたび、「日傘を差した私は正しかった」 と自分に言い聞かせている。
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