小林リズムの紙のむだづかい(連載97)

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紙のむだづかい(連載97)
小林リズム

【自分磨きは痛々しい】


 平日の午後にお洒落なカフェでミルフィーユを頼んじゃう自分、に酔いしれていたら自分磨きにハマっていた時期のことを思い出した。大学生活もぬるま湯状態、恋の予感もなく、ひたすら時間だけが使いたい放題だった大学二年生の頃だった。
 自分磨きといえば女子が好きなもののひとつで、わかりやすく言えば色っぽいくびれとか、サラサラの髪の毛、整えられた爪、艶肌、などがある。見た目の変化に自分で満足し、理想に近づくことを楽しむ。好きな人ができたとか、彼ができたとか、タイプの人がバイト先にいるとか、そういったことがモチベーションになる。

 私がのめり込んだのは、外見編自分磨きではなくて、内面編自分磨きのほうだった。ひとりでふらっと散歩してみる、美術館に足を運んで知った顔を装ってみたりとか、感動の映画に涙を流すという情緒的な行動に始まり、「あぁ、なんて空が高く綺麗なの」とか「気持ちの良い風!」とささやかなことに意識を向けて感動することを心がけるのだった。

 ある作家同士の対談集の本のなかで「自分が青春を送ったバブル期の自分磨きは、旅や食事や習い事などの消費活動がともなった」ということが書かれていた。そして「今の時代、モテ指南書のなかの“自分磨き”にはどういうものがあるんだろう」と結んでいたのでハッとした。時代とともに磨く内容も変わっているのか…。

 自分の運命の人と巡り合うなんちゃら。素敵な男性と出会えるなんちゃら。可愛い女子になるためのなんちゃら。普段なら本にカバーをつけない私が、当たり前のよう店員さんにカバーをつけてもらい、モテ本を読み漁ったことがあったけれど、そのなかで「習い事をしましょう(趣味をつくりましょう)」とか「ひとりで遠出してみましょう」という消費活動系のものも、あるにはあった。でも圧倒的に多いのは、「よく味わって食事をしましょう」とか「部屋の掃除をして気持ちよく過ごしましょう」という、生活のなかでできるささやかなものたち。そういうのを筆頭にして、「ひとりで散歩をしてみましょう。どうでしょう、道端に花が咲いているのに、気付かないまま通り過ぎていませんか」という注意書きが並べられ、当たり前の幸せに気付くことこそ魅力的な女性なのです!と喚起しているのだった。

 もろに影響された私は、道端にたたずむタンポポだとか、雲だとか、街灯、電柱、などを撮りまくってブログに載せ、そこにポエムっぽいコメントをつけていたのだった。タンポポからしたら迷惑な話で、この間まで踏み潰していたくせに、いきなり神々しく扱うってなんなの?という豹変ぶりだ。タンポポタンポポでしかないのに。それ以上でも以下でもないゼロ地点なのに。自分の都合で相手への評価や態度を変える女子って一番嫌われるパターンだったよなぁ…。
 「日常のなかの幸せに気づいているワタシ…」「ほら、ごらんなさい。世界ってこんなにも美しいのよ…」そんなスタンスで自分を磨いた気になっていたから、痛々しかったのだ。

 自分の内面をゴシゴシとこすって磨いても、芯にあるものは変わらない。いくら毛を刈ったってアルパカはアルパカだし、おでんの昆布はどんなに役立っていてもおでんのなかでは脇役。磨くよりも、なんていうかこう、層を積み重ねていくようにして大きくなっていきたいわ…。と、思いながら何重にも層を連ねるミルフィーユを崩したのだった。

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