清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜(連載2)

江古田文学」82号(特集 ドストエフスキーin21世紀)に掲載した「ドストエフスキー論」自筆年譜を連載する。

清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜(連載2)

一九七〇年(昭和45年)21歳

○「『カラマーゾフの兄弟』論(一)」 「月刊 出入り自由」創刊号(2月10日)
※『ドストエフスキー体験』所収の『カラマーゾフの兄弟』論の再録(以下同)
○「『カラマーゾフの兄弟』論(二)」 「月刊 出入り自由」2号(3月10日)
○「『カラマーゾフの兄弟』論(三)」 「月刊 出入り自由」3号(4月10日)
 【当時、文芸学科研究室には此経啓助氏が助手として勤務していた。此経氏は「出入り自由」(「ジャーナリズム理論2 」の機関誌) という雑誌の編集をしていて、わたしにも何か載せないかと声をかけてきた。そこで『カラマー ゾフの兄弟』論を載せることにした。三回の連載であった。】(「自著を辿って」より)
ドストエーフスキイ全作品を読む会発足〜現在】
○「(第九回例会報告要旨)ドストエフスキーに関する勝手気儘なる饒舌」 「ドストエーフスキイの会会報」No.10(8月31日 ドストエーフスキイの会)
 ※「ドストエーフスキイの会」の第九回例会(東京厚生年金会館 一九七〇年六月十日午後六時〜九時)で発表した「『罪と罰』と私」を会報用に文章化したもの。
 【「ドストエーフスキイの会」が新宿にあった東京厚生年金会館で研究発表会を開催していた。新聞の文化欄に載った情報をもとに会場に駆けつけた。一九七〇年四月二十七日のことである。講演者は水野忠夫氏、題目は「『カラマーゾフの兄弟』をめぐって」であった。会場に集まった人は百人ほどであったろうか。異様な熱気に包まれていた。日本人には「ドストエフスキーがドーシテコンナニスキー」と言われるぐらい熱狂的なファンがいる。が、二十歳のわたしが不思議だったのは六十過ぎの年配の方も多数おられたことだった。六十も七十歳にもなってドストエフスキーを読んでいることが解せなかった。当時のわたしはドストエフスキーは若いころ熱中して読むもので、老人になってまで読む作家ではないと思っていた。神があるかないかそれが問題だ、などと大真面目になって議論している作品などは青春時代に読むべきであって六十歳過ぎてまでドストエフスキーを読むというのはなんかみっともないことのように思っていたのである。その気持ちは今でも基本的には変わっていない。
 講演後、水野氏に『ドストエフスキー体験』を一部贈呈した。その際、近藤承神子、岩浅武久両氏から拙著を購読したいと申し出があった。後日、近藤氏とは早稲田大学の大限会館で開催されたドストエーフスキイの会総会( 一九七〇年五月七日土曜日)で再会した。近藤氏は次回の講演者としてわたしを推薦した。会場には筑摩書房ドストエフスキー全集の翻訳者として著名であった小沼文彦氏、早稲田露文科の教授でバフチン著『ドストエフスキイ論 創作方法の諸問題』(一九六八年 冬樹社)の翻訳者・新谷敬三郎氏、後にドストエフスキー の謎ときシリーズで有名になった江川卓氏、当時、会の事務局長であった木下豊房氏などが列席していた。小沼氏には拙著を二冊ほど購入して頂いた。
 わたしが東京厚生年金会館で「『罪と罰』と私」という演題で話をしたのは一九七〇年六月十日のことであった。初めて人前で話すということであがっていたのか、具体的にどのようなことを話したのかあまり記憶にはないのだが、途中ひとりの男(ずいぶんと年配の人だった)がとつぜん手をあげて話の中断を申し込んだことは鮮明に覚えている。
 この日の〈できごと〉は近藤承神子氏が「ドストエーフスキイの会会報」№10に「第九回例会印象記」を書いているので次にそれをそのまま紹介しておきたい。
《第九回例会の発表者は清水正氏。一九四九年生まれの堂々たる戦後派。痩躯鶴の如し。司会者は爆弾であると紹介した。会衆はキョトンとする。只の学生じゃねえか。だが長髪にかくれた顔をうつむかせてボチボチ口を聞き出した氏の話は次第に会場の落着きを奪ってゆく。どうもいつもとは様子が違う。居心地が悪い。ズカズカ人の居間に土足で上り込まれたようで苛立たしい。ルール無視の話し方だ。俎の鯉が調理人に咬みついているようなものだ。初っ鼻から清水氏は会衆の毒気を抜いた。抜かれる側もこれではならぬと陣形の立て直し。にらみ合い数刻の後に本号要旨にある──『罪と笥』と私── の話が始った。個性的である。数多く頒布されている評論解説の影響と模倣がみられない。裸の肉体をドストエフスキー御本尊にぶっつけて得た紛れもない自分の言葉で話り続ける。氏の独断とも倨傲とも思える見解の数々が次第に熱した口調にのって播き散らされる。しかしどれもドストエフスキー の作品の中にトップリ身をひたし、深く読込んで得られたものであることを覗わせる。会衆の神経はそれらに触れてピリピリと震えている。彼の大変な「居直り」にたまりかねた会員の一人が、とうとう中断を申し入れ、司会者をあわてさせた。
 理解するには先ず溺れろという言葉があるが、作品世界に埋没して客観を失い全身の力で共感また反発せざるを得ないというところに名作の魔力を知ることが出来る。ドストエフスキーはその作品の読み手に「体験」という傷跡を刻み込む偉大なる達人である。そこから惨み山る血の色を見て、読者は自分の生の痛みを知る。清水氏にも『ドストエフスキー 体験』という著書があるが、これとて、ゲバルト模様に彩りしてはあっても、その心は正統派。当たり前の真っ白けなのだ。この日会衆から発せられた質問は、残念なことに氏の巧妙なメクラマシに外され、白い腹を晒すには至らなかった。合戦は鯉の勝利で幕を閉じた。とにかく面白い三時間であった。》
 この近藤氏の例会印象記は当時のわたしのドス卜エフスキーに憑かれていた姿をよくとらえている。わたしはわたしのドストエフスキーをわたしの言葉で語ったまでだ。が、その言葉はある種の人にとっては常軌を逸した熱狂的な言葉に聞こえ、苛立ちを覚えるのだろう。わたしの批評はテキストに揺さぶりをかけて一度テキストを解体し、再構築化をはかって作品化するという試みである。テキストが〈人間〉である場合、揺さぶられて解体されてはたまらないと感じ、はげしく低抗するのもとうぜんということか。
 近藤氏は同・会報で拙著『ドストエフスキー 体験』の書評もしてくれた。それは、今読んでも面白い。ドストエフスキーを読むということが、どういうことかよく分かる書評である。この会報は後に『場ドストエー フスキイの会の記録I 』(一九七八年五月十五日海燕書房)に収録されたが、今は品切れで入手困難な状態にあるので次に全文を引用しておく。《稚拙な比喩で申訳ないが、ドストエフスキー の作品は濃厚な毒酒である。なまじっかな体質では殺される。故に一滴飲んでもう結構という輩もいれば、強烈な異臭に鼻をつまんでまっぴら御免と尻込みする者もある。口に含む勇気はないが気になって仕方がないという連中はもっぱら酒精の分析に熱をあげる。この酒には幾つもの副作用があり、中毒症状が顕著である。常用していると先ず人づき合いが悪くなる。極度の皮肉屋が生まれ、時に泣き上戸もできる。愛飲家は反抗的で虚無的で同時に博愛心旺盛で人類愛にも富んでいるのだが、程々ということがないから世間にひどく嫌われる。現在迄発売は禁止されていないが、一般には飲まないことが望ましいとされ、この酒の悪口を喧伝することは大いに歓迎されている。勿論、中毒患者は地下室に閉じ込められる。が、地下へと追いやられる程に症状の進行した患者は自分の体内に残った微かなエキスで、臓腑を同じ毒酒に変え得るから、彼は地下に座したまま、毒酒の味わいに酔痴れるのである。そこで彼は人が中途までも徹底させない意識を徹底的に追求する。この丁度を知らぬ表われこそ、この酒のもたらす特徴であり、この意識の徹底に耐え得る体質者のみが、この酒を飲み得るのである。
 『ドストエフスキー体験』いう清水正(まさし)氏の著書は、清水氏の毒酒痛飲酩酊の克明な記録である。氏は存分に毒酒を傾け「意識の徹底」という「病気」を引受けている。氏の肉体はすでに毒酒そのものを発酵させてもいる。ということは氏がドストエフスキーの作品を生きているということに他ならず、『ドストエフスキー体験』と銘されたこの酒もドストエフスキーの毒酒に劣らぬ絢爛たる猛毒の含有を保証している。地下に住む通人たちよ、肝臓には余程注意の上賞味されるがよかろう。然る後、かって或いは現在の己が酩酊と比べてみるがよい。果して清水氏程の泥酔が己れの体験にあったかと。(近藤記)】(「自著をたどって」より)
【小沼文彦主宰「日本ドストエフスキー協会資料センター」開設】
 ●三島由紀夫割腹自殺(11月25日)
○「〈断想・1〉ラスコーリニコフと老婆アリョーナ」 :「陀思妥夫斯基」No.2(12月14日 日本ドストエフスキー協会資料センター)





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